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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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中途採用

中途採用


弁千代は寮の一室で目を覚ました。

旧津山藩江戸屋敷の広大な敷地の中に、東京警視庁の寮はある。

ここは独身者や地方から出てきた単身赴任者のための施設で、賄いと風呂があるのが有難かった。

弁千代は東京が江戸と呼ばれていた頃、市中に棟割長屋を借りて暮らしていた事がある。

その時は気儘な一人暮らしだったが、今は非常時には非番であっても呼び出される身の上である。外に下宿を借りるより何かと便利だ。

洗面を済ませ厠を使って食堂に降りると、既に若い巡査が麦飯を掻っ込んでいる。

弁千代が入ると一斉に立って敬礼を寄越した。

鷹揚に敬礼を返しいつもの席に着くと、当番の巡査が朝飯を運んで来た。

今日の菜はアサリの味噌汁と目刺しが三尾。

飯と香の物は幾らでもおかわりが出来る。


食事が済んで薄い茶を喫していると、若い巡査が近づいて来た。

巡査は姿勢を正し敬礼をすると弁千代に問いかけた。

「お食事中失礼いたします、無門巡査部長であられますか?」

「飯は済んだ・・・見慣れぬ顔だが新入りか?」

「はい、欠員補充の募集で中途採用になった伊藤舞介です。正式な辞令は本日降りる予定ですが、先にご挨拶をしておこうと思いまして」

「聞いている、警邏隊に配属になるのだな?」

「そう聞いております」

「そうか、しっかりやってくれ」

「はっ!」

挨拶は済んだはずだが、伊藤は何かを逡巡しているように動かない。

「まだ何か用が?」

「部長にこのような事をお尋ねして良いのか分からないのですが・・・」

「何だ、言ってみろ」

「今井信郎巡査の所属は何処でしょうか?」

「今井?・・・ああ、藤田の所に居る」

「と、申しますと?」

「遊撃課だ」

「ありがとうございます!」


今井は敬礼をすると、嬉々として食堂を飛び出して行った。


*******


「今井、新入りがお前に面会だとよ」

木場が入り口から声を投げて寄越した。

「新入り?」

「欠員補充の中途採用だ。お前の知り合いだそうだ、会ってやれ」

「私にそんな知り合いあったかなぁ?」

「会えばわかるだろ?」

「そうだな・・・」

今井は木場と入れ違いに遊撃課の部屋を出た。


「今井さん、お久しぶりです。その節はお世話になりました!」

敬礼をしながら新人巡査が言った。

「君は伊藤君・・・なぜこんな所に?」

「窪田邸に居辛くなって・・・」

「だろうな・・・」

「職を探してたらここの警察官募集を見つけたのです」

「君は私の事を、政府の犬め!とか言ってなかったか?」

「やだなぁ、売り言葉に買い言葉ですよ。本気にしないで下さい」

「都合がいいな・・・まあ、それはいいが貴子さんは良いのか?」

「目が覚めました・・・今井さんのお陰で」

「悪い事は言わん、身分違いに決して良い事は無い」

「ですね・・・」

「ところで配属はどこだ?まさか遊撃課ではあるまいな?」

「あんな怖そうな人が居るところはごめんです」

「木場の事か?」

「さっきも散々職務質問されました」

「ははは、根はいい奴だ」

「僕は警邏課です」

「無門巡査部長の所か、あそこは良いぞ部長が優しい。うちの部長と大違いだ」

「そんなに怖いのですか、遊撃課の部長は?」

「怖いも何も、藤田部長は元新撰組の・・・」

「今井、お喋りはそのくれぇにしときな」

今起きたばかりのような眠そうな声が聞こえて来た。

「あっ、藤田さん」

「その新人無門の所か?」

「そのようです」

五郎は伊藤をまじまじと見て言った。

「今度の署内剣道大会、強敵になりそうだな」

「伊藤舞介と申します!」

伊藤は五郎に向かって敬礼をした。

「まだ敬礼が様になってねぇ、もっと練習しておけ」

「はっ!」

「今井、捜査会議だすぐに部屋に入れ」

「はい・・・じゃあ伊藤君、頑張ってくれたまえ」

「今井さん、今度道場でお手合わせ願います」

「ああ・・・」

「次は負けませんよ」

今井は軽く手を挙げて、遊撃課のドアを開けた。


*******


「さて、この所増えている外国人に対する暴行傷害事件について意見が聞きてぇ」全員が席に着くと五郎が言った。「原因としちゃ何が考えられる?」

「急速な生活様式の西洋化が問題なんじゃないですか?」関が優等生のような答え方をした。

「それだけじゃねぇぜ、日本の公用語をドイツ語にしようという動きも出てきている」何処から聞いてきたのか木場が言った。

「なぜドイツ語なんだ?」今井が訊いた。

「さあな、陸軍の連中がドイツに大勢留学したからじゃねぇのか?」

「漢字や仮名を廃してローマ字表記にしようという目論みも聞いた事があるぞ」関だ。

「もともと漢字は中国のもんじゃあるがな」

「ローマ字は一字一字に意味はなか、記号のようなもんじゃ。漢字は一字に膨大な情報が詰め込まれちょる。どう考えてん漢字の方が上じゃ!」

「それだけに覚えるのは大変だがな」

「木場、おはんローマ字に賛成すっとか?」

「いや、そんな事は言っちゃいねぇよ」

「じゃっどん、おはんの言いようじゃ・・・」

「待て樺山、そんな事で驚いてちゃ腰を抜かすぞ。日本人と西洋人の混血を進めて、日本人の身体そのものを欧米化しようとする計画もあるらしい」再び関が言った。一体どこで仕入れてくるのか?

「許せん!大和民族の矜持ば忘れたか、誰がそげんこつば言うちょっとか!」

樺山が吼えた。鎌倉武士の気風を残す薩摩隼人の彼には、そんなことは論外のそのまた外なのである。

「元中津藩士の福沢諭吉とか言ってたなぁ?」

「後に幕府に取り立てられて御旗本に納まった奴か?」

「奴は白人至上主義でな、有色人種の事を散々にこき下ろしている」

「日本人の事もか?」

「ああ、我慢強く勤勉だが才が狭く進歩が遅いと言っているらしい」

「許せん!叩っ斬っちゃる!」

樺山が刀の柄に手を掛けた。

「根っこはその辺にありそうだな。今の樺山のように頭に血が上った奴が衝動的にやっちまうんだ」木場が言った。

「そうとばかりは言えんのじゃ無いか、この前の外国人居留地の焼き討ちなんて計画的としか思えない」今井が冷静な観測をした。

「築地の鉄砲洲だな?」

「外国人が狙われるのは居留地の中だ、だったら見回りを強化するしかあるまい」

「おい達が外国人ば守ってやるこつはなか!」

「待て待て、お前の気持ちは分かるが俺たちはお上から給金を貰ってる身だ、命令されりゃやるしかねぇだろう!」

段々と話が感情的になってきた。

「その辺で良いだろう」五郎が言った。「赤池警視監からは任せると言われている」

「じゃっどん、見回りばすっにしても我々だけじゃ手が足りんとやなかね?」

「巡邏課に応援を頼んでみては?」今井が言った。

「しかし、あそこはうちとは反りが合わなかったんじゃないか?」

「だが、この前部長が変わったろう?」

「そうか、御前試合で藤田さんと引き分けた無門さんでしたね」

「藤田さん、無門さんに頼んでみては如何です?」

「借は作りたくねぇが・・・」

「これも給金の内ですよ?」

「しょうがねぇ、頼んでみるか」

「引き受けてくれるでしょうか?」

「ああ、長ぇ付き合いだ、嫌とはいうめぇよ」


*******


「無門は居るかい?」

警邏課に入るなり五郎が訊いた。部屋にいた十人ほどの巡査が一斉に五郎を睨む。

「ここだ、藤田」

一番奥の机から弁千代が手を振った。

「邪魔するぜ」

五郎は刺すような視線を無視して弁千代の座っている机に近づいた。


「・・・という訳だ」

五郎が遊撃課での話し合いの様子を伝えた。

「福沢といえば幕府の外国方だったあの福沢だな。今は新政府からの出仕要請を断って築地の外国人居留地で蘭学塾を開いている」弁千代が言った。

「詳しいな?」

「ああ、昔付き合いのあった橋本佐内殿の消息を尋ねに大坂の敵塾に行った時、応対に出たのが福沢だ。最年少で敵塾の塾頭になった俊才だ」

「その俊才が外国かぶれか?」

「白人至上主義は行き過ぎだが、言っている事は至って真っ当だ。欧米の男女同等論を世論に持ち込んだのもあの人だ」

「ふ〜ん、そのご立派な意見のお陰で、外国人達は落ち落ち散歩にも出歩けねぇらしい」

「福沢自身も何度も暗殺されかかっている」

「ほう、よく生きているな?」

「あの人は立身新流居合の達人だ、その辺の士族じゃ斬ることは叶わない」

「そうか、じゃあその福沢に当たってみるか」

「何を?」

「自分を襲った奴の見当くらい着くだろう、そいつらが外国人襲撃の手引きをしてやがるに違げぇねぇ・・・そこでだ」五郎が机に手を着いて弁千代を見据えた。「俺に手を貸しちゃくれめぇか?」

警邏課の巡査がざわついた。

「無門巡査部長!」

たまりかねたように一人が立ち上がった。

「我々は遊撃課への協力には賛成出来ません!」

「何故だ?」

「部長はご存じないかも知れませんが、遊撃課は我々の手柄を二度も横取りしたのです。あの恨みは忘れる事は出来ません!」

「てめぇ、肝っ玉の小せぇ野郎だ・・・」

五郎が机から手を離して振り返ると、弁千代が手を掴んだ。

「他の者はどう思う?」

弁千代が問うと皆俯いて顔を伏せた。

「あのぅ・・・」

入り口近くに座っていた巡査が手を挙げた。

「僕は遊撃課の人達と行動を共にしてみたいです」

「君は今日配属になった、確か・・・」

「伊藤舞介です!」

「新入りがでしゃばるな!」

最初に声を上げた巡査が怒鳴った。

「申し訳ありません。でも、それならば尚更、仇討ちをしましょうよ。今度こそ我々が先に手柄を上げれば良いんですよ、これは願ってもない機会じゃないですか?」

「くっ・・・」先輩巡査が言葉に詰まった。

「なかなか良い事を言うじゃねぇか新人・・・」五郎が舞介に目を遣った。「おめぇ今朝、今井と喋ってた奴だな」

「はい、僕は今井さんに仇討ちをする為に、ここに入りました」

「ほう、今井と何があった?」

「それは言えません」

「ふん、今井をとっちめれば分かる事さ」

「ははは、それは後でやってくれ・・・」弁千代が二人のやり取りを止めた。「皆、伊藤が言ったことに依存はないか?」

声は無かったが、皆真顔で頷いた。

「よし決まった。今から警邏課は遊撃課と共同戦線を張る・・・良いな!!」


弁千代の声に全員が立ち上がって敬礼をした。


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