転属命令
転属命令
「無門巡査部長・・・」
「なんだ?」
「鈴木警部がお呼びです」
警部付きの巡査が弁千代を呼びに来た。
「分かった、すぐに伺うと伝えてくれ」
「はっ!」
「無門です!」
警部室のドアをノックした後、弁千代は声を掛けた。
「入りたまえ」
「失礼します」
ドアを開けて入ると鈴木警部が腰の後ろで腕を組んで、窓外を眺めていた。
「お呼びですか?」
「うむ」
鈴木は向きを変えると、組んだ腕を解いてこちらに歩いて来た。
「まあ、座りたまえ」
応接セットのソファを手で指した。
「はい」
鈴木が座るのを待って、弁千代も腰を下ろす。
「東京に行ってくれ・・・」
「は?」
弁千代は何を言われたのか理解出来ず鈴木の顔を見返した。
「転属だ、東京警視庁に行ってくれ」
「行けと言われれば否やはありませんが・・・またどうして?」
「川路大警視直々のご指名だ」
「大警視?私は面識はありませんが?」
「何でも警視庁の中に、君を推薦した者がいるらしい」
「誰ですか、それは?」
「藤田五郎という巡査部長らしい」
弁千代には思い当たる節があった。薫からの手紙で、新撰組の斎藤一が藤田五郎と名を改めて警視庁に勤務しているという事を知らされている。
「急で悪いのだが今週中に立ってくれ」
「分かりました」
「それからこれは機密事項だが・・・」
鈴木が声を顰めた。
「近く政府が二つの令を布告する」
「それは・・・」
「断髪令と廃刀令だ」
「それは明治四年に断髪脱刀令として既にあるはずですが?」
「それは『断髪脱刀勝手たるべし』という、いわば個々人の自由に委ねたものであった」
「では、今回は?」
「髷を結う事と帯刀する事を絶対禁止事項とするものだ」
「違反すれば罪に問うと・・・」
「これによって士族の不満は最高潮に達するであろう」
「では、反乱は必至」
「そうだ、だがここで士族の息の根を止めておかねば、我が日本は近代化の波に乗り遅れる事になる」
「私には近代化がそれほど良い事とは思われませんが?」
「良いも悪いもない、今はやらなければならんのだ!」鈴木が語気を荒げた。「いや・・・これは岡村県令の受け売りなのだが・・・」
「それが、私が警視庁に転属する理由なのですか?」
「もし戦が始まった場合、警視庁は最前線に警察官を派遣する事になる。そうなれば有能な指揮官が必要だ」
「私で務まるかどうかは分かりませんが」
「我が三潴県警の名誉にかけて、是非やって貰わねば困る」
「ご命令とあらば身命を賭して」
「頼む」
弁千代は立ち上がって敬礼をした。
「無門弁千代巡査部長、命令により警視庁へ転属いたします!」
*******
「と言う訳なのですよ、鈴さん」
「ひょっとして、また戦になるの?」鈴が眉を顰めた。
「まだ、分かりません。ただ警察としては、最悪を想定して準備をしておかなければならないのです」
「そう・・・でも、私は行かないわよ」
「え?」
「私はここでベンさんの帰りを待ってる」
「何故ですか?」
「最近お義父様の腰の具合も良くないし、だいいちこの道場はどうするの?せっかくベンさんが開いた道場じゃない、私が守らなくちゃどうするのよ。日本が平和になって安心してベンさんが弟子たちを教えられる日が来るまで、ここで待ってる」
「鈴さん・・・」
「それに、靜馬君の成長も見なくちゃ」
「靜馬には迷惑をかけるが・・・」
「靜馬君に宮仕は務まらない、彼にはここが必要なのよ」
「そう・・・ですね」
「待つ事には慣れてる、安心して立派にお勤めを果たして来て下さい」
鈴は畳に手をついて頭を下げた。
「鈴さん・・・ありがとう」
*******
道場で壮行会を開いた。
出席は義父の無門吉右衛門、鈴の養父加藤伊織とその家族。廣岡軍蔵と沙希父娘、靜馬と鈴は勿論である。
「無門殿が御家老の御養子とは知りませんでしたなぁ」軍蔵が言った。
「廣岡殿はどちらの御家中でしたかな?」加藤伊織が訊ねた。
「久留米藩です」
「有馬家は代々名君揃い。さぞ鼻が高い事にござろう」
「いやいや、立花様こそ賢君の誉が高い」軍蔵が返した。
吉右衛門が口を挟む。
「おいおい、お互いで持ち上げあってどうするんでぃ。殿様だって人間だ、時にゃ間違った事だってやった筈じゃねぇか。全ては結果論だよ、今の日本だって同じ事だ」
腰が痛くて床に座れない吉右衛門は、大工の棟梁に頼んで作った特注の椅子に座って二人を見据えた。
「そうですなぁ」伊織が頭を掻いた。
「野暮な事ぁ言いたかねぇが、今度の弁千代の転属だってその煽りを喰っただけの話さ」
「確かにそうですな。皆、自分は正しいと信じて行動している筈、先日捕縛された私の仲間だって・・・」
「朝倉のおじさん、良い人だもんね」沙希が寂しそうに言った。
「嬢ちゃん、その良い人同士が争わなきゃなんねぇ世の中なんだよ」
「今、この時にも世界のどこかで戦をしている。徳川の太平は奇跡の様なものだったのですね」
伊織の娘婿の吉村昭ニ郎が嘆息した。
「さあさ、固い話はそれくらいにして。今夜は主人の壮行会なんだからパッと行きましょうパッと」
「そう言えばあなた、薫さん東京にいるんじゃなかったかしら?」
昇ニ郎の妻、千鶴が言った。
「そうだ、陸士に入ったんだったね」
「私は薫さんとは会った事がありません」靜馬が弁千代を見た。
「そういえば陸士の休暇中に撮った写真を送って来ていたが・・・」
「ここにありますよ」鈴が懐から、大事そうに懐紙に挟んだ写真を取り出して靜馬に渡した。
「あれ、先生似ですか?」
「いや、奥様似じゃない?」横から覗き込んだ沙希が言った。
「どちらに似ても、鼻筋の通ったいい男ですよ」伊織の妻、お富士が混ぜ返した。
「だったらおいらに似ているんだぜ、きっと」
吉右衛門が目尻を下げている。
「御家老、お言葉を返す様ですが、御家老と薫は血の繋がりは御座いません。似ているとすれば私に似ているのです」
「なに言ってやんでぇ、おめぇだって繋がっちゃいねぇじゃねぇか?」
「ははは、さっきの意趣返しですよ」
「まったく、武士の世が終わって、良かったのやら悪かったのやらわからねぇや」
「違がいない!」軍蔵が大きな声で同意した。
翌日は皆に見送られて長崎に向かった。
昔、鈴と旅した長崎街道を懐かしく思い出しながら歩き、長崎から蒸気船に乗って五日ほどで東京に着いた。
*******
「おい今井、お前のちょん髷も見納めだなぁ」木場が揶揄うように言った。
「私は正式にお布令が出るまで髷は切りませんよ」
「どう思います、藤田巡査部長?」
「そのわざとらしい呼び方はやめろ、好きでなったんじゃねぇや」
今年度から小栗課長に代わって遊撃課を率いる事になった五郎が言った。
「良いじゃないですか、出世は悪い事ではない、時生さんもさぞお喜びでしょう」関がまじめ腐った声で言い添えた。
「ふん、『これで三度のおまんまが食えます』、だとよ、洒落のキツい女だぜ」
「話が脱線しておりもす。今井どんの髷の話じゃなかったとですか?」樺山が言った。
「おお、そうだった、髷はお上も煩くは言うめぇ。まあ警察官は別だろうがよ。しかし、刀が持てねぇとなっちゃ士族の連中が黙っちゃいねぇ、また忙しくなるぜ」
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ・・・」関が応える。
ドアが開いて見知らぬ警察官が入ってきた。しかも、帽子の線は二本。
「どなた・・・」
「やっと来たか・・・」先に声を掛けたのは五郎だった。
「斎藤・・・」懐かしい呼び名だった。
「待っていたぞ無門弁千代!」
「お主に呼ばれて来た」
「所長に挨拶は?」
「済ませた」
「川路大警視を口説いたのはお主か?」
「ああ」
「藤田さん、この方は?」今井が訊いた。
「浪士組の生き残りだ」
「浪士組?」
「新撰組とは言わせねぇ。途中で抜けやがったからな」
「それを何でまた・・・」
「俺を、如来堂で地獄から生き返らせやがったからな、きっちり落とし前をつけて貰うために呼んだのさ」
ドアが開いて赤池警視監が入って来た。
「ここにいたのか無門君・・・丁度良かった、藤田君もいるな」
全員が姿勢を正して敬礼をしたが、五郎はギリギリ敬意を表した仕方だった。
赤池は気にする風も無く話を続けた。
「明日、川路大警視がお見えになる。藤田君と無門君には大警視の御前で剣術の試合をしてもらう事になった、そのつもりでいてくれたまえ」
そう言うと赤池は部屋を出て行った。
「チッ!おめぇを叩っ斬る予定だったのによ、竹刀じゃ斬れねぇじゃねぇか」
五郎が弁千代を見てニッと右の口角を上げた。
「迷惑な話だ」弁千代が言った。
「明日が楽しみだな」
弁千代は答えず、ただ所在無げに笑った。




