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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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鬼と薬草


鬼と薬草



老婆について坂道を登る。頂上付近の平らな場所に畠があった。見たこともない植物が植わっている。

「これは何ですか?」老婆に訊いた。

「薬草だ、大黒が育てている」

「薬草?」

「乾燥させすり潰して調合する、この島の連中は具合が悪くなると皆ここに来る」

「と言うと、大黒さんは医者なのですか?」

「知らないね。大黒はもともとこの島の住人じゃ無い、いつの頃からかここに住み着いたのじゃが、ここへ来る前に何をしておったかは誰にも分からん」


弁千代はしばらく薬草畠を眺めていた。夏の強い日差しの所為で葉がしんなりとしている。

畠の向こうに真っ黒い小屋があった、火事の焼け跡の様に見えた。

その小屋の扉が開き、中から小屋に負けないくらい色の黒い痩せた男が出て来た。背が異様に高かった。

「米と味噌を持って来た。いつもの薬を貰いたい」老婆が男に向かって声をかけた。

「その男は誰だ?」男・・・大黒は老婆の声を無視して訊いた。

「お前さんと試合がしたいんだと。それより薬はあるのかい?」

「あるにはあるが、あまり飲むと身体に毒だ」

「なあに、儂はそう長くない。生きてるうちは楽な方が良いじゃろが」

「そりゃそうだが・・・なぜ連れて来た?」弁千代の事らしい。

「荷を運んでもろうた礼じゃ、あとはお前さんに任す」

「ふん、勝手な婆さんだ」

大黒は一度小屋に入ってから、小さな袋を持って出て来た。畠を迂回する様に廻って老婆の前に立つ。

「ほれ、薬だ」

老婆は懐から米と味噌を取り出し、大黒に渡してから薬を受け取った。

「じゃ、帰るで。手加減してやれよ」

「くれぐれも飲み過ぎるでないぞ、強い薬だからな」大黒は老婆を見据えて言った。

「分かってるよ・・・じゃあな」

老婆は弁千代が居ることなど忘れたように、坂道を下って帰って行った。


「お婆さん、どこが悪いのですか?」弁千代が大黒に訊いた。

「心の臓だ、ここまで来るのも大変だろうに」

「悪い事をしました・・」

「口は悪いが気のいい婆さんだよ、頑固もんだがな」

大黒は意外と若く見えた、三雲と同じくらいだろう。

「失礼しました。中武弁千代と申します。棒術の達人が居ると聞いて、是非太刀合いたく参上致しました」

大黒の眼が光る。「私は大黒。故あって姓名は名乗れぬ、太刀合えば命の保証は無い」

「元より、覚悟は出来ております」

大黒は暫く弁千代を見ていたが、ゆっくりと小屋の方に歩き出した。「急ぐ事はあるまい、まず茶を進ぜよう」

小屋に近づくと、なぜ小屋が黒いのかが分かった。焼いた杉板でできているのだ。

「この方が小屋が長持ちする」大黒はそう言って小屋に入っていった。

小屋の中は土間と板張りで出来ており畳の代わりに筵が敷いてある。

当たり前だが壁は黒くはない。隅に四尺の棒が立てかけてあった。この棒は真っ黒だった。

板張りの真ん中に小さな囲炉裏が切ってあり、その周りに薬研や乳鉢、天秤などの道具が雑然と置いてある。

「狭い所だがその辺に座ってくれ」

大黒は、自在鉤に掛かった鉄瓶から湯飲みに液体を注ぎ弁千代に手渡した。

弁千代が鼻を近づけると薬の匂いがした。

「毒など入っちゃいないよ。どれ、儂が先に飲んでみせよう」大黒は自分の湯飲みにその液体を注ぐと一気に飲み干した。

「胃の腑の働きを良くする薬だ、こう暑いと食欲が落ちるからな」

飲んでみると苦かった。弁千代は顔を顰めたが、そのあと胃のあたりがスッとして、何とも爽やかな気分になる。

「どうだ、良い気分だろう?」

「はい、何だかとても爽やかです」

「だが、これも過ぎると毒になる。毒と薬は同じもの、適量が肝腎なのだ」

この男は何が言いたいのだろう?弁千代は訝しげに大黒を見た。

「此処を訪れる武芸者は皆怖い顔をしている。武芸中毒の顔だな」

「然し、武芸者であれば敵を倒すのが定め、顔が怖くなるのも仕方が無いのではありませんか?」

「本当の強さとは、押し出しの強さでは無い。受容する心の大きさだ」

「・・・」

「だが、せっかく来た者を無下に追い返す訳にもいくまい・・・どれ、表に出ようか」

「では、立ち会って頂けるのですか?」

「婆さんの顔もあるからな」そう言って大黒は、壁に立てかけてあった棒を掴んで立ち上がった。「この棒は黒檀で出来ている。刀では斬れない」

「その棒に触れられるとは思っていません」

「そうか・・・」大黒は先に外へ出た。畠を避けて平らな場所に立つ。

弁千代がそれに続く、左手の拇指は刀の鍔に掛かっている。

互いに礼をした。

「参る・・・」大黒が言った。

「いざ・・・」弁千代が応える。

弁千代はまだ刀を抜かなかった、柄頭を大黒に向けて少し突き出しただけだ。

大黒が徐に棒を担いだ。正面をこちらに向けて案山子のように立っている。

巫山戯た構えだった。だがどこかで見た覚えがある。弁千代は昔の記憶を辿った。

『そうだ、狂言だ!』

子供の頃、父に連れられて能舞台を見に行った。能は退屈で仕方がなかったが、狂言は面白かった。

『棒縛』という演目だった。

留守中に太郎冠者が酒を呑まぬよう、棒術の稽古と称して両手首を棒に縛り付けてしまう。

『あの時の形だ、あれは棒術の構えだったのか』

そろりと刀を抜いた。徐々に切っ先を上げてゆく。左手が額の前に来た時に手を止めた。

正面から斬り込んだ。どうせ初太刀は当たらない、二の太刀で決める。

結果、二の太刀を打つ暇も無く棒が飛んで来た。前に抜けて躱す。

それからは息つく間もない攻防が続いた。

剣が縦に動けば、棒は横。棒が縦に動けば剣は横。機織りの糸のように二人の動きは縦横に交差する。

弁千代は肩で息をする。大黒の顔からも余裕が消えた。

スッ、と大黒は左肩に棒を担いだ。まるで鍬を担いだ農夫のようだった。

真っ直ぐ弁千代に向かって歩いて来た。

棒が左肩から滑り落ちた。正眼に構えた弁千代の右足を襲う。

弁千代は踵で尻を蹴り上げるように跳ね上げ、その足で棒を踏むように飛び込んだ。

脛斬り剣術、神松寺伊助を破った技だ。

決まったと思った時、弁千代の動きが急停止した。棒の先端が目の前にあった。

剣は、大黒の頸に触れたところで止まっていた。

ゆっくりと離れた、大黒が棒を引く。

弁千代も刀を納めた。

「相討ちか?」

「相討ちですね」

互いに顔を見合わせて笑った。二人ともぐっしょりと汗をかいていた。



「私はさる大名の御典医の助手だった」

星が瞬いている。大黒と弁千代は、島にただ一つある五右衛門風呂に、貰い湯に行った帰りだった。

「身の上話をなさるのですか?」弁千代は尋ねた。

「お主にだけは話しておきたくなった」星明かりで見える大黒の顔は僅かに微笑んだようだった。「私の師匠は優秀な漢方医であった」

「漢方医?それで薬草を・・・」

「うん・・・ある日師匠は、殿から難題を持ちかけられた」

「難題?・・・って」

「不老不死の薬を調合せよというのだ」

「そんなものある訳が無い!」

「そう、そんなことは誰にも分かっていた。ただ、殿だけが信じていたのだ」

「何故?」

「長崎帰りの蘭方医と城の茶坊主が結託して、師匠を追い出す為に殿を丸め込んだ」

「なんと・・・」

「富士の樹海に、昔、秦の始皇帝が遣わした、徐福という方士が探し求めた仙木があるというのだ」

「樹海に・・」

「だから、富士は不死だと言う。我々は無駄だと知りつつも仙木を探しに樹海に入って行った・・・そしたら」

「そしたら・・・?」

「居たのだよ」

「誰が?」

「徐福」

「えっ、そんな馬鹿な!」

「勿論違うさ。方士の恰好をした刺客が十人居た」

「何故そのような・・・」

「我々が、徐福の亡霊に殺された事にしたかったんだ」

「・・・」

「後でわかった事だが、ご丁寧に徐福の亡霊が出たと言う噂まで流してあった」

「かなり手の込んだ企てですね」

「何故人は権力を欲しがる。権力を手に入れたら今度は不老不死だ、きりが無いではないか」

大黒はきっと怒っていたに違いない、星明かりでは表情を読み取る事は出来なかった。

「で、どうしたのです?」

「勿論、この棒で戦った。師匠を守る為に」大黒は肩に担いだ棒を摩った。

「では・・・」

「・・・守れなかった」

大黒は涙を流していたのだろう、鼻を啜る音が聴こえた。

「六人まで覚えている・・・この棒で打ち倒した・・・その後の事は覚えていない、気がつけば樹海の奥深く迷い込んでいた」

「追っ手は、来なかったのですか?」

「富士の樹海に迷い込んだ者は二度と出られないと言われているからな。奴らもそうなりたくは無かったのだろう」

「然しあなたは生き延びた」

「そう、薬草を採る為に数え切れないほど山に入ったからな。師匠のおかげだ。なんとか樹海を抜け出して富士に登った」

「登ったのですか・・・あの富士のお山に」

「師匠の弔いのつもりだった・・・寒かったが、頂から見る朝日は神々しかった。浅間神社に詣って私は決めた、必ず師匠の仇を討つと・・・」

「敵討ち・・・」

「その時私は名前を棄てた、そして大黒と名乗る事にした」

「何故?」

「大黒は中国から徐福が持ち込んだ破壊神だ。師匠の恨みを忘れぬよう、この神の名前を名乗る事にしたんだ」

「そうだったのですか・・・」弁千代は次の言葉を失った。

「つまらぬ事を話したな、この島を出たら忘れてくれ」

「とても忘れられるものではありません」

「そうか・・・すまなかった」大黒はもう何も言わなかった。

「大黒さん、お婆さんの店で酒を仕入れて行きましょう。今夜は呑み明しましょう」

「おお、それは有難い!」


二人は坂を登りきって、薬草畠に足を踏み入れた。




翌朝、島の船着場に弁千代と大黒、それに婆さんの姿があった。

「対岸に渡るのかい?」婆さんが訊いた。

「はい、昨晩風呂を借りた漁師さんにお願い致しました」

「旅館の船が来ると言っておったが?」

「船頭さんにはお婆さんからよろしく言っておいて下さい。お世話になりました・・・と」

「中武殿・・・」大黒が言った。

「私は敵討ちを諦めた」

「えっ、どうしてです?」

「お主と太刀合って憑物が落ちた気がするのだ」

「それは・・・」

「仇を討っても師匠は喜ばない。それよりも、私は私を必要とする人が居る限り、その人たちの為に薬を調合する。それが不老不死などという幻の為に死んだ師匠の供養になる」

「私も・・・その通りだと思います」

「名前も弁天に改めようかと思っている」

「ははは、それは良い」

「弁天か・・・女のような名前じゃの」老婆が笑っている。


「お〜い、お侍さん。船を出すが途中網を上げるで、向こうに着くのは夕刻になるが・・・」漁師が船の上から声を掛けてきた。

「それで結構です。網を上げるのを手伝います」

「そりゃ有難い。では乗ってくれ、もうじき出発じゃ」


「では、おさらば致します」弁千代が大黒に頭を下げた。

「達者でな」

「貴方も・・・弁天さん」弁千代は老婆に目を転じた。「お婆さんもお体大切に」

「また寄ってくれ・・・もっともそれまで生きておる保証は無いがの」

「ははは、その元気なら大丈夫でしょう」


弁千代は船に乗り込んで、対岸に向けて出発した。

船着場では、弁天と老婆がいつまでも手を振っていた。








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