敵討
敵討
無二斎が、荒磯と向き合っていた。
「誰だ、お前?」荒磯が言った。
「あやつの柔術の師匠じゃ。不肖の弟子の仕出かした事、このとおり謝る」そう言って無二斎は頭を下げた。
「柔術か・・・大したこたぁねえな」荒磯が嘯く。
「が、然し。弟子の仇は師が討たねばならぬのが武士の習慣い」
「何?あいつの仇を討つと言うのか。老いぼれ、気でも狂ったか」荒磯は信じられんと言う顔をした。
「至って正気じゃ、試してみるか?」
「試す、何をだ?」
「儂がお主を土俵の外に押し出したら、儂と勝負をするというのはどうじゃ」
「ふん、ほざいたな。お前のような枯枝が俺を押し出せるはずが無かろう!」
「だから試すのじゃ」そう言うと無二斎は両手を荒磯の胸に当てた。
荒磯は反射的に身構える。
「行くぞ」
無二斎が前に出ると、荒磯がズズッと下がった。慌てて荒磯が腰を落とす。
然し、まるで暖簾を押すように荒磯の躰は土俵を割った。
「オー!」と客席から歓声が上がった。荒磯は呆然としている。
「どうじゃ?」
我に返った荒磯が無言で頷いた。もう引っ込みがつかない、顔が引き攣っていた。
両者、仕切り線を挟んで立った。
「爺さん頑張れ!」客席から野次が飛ぶ。
荒磯は二、三歩後ずさる。無二斎はただ立っている。
腰を落とした荒磯は、然し、無闇に突っ込んではこなかった。無二斎に尋常でない何かを感じ取っていたからだろう。
無二斎が、まるで無人の野を行くように歩き出した。
荒磯は更に下がる。無二斎は止まらない。
荒磯は徳俵に足が掛かったのを感じると同時に、猛然と無二斎にぶつかって行った。
二人がぶつかった瞬間、無二斎の躰は重さのない物体のように反対側の徳俵まで飛んだ。
荒磯は何の手応えも感じなかったが、その勢いのまま突進した。
「これで最後じゃ!」諸手で無二斎の胸を勢いよく突いた。
客席から悲鳴が上がる、あの諸手突きをまともに喰らったら無事でいられる筈が無い。
ところが、飛んで行ったのは荒磯の方だった。手が無二斎に触れた瞬間、電撃を受けたように硬直し、後方に吹っ飛んだのだった。
受け身を取る余裕も無く、荒磯は土俵に転がった。
「う〜ん・・」息が止まったのであろう、荒磯は苦しそうに身悶えた。
「弁千代殿!」無二斎が土俵の上から弁千代を呼んだ。
「は、はい!」
「三雲の様子を見に行く、案内を頼む」
「承知しました!」
三雲は神社の社務所に寝かされていた。
投げられた時、咄嗟に両手で後頭部を庇った為、軽い脳震盪を起こしただけで済んだ。
然し、目は呆然と天井を見つめている。医者は当分は安静にするようにと言い置いて帰っていった。
「三雲、大丈夫か?」医者が帰ると無二斎が訊いた。
「先生、私は・・・」
「よい何も言うな、お前が無事で良かった」
「はい・・・」三雲は泣いていた。
「ここでしばらく厄介になって、元気になったら儂の家に来い」
「はい、有難う御座います」
三人は、三雲を残し帰路に着いた。




