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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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荒磯


荒磯




翌日三人は秋祭りを見物に行った。

神楽があり、村歌舞伎があった。しかし何と言っても、人々が楽しみにしているのは相撲である。相撲は、自分達の日常とは無関係の、怪物達の闘いである。

でっぷりと太った肥満の男、六尺を越そうかという大男、小兵だが怪力無双の男。

自分の国の怪物が他国の怪物と力比べをするのだ。盛り上がらぬ筈が無い。

この日は地元出身の雷電と、西国の怪物荒磯の大一番が予定されていた。


境内には、簡易ながら四本の朱柱と屋根を持った土俵が設えてあった。

本場所は女人禁制だが、地方の巡業ならそれも緩くなる。

弁千代達三人は、土俵のすぐ側の筵に席を買い弁当を広げて観戦した。

無二斎は大の相撲好きだ、取り組みが始まる前に、「今度は西が勝つ、今度は東じゃ」と予想するがその予想は、悉く当たった。

弁千代は、なぜ勝敗が分かるのか?と訊いてみた。

「呼吸じゃよ」と、無二斎は答えた。

番組は次々と進み、いよいよ本日の大一番を残すのみとなった。


「無二斎様・・・」と、弁千代が呼んだ。

「なんじゃ?弁千代殿」

「雷電と荒磯、どちらが勝つでしょうか?」

「荒磯じゃ」と無二斎は事も無げに言った

「然し、雷電は荒磯より一回りも大きいですよ」

「相撲の本質は武術じゃ、躰の大きさが全てでは無い。荒磯は躰の使い方を良く心得ておる。それに比べて雷電は力任せの相撲じゃ、荒磯に分がある」


呼び出しがあって、雷電が東から荒磯が西から土俵に登場した。

雷電は雲を突くような大男、それに引きかえ荒磯は小柄なあんこ型の力士である。

こうやって見ると、まるで大人と子供だ。

四股を踏んで、互いに睨み合う。

その後、いつ果てるともなく仕切りが続いた。かれこれ四半刻も続いているだろう。

「この仕切り、いつまで続くのでしょう?」退屈した弁千代が無二斎に訊いた。

「互いに呼吸を計っておるのじゃ。然しもう直ぐ終わる、雷電が焦れておるでな」

無二斎が言った途端、雷電が突っ掛けた。客席から歓声が上がる。

正面からぶつかり体重の軽い荒磯が弾き飛ばされたのだ。

雷電が前に出る。荒磯は張り手で応戦した。

ふっ、と荒磯が伸び上がる。一瞬雷電の動きが止まった。

その瞬間、荒磯の躰が縮んだ。雷電の懐に潜り込みがっしりと両まわしを掴む。

雷電は、荒磯の肩越しにまわしを掴む格好になった。

そのまま、二人は硬直した。いや、互いの力が相殺し合ってそう見えたのだ。

今度は長い時間、石になったように動かなかった。


「いつまで続くのでしょう?」しばらく経って、また弁千代が訊いた。

「直じゃ。ほれ、雷電の腕が震えておる」

確かに雷電の腕は硬く強張り小刻みに震えていた。然し荒磯の腕は柔らかいままだ、上腕の肉が揺れている。

その時、荒磯の膝が抜けた。

「あっ、浮身!」弁千代が叫ぶ。

荒磯の躰が土俵の上を滑るように動く。雷電は足の力を奪われたように膝を折り土俵に転がった。さっ、と行司の軍配が上がる。下手捻りで勝負がついた。


本場所では無い、地方巡業の土俵である。地元の力士に華を持たせる事は恒常的に行われていた。然し、荒磯はそれをしなかった。それが彼の相撲に対する真摯な想いからなのかどうかについては異論があるが、相撲界では異端の目で見られていたことは間違い無い。

それを反映するかのように、客席は水を打ったように静かになった。


「荒磯!勝負!」

突然大きな声がして、武士が土俵に飛び上がった。

「あっ!三雲!」無二斎が叫ぶ。

あの時、無二斎を突き飛ばした壮年の武士であった。


「なんだお前は!神聖な土俵に土足のままで!」荒磯が怒鳴った。

「いざ、尋常に勝負!」三雲はもう一度言った。

「いいぞ侍っ!雷電の仇を討ってやれ!」客席から声が上がる。

「そうだそうだ、やっちまえ!」ほかの客からも檄が飛んだ。

「やめろ!三雲っ!殺されるぞ!」無二斎が叫んだが、野次の怒号に掻き消された。

いつの間にか荒磯と三雲が距離を取って構えていた。戦いは始まってしまったのだ。こうなると誰にも止められない。

仕切りも立ち合いも無い。荒磯は腰を割り、四股立ちで脇を固めた。

三雲は腰を落とし、やや前傾して立っている。

荒磯はじりじりと間合いを詰める。間合いが一間を切った時、だっ!と荒磯が土俵を蹴った。

張り手が三雲の顔面に飛んだ。

三雲は左手で荒磯の手首を取りながら身を沈める。一本背負い、最高の間であった。

ニヤリ、と荒磯が笑う。右手を三雲に掴ませたまま、腰を沈めて左手で三雲の腰を抱く。

「うりゃ!」気合を込めて荒磯が仰け反った。居反り、三雲の体が宙に浮いた。

三雲は後頭部から硬い土俵に叩きつけられ、動かなくなった。


再び土俵が静かになった。もう誰も野次を飛ばさない。

「あの侍、死んだぞ・・・」誰かがポツンと言った。

思わず弁千代は土俵に飛び込んでいた。三雲に駆け寄り息を見た。

「まだ、息がある!誰か医者を!」

数人の男が戸板を持って土俵に上がり、三雲を乗せて運んで行った。

慌てて玉が付き添って行った。




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