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弥勒の剣(つるぎ)  作者: 真桑瓜
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原田宿

原田はるだ宿


左手は山、右手には広大な田圃が広がっている。往き来する旅人の数も、荷運びの人足達の数も多い。

弁千代と鈴は薫の足に合わせて田圃の畦道で休んだり、茶店で休んだりしてのんびりと歩いた。それでも、七つ時には原田宿に着いた。

原田宿は筑前六宿の最後の宿場である。

小川にかかる橋を渡ると、両側に旅籠の建ち並ぶ通りがあった。

強引な客引きのいる旅籠は避け、成る可くこじんまりとした、気持ちの良さそうな旅籠を探す。

通りの中程の、だるま屋という旅籠に入った。

愛想の良い仲居に案内されて、一階の奥の部屋へ落ち着いた。

仲居に黒田屋の場所を聞くと、赤い鳥居を目印に行くように言われた。

夕飯は要らないと言って外へ出る。

宿の前の通りをぶらぶら歩いていくと、宿屋街の途切れた辺りで、右側に赤い鳥居が見えてきた。

鳥居の奥には随分と長い石段が上の方まで続いている。三人で石段を見上げた。

「あそこに神様がいるよ」薫が言った。

「そうよ、神社には神様が居らっしゃるのよ」鈴が答えた。

「違う、ほら門の所に小さな神様が立ってる」

「え、どこ?」鈴には見えなかった。

「ベンさん、見える?」

弁千代は首を傾げた。

「いえ、私には見えません」

「変ねぇ、薫、本当に見えたの?」

「うん、でももういない」

「そう・・・」

鈴も弁千代も、薫が何か見間違えたのだろうと余り気にはしなかった。

視線を戻して周りを見回すと、数件先にその店はあった。

盃を逆さにしたような兜を、木の板でかたどった看板を掲げた、なかなか立派な店構えである。屋号は書いていない、看板を見ればわかるという事であろうか。

「きっとここです、あれは黒田官兵衛様の兜を模した看板です」弁千代が言った。

濃紺の暖簾を潜ると、一階の小上がりは客で一杯だった。縞の着物に臙脂の前掛けを掛けた女と目が合った。

「いらっしゃいませ、お三人様ですか?」

「はい、子連れでも構いませんか?」

「はい、結構でございます。お座敷がよろしいですか?」

「出来れば」

「すぐにご用意致します、少しそちらにかけてお待ち下さい」

三人は、床机に腰をかけて待った。

程なく先程の女が戻って来て、三人を二階の座敷へと案内してくれた。

通りが見下ろせる、落ち着いた良い部屋だ。

「何になさいますか?」女が訊いた。

「何がありますか?」

「何でも、言って頂ければお作りします」

「鈴さん、何にします?」

「そうねぇ、私、卓袱しっぽく料理が食べたいわ、できますか?」

「はい、卓袱で御座いましたら知り合いが長崎で店を出しておりますので」

「それはひょっとして、らいじんと言うお店じゃありませんか?」鈴が訊いた。

「まぁ・・・」女の目が真ん丸になった。「ご存知ですの?」

「はい、長崎でお世話になりました」弁千代が答える。

「それは、それは、後で主人を伺わせます。きっとびっくりしますわ」

「では、貴女はここの女将さん?」

「はい、きぬと申します、宜しくお見知り置き下さい」

「無門弁千代と申します、これは妻の鈴と息子の薫です」

鈴と薫が揃って頭を下げた。

「では、料理が出来ましたら、改めてご挨拶に参ります」

そう言って、女将は出て行った。

「やっぱりここだったわね、良かった」

「ねぇ、長崎ってどこ?」薫が訊いた。

「この街道の終着点、黒船と異人さんがいっぱいいるわ。いつか連れて行ってあげるわね」

「うん・・・」

薫はもうこの話題には興味を失ったように、窓際に寄って手摺に掴まって通りを見下ろしている。

「薫、落ちないように気をつけてな」

薫は弁千代の言葉が聞こえなかったのか、窓から熱心に通りを見ていた。


*******


大皿に盛られた無国籍料理が卓に並んだ。

「それぞれが小皿にとって好きなように食べて下さいまし」

女将がにっこりと微笑む。

「そうそう、これこれ、卓袱料理はワカラン料理なのよね」

「ねぇねぇ、なんでわからないの?」薫が怪訝な顔をして訊いた。

「それはね・・・」鈴が勿体をつけて間を置いた。

「ワ、は和食、カは、中華、ラン、は阿蘭陀おらんだ料理だからよ」

薫を見てにっこりと微笑む。

「あら、よくご存知で」女将が感心している。

「らいじんの大将の受け売りです」

「はははは、そんなこと言ってましたね、懐かしいなぁ」

女将がお辞儀をして下がると、三人は好きな料理を小皿に取った。

薫には食べられそうなものを鈴が取ってやった。

「さあ、頂きましょう」

「頂きま〜す」一口食べて薫が目を丸くしている。「わぁ、美味しい!」

「さすが大将の先輩ね、こんな所でこんな美味しい卓袱料理が食べられるなんて思わなかったわ」

「うん、嬉しい誤算です」

それから三人はゆっくりと料理を楽しんだ。

最後に水菓子が出て、お茶が運ばれて来た時、白い襷を掛けた五十年配の男が一緒に入って来た。

「お料理は如何でしたでしょうか?」

「はい、大変美味しく頂きました」

「有難うございます。私は黒田屋清兵衛、この店の亭主で御座います」

「貴方が、らいじんの大将の・・・」

まさは私の弟弟子で御座います」

「あ、大将正さんて言うんだ。そういえば名前聞いてなかった・・・大将大将って呼んでたから」

「長崎では、正がお世話になったそうで有難う存じます」

「なんの、お世話になったのはこちらの方です。今日お邪魔をしましたのは、博多へ所用で行く途中、大将から聞いていた黒田屋さんに寄ってその後の大将の消息でも分かればと思った次第です」

「大将はお元気ですか?」鈴が訊いた。

「正は博多に戻っております」

「えっ!」

「正の母親が病気になって、面倒を見るために博多に戻ったので御座います」

「そうでしたか・・・」

「博多でどうしておられます?」

「また、店を始めております。何でもお城の近くという事で」

「まぁ、ではまた会えますね!」鈴が嬉しそうな声をあげた。

「店名は何というのですか?」

「同じです、らいじん」

「では、博多に着いたら早速寄ってみます」

「そうですか、それでは清兵衛が宜しく言っていたとお伝えいただけますか?」

「勿論です」

「宜しくお願いいたします」

「それから、一つお尋ね致したいのですが」弁千代が言った。

「何で御座いましょう?」

「大将から河野愛一郎という人の消息をお聞きになってはいないでしょうか?」

「河野・・・ああ、あのお若い。確か五年ほど前にここに来られて、今から松山の御城下まで帰ると言っておられましたが」

「その後何か聞かれてはおりませんか?」

「いえ、特に聞いてはおりませんが」

「そうですか・・・」

「お役に立ちませんで」

「いえ、そんな事はありません、大将にお会いすればわかる事。大将が博多にいる事が分かっただけでも大変嬉しい事です」

「それは良ぉ御座いました」

「鈴さん、博多での楽しみが出来ましたね」

「楽しみだわぁ、大将に会えるなんて夢みたい」

「もう直ぐですよ」

ずっと黙っていた薫がモゴモゴと何か言った。

「え、薫、何か言ったか?」

「トト、神様が呼んでるよ」

「えっ」

「さっき、下の道から手を振ってた」

「まぁ、それでずっと通りを見てたの?」

「うん」

「坊ちゃん、神様ってどんな姿だったかな?」

清兵衛が真剣な表情で薫に訊いた。

「赤い着物を着た女の子、髪はおかっぱ、色が白くてお人形みたい」

「それが見えたのか・・・」

清兵衛が腕を組んで唸った。

「ご主人、薫が何か変なことを言いましたか?」

「いえ、そこの神社はこの黒田屋の守り神なのです。よくこの店の中でも子供が目撃されています」

「まぁ、まるで座敷童子みたいね」

「はい、それが今坊ちゃんの仰った子供にそっくりなのです。お陰で商売は上手く行っておりますが」

「じゃあ、今から行ってみますか?旅の無事もお祈りしたいし」弁千代が提案した。

「そうね、あの階段腹ごなしに丁度良いわ」

「それが良ぉ御座います、きっと良い事がありますよ」

清兵衛がニッコリと笑った。

「ではこれにて失礼を致します」

「博多からのお帰りに、是非またお寄りください」

清兵衛ときぬが玄関先で見送ってくれた。

弁千代は帰りに必ず寄る事を約して黒田屋を出た。


*******


まだ夕暮れの明るさが残っていた。

改めて見上げると、石の階段はかなり勾配がきつい。階段というより梯子みたいだ。

「薫、登れるか?」

弁千代は心配になって訊いてみた。

「うん、大丈夫。神様が見てるから」

薫は元気よく登り始める。

「薫、石段を数えながら登らない?」

鈴が訊いた。

「良いよ」

「じゃあ、カカと一緒に数えましょう。せ〜の、一、二、三・・・」

「四、五、六・・・」薫が続ける。

「七、八、九・・・」

数を数えながら登ると、割と楽に登る事が出来た。キツさに集中しないで済むからかも知れない。

「九十八、九十九、百・・・」

「百一、っと。カカ、百一段だ!」

「そう、よく頑張ったわね」

「へへぇ、えっと、神様は何処にいるんだろう?」

「そうね、まずはお詣りしなくっちゃ」

「うん」

三人は門を潜って境内に出た。もう参詣には遅い時間帯なのだろう、人の姿は無い。

小さな社務所にも人の気配は無かった。

拝殿に近づいてお賽銭を入れ、鰐口を振って鈴を鳴らした。

手を叩いて目を瞑り頭を垂れる。

誰かが弁千代の右袖を引いた。

「んっ・・・薫、なんだ?」

目を開けて薫を見ると、神妙に手を合わせていた。

「トト、何?」

「い、いや、何でもない・・・」

気の所為だろうと納得してまた手を合わせた。

「きゃっ!」

「どうした、鈴さん」

「誰かが私の袖を引いたわ」

「なに、私もさっき袖を引かれた」

「変ねぇ、そんな事するの薫の他に居ないし・・・」

「薫じゃないよ!」薫が口を尖らせて言った。

「あっ!」弁千代が声を上げる。

「どうしたの、ベンさん?」

「拝殿の後ろに人が」

「え、どこどこ・・・見えないわよ」

「確かに人影が動いたのですが・・・」

その時薫が急に走り出した。

「あっ、薫、待って!」鈴が慌てて後を追う。

弁千代も鈴の後を追った。

拝殿の後ろで薫が立ち止まって誰かと小声で話している。

「薫、どうしたの、誰と話しているの?」

鈴が気味悪そうに訊いた。

「会えるって・・・」

「え、誰に?」

「分からない、でも、会えるって」

「神様が?」

「そうだよ」

「見えるの?」

「もう居ない」

「ふ〜ん、不思議よね、大人には見えないのかなぁ?」

「私は影を見ましたよ」弁千代が言った。

「あら、それって私が汚れてるって事?」

「い、いえ、そういう訳じゃ・・・それよりも誰に会えるんでしょう?」

弁千代は慌てて話を逸らした。

「そうねぇ、誰かしら?」

「まぁ、その内分かるでしょう。そろそろ暗くなります、あの階段は危ないから足下の明るいうちに降りましょう」

「そうね、それが良いわ」

三人は暗くなった階段を気にしながら降りて行った。

時々薫が振り返って手を振っている。

「薫、神様に会えるなんてきっと良い事があるわよ」

鈴が羨ましそうに言った。

「うん、神様もそう言った」

「良いわね〜」

「鈴さん、我々にはもう良い事が起こっていますよ」

「なぁに、良い事って?」

「こうして三人で旅をしている」

「あっ、本当だ!これ以上の幸せってないわよね」

「そうですよ・・・さて、宿に帰って風呂にでも入りますか」

「賛成〜!」


旅の高揚感がそうさせるのか、鈴はすっかり上機嫌だった。


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