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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人形と千年紀 ~微笑むは誰が口か~

作者: 美音 コトハ

 音楽を奏で、歌を挟みながら物語を語る『語り部』が古くからこの国には居る。


 その中の一人であるマクシミアンが、祭りに花を添えるべく、町の広場で軽快な音楽を奏でる。


「さぁさ、皆様。祭りという非日常で語りますは、異国より伝わるお話。まだ誰にも披露していない新作だ。どうです、ちょいと聞いていきませんか?」


 アコーディオンの音に惹かれて、一人、また一人と足を止めていく。


 この町の広場は中央が少し凹み、周りは二段の階段で囲まれた造りをしている。人々は思い思いの場所に座り、始まりを待つ。


 十分に人が集まった所で、マクシミアンがハンチング帽をとって胸に当て、深々とお辞儀する。


「お集まりいただき誠にありがとうございます。心浮き立つこの日に語りますは、『人形と千年紀』です。どうかこの物語を皆様の心の片隅に住まわせてやって下さい。さぁ、始めよう!」


「大いに語れ!」


 お決まりの合いの手が飛び、にこりと笑って「望むままに!」と、こちらも決まり文句を返すと、聴き手が一斉に手を鳴らす。


「昔、ある所に――」



**・**・**



 私には大好きな母様が居た。優しくていつも微笑みを絶やさない人だった。そんな母様は私が十二歳の時に、神様のお側に行ってしまった。


 喪が明けてすぐに、父は後妻と私と同い年の娘を家に連れて来た。


「今日から二人はここで暮らす。お前もこの家に戻って来るんだ。分かったな?」

「……はい」


 異論など認めない癖に。守ってくれる母様がいなければ、言えるのは「はい」だけだ。



**・**・**



 父は母様だけが好きで、母様に似なかった私は居ないものとして扱われていた。ただ、母様が側に居る時だけは優しさの仮面を付けて私を扱う。


 母様はそれに気付いていたから、徐々に父と距離を置くようになった。だけど、それは父に憎しみを与える行為にしかならなかった。


「お前だろう? アルマに何を吹き込んだ!」


 会うたびにそう責められて、部屋から出るのが怖くなった。そんな私を気遣って、母様が提案してくれた。


「ミラ、暫くおじい様の所で過ごさない?」

「母様も一緒?」


「私も一緒に行くと父様も付いて来ようとする筈。それではミラの心が休まらないでしょう?」


「……うん」


 父が嫌う母様の色と違う髪。でも、母様は綺麗な銀色ねと褒めてくれて、いつもこうして優しく撫でてくれる。


 父が居ない時だけ顔を見せに行くからという約束を信じて、五歳の私は母方の祖父、アーサー・ホライズンの元へと向かった。





 迎えてくれた祖父は、口数があまり多くないけれど、優しく穏やかな人だった。ただ、大きな屋敷にも関わらず使用人が見当たらない。とても静かで居心地が良いけれど気になってしまう。


「こんなに広いとお掃除大変でしょう? おじいちゃんが一人で全部やるの?」

「いいや、儂には心強い助っ人が居てね。紹介するからおいで」


 厨房に向かうと良い匂いが漂って来る。なんだ、私が会わなかっただけで、ちゃんと居たのね。


「彼はアルだよ。アル、区切りの良い所で来ておくれ」


 アルは振り向きもせず無言だ。お鍋のグツグツいう音で聞こえなかったのかな?


「アルは耳が遠いの?」

「いいや、ちゃんと聞こえているよ。ほら、来てくれたよ」


 胸に手を当ててお辞儀する、アル。え……ちょっと待って?


「お、おじいちゃん。あれ仮面?」

「違うよ。アルはね、人形なんだ」

「人形? 動いてるよ⁉」

「ああ。うちは人形師の家系でね。儂はこの世界で最後の人形師と言われている」


 呆気に取られていると、アルは仕事に戻って行く。味見はどうするんだろう……。


「次へ行こうか」

「う、うん」


 その後、メイド、庭師、執事さん達を紹介して貰う。全員人形なのね……。


「お買い物はどうするの?」

「業者が届けてくれるよ。足りない物があると、メイドが買いに行ってくれる」

「えぇっ、外に出るの⁉  皆、びっくりしちゃわない?」

「この町は人形師が多かったから、みんな慣れっこさ。さぁ、お昼にしようか」


 アルが作ってくれた食事はとてもおいしかった。正直、父の所よりも上だ。味見出来なくても平気なのね。



**・**・**



 おじいちゃんと人形との暮らしにも少し慣れた頃、一人の女性がやって来た。


「あなたがミラね。私はあなたの母様の姉だから伯母ね」

「伯母様? 母様に似てる!」


 波打つような金髪と緑の瞳。顔立ちも似ているけれど、心の強さを表すように光を宿す瞳は母様とそっくりだ。


「ふふふ、アルマが来られない日は私が来てあげる。いっぱい遊びましょうね!」

「うん! 今日は遊べる?」

「ええ、勿論よ。父の人形たちは見た? 一緒に探検しましょう」

「探検する! おじいちゃんも行こう」

「儂は遠慮しておくよ。若い二人の足には付いて行けそうにないからね」

「という事らしいから、二人で行きましょう。走れ~」

「わぁっ、待って~」


 スカートとヒールで絨毯を走るだなんて凄い。伯母様に追い付く為に、私は必死に足を動かした。


 すっかり見慣れた人形たちに挨拶をしながら一通り回り終え、途中で伯母様が捕まえた執事さんと一緒に地下の部屋へとやって来た。


「この部屋には来た事あるかしら?」

「ううん。初めて」

「そうなの。じゃあ、今日のメインはここよ! 執事君、鍵!」


 表情や感情は無いけど、若干迷惑そうな感じで鍵を開ける執事さん。


「ありがとう! じゃあ、いくわよ。三、二、一、オープン!」


 ご丁寧に執事さんの手で目隠しされていた私は、その声で目を開ける。


「うわぁ~、綺麗な人形! 男性?」


「そうよ。名前はマクシミアンっていうの。瞳が見えないのが残念だけど、綺麗さは十二分よね」


「うん! こんな綺麗な男の人、初めて見た!」

「ふふふ、アマルと同じ反応ね。やっぱり親子だわ~」

「母様と一緒? ふふふ、嬉しい」


 今度、母様が来てくれたら教えてあげよう。楽しみだな~。


「おーい、マクシミアン起きてー。――駄目ね、やっぱり動かないわ」

「壊れているの?」

「いいや。今でも最高の状態だよ」

「おじいちゃん! この人形もおじいちゃんが作ったの?」


「違うよ。この人形は代々うちに伝わっているものでね。ミラも大事にしてくれると嬉しい」


「うん! 毎日ここへ来てもいい? 私、マクシミアンをもっと見ていたい」


 そう言うと、二人が強張った顔で目を見合わせている。


「駄目だった? 凄く高い人形なの?」

「そうね。国宝級だから、あまり近付かない方が――」

「ベラータ。この子の好きにさせなさい」

「でも!」

「ミラという名を教会で授かった時から覚悟していた。この子が片割れだ」

「……アルマは何て?」


「運命に従うと。誰もこの強制力からは逃げ出せない。儂たちに出来るのは見守る事だけだ」


 難しい顔で話していたおじいちゃんが私の前にしゃがんで目を合わせる。


「この人形について詳しく教えるから、儂の部屋へ行こう」

「うん。伯母様は?」

「今日は帰るわ。また遊びましょうね」

「うん。またね~」


 伯母様、屋敷を駆け回ったから疲れたのかな? 早く元気になるといいなぁ。



**・**・**



 今から約千年前。今は数少なくなってしまった魔法使いが全盛の頃。


 ある村にミラとマクシミアンという幼馴染が居た。二人は婚約者でもあり、仲睦まじく成長していった。


「ミラ、今日は森に行く? そろそろ森リンゴがなっている頃だ。ミラの好物だろう?」


「もうそんな時期なのね。勿論行くわ。ジャムにしてマックスにもあげる」


 愛称で呼ばれたマクシミアンは嬉し気に目を細め、ミラの手を握る。


「行こうか」

「ええ」


 森リンゴがあちこちに実り、二人は競うように採って行く。普段はもっと浅い所で引き返すが、夢中になっている二人は森の深くにまで入っていた。


「マックス、だいぶ奥まで来ちゃったわ。もう十分に量は集まったし、帰りましょう」


「そうだな。ミラ、重いだろう? 私が持とう」

「いいわよ。これぐらい平気」


「駄目だ。途中でへばっても助けてやらないぞ? いつもより帰り道が長いのだから袋をくれ」


「もう心配性なんだから。でも、ありがとう」

「ああ」


 踵を返そうとした二人に声が掛かる。


「ねぇ、村の人? 退屈していたの。少し話していかない?」


 同時に振り向くと、胸元が大きく開いた黒のドレスを着て、頭には三角の尖った帽子を被った気だるげな魔女が居た。


 マクシミアンを見ると、真っ赤な口紅をひいた色っぽい唇が、ニィッと口角を上げる。


「あら、綺麗で若い男。その魔力と引き換えに、楽しい一夜を私と過ごしましょうよ」


「断る。私には結婚を誓った相手が居る。あなたを好きだと言ってくれる他の男を探してくれ」


「まぁ、生意気。でも、それぐらい威勢の良い男の方が好きよ。ねぇ、いらっしゃいよ。あなたのような男には、同じく美しいわたくしが相応しいわ」


 伸ばされた手をミラが阻む。


「私の婚約者です。触らないで下さい」


「はんっ、あなたが? 益々わたくしにするべきだわ。こんな貧相な女、見限りなさいな」


 ミラが怒りの声を上げようとする前に、魔女の頬に走った線から血がスーッと流れる。怒りで放出されたマクシミアンの魔力が頬を切り裂いたのだ。


「これ以上、ミラを侮辱するな。私にとって彼女以上の女性は居ない。失礼する」


「ふ、ふふふ。何て良い味の魔力かしら。けれど、わたくしの美しい顔に傷を付けた罪は重いわ。代価にその魔力を根こそぎ頂戴な」


 風の塊が叩き付けられ、マクシミアンが咄嗟にミラを抱き締めて地面を転がる。


「そんな女、守る価値があるの? 意味が分からないわ」

「彼女は私の全てだ。あなたに分からなくとも構わない」


「へぇ、そう。じゃあ、その女を消せばいいのね。嘆く男の魔力はさぞ良い味がするでしょうね」


 拳大の石が降り注ぎ、二人を打ち据えようとする。咄嗟に作った土壁は脆く、ミラだけには当てまいと、マクシミアンが体に覆い被さる。


「ぐっ……」


「あははは、馬鹿ね。その女を守る為に血塗れになるなんて。ねぇ、お荷物な婚約者さん? 彼を譲るとおっしゃいな。そうすれば助けてあげる」


「あ――」


「ミラ! 答えなくていい。彼女は誰を助けるとも言っていない。君は必ず私が守る」


 だが、血塗れのマクシミアンを見ているだけなど出来ない。その身を支えて立ち上がる。


「私一人が生き残っても駄目なの。あなたが隣に居なければ生きていなのと一緒よ。だから、二人で帰りましょう」


「ミラ……。そうだな、二人で帰ろう」


「はぁ、やれやれ。茶番は終わったかしら? 男は私のもので女は消す。答えはこれだけよ。二人一緒の未来なんて用意されていないの。愛で攻撃が防げる? そんな薄っぺらいもの、何の役にも立たないわ」


「分かっていないのはあなたよ。無理矢理引き裂いても私達は何度も愛し合うわ。愛は攻撃で屈したりしない」


 二人の信じ切った表情が、魔女の暗い感情を大きく揺さ振る。


「だったら証明してみせなさいな。わたくしが千年先まで呪ってあげる。何度も何度も愛し合うたびに引き裂かれるようにね! 絶望をその身にたっぷりと刻み込みなさい!」


 魔女が杖を振り上げると空から黒い稲妻が落ち、マクシミアンへと向かう。


「マックス! あぁぁぁっ!」


 身を挺して助けたミラが痙攣しながら地面に倒れる。


「ミラ! 何で庇ったりしたんだ! ミラ⁉」


 痙攣が止まったミラの身体は大きくその姿を変えていた。生き生きと輝いていた目はガラス玉に。皮膚は温かさを失い硬質なものに。そして、手足の球体関節――。


「ミラ? ミラ、ミラ! 何で……」


「気に入ってくれたかしら? 人形に愛を伝えられるのか楽しみだわ。もし伝えられても、その度に引き裂かれる運命。千年先もまだお互いを愛せたのなら呪いは解けるわ。私が死んだ後も呪いは続くわよ? そんな怖い目で見ても遅いわ。わたくしを袖にした時点で詰んでいるのよ」


「やってやる! お前の呪いごときに私達は負けない!」


「どこまでも腹立たしい男ね。でも、殺さない。私の娯楽として懸命に足掻いてみせなさい。ふふっ、さようなら」


 黒い光を浴びせられたマクシミアンは昏睡し、その場に倒れた。


「前からずっとあなたを見ていたのよ? でも、あなたの瞳の中に居るのはこの女だけ。わたくしを愛してくれたら良かったのに。この女への愛を語って聞かせる酷い人なんて呪われて当然よ」


 やっと自由に触れる男の胸に頬を摺り寄せる魔女。


「迎える千年紀。笑うのはわたくしよ」


 そう囁いてマクシミアンの頬を撫でると、魔女はつむじ風となって消えた。





「村長! 見つけました!」

「見付けたか! して、どこに?」

「それが……」


 村の男に背負われた二人を見て蒼白になる村長。


「何故このような姿に……」

「どうやら魔女に会ってしまったようです。濃い魔力の残滓が残っていました」


 捜索に同行していた魔法使いの言葉に項垂れる人々。かの魔女に出会って生きて帰って来た者は居ないと言われている。


「元には戻せるのか?」

「分かりません。ただ、これは呪いなので可能性はゼロではないと思います」

「うむ……。では、両家に戻すしかないか」


「お待ち下さい。私よりも呪いや魔法に詳しい者がおります。彼に、人形師ホライズンに助けを求めてはいかがでしょうか?」


「人形師とな。助かる可能性が少しでも上がるのなら任せてみようか?」


 ミラとマクシミアンの両親が泣きながら頷く。もうすぐ結婚式を控え、両家で花嫁衣装などを用意している真っ最中だった。


「すぐに連絡致します」


 話を快諾したホライズンの屋敷に運び込まれる二人。彼等の長き戦いが始まった。



**・**・**



 義理の母と妹には蔑まれ、父との関係も更に悪化した私は、二年の我慢の末に伯母の協力もあって、祖父の養子となった。それからの穏やかで楽しい時は瞬く間に過ぎ、私は十八歳になっていた。


 祖父の家に来てから毎日、マクシミアンに話し掛けているけれど、変化は見られない。それでも良かった。ただ顔が見られれば。


 何故かは分からないけれど、惹き付けられてやまない存在。離れていても頭の隅に必ず居て、心を寄せてしまう。日に日にマクシミアンのもとで過ごす時間が増えていく。きっと、やけに鮮明な夢でよく会うのも理由の一つ。


 歳を重ねた分だけ育った想いは、話したい、名前を読んで貰いたい、触れ合いたいという切望に変わっていた。


「おじいちゃん、本を借りてもいい?」


 最近、体調を崩してベッドに横になる日々を送る祖父が、ゆっくりと瞬きをする。


「書斎の本かい? あれなら好きに読んでいいと言ったろう?」


「違うの。マクシミアンが居る部屋に、当主が代々受け継いでいる本があるのでしょう? 本棚の鍵を貸して欲しいの」


「マクシミアンの事を調べたいのかい?」

「ええ。どうしても彼を起こしたいの」


「そうか……。本来なら、母であるアルマが、君が成人した際に色々と教える筈だったんだがね。いいだろう、君ももう大人だ。読んでごらん」


 チェーンで首に掛けていた鍵を外して渡してくれる。肌身離さずなんて、よっぽどの秘密が隠されているのだろうか?


「ありがとう、おじいちゃん」


 逸る気持ちが足を速くさせる。緊張なのか少し震える手で鍵を回し、本棚の扉をそっと開けると、部屋よりも少し低い空気が隙間から流れ出た。


「ええと……何冊もあるのね。どれから読もうかしら?」


 その時は好奇心でいっぱいだった。まさか、悲しき運命がページを埋め尽くしているなんて、思いもよらなかったのだ。



**・**・**



 おじいちゃんが教えてくれたのは、始まりの物語だけ。彼等はその後、どうなったのかしら?


『二人の解呪はことごとく失敗した。ただ一つ、残っている可能性は古き歌。だが、これは禁呪で命の危機がある代物だ。とてもではないが、試せるものではない。


 ただ、分析の結果、時が経てば人形の中に転生した魂が戻って来る事が分かった。そして、男性もまた人間として転生する。こちらは全ての記憶を持ち、教会で授けられる名はマクシミアン、成長すれば姿形まで元通りになるようだ。


 魔女は何故、そのループが千年も続くような呪いをかけたのだろうか? 理由は分からないが、これだけの複雑で強い呪い。代償に寿命の一部を支払っているだろう。そこまでの想いを、どちらか、または二人に抱いていた筈だ。


 いつ出会っていた? 二人の行動範囲を聞く限り、村か森だろう。話すような間柄だったのか? 推測をするにも情報が足りない。せめて、呪いを軽くする方法を生み出せれば……』


 残念ながら、こちらから何かをして起こせる訳ではないのね。


 古き歌ね……。そう聞いて浮かぶのは、母様が教えてくれた歌。でも、流石に禁呪を子供に教えないわよね?


 次は二代目の当主が書いたものね。


『父に聞いていた通り、人形に魂が宿った。とても精巧な人形で、まるで人間のように滑らかに動き、話す事が出来る。前世の記憶があるのか尋ねたが、それは持っていないとの事。やはり、女性は持って生まれないようだ。


 父の分析通りなら、記憶、姿形、名前は固定されて、マクシミアンの方も転生している筈。ただ近くに転生しているとは言えない。探してはいるが、国を跨れるともう無理だ。彼が探しに来てくれる事を待つ方が賢明か?』


 本当に魂が宿ったのね。これなら期待出来そう。どのくらいの周期なのかしら? 三代目を見てみよう。


『転生の周期は一定ではない? 前回とは年数が違う。だが、十八歳というのがキーか?


 今回は男性が人形となっているので、まだ情報が足りない』


 ――え? 男性が人形になった? 女性が人形だった筈よね。でも、私の目の前に居るマクシミアンは人形。んん? もう一度、二代目を詳しく読まないと。


『人形が目覚めて三ヶ月後。マクシミアンと名乗る男性が訪ねて来た。その姿形は、父が残した姿絵にそっくりだった。話を聞くと確かに記憶も持っている。彼はどうやら正真正銘のマクシミアン・バナスのようだ。


 彼は別の国で生まれていたが、バナス家の者から生まれている。もしかすると、この一族を見守っていれば、彼等を一刻も早く会わせてやる事が出来るかもしれない。


 彼は親戚を訪ね歩き、ここに辿り着いた。一族の中で話が共有されていたお蔭だ。これからも彼等には伝えていって貰えるように頼んでおこう。


 人形となったミラが話し動く様を見て、マクシミアンは涙を流していた。喜びと悲しみ、憤り。沢山の感情がこもった涙に見受けられた。


 彼はこちらで仕事を探し、毎日ミラに会いに来ては話をして帰って行った。ミラは笑えないけれど、その雰囲気はとても柔らかく微笑んでいる気配がした。


 ミラにとっては知らない男性。それでも懐かしさを感じるのか、二人は短い時間で惹かれ合っていった。恋人となり、楽しい時間を送る二人。でも、それはある日、終止符を迎える。きっかけは私。伝えなければ良かったのか? 今でもあの日の自分の選択が、正しいのか分からない。


 禁呪『ディボーショ』。彼女を救う為に何か方法がないかと懇願され続け、とうとう教えてしまった最後の手段。彼は迷う事なく、自分の命を懸けた。


 その結果は――。ミラは人間として目覚め、マクシミアンが今度は人形となった。動く事の無い人形に』


 ひゅっと喉が鳴った。母様に教わった、あの歌が⁉ でも、解呪は成功したのよね? ミラは人間に戻ったのだもの。――ううん、失敗だからマクシミアンが人形になってしまったのかも。


 失敗なのか知りたくて次々と本を読み進める。


『解呪は失敗なのか? 何度、二人が命を懸けても、どちらかが人形になってしまう。失敗だと断定出来ないから、希望が捨てられない。


 愛し愛される度に試練が訪れ、二人は必ず引き裂かれる。なんと惨い呪いだろう。これが千年も続くのか? 記憶を持ち続けるマクシミアンの気が触れてしまうのではないかと心配でならない』


 試練? 人形になるだけではないの?


『溺死、強盗、突然死、人形の盗難や破壊など。まるで災難が二人にひき付けられるようにやって来て、禁呪を使わざるをえない状況に追い込まれてしまう。愛し合う感情を利用するかのような状況だ。


 ミラは彼を覚えていなくても、必ずマクシミアンと恋に落ちる。


 マクシミアンが彼女を死なせない為に、避けていた事がある。それでも、二人は出会ってしまう。ミラは心を捧げてしまう。


 どうやっても逃げられない運命だと気付いたマクシミアンは、絡まる呪いの糸を引きちぎろうと懸命にもがいた。魔法や呪いを学び、薬学を学び、別の魔女に教えを請いに行った事もある。だが、禁呪のように効果があるものは見付からない』


 打ちのめされて本を閉じる。マクシミアンは目覚めない方が幸せかもしれない。彼をこんな目に遭わせてまで、自分の願いを叶えるべきではない。


 マクシミアンの頬に手を当てて、じっと見つめていると、瞼が微かに動いた気がした。でも、それ以上何も起きない。気の所為ねと身を引こうとすると、手の上に、滑らかで少し冷たい掌が重なる。


「――ミラ、おはよう」


 微笑むような優しい光が目に宿って、私を見つめている。なんて綺麗な青――。


「ミラ?」

「う、嘘、起きたの? マクシミアン?」

「うん。もっと私の名を呼んで、ミラ」

「マクシミアン……」

「ミラ」


 そっと腕が回されて抱き締められ、嬉しさと驚きで涙が溢れる。


「ミラ」


 呼ぶ声が甘くて優しくて溺れてしまいそう。柔らかでずっと聞いていたい。もっと呼んでとねだるように服をギュッと握ると、つむじに軽い感触が落ちる。


「相変わらず綺麗な銀色の髪だね。ミラ、顔も見せて」


 涙を隠すために胸に顔をうずめると、笑う様な気配がする。


「私の為に流した涙だろう? 見たいな」

「意地悪……」

「ミラ」


 名前を呼ばれると胸がキュッとなって抵抗が出来ない。ゆるゆると顔を上げると、目尻に唇が触れた。


「ほら、やっぱり泣き顔も可愛い。ずっと、ここで待ってくれていたの?」

「うん。あなたが起きるのをずっと待ってた。でも……」

「でも? 人形の私じゃ嫌?」


「ううん。あなたが居てくれれば、それでいいの。でも、さっき本で知ったの。起きると辛い目に遭ってしまうから……」


「だから、起きない方がいいって? そうだとしても、私はミラと共に過ごす日々が欲しいよ。何度でも愛を伝えたい。ミラからの愛が欲しい」


「マクシミアン……。今の私を知らないでしょう? それでも欲しいと思えるかしら?」


 そっと伺うと躊躇いなく頷かれる。


「いつどんなミラでも欲しいよ。私が眠っていた間、君がどう過ごしていたか教えて」


 母様や家の事、一通り話し終えると手を引かれる。


「ホライズンさんの所に行こう。挨拶しないとね」

「ええ。ただ、さっきも言ったように調子が悪いの」


「うん。短い時間で済ませるよ。薬学の知識があるから、役に立てるかもしれない」


「本当⁉ お庭で薬草を育ててるの! きっと元気になるわね」

「気が早いよ、ミラ。ほら、行くよ」


 口角が上がる訳でもないのに、苦笑している気配がする。不思議ね、魂が宿っているからかしら。


 今日で私、十八歳になったわ。本当にこれが起きる為のキーかもしれない。



**・**・**



 人形の時は魂が馴染むまで微睡が続く。それは、愛しいミラの夢と私の記憶を繋げる。


「マックス、今日は暑いから湖に行きましょう」

「いいね。お弁当を持って行こうか」

「もう準備してあるわ。さぁ、行きましょう!」

「ははっ、準備がいいね。私が賛成するのが分かっていたの?」

「勿論。マックスの考えなんてお見通しよ」

「これは参ったな。婚約者殿には嘘が付けないようだ」


 そんな何気ない会話がこれからも出来ると思っていたんだ、あの頃は。


「マックス、花嫁衣裳の仮縫いをしたのよ。これから刺繍頑張るわ」

「それは楽しみだな。とても綺麗だろうね」


「うっ、プレッシャーをかけないで。針仕事があまり上手じゃないって知っているでしょう」


「え? そんなつもりで言ったんじゃないよ。花嫁衣裳を着た君はとっても綺麗だろうなって思ったんだよ」


 そう言うと一気に顔を赤らめて、そっぽを向いてしまう。


 恥ずかしがり屋で少し気が強い。料理が上手で行動力がある。いくらでも思い出せる君の良さ。私と違い、外見が多少変わってしまうけれど、こういう根っこの部分と、綺麗な銀髪、名前だけは変わらない。


 変化があっても、何故だか君の魂なら何度でも愛せるんだ。そのたびにミラへの想いが増す。


「やめてっ、父様! それは母様に貰った大事な――」

「うるさい! 彼女がお前なぞに贈り物だと? 嘘を言うな!」


 あぁ、彼女の傷付いた魂が見せる夢だ。助けに行ってあげなければ。


「ミラ。はい、花冠」

「わぁ! マックスは相変わらず手先が器用ね」

「次はどの花で作ろうか?」

「次はね――」


 優しい記憶を見て。君と私の時間は悲しみが多いけれど、同時に幸せも人より多いから。


 もうそろそろ迎える千年紀。優しい記憶を一緒に増やそう。怖い夢が来ないように、温かい肌で抱き合って眠ろう。お互いに笑顔を浮かべて。



**・**・**



 マクシミアンが起きてから二年後。おじいちゃんの病状は悪化して、天に召されてしまった。マクシミアンは人形師の仕事も習っていたそうで、今ではおじいちゃんの代わりに依頼を受けている。私も手伝いながら言葉を交わし、随分と仲良くなったと思う。


「マクシミアン、そろそろ休憩にしない?」

「うん、そうしよう。ミラは今日、何のお茶にしたの?」


「今日はカモミールよ。マクシミアンが作ってくれたハーブティは、とても美味しいわ」


「それなら良かった。ねぇ、ミラ? 私の事はマックスと愛称で呼んで欲しいな」

「いいの? なら、そうさせて貰うわ。ふふっ、嬉しい」


「こんな事で喜んでくれるなんて、ミラは可愛いね。他に私にして欲しい事はない? 叶えるよ」


「なら、一緒にお出掛けしたいわ。駄目?」

「構わないよ。どこへ行こうか?」


 それなら町に行こうという話になり、一緒に馬に乗って行くことになった。



**・**・**



「あら、姉様じゃない。こんな所で会うなんて思いませんでしたわ。ふふふ。だって、この辺りで姉様が買える品物なんて有りませんもの。ねぇ?」


 護衛の男達に同意を求めて、さも可笑しいというように笑う。わざと周りに聞こえるようにして、嘲笑を誘うやり方に苛立ちが募る。そんな私の手首をマクシミアンがそっと握る。


「ミラ、帰ろう」

「マックス……。ええ、そうね。帰りましょう」


 そうだ、私はもう義理の姉じゃなく、ただの他人。相手などせずに帰っても問題無いのだ。


「待って。もしてかして、それ人形かしら? なんて綺麗な顔……。あぁ、もっとよく見せて頂戴」


 頬に手を伸ばされて、マクシミアンが不快さを目に宿して距離を開ける。


「ふふふ、女性に慣れていないのかしら? ますます気に入ったわ。私が教えてあげる。さぁ、いらっしゃい」


「断る。これ以上、私に近付かないでくれ」


 私を背に守るようにしながら、マクシミアンが二歩、三歩と下がる。すると、マーガレットの目が再び私に向けられた。とても嫌な予感がする。


「ねぇ、それを私に頂戴、お姉様」

「……何を言っているの? あげる訳ないでしょう。それに物扱いしないで」


「ふーん、そう。あなた、私の物になりなさいな。姉様じゃあなたを満足させる暮らしなんて与えられないでしょう?」


 理解出来ない言葉を撒き散らし、こちらが拒否すると途端に対象を変える。昔からこうして、私の存在と意思を無いものとして扱うのが彼女のやり方だ。


「私は誰のものにもならない。彼女だけが私を独占出来る」


「まぁ、姉様にそう言えと命令されているのかしら? 自分に素直になった方がいいわ。もう一度だけ言うわ。私の物になりなさい」


「私はあなたを愛さない。断る」

「……そう、私の物にならないのなら――。壊れておしまいなさい! やって!」

「はっ!」


 護衛の男が銀色に輝くステッキを構えるのを見て、咄嗟に飛び出そうとすると、マクシミアンが私の腕を掴んで引き戻す。


「ミラは下がって! ガッ⁉」


 僅かな間に近付いていたもう一人の護衛が、マクシミアンの腹を殴り付ける。


「やめて! 放しなさい!」

「うふふ。そこから見ているといいわ。愛しい人形が粉々になるのをね!」


 護衛の一人に羽交い締めにされ、ステッキが振りかざされるのを、ただ見る事しか出来ない。


「いやぁぁぁ、やめてーーーっ!」


 バキッと嫌な音がして、マクシミアンの腹部が服の中で形を失くした。


「ミ、ミラ、逃げて。――カハッ⁉」


 倒れたと所へさらに振り下ろされる男達の足。何度も踏み付けられ、腕や足も粉々になっていく。


「あ……あぁぁっ、やめて! お願いだから、やめて!」


「顔だけは残しておあげなさい。姉様が泣きながら、夜な夜な語り掛ける事が出来るようにね。きゃはははっ」


 耳障りな笑い声に耳を塞ぐことも、惨劇から目を離す事も許されない。


「……ミ……ラ……」


 胸を踏み抜かれたマクシミアンの青い瞳から、命の灯が消えた。何をされても私だけを心配そうに見ていた。今もまだそのガラスの瞳に私の顔が映っているのに、もう彼は私を見ていない。


 そして、唐突に認識する。また独りだ。あの時も、あの時もそう。誰も居ない牢獄が、圧倒的な孤独が戻って来た。彼のくれた優しい世界はもうない。


 また? あの時? 何故そう思うの? 本当に独りではなく、伯母様が居るわ。頭が余計に混乱する。


「ふふふ。姉様はいつも何も出来ないものね。何をしても、何でもないような顔をして、一人だけ綺麗な世界に居るつもり。私ね、姉様のそういう所が大嫌いだったの。その澄まし顔がこんなにも崩れるなんてね! あははは、いい気味! 泣き叫ぶ姉様、人間らしくて素敵だったわ。でも、やっぱり何も出来ないのは変わらないわね。つまらない人」


 何も出来ない? 何も出来ないですって? 腹の底から炎が噴き出すように怒りが膨れ上がり、口から飛び出る。


「何も出来ないですって? 誰が決めつけたのかしら? ねぇ、マーガレット。あなたのした事は犯罪よ。分かっているの?」


「なぁに、負け犬の遠吠えかしら? 私は無駄なものを処分してあげたのよ。感謝して欲しいくらいだわ」


 私の正当性が疑われないように、誰から見ても私が被害者だと認められるように、怒鳴りたいのを堪えて淡々と口にする。


「この人形は国宝に指定されてもおかしくないものよ。口から出任せではないわよ? この人形を所有していた祖父には、何度も国に所有権を渡してくれないかという打診が来ていた。きちんとその書状は残っているわ」


 真実味を感じたのか、マーガレットの顔が徐々に青くなっていく。


「私が訴えれば確実にあなたは罰せられるわ。お父様の爵位も危ういのではなくて? 長年の私への不当な扱いも明るみに出るでしょうね」


「くっ」


 悔しそうに睨み付けられても、怖くも何ともない。見慣れ過ぎて、これが地顔だと思えるくらいだ。


「でも、私はあなた達と違って鬼ではないわ。今後一切、私に関わらず顔を見せないで。それが守れるのなら、今回のことは黙っていてあげる。少しでも変な行動をすれば、すぐに訴えるわ。あぁ、誤解しないでね? 不問にしても私の怒りは消えない。生涯あなた達を許すつもりはないわ」


「偉そうに! 何様の分際よっ」


「私? 私はミラ・ホライズン。この世で最後の人形師と言われた祖父を持ち、人形を継承した。私に手を出せば国が動くわよ」


 怒りと国が敵に回る恐怖が戦っているのか、口を開いては閉じる。最終的に出た言葉は――。


「分かったわよ! 条件通りにすればいいのでしょう!」

「ええ、その通りよ。さようなら」


 今すぐ消えてと続ける必要はなかった。振り返る事無く急ぎ足で立ち去って行った。野次馬に目を向けると、彼等も慌てて散って行く。


「……マックス、待たせてごめんなさい。痛かったよね? 私の所為でごめんね……」


 私に泣く資格なんてない。私が彼を巻き込んだのだ。零れようとする涙を堪え、黙々と破片を拾う。一欠片も残さないように入念に地面を確認し、家へと帰った。



**・**・**



「せめて一口でも食べて頂戴。ね?」

「ごめんなさい、伯母様。体が受け付けないの」


 日に日に痩せ衰えていく私を痛ましそうに見て来る眼差しは、母様とよく似ていて、胸がいっぱいになる。


「そうだわ、気分を変えてお庭でお茶にしましょう? 水分なら摂れるわよね?」

「……ええ、伯母様。心配を掛けてごめ――」


「これ以上謝らないの。あなたは何も悪い事をしていないわ。さぁ、上着を着ていらっしゃい」


「うん。ありがとう、伯母様」

「そうそう、感謝される方が嬉しいものよ。先に行って準備しているわね」


 自室へ戻ってカーディガンと肩掛けを掴むと、すぐに庭へと向かう。春とは言ってもまだ少し肌寒いのだ。久し振りの外の空気を味わっていると、敷物やバスケットを持った伯母様がやって来る。


「ああ、良い気持ちね。風がお花の香りね」

「ええ。ライラックじゃないかしら」


 池の側に敷物を広げると、次々と取り出されるお菓子やサンドイッチ。


「無理に食べろとは言わないわ。私が食べたいから持って来たの。お腹空いちゃった」


 舌を出す茶目っ気たっぷりの伯母様に思わず笑ってしまう。


「あら、私の空腹で久し振りに笑うだなんて、悪い姪っ子ね」

「ふふふ、伯母様は相変わらず食いしん坊ね」

「いいじゃない。私の人生の楽しみなんだから。いただきまーす」


 サンドイッチに嬉々として齧り付く伯母様を見ていたら、自然とクッキーに手が伸びていた。


「――おいしい。サクサクね」

「そうでしょう! それ、うちの旦那様が焼いたの」

「ふふっ。そこは私が焼いたの! って言う所よ」


「だって、旦那様の方がお菓子作り上手なんだもの。姪っ子に会いに行くって言ったら張り切って作っていたわよ」


 羨ましいと同時に微笑ましい。感情が複雑過ぎて曖昧な笑みが浮かび、すぐにくしゃっと顔が歪む。


「ミラ……。彼を愛していたのね」


「ええ、とても。もっと早く気付いていれば良かったのにね。伝えられなかったと後悔する事しか出来ない……」


 スカートを強く握って目を瞑る。泣いたりしない。これは自分を憐れむ涙だ。


「ミラ、あなた、ちゃんと泣いた? 残された者が前に進むには、泣いて泣いて胸の中の重たいものを出す事も必要よ。ずっと抱いていたら潰れてしまうわ」


 それを聞いて思い出す光景。母様が亡くなった時、伯母様は人目も憚らずに声を上げて泣いていた。そして、誰よりも早く立ち上がって葬儀を取り仕切っていた。


「それが伯母様の強さの秘訣?」


「ええ。あなたは亡くなった人にずっと心配を掛けたい? 安らかな気持ちで過ごして欲しいのでしょう?」


「……そうよ。でも、でもね、自分が許せないの! あの日、マックスを誘わなければ! もっと早く帰っていれば! ……もう遅いのに、次から次にあの日の自分が私を責め立てて来る……」


 手の平で目を覆う。感情的になった事で溢れた涙が手を濡らしていく。そんな自分に苛立って歯をギリッと噛み締める。泣くな、泣くな、泣くな!


「――よいしょっと。あら、重くなったわね」


 何が起きたか一瞬分からなかった。手を顔から離すと、横倒しにされ、頭を伯母様の膝に載せる自分の姿があった。


「お、伯母様、何を――」


「さぁ、私の膝で存分にお泣きなさいな。スカートを絞れるくらいに泣かないと駄目よ。はい、始めて!」


「……ふふふ、それじゃ泣けないわ…………うっ、ひっく……」


 髪を撫でてくれる優しい手に呆気なく意志は負けた。溜めに溜めた所為か、大粒の涙が次々と頬を伝い落ちる。


「いいわ、その調子よ。声も出せば、なお良しね」


「ぐすっ、笑わせ、ぐすっ、ようとしているの、かっ、泣かせ……ようとしているのか、うっ、分から……ないわ!」


「どっちでもいいわよ。ミラがそれで元気になるならね。さぁ、まだまだ足りないわよ。もっと重たいものを出しちゃいなさい」


 笑って泣いて忙しい。でも、全然嫌な気分じゃなかった。


 寝不足の体は、泣いた疲労感で微睡に向かって行く。そう言えば、母様ともこんな風に池の側で過ごした事があったっけ……。



**・**・**



「ミラ、いい? このオルゴールは絶対に誰にもあげちゃ駄目よ。代々受け継がれて来た大事なものなの。分かった?」


「うん! ずーっと大事にする!」


「そう、ミラは良い子ね。じゃあ、ご褒美にうちに伝わる歌を教えてあげる。オルゴールの音楽に合わせて歌うから、よーく聴いて覚えるのよ」


「分かった!」


  遠い昔の約束

  千年先も思いが変わらぬのなら

  永遠の祝福を授けよう

  続け続け残酷な時よ

  夢の先に愛しきあの人が居る

  回れ回れ時の歯車よ

  あなたの為なら何も惜しくはない

  再び時が重なるのなら

  柔き肌も血の一滴さえいらぬ

  ディボーショ



「母様、素敵! 綺麗な歌ね! でも、言葉が難しくてよく分からないわ……」


 感激を伝えたくて力いっぱい拍手して赤くなった手を、母様が優しく握ってくれる。


「大丈夫、ミラならきっと覚えられるわ。でもね、一つだけ約束して。最後の『ディボーショ』は、愛する人を得て、何も打つ手が見付からない程の絶望を味わった時だけ、ありったけの想いを込めて歌うの。普段は歌っちゃ駄目よ。約束してくれるのなら、何度でも歌ってあげるわ」


「うん、約束する! でもね、想いを込めるとどうなるか知りたいなぁ」

「ふふふ。それは未来の、その時のミラしか知ってはいけない事なの」


 母様が何故か悲しそうに笑う。私が知りたいって言ったから困らせちゃったのかな?


「良い事じゃないの?」

「少なくとも私にとってはね。だから、その時が来ない事を祈るわ」

「じゃあ、私もお祈りしておくね!」

「まぁ! 二人分の祈りならきっと届くわね。では、歌います」

「待ってました!」

「ふふふ。遠い昔の約束――」





 懐かしい夢から覚めると、気付いた伯母様が本をパタンと閉じる。


「起きたのね。気温が下がって来たから戻りましょうか」

「はい。伯母様、足痺れていない?」

「ぎくっ」

「マッサージする?」

「あーっ、触っちゃ駄目! 痺れてるっ、痺れてるから! ミラの意地悪~」


 悪い笑顔の私と涙目の伯母様。屋敷に久し振りの柔らかな時間が訪れていた。



**・**・**



 夜になり、ここの所の日課となっている、マックスの居る部屋へと向かう。粉々の体を見る事を己への罰としていたけれど、今日は少し違う気持ちで見られるだろうか?


「マックス、こんばんは」


 何も喋らないマックスに今日の事をポツリ、ポツリと語る。


「それでね、歌の事を思い出して――」


 そこでハタと気付く。今がその状況なのではないかと。禁呪が成功して、マックスの体が元通りに戻るかもしれない。


 でも、母様の悲し気な笑顔が頭から離れない。だけど、もう縋れるものは、この歌しかないのだ。出来る事は全部やりたいと、覚悟を決めて息を吸い込む。


「遠い昔の約束――」


 幼い頃に毎日聴いていた歌は、久し振り歌っても一言一句覚えていた。マックスとの日々を思い出し、彼への想いを載せていく。


 どうか、戻って来て。彼の体を元に戻して。また私の名前を呼んで。


「――血の一滴さえもいらぬ」


 最後の禁じられた歌詞へと辿り着く。私の愛したただ一人の男性ひと。どうか、戻って来て!


「ディボーショ!」


 ありったけの想いを込めて口にした言葉がその威力を発揮する。


 ――私の体へと。


 声すら発する事が出来なかった。全身が瞬く間に変容していく。肌は硬質なものに変わり、血も息も内臓も体の中からごっそりと消えて行く。その生々しく身の毛がよだつような感覚もすぐに消える。意識すら刈り取られた私は――。



**・**・**



 翌日、マクシミアンの欠片を抱いて横たわる、変わり果てたミラを見付けた。


「ミラ……。心の底からマクシミアンを愛していたのね」


 あの歌はそうでなければ効力を発揮しない。人形になってしまったミラの硬い滑らかな頬をそっと撫でて溜息を吐く。


「私が守り人になるなんてね。千年紀なんて、千年紀なんて――。くそっ、この横恋慕魔女! ふざけんな! 私のミラを返しなさいよ! お姉さまにミラを守るって誓ったのに! うわぁぁぁ」


 泣き叫ぶ私を旦那様が無言で抱き締めてくれる。その胸で泣きたいだけ泣いた。





「――もう大丈夫」

「そうか。この屋敷はこのままにするのか? それとも二人は俺達の家へ?」


「ここは残すわ。私はね、信じているの。千年紀はミラたちの勝利だって。住む家が無いと困るでしょう?」


「ははっ、そうだな。二人の再会を見る為に長生きしないとな」

「ええ、そうね。どれだけ皺くちゃおばあちゃんになっても見てやるわよ」


 私が八十歳を迎える時、千年紀はやってくる。


 今から予言をするわ。マクシミアンが転生したらミラと必ず恋に落ちる。その結婚式で私は花びらを撒きながら『おめでとう!』って祝福の言葉を贈るのよ。


 クソ魔女、愛を舐めんなよ! あの世で歯ぎしりしながら悔しがるといいわ!



**・**・**



「こうしてミラは人形となり、再びマクシミアンと出会える日を待つ事となりました。結末はもうすぐそこです。私は千年紀の終わりをこの目で見て、また皆様に語りましょう。以上で『人形と千年紀』は終了となります。ご清聴ありがとうございました」


 語り部が賑やかにアコーディオンを奏で、しんみりとしていた空気を払拭する。今日は祭り。人々はすぐに次の楽しみを目指して歩き出す。



  訪れる千年紀

  微笑むはが口か

  微笑むはが口か



 そんな聴衆を見送り、楽し気に口ずさみながら歩いて行く語り部。その声と姿は大勢の人々に紛れ見えなくなる。目で追っていた少女は、母に呼ばれて走り寄る。


 最後に一度だけ振り向くと、あの青い水底の様な目が、銀色の髪を見て微笑んだ。


お読み頂きありがとうございました。

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