ザイド
銀の髪を持って、夢の妖精の世界に生まれたザイド。
妖精の世界における突然変異だろうと、誰もが好奇の目で見、夢の木が生み出す夢をどうやって流すのだろうと期待した。
だが、彼女はいい夢を流す能力が少なかったのだ。ザイドはそんなつもりではなかったが、せっかく夢の木がいい夢を生み出してくれているのに、悪夢に変えてしまって流すことが数回あった。わざとではない。彼女なりにやった結果だ。
夢の妖精は、美しく楽しい夢を人間や動物に見せるのが仕事だ。それが悪夢では、夢の妖精の信用が落ちる。
他の妖精達は、彼女に強く注意した。ザイドも努力したが、やはり流すと悪夢になってしまう。
ついに夢の世界の妖精達は、ザイドを夢の妖精不適格とみなし、この世界から追い出してしまったのだ。
妖精は、別の種族の妖精にはなれない。火や水、花などの妖精に変わる、ということはないのだ。夢の妖精の世界から追い出されたザイドは、もう妖精ではいられなくなる。
人間になってしまうか、魔物になってしまうか。
仲間の妖精達は、ザイドを人間にするつもりだった。夢を見せる側ではなく、見る側へ行けば、彼女はもう悩まなくて済む。
だが、彼女は追い出されたという悲しみのあまり、人間の世界へは行かず、魔物の世界へ足を踏み入れたのだ。
そして、それまでいた世界と相反する魔物、悪夢を見せる魔物へと変化してしまう。
白かった羽は次第に黒く染まり、表情は凍り付くように冷たくなった。
妖精の時にはやりたくないのに流してしまう悪夢も、魔物に変化してからは何の気負いもなく流せた。そういう力を持った魔物がそういう行為をするのだから、作業は実にスムーズだ。
やはり夢の妖精は失格だと悲しみながらも納得する反面、自分を追い出した妖精達に対しての悔しい思いがつのる。
やがて、それは憎しみへと変わった。
魔物になってしまって長い時間が経っていたが、ザイドの心の傷はいつまでも癒やされることなく、夢の妖精への憎しみは消えなかった。
悪夢を見せる魔物として力をつけたザイドは、ついに夢の妖精の世界を襲う。
異種族の介入を許さない妖精の世界だが、昔ここに存在していた者として、また同じく夢を扱う魔物なので、入ることは他の魔物がやるよりもずっと簡単だった。結界もすぐに破れる。
世界へ入る前、ザイドは姿を変えた。大きく醜い黒トカゲに。
現れたのがザイドだ、と知られるのがいやだった訳ではない。
たとえわずかでも、妖精達を怯えさせてやりたかった。それが子どもだましのような怪物の姿でも、追われれば怖い。妖精より大きければ、世界を壊してゆけば、力が強ければなおさらだ。
ザイドは、妖精達を怖がらせたかった。自分が受けた世界からの追放や恐怖はこんなものではなかったのだ、と思い知らせてやりたかったのだ。
世界をざんざん荒らしまくり、逃げた妖精を気紛れに追った。別にどこへ逃げようと、ザイドはどうでもよかった。人間の世界から人間に夢を、楽しい夢など送れるはずないのだから。
たとえひとりでも構わないから、とにかく怖い思いをさせてやりたいと思っただけ。
いたぶってやろうとしたその時。
逃げた妖精は、思いがけず人間に助けを求めたのだ。
妖精は余程人懐っこい性格の者でなければ、人間とはまず関わらないのに。夢の妖精は人間に夢を送るものの、実体を持つ人間とは接触しないものなのに。
そして、その人間はザイドの不気味な姿を恐れることなく、ザイドを相手に戦いを挑んだのだ。
ザイドが自分から仕掛けたのは、人間をその場から追い払うためだった。別に人間をどうこうする気などない。人間など、夢を使っていくらでも苦しめることはできるのだから。
夢の世界に生きる妖精や魔物に、実体の刃物は役に立たない。
だが、ザイドはまともに相手をしてくれる人間の存在が、急に嬉しくなった。
だから、その人間……ダルウィンを夢の世界へ連れて行ったのだ。
追っていたあの妖精が人間に夢を送り、夢の世界へ連れて来たようだがそんなことはどうでもいい。ここはもう自分の領域だ。誰だろうとかなう相手がいるはずもない。
夢の世界の妖精達が非難した悪夢を、この夢の世界から送り出してやるのだ。
人間にはわからなくても、他の妖精にはわかる。この世界から悪夢が流れたのだと。
そうなれば、夢の妖精達の評判は落ちる。他の妖精はこの世界へ入れないから、ザイドの仕業だとはわからない。
それは、夢の妖精達が一番恐れていたこと。だから、ザイドを追放したのだ。
ザイドは、ここにいるだけで復讐してやれる。
☆☆☆
話を聞いていたスィーサが、息を飲んだ。目の前にいる世界を荒らした憎い相手が、実は昔の仲間だと聞き、明らかにショックを受けている。
「私……そんなこと、初めて聞いたわ」
「あなたはまだ存在すらしていない頃ね。役目を終えた長老達にでも聞いてみるといいわ。自分達の行いを、開き直るか言い訳しながらでも話してくれるでしょうよ。それとも、何も思わず、むしろさっぱりした顔で私みたいな妖精がいなくなってせいせいした、とでも言うかもね」
ザイドは自嘲気味に笑った。こんなひどいことをしながら、淋しい笑み。
スィーサはふと、なぜ彼女の名前がわかったのかに気付いた。
彼女にすれば知らない魔物が現れただけにすぎないが、ザイドが昔ここにいたことを知っている妖精がいる。その妖精達が、姿は変わっても気配でザイドだと気付いたのだろう。
その妖精達の口からザイドという名前が出て、スィーサ達も魔物の名前がザイドだと認識するようになった。そうでなければ、名乗りもしていない魔物の名前がわかるはずがないのだ。
「あなたがこんなことを起こした理由は、ここの妖精のせいだっていうのはわかったわ。でも、それはダルウィンをさらった理由にはならない。彼は夢の中の住人じゃないのよ。彼を返して。元の世界へ戻してよ」
「いやだと言ったでしょ」
「だからって、こっちも素直に帰れるはずないでしょ」
リンネがザイドにずかずかと近付く。そのまま進めば、ザイドの胸ぐらを掴むことくらいはやりそうな様子だ。
パキッという音が、上の方でした。一番最初にカードが、その音の出た方を見る。
「リン、危ない」
カードがリンネを突き倒す。同時にニルケが呪文を唱えた。
リンネを狙い、夢の木の枯れた枝が飛んで来たのだ。さっきの音は、枝が折れた音。
カードがリンネをかばったと同時に、それに気付いたニルケが魔法でその枝を炭にしたのだ。いくら枯れていても先は鋭い。何も武器や防具を持たないリンネには危険だ。
「魔法使いがいるのね……地の魔物もいるし、やっかいだわ」
ザイドの銀色の髪が、風もないのにふわりと広がる。その髪から水玉のようなものが浮かび、ふわふわとこちらへ飛んで来た。水玉はリンネやそばにいるカード、それにニルケの周りを浮かぶ。何かと思って見ているうちに、次々に水玉は弾け出した。
「何よ、これ」
水玉が弾けても、中から何か出て来るでもない。ザイドが何をしようとしているのかわからないまま、リンネ達はその水玉を見ていた。
「いけないっ。みんな、早くここから離れて!」
スィーサが叫ぶ。
「眠りの風がその中に封じられてあるのよ。眠ったら、悪夢を見せられるわ」
風が起こっているようには感じられない。だが、リンネは次第に眠くなってきた。封じられていた眠りの空気が、辺りを満たしてしまったのだ。
ニルケも、そしてカードまでもがまぶたを閉じ、その場に倒れてしまう。
あとはザイドとスィーサだけ。夢の妖精であるスィーサに、眠りの魔法は効かない。
「どうする? 助けてくれるはずの人間はみんな眠ってしまったわ。もう小さな力しかない妖精のあなたに、勝ち目はないのよ」
突風がスィーサを飛ばした。妖精の軽い身体は簡単に遠くへ飛ばされ、地面に打ち付けられる。また身体や羽に傷が増えた。
「ダメよ……リンネ、眠っちゃいけない」
夢を司るスィーサにはわかった。ザイドは永遠の悪夢の術を使っている。ザイドが術を解くか、リンネ達が夢だと自覚して目を覚まさない限り、ずっと悪夢が続くのだ。
ずっと悪夢が続けば、次第に心が疲れてしまう。心が疲れ、同時に身体も疲れる。そして、最後には死に至るのだ。
このままにしておけば、リンネ達は、そしてダルウィンもこの夢の世界で死んでしまう。
ザイドはまた、ゆっくりと夢の木の枝を折り始めていた。あの枝が全てなくなってしまえば、もう夢はなくなる。楽しい夢はなくなってしまう。ザイドはその後で、ゆっくり悪夢を流そうとしているのだ。
夢の木は元々がかなり大きい木で、今は枯らされてしまっているが枝はまだたくさんある。もう少し時間はあるだろうが、あの枝がなくなってしまうまでにリンネ達に目覚めてもらわなければ、この世界は間違いなく消滅する。夢の世界ではなくなるのだ。
あちらが夢を使っているのなら、こちらも夢を使うしかない。
スィーサは、リンネの夢に呼び掛けた。
リンネ、夢に惑わされないで。これは夢だと自覚して。そうすれば、あなたはこの悪夢から逃れられるわ。
お願い、目を覚まして。
☆☆☆
リンネは広い大地を歩いていた。
どこまでも続く地平線。所々に雑草が生えているだけの、何もない場所。前にも魔性の造り出した世界で、こんな感じの所があった。そんな記憶が、頭のどこかでよぎる。
あたし、どこを歩いているのかしら。
ここへ来た経過をよく覚えていない。また魔物相手に何かしでかして、こんな場所へ連れて来られ、ついでに記憶も抜かれてしまったのだろうか。
とりあえず、自分のことだけはわかる。自分は誰なのか。
名前はリンネで、ラースの街に住んでいる。家族は両親と弟、家庭教師で魔法使いのニルケと狼の魔獣カード。
他に誰もいないので、これが正解だとは断定できない。でも、間違っていないはず。
誰かいないのかしら。ここはどこ?
リンネは歩いた。乾いた地面を踏み、方角もわからないままに。
ふと前方に人影らしきものが動いた。リンネは急いでそちらの方へと駆けて行く。
「ダルウィン!」
見覚えのある後ろ姿は、ダルウィンだ。リンネは大きな声で彼の名を呼んだ。しかし、声は空間に吸い込まれるようにして消えてしまう。もう一度呼んでみるが、同じこと。
走っているのに、歩いているはずのダルウィンになかなか追い付かない。足がとても重くて前に進まないのだ。さっきまで普通に歩いていたのに。今は歩くことすらままならない。
「待って……待って、ダルウィン」
あたしに気付いて。こっちを見てよ。あたし、ここにいるの。
動かない足を必死に動かすうちに、足下の感触が突然なくなった。
うそ、地面がない。ダルウィンはすぐそこにいるのに。
地面が消えて、リンネの身体は落下を始める。落ちながら、リンネはダルウィンの名を呼んだ。その声にやっと気付いたように、ダルウィンはこちらを向いた。
「……!」
こちらを向いたダルウィンの顔は、リンネが知っている顔ではなく、どくろだったのだ。よく見れば、彼の身体は宙に浮いている。魔物がダルウィンの姿を取っていたのだと、やっとわかった。
そのままリンネは落下してゆく。
暗転。
街の中を歩いているリンネ。どこかで見たような気もするし、初めて来る街のような気もする。人々の間を通って、リンネはどこかへ向かっていた。
目的地があるような、足の向くままに何となく歩いているような。
しばらく歩くと、人だかりができているのを見付ける。リンネの足は勝手にそちらへと向いた。
人だかりの中心に、ダルウィンがいる。彼の周りには、ならず者風の男達が大勢いた。十人、いや、もっといる。
状況をよく見ようとするのだが、視界がはっきりしない。辺りは明るく、自分の前にも人はおらず、足下ははっきり見えているのに。
見たいものに限って、よく見えないのだ。中心にいるのはダルウィンだ、ということがかろうじてわかるだけ。
男達は手に剣を持っている。中には血が付着した剣を持っている男もいた。ダルウィンも剣を持っているが、すでに傷付けられ、かなり弱っている様子だ。
でも、リンネにはダルウィンの顔がどうしてもはっきりしない。
このままだと、ダルウィンが殺されちゃう。
リンネはダルウィンの方へ行こうとした。剣を持った男達を相手に自分が何かできるとは思ってないが、このまま彼を放ってはおけない。
なのに、足は地面に根が生えたように固まってしまい、動かない。
リンネが自分の足と必死に格闘している間に、男達は一斉にダルウィンに刃を浴びせた。
「ダルウィン!」
リンネは彼の名を叫んだ。……叫んだような気がした。
それまでよく見えなかったダルウィンの顔が、急にはっきりする。だが、彼の目はどこも見ていない。リンネのことも。ガラスのような、生気のない瞳。
口元から血が流れる。傷だらけの身体がゆっくり足下から崩れて。リンネは手を伸ばしたが、届かない。
目の前で、ダルウィンは地面に倒れた。
死なないで、ダルウィン。いやよ、こんなの。どうして……。
何が起こったのか全くわからないような、嫌というほどに今の状況を把握しているような。
ただ、ダルウィンがいなくなってしまう、という締め付けられるような悲しさが広がる。
また暗転。
リンネは気付いていない。何度もダルウィンが消えてしまったり、死んでしまったりする夢を見ていることを。
さっき殺されてしまったはずのダルウィンが、また生きていて歩いていることに、違和感を持たないでいる。
そして、彼がいなくなる状況を見せ付けられ、その度に叫んで。
愛する人の死を見せられ、次第にリンネの心は力を失ってゆく……。





