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お嬢様にピンチなし  作者: 碧衣 奈美
第二話 銀の木の実と魔物の棲む島
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弟の異変

 朝、遠くの方でおかしな声が聞こえた気がして、リンネは目を覚ました。

 男性の悲鳴のような、そうでないような。

 床で寝ていたカードが、スッと頭を上げた。彼はエクサール家へ来てから、いつも狼の姿でリンネの部屋の敷物の上で寝ている。番犬代わりだ。

 カードは起き上がるとすぐ少年の姿に変わり、部屋の外の様子を窺った。

 何か変な声がしたわね。夢かしら。……だったら、もうちょっと寝よう。

 頭の中はまだしっかり眠っているリンネ。目を閉じると、すぐにまた寝入ってしまう。

 しかし、何だか部屋の外がばたばたと騒がしい。

「リン……リン、起きて。何かあったみたいだ」

「もう、何なのよ、一体」

 カードに起こされ、仕方なくリンネは起き上がった。ベッドから降り、部屋の扉を開ける。廊下を見ると、どうやら弟のラグアードの部屋付近が騒ぎの元らしい。開かれた扉が見えた。

 さっきの声はよく考えてみると、ラグアードの世話係の声だったような気もする。三十手前の男性で、数年前から身の回りの世話をしてくれているが、あんな声は聞いたことがない。

 ラグアードが熱でも出したのだろうか。いや、八つになったばかりの子どもが熱を出したくらいで、世話係が悲鳴なんて上げるとは思えない。もっと別の原因があるはず。

 さすがにリンネも気になり、カードと共にラグアードの部屋へ向かった。

 部屋へ入ると、そこには両親と世話係、ニルケがいる。世話係が部屋の入口で今にも泣き出しそうな顔をして震えながら立っているし、他の三人はラグアードを遠巻きにするようにしてベッドを囲んでいた。何だか異様な光景だ。

「どうしたの?」

「あ、リンネ……ラグアードが」

 母のリリアが泣きそうな声を出す。リンネは大人達の身体で、弟の姿がよく見えない。

「どうしたのよ」

 言いながら近付く。が、その足はラグアードの姿を見て止まった。

「え……ラグ?」

 リンネの目が丸くなる。ベッドの上に座っている弟の姿は、朝から騒ぎになっても仕方がないものだった。

「あ、姉様、おはよう」

 当の本人は、気楽に挨拶してくる。自分の置かれている状態がわかっていないようだ。とりあえず、自分の意思はしっかりしているらしい。

 ラグアードには、動物の耳としっぽがついていた。形からして、どうやらねこだ。

 しかし、おもちゃではない。耳はぴくぴくしているし、しっぽもぱたぱたと動いている。昨日は何ともなかったはずなのに。

 一夜にして、リンネの弟は猫の耳としっぽを生やしてしまっていた。

「かわいい……」

「リンネ、そういう問題じゃないでしょう」

 この場にそぐわないリンネの言葉に、ニルケが渋い顔をする。

 世話係がどうしてあんな悲鳴のような声を出したか、ようやくわかった。

 彼も初めはおもちゃでも着けているのだろう、と思ったのだ。しかし、手も触れずに動いているのを見てそうではないとわかり、驚いたのだろう。

 リンネが二度寝しそうな時に騒がしかったのは、両親や魔法使いであるニルケを呼びに行っていたからだ。

 両親は変わり果てた息子の姿に呆然とし、ニルケもあまりのことにしばらく立ち尽くしていた時に、リンネがやって来たのである。

「ラグ、あたしが触れてるの、わかる?」

 大人達の間を抜けて、リンネは弟に近寄ると耳を触った。ふわふわした毛に覆われた、獣の耳。ほんのりと温かい。

「うん、わかるよ」

「こっちも?」

 しっぽを触ってみる。こちらも、生きていることを感じさせる温かさがあった。

「うん」

「どうしてこうなったのか、わかる?」

「わかんない。起きたらこんなだったの。ぼく、動物になっちゃったの?」

「動物にはほど遠いわね。でも、まともな人間でなくなってるのは確かよ」

 わかってるのか、わかっていないのか。ラグアードは目をぱちくりさせてリンネを見るだけ。

 ニルケがそばへ来て、色々と調べ始める。戻そうとしているのか、何やら呪文を唱えているが、ラグアードには何の変化もない。

「ど、どうしてこんなことになったんだ。ラグアードがこんな……」

 ショックのあまりリリアは失神しかけ、父のラグスはリリアをソファに横たわらせると、自分もそのそばに座り込む。

「何者かの術がかけられています。本当にねこにしようとしたらしいですが、ここまでで力尽きたようです。しかし、これだけでも力が強くて、ぼくの力では解けません」

 魔法使いが診断を下す。

「だ、誰がそんなことを……」

「そこまでは」

 ラグアードは珍しそうに、自分に生えた耳やしっぽを動かしている。黒髪の間から明るい茶色の毛の生えた耳が出て、やけに目立つ。しかも、本来の位置にも耳があり、現在のラグアードには耳が四つあることになるのだ。

「ねぇ、ぼく、ねこになったのなら、ニャアって鳴くべきなの?」

「そこまでなりきらなくてもいいわよ」

「ぼく、カードみたいだね」

「オレはそんな中途半端な姿なんて、なろうとしても無理だよ」

 どうも間の抜けた会話である。

 両親は完全にショックを受けているが、本人は全く動じてないようだ。のんきすぎるようだが、パニックにならないだけいいかも知れない。

「どうしたらいいんだ……」

 魔法使いのニルケの力が及ばないのなら、誰を頼ればいいのだろう。跡継ぎになるはずの大切な息子がこうなってしまうなんて。まだこんな小さな子どもに、誰がこんなおかしな術をかけたのか。

「とにかく、こんな術をかけた奴を見付けなきゃ。このままみんなで頭を抱えていたって仕方ないでしょ」

「だが、ニルケは術者はわからないと……」

「申し訳ありません」

 ニルケはニルケで、自分の力の無さに憤りを感じていた。まだ勉強中の身とは言え、今の段階では手掛かり一つ掴めないとは。

「カードはわかんないの?」

「無茶言うなよ。ニルケですらわからないってのに。ニルケに比べたら、オレの魔力なんてカスみたいなもんだぜ」

 カードは魔獣で魔力はあるが、それを使いこなせないと言う。狼から人間の姿になれる、という変身くらいのもの。

「んー、何とかならないかしら」

 しかし、いくらリンネにだって、こんな術をかけた相手を知るなんてことはできない。でも放っておけば、ラグアードは一生このままの姿でいなければならなくなってしまう。

 そんなことになったら、リリアが心労で寝込んでしまうのは目に見えた。

 ふと思い付いて、リンネは自分が持っていた魔除けのペンダントをラグアードにかけてみる。

 しかし、事態は何も変わらない。それを見てリンネは、術をかけられた後ではその効果がない、と言われたのを思い出した。

「やっぱりダメかぁ。気紛れでどうにかなってくれないかなって思ったんだけど」

「姉様、このペンダント、きれいだね」

 効果がないのを見て、リンネはペンダントを弟の首から外した。

「そうだっ、ばあちゃんならわかるかも知れない」

「誰のことです?」

「ダメで元々よ。呼んでくるわ。ニルケ、ラグと父様達をお願いね」

 細かい説明をしている暇はない。リンネはそう言うと、部屋を飛び出した。

「リンネ、どこへ……カード、一緒に行ってください。一人だと心配ですから」

「わかった」

 頼まれたカードは、リンネの後を追って走り出す。

「カードって、人間の姿の時でも速いねぇ」

 のんきなことを言うラグアードに、ニルケは苦笑いを浮かべる。これがリンネだったら、もっと大騒ぎになっているか、本人が面白がって走り回っているのではなかろうか。

「少しじっとしていてくださいね。これ以上、何か起こらないために結界を張りますから」

「痛くないならいいよ」

 しっぽをぱたぱたさせながら、ラグアードはにっこりしながら応えた。

☆☆☆

「リン、どこへ行くんだよ」

「占い師のばあちゃんの所。よく当たるって評判なのよ」

 走るのなら狼の姿の方が楽なのだが、街の中を走っているのでカードは少年の姿のまま、リンネと併走した。通り過ぎる人達が、何事かと二人を見送る。

「占い師? 魔法使いじゃなくて?」

「そう。こっちよ」

 話しながら、角を曲がる。いつもは鼻歌を歌いながら歩く道だが、こうして急ぐ時はとても遠い気がする。

「ここっ」

 リンネ達はベイジャの家の前に到着した。ドンドンと少し乱暴に扉を叩く。

「ばあちゃん! ばあちゃん、いるっ?」

 鍵のかかっていない扉を開け、中へ入る。

「リンネ? どうしたんだい、こんな朝から」

 奥からベイジャが現れた。

「あ、あのね……」

 息が切れて話しづらい。ずっと走り通しだったのだ。息切れもしようというもの。

「おい、大丈夫か、リン」

 カードはこの程度では息も切れないので平気だ。こういう部分、やはり人間との体力差がある。

 ベイジャが水を持って来てくれた。それを飲んで、リンネも少し落ち着く。

「あたしの弟が、誰かにねこにされかかってるの。ニルケが調べたけど、誰かわからなくて。ばあちゃんならわかるんじゃないかと思って来たの」

「ねこにされかかった?」

「うん、耳としっぽだけが生えてるのよ。後は普通なんだけど」

「リン、占い師にわかるものじゃないだろ?」

「ばあちゃんには、魔法使いとは違う才能があるもん。何か見えるかも知れないでしょ」

「ま、まぁ、とにかく見てみようかね」

 いきなりずいぶんと突飛な話をされたが、とにかくベイジャはいつも占いをするテーブルにつくと、水晶球に手をかざした。

 しばらく水晶を見続けていたベイジャだが、そこから目をそらさずに話し出す。

「リンネの父さんに関係があるね。恨みを持った魔物の仕業だ」

「魔物? あたしの父様が関係あるって?」

 リンネとカードは顔を見合わせた。

 リンネならこうしてカードウィントという魔獣と関わっているが、ラグスが魔物と関わりがあったなんて、今まで聞いたことがない。

 エクサール家へ来たから、ラグスとカードが関わり合っていると言えないこともないが、恨みうんぬんとなると話は違ってくる。エクサール家へ迎え入れてくれたラグスに、恩はあっても恨みなどかけらもない。

「よく……わからないわ。ねぇ、ばあちゃん。うちへ来て」

「え、うちってリンネの家にかい?」

「そう。ラグアードを直接見て、父様も見て、魔物のことを聞くの。あ、今日予約してるお客さんはいる? もしくは誰かと会う約束とか」

「いや、約束はないが……」

「じゃあ、お願い」

 必死の表情をしたリンネに頼まれて、ベイジャもいやとは言えない。

「んじゃ、ばあちゃんはカードの背中におぶさって。必要なのは水晶だけ? それなら、あたしが持ってくから」

 気が付くと、ベイジャはすでにカードの背中に乗せられていた。リンネは布で水晶をくるみ、それを持つとまたエクサール家へと向かって走り出す。

 ベイジャは嵐に連れて来られたような気分で、エクサール家に到着したのだった。

☆☆☆

 リンネやカードと共に、ベイジャはラグアードのいる部屋へやって来た。

 リリアは自分の部屋へ戻ったらしく、そこにはいなかった。世話係の姿もなく、部屋にいたのはニルケとラグスだけだ。

「リンネが言っていたのはあなたでしたか、ベイジャ」

 占い師の姿を見て、ニルケが言った。一応、リンネの交友関係はだいたい知っている。

「ラグの姿は、やっぱり魔物の仕業らしいわ。ねぇ、ばあちゃん。この子、見てあげてくれる?」

 ラグアードはベッドの端に腰掛け、新しく現れた人物を興味深そうに見ている。ベイジャはいつものフードで顔を隠してはいるが、明るい場所にいるので何となくでもその傷が見え隠れしていた。しかし、ラグアードはリンネの弟だけあって、普通の子どものように傷のあるベイジャを怖がったりしない。

 ベイジャはラグアードを前にして床に座り、水晶に手をかざした。何が映っているんだろうと、ラグアードが覗き込むが何も見えない。

 息子のそばではラグスが、占い師の様子を不安そうに見守っている。

「やはり……魔物が呪いをかけているようだね」

「魔物だって? どうして魔物が、私の息子にこんなおかしな魔法をかけるんだ」

 ラグスはベイジャの出した結果に納得がいかない。こんなことをされる覚えはなかった。

 ベイジャはラグスの言葉には構わず、水晶を見詰めながら言葉を続ける。

「その……魔物は……あなたを恨んでいる。跡継ぎの息子を失わせることで、復讐しようとしていた。だが、魔力が衰え、こんな中途半端な姿で終わってしまった……」

「よくわかんないけど、本当ならぼくはもっとちゃんとしたねこになれてたの?」

「ラグ、言葉が違うわよ。なれてたんじゃなく、されてたって言うの」

「どっちだっていい。私がどうして魔物に恨まれなければならないんだ」

 自分のせいで息子がこんな姿にされてしまったと聞かされ、ラグスは頭の中が混乱してきた。

「父様、本当に心当たりはないの?」

「あるわけないだろう。魔物を見るなんて、リンネが連れて来たカードくらいだ」

 リンネがカードを連れて帰って来た時は、もちろん驚いた。ニルケの口添えがなければ、狼に姿を変える少年を家に置くなど、許さなかっただろう。

「遠い昔です。あなたが家族を持つ前のこと」

「昔……?」

 ベイジャに言われてしばらく考え込んでいたラグスだが、あっという声を上げた。

「父様、何かわかったの?」

「あ、ああ……若い時、確かに魔物に遭っている」

「どういう魔物なの? あたし、そんな話、聞いてないわよ」

 それはそうだろう。ラグス自身も完全に忘れていたことだから。

☆☆☆

 今から二八年くらい前。ラグスが十七歳頃の話だ。

 彼は見聞を広めるため、という名目で一人旅をしていた。あちこちを歩き回ってはその場所の文化に触れ、人々と触れる。色々大変なこともあったが、貴重な経験をたくさん重ねた。その時の経験は、今の仕事で役に立っている。

 ある日、道に迷ってしまった。森の中を抜け、その向こうにある村へ行こうとしていたのだが、その森の中で迷ってしまったのだ。

 やがて陽も暮れた。あまり暗い中を歩き回るのも危険だと思い、幸いにして見付けた古そうな小屋の中へ潜り込んで夜明かしすることにした。

 そこへ入ってから、どれくらいの時間が経った頃だろうか。

 外の空気が妙に揺らめき、どんよりした気配が流れてきた。

 異様な空気を感じたラグスが外を覗くと、そこには子どもをくわえた魔物が歩いていたのだ。まるで二足歩行する牛のような姿をしている。初めて魔物の姿を見たラグスはぞっとした。

 小さな手がピクリと動く。それは生きているのか、魔物の動きで動いただけなのか。暗い中では判別できない。

 震えている場合じゃない。生きているなら、助けないと。

 ラグスはとっさに小屋の中を見回す。少し高めに作られた台の上に、一本の剣が置かれていることに気付いた。

 ここは木こりが休憩するための小屋だと思っていたラグスだったが、そこは森の神を祀るための社だったのだ。近くの村の信心深い村人達が造ったものと思われる。森の恵みで生活を支えている人達がこういった社を造るのを、ラグスはよそでも見ていた。

 その剣は、森の神に奉納されているものだろう。手に取り、鞘から抜き出してみると暗い中でも刃がきらりと光る。

 お借りします。あの子を助けるために。

 ラグスはその剣を握ると、表に飛び出した。魔物が音に気付き、ラグスの方を向く。今まさに、子どもの身体を噛み砕こうとしているところだ。

 ラグスは魔物に襲いかかった。少しでも相手に隙を与えれば、こちらがやられてしまう。どんな魔力を持っているかもわからないのだ。反撃されないうちに、少しでもダメージを負わさなければならない。

 そんなラグスの気持ちを知ってか、剣は恐ろしい程によく斬れた。剣術に心得がある訳でもないラグスの一太刀で魔物の腕が落ち、返す刀で胴体を斬る。切断こそしなかったが、かなりの手応えがあり、深手は間違いなかった。

 一度、魔物が反撃しようと腕を振り回し、その爪の先がラグスの左手の甲をわずかにかする。だが、ラグスのダメージはそれだけだ。

 森中に響く程の悲鳴を上げ、魔物は血をしたたらせながら逃げ去った。

 ラグスは急いで残された子どもの方へ駆け寄る。だが、残念ながらすでに事切れていた。

 十かそこらであろう、かわいい女の子。しかし、名前もどこの子かもわかるようなものは何もない。服にも、これという手掛かりになるようなものはなかった。まさか遺体を持ち歩いて、どこの子か知りませんか、と尋ね歩く訳にもいかない。

 仕方なく、ラグスは次の朝になって森を抜けると、森の近くにある村で理由を話し、そこでその女の子を埋葬してもらうことにした。この子の親らしき人が現れたら、ことのなりゆきを説明してほしい、と頼んで。

 その後は彼自身も色々とあり、時が移るにつれてそのことは自然に頭から離れてゆき……。

☆☆☆

「きっとそいつよ。そいつが復讐したんだわ。父様、その魔物が死んだところを見届けてはいないんでしょ。今までずっと生きてたのよ。ねぇ、ばあちゃん……ばあちゃん?」

 ベイジャの肩が細かく震えている。リンネがそっと覗くと、老婆は泣いていたのだ。

「どうしました。大丈夫ですか?」

 ニルケがそっと声をかける。

「おばあちゃん、どうかしたの? どこか痛い?」

 ラグアードもベッドの頭に置いてある薄紙を取って、ベイジャに渡す。

「ああ……ああ、すまないね」

 薄紙を受け取ったベイジャは、それで涙をぬぐった。

「まさかこんな所で、子どものことが聞けるなんてね」

「子ども? ……まさか、あの時の子どもはあなたの?」

 ラグスの問いに、ベイジャはゆっくりと頷いた。

「その魔物というのは、牛のような姿をした奴だったのでしょう?」

「ああ。獰猛そうな顔付きをして……暗かったが確かに牛のような姿だった」

 彼女の子も、女の子だった。年も合う。疑うべくもないだろう。

「やっぱり死んでいたんだね。くわえて連れてったから、もしかしたらうまく逃げて、なんてことを考えたりもしたんだけど」

 どこかで生きているのでは。

 ほんのかすかな望みだった。まず駄目だろう、と思いながら。

 やはりそうだったか、と思いつつ、もう空しい望みにすがって生きることもない。そう思うと、どこかほっとする部分もあった。

「今は、この子の話をしましょうかね」

 やらなければならないのは、ラグアードのことだ。

「傷を負わされてから今まで、ずっとその魔物は隠れていた。斬った剣には神の力が宿っていたんだね。だから普通なら治る傷も治らず、瀕死だった。奴は自分をこんな目に遭わせた人間を苦しめようと、最後の力でその居場所を見付け、大切な子をこんな風にしたんだろう。中途半端な姿なのは、そこで魔力が尽きてしまったから。捜すだけでかなりの力を使ったんだろう。その魔物は今頃消滅しているだろうね」

 ベイジャはしっかりした口調でそう告げた。

「最期の呪い、ですか。ぼくなんかの力では解けないはずです」

 命と引き換えにしてかける魔法。かける者の念が強く込められているため、生半可な力では解くことができない。魔法をかけた者が解くのが一番早いのだが、その術者が亡くなっていては、それも無理だ。命と引き換えだから、命がなくなっても効力が切れることはない。

「この子にかけたのは、大人相手では力が足りなすぎるからという理由もあるだろうけれど、この子が跡継ぎ息子だからだろうね。少しでも憎い者を苦しめてやろう、と思ったんだろう」

「何てことだ……」

 人助けをしようとした結果、自分の息子が苦しむことになるとは。

「根性曲がってるわね、その魔物は」

 自分が悪いことをしたから殺されかけたのだ。いわば自業自得。なのに恨むだの、呪うだの、完全に逆恨みだ。

「ぼく、ずっとこのまま?」

 どこまで理解できているのか、ラグアードが誰に言うでもなく聞いた。その声が明るいだけに、周りの方が暗くなる。

「魔法書に方法が載っていても、ぼくが使えるかどうか……」

 魔法を解くための魔法は、かけられた魔法の種類にもよるが、かなりの力を要する。力が足りなければ、解こうとした者が命を張っても失敗することがあるのだ。解くべき対象の者も。

「ばあちゃん、何か方法はない?」

 魔法を魔法以外で解くことはできるだろうか。ベイジャはあくまでも占い師だ。彼女に尋ねても無駄ということは大いにありうる。

 でも、リンネは聞いてみずにはいられない。大切な弟の一生がかかっているのだ。

 ベイジャはしばらく考え込む。その彼女の前では、ラグアードが無邪気に自分のしっぽをいじって遊んでいた。

「悪しき力を溶かす木の実がある、というのを聞いたことはあるが……」

「ああ、ぼくも聞いたことはあります。銀色で鈴のような木の実だとか。呪いの解毒剤のような役目を果たす、というような言い方でぼくは聞きましたが」

「その木の実なら、ラグアードが元に戻るの?」

 もしそうなら。その実を手に入れれば。この呪いが解けるかも知れない。

「あれば、の話です」

「どこにあるんだ、その実は」

 ラグスに聞かれたニルケは、首を横に振る。

「わからないんです、場所までは。伝説のようなもので、人間の手には届かない場所にある、というだけしか」

「それじゃ、ばあちゃんの占いでもわからない?」

 頼みの綱であるベイジャを見るが、彼女もまた首を振る。

「これはわたしの力を超えてるよ、リンネ。たとえ木の実が見えても、場所までは映らないだろうね」

 一瞬、見えかけた光はまた消えてしまった。

「オレ、知ってるよ」

 その声に、部屋にいた全員の目がそちらに向く。言ったのはカードだ。

「本当? 本当に知ってるの?」

 掴み掛からんばかりの勢いで、リンネはカードに詰め寄った。

「わわっ、ちょっとタンマ。知ってるったってさ、その実がある場所じゃないぜ」

「じゃ、何よ。何を知ってるの」

 聞くというより、ほとんど詰問である。

「その場所を知ってるであろう魔法使いのいる場所」

「何、それ」

「だから、木の実がある場所を知ってる魔法使いってのがいて、そいつのいる所を知ってるってこと。けど、オレが閉じ込められる前の話だし、ちょっと古い情報だな。それに、だいたいしかわからないし」

 カードはおよそ三十年間檻に閉じ込められていたのを、ほんの半月程前にリンネに助けてもらったのだ。つまり、これは三十年前の話。

「だいたいでもいいわ。行きましょう、そこへ」

「え、行くって……」

「その魔法使いのいる所によ。それしか道がないんなら、そこへ行くしかないじゃない」

「けどさ、魔法使いも寿命で死んでるかも知れないし」

「行くのよ」

 ここまでくると、リンネはやらなきゃ気が済まない。無駄であろうとなかろうと、試してみなければ結果はわからないから。

「出掛ける準備をするわね。ニルケ、カードの言う場所まで送ってくれる?」

 行きだけでも早く向かえる方がいい。ニルケの移動魔法なら、一気に目的地へ行ける。帰りは自分の足、もしくは馬を使うにしろ、たとえわずかでも時間の短縮をしたい。

「わかりました。ぼくも行きます。相手が魔法使いなら、ぼくがうまく交渉できるかも知れませんしね」

「ありがとう。それなら、見付けられたらすぐに戻って来られるわ」

「わ、私も……」

「父様は残って。ラグアードはこんなだし、母様だって倒れちゃったんだもん。誰か残っていてくれなきゃ」

 リンネはさっさと指示を出し、出掛ける準備をするべく部屋を出て行った。出る際、父にベイジャをちゃんと送るように頼んでおくことも忘れない。

「ぼくも準備をして来ます。もし木の実が見付からなくても、その魔法使いが何か知っているということもあります。待っていてください」

 ニルケもリンネの後を追うように、急いで部屋を出て行く。カードも手伝うことがないかと一緒に出て行った。

「エクサールさん」

 残されたベイジャが、水晶を包みながら言った。

「娘の最期を世話してくださったこと、感謝します」

 老婆は深々と頭を下げた。

「いや……私は結局、あの子を助けてはあげられなかった」

「それもあの子の運命です。それにあなたは、危険を顧みず助けようとしてくださった。それだけで充分」

 土に帰ったことが、せめてもの救いになる。魔物の餌食にならなかっただけでも。

「……後日、娘の居場所を教えてもらえますか?」

「ええ、もちろん。あの村は」

 言いかけるラグスを、ベイジャが止めた。

「いえ、今でなくていいのです。ご子息が無事に戻ってからで」

「わかりました。その時に必ず」

 ラグスはしっかり頷いた。

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