占い師
いつものように家を抜け出し、リンネはラースの街を歩いていた。
お付きの人間は誰もいない。リンネ一人だ。これもまた、いつものこと。
一応、リンネはエクサール家という、ラースでは名士の家柄の娘である。普通のお嬢様なら、一人で街をうろついたりはしないものだが、普通じゃないリンネは小さい頃から家を抜け出してはこうしてあちこち出歩き、色々な人と友達になったりしていた。
今日も家庭教師で魔法使いのニルケの目を盗んで家を抜け出すと、リンネはあちこちの顔見知りに手を振って挨拶しながら、ある場所へ向かっていた。
そこは、街の中でも少し暗い場所だ。いかにも場末という感じで、女の子ならあまり近寄りたくないような所である。
でも、リンネは気にしない。時々ここへ来ているので、慣れたものだ。それに実際のところ、女の子が全く来ないという訳でもない。
ここは占い師のいる所で、リンネでなくても若い女性が恋やその他色々と占ってもらいに来る。こんな小汚い、暗い場所にいてよく人が来ると思われそうだが、よく当たるとなかなか評判だったりするのだ。
もっとも、来る人は必ず二人以上でここへ来る。一人で来る度胸がないのだ。本当はただ陽がよく当たらず暗いだけで、危ないことは何もない。
今日は客はいないようで、それらしい人は見当たらなかった。この近辺に住んでいる人達がいるだけ。
リンネは見慣れた人達に挨拶をしながら、占い師が住む家の扉を叩いた。
「ばあちゃん、いるー?」
扉を開けて入ると、黒く厚い幕が下ろされている。この幕のすぐ向こうで、占いをしてもらうのだ。ここは言ってみれば、待合室のようなもの。人が二人もいれば狭くなるような空間ではあるが。
幕の向こうの部屋には真ん中に台が置かれ、その上に占い師の部屋らしく水晶が置かれている。この界隈は場所的に元々暗いのに、部屋には窓がなく、壁に燭台が二つあるだけ。だから余計に中は暗い。
初めてここを訪れた人は、それだけでこの雰囲気につぶされそうになる。人によっては、何も占ってもらわないうちから帰ってしまったりするのだ。
リンネも暗い場所というのは特に好きではないのだが、ここは言うなれば単なる店。奥へ行けば明るい部屋……夜よりは明るい普通の部屋があると知っている。なので、帰りたくなることはない。
「リンネかい?」
奥から返事があった。
「うん、そう」
「お入り」
リンネは幕をのけて中へ入り、占いの部屋を横切ってさらに奥の部屋へ入った。
そこには黒いフードをかぶった人物が、イスに座ってお茶を飲んでいた。そのフードで顔は半分隠されているが、わずかに見える部分や手の甲のしわで老婆だとわかる。一見すると、魔法使いのおばあさんだ。
しかし、彼女は魔法は使わない。あくまで水晶を使って占いをするだけ。
「こんにちは、ばあちゃん」
「リンネもお茶を飲むかい?」
「うん、もらう」
リンネは、老婆の座っていたイスの向かい側に腰を下ろした。
「ばあちゃん、珍しくここ何日か肌寒い日があったけど、傷は痛まない?」
「ん? ああ、今のところはね」
老婆はリンネの前に、お茶の入ったカップを置いてくれた。
少しうつむいた時、フードがずれて陰になっていた顔の部分が見える。
左目の上から頬にかけて、大きな傷。その傷口の部分が盛り上がり、醜くなっている。
普段は隠されてるこの傷を何かの拍子に見た客が、部屋が暗いせいもあってあまりの恐ろしさに失神したことさえあった……。
☆☆☆
占い師の老婆は、名をベイジャという。ラースの街へ来て、二十八年経つ。
若い時は占い師をする程の能力はなかった。小さな村に住む普通の女性で、普通に結婚し、娘をもうけた。
だが、子どもが九つの時に、夫は病気で先立ってしまう。
彼女の悲劇とも言える人生は、そこからだ。
ベイジャが三十七の時。夫を失ってまだ半年も経たない頃、村を魔物が襲った。
牛のような姿を持つ魔物で、好き放題に村を荒らし回る。その後、魔物は子どもを襲い始めた。
村人がなす術もなく見ている前で、魔物は子どもを喰う。ベイジャの子も例外ではなく、魔物の手が伸びてきた。ベイジャは子どもを守ろうと必死にかばったが、魔物の鋭い爪で顔の左部分を傷付けられる。彼女の子どもをさらって、魔物は姿を消した。
ベイジャは十になったばかりのかわいい我が子の面影を求め、痛む傷を押さえながらあちこちをさまよい歩く。
しかし、子どもの髪一本も見付からず、どこをどう歩いたのか気付いた時にはラースの街へ来ていたのだ。
そこで力尽きたベイジャは周りの人達に介抱され、そこにとどまるようになった。
それからしばらくして、意識すると先のことがわかるようになってきたことに気付く。自分でも驚いたが、かなり高い確率で頭に浮かんできたことが現実になった。
魔物に傷付けられたことで、何らかの力が彼女に流れ込んだのかも知れない。
その能力はどんどん磨かれ、いつしかこの商売をするに至る。
だが、年をとるにつれて、顔の傷はひどくなる一方だった。彼女がラースの街へ来る前や来た頃はほとんど放心状態だったため、まともな手当てをしていなかった。そのツケがきたかのように、月日が経つごとに醜くなっていく。
傷が盛り上がっているため、左の目は半分しか開かない。それを隠すようにすると、周りから見ればとても気味の悪い雰囲気に思われてしまう。傷が見えれば、なおさらに。
しかし、傷がひどくなる代わりに、占いの能力は高まっていた。今では外れることがないくらいだ。
おかげで噂が噂を呼び、ベイジャの占いはよく当たると評判になった。
ただし、不気味なのはがまんしろよ、という悲しい一言も付け加えられて。
ベイジャがリンネに会ったのは、彼女が八つの時だった。ベイジャが野菜を買いに来た店に、たまたまリンネがいたのだ。
街の子達と一緒に走り回っていた時、彼女のフードが少しずれてしまい、リンネのいた角度でその傷が見えてしまう。他の子達は怖がって逃げてしまったのだが、リンネは逃げずにベイジャへ近付いた。
そして、少しも物怖じせず、また遠慮もせずにリンネははっきりと尋ねた。
「その傷、どうしたの?」
子どもというのは、時に残酷になる。だが、ベイジャはリンネを面白い子だと思った。
大概の子は、さっきリンネが一緒にいた子達のように逃げたりするものなのに、真正面から尋ねるなど、珍しい。
「わたしの家に来るなら、教えてあげよう」
ベイジャはそう言った。まさか自分について来ることはないだろう、と思いながら。
でも、リンネはついて来た。暗い家も、「ローソク、ないの?」などと文句を言いながら入って来た。大人ですら、この家を怖がる者がいるというのに。
ベイジャはついて来たのだからと、約束通りに自分の身の上話をリンネにしてやった。
魔物の話などしたら、怖がって泣き出すかも知れない。泣きながら出て行く、ということも。子どもには刺激が強いだろうか。
そう思いながら、ベイジャは昔の話をした。
しかし、リンネは泣かなかった。話を聞いた幼いリンネは、怒り出したのだ。これはベイジャが考えてもみなかった反応。
「何てことするのよ、その魔物は。女の顔は命なのよ。それを傷付けるなんて許せない!」
リンネは完全に興奮していた。さらには。
「あたしがばあちゃんの仇を討ってやるわ。どこにいるの、その魔物は」
そんなことまで言い出す。これにはベイジャも驚いた。
これまで何人かの人間にこの話をしたことはあるが「お気の毒に」というのがせいぜいで、たまに涙を浮かべる人がいたくらい。
同情してほしい訳ではないから、それは構わなかった。話を聞かされた方だって、内心では反応に困っていただろう。
しかし、リンネのようなことを言い出す人はいなかった。ベイジャ自身も考えたことがなかった。
娘に会いたい、取り返したい。
そういったことは考えても、仇を討つなんて、まるで思い付かなかった。
「どこにいるの。ばあちゃん、占いでわからないの?」
リンネは完全に立ち向かう気でいる。ベイジャはなだめるのに苦労した。
「いいんだよ。魔物のいる場所は感じ取れないし、敵を討ったってこの顔が元に戻るでもない。そろそろ先が見えてくる年になったんだから、もういいんだよ」
まだ怒っているリンネの頭を、優しくなでてやる。自分のことでもないのに、こんなに必死になってくれる少女がとても愛しく感じられた。
あの時の我が子が成長し、彼女にもし子どもが生まれていれば。孫がここにいれば、きっとリンネくらいの年頃だろう。それを思えば、余計にかわいく思える。
「ばあちゃん、もし居場所がわかったら絶対に知らせてね。ばあちゃんがいいって言っても、必ずあたしがその魔物に仕返ししてやるから」
リンネはベイジャをギュッと抱き締め、そう言って、子どもらしく家を飛び出して行った。
この日、何年かぶりにベイジャは悲しみではない涙を流したのだった。
☆☆☆
「今日はどうしたんだい?」
お茶を飲んで人心地ついたのを見て、ベイジャは切り出した。
「あのね、これを占ってほしいの」
リンネはポケットから、白い玉を取り出した。ぼんやりと光る小さなものだ。リンネの手にすっぽりと隠れるサイズ。
「きれいな石だね。もらったのかい?」
「うーん、ちょっと違うのよね。取り上げて、そのまま忘れてたの」
きょとんとしているベイジャに、リンネはことの成り行きを話し始める。
半月程前にペンスの街へ向かう途中で盗賊に遭い、リンネはさらわれて魔物の棲む山へ連れて行かれた。なぜ彼らが魔物のいる山で無事なのかを聞くと、魔除けの玉と称するこの白い玉を持っていたせいらしい。
彼らが眠った隙をついて、リンネはこれを取り上げた。色々な経過を経て盗賊は捕まったのだが、取り上げたこの玉のことをすっかり忘れていたのだ。
思い出したのはラースの街へ帰り、荷物の整理をしていた時。
盗賊もどこかから盗んできたものだと言っていた。返そうにも、持ち主がわからないのでどうしようもない。
黙ってもらっておこうかな、とも思ったが、経緯が経緯だけにどうも後味が悪い。で、ベイジャに相談しようと思い立ったのである。
「まったく……危ないことをする子だねぇ」
話を聞いたベイジャは、あきれた表情でリンネを見た。昔から物怖じしない子ではあったが、まさかそれが盗賊相手でもそうだとは。
「まぁまぁ。それで、この玉は本当に魔除けになるの?」
リンネに問われ、ベイジャは玉に手をかざした。まるで白い玉の思考を読み取るつもりでいるかのように。しばらく沈黙した時間が過ぎる。
やがて、ベイジャは手を引いてリンネを見た。
「確かにこれは魔除けだよ。害をなそうとする魔物や、自分に不利な魔法から遠ざけてくれる。かなり強い力を持っているようだね。ただし、術にかかった後でこれを持っても効果はないよ。それと、直接肌につけてないと、効果はない。この石は自分に触れている者しか守らないからね」
「そっかぁ」
思い当たることはある。盗賊がこれを持った途端、ニルケの戒めの魔法が効かなくなってしまったのだ。あれは盗賊にとっては害になる魔法だったから、この石が防いだのだ。
「あたしが持っていてもいい?」
「構わないよ。ただし、本当の持ち主が現れたら、ちゃんと返しておあげ」
リンネはもちろん、と約束して帰った。
☆☆☆
リンネはベイジャの店を出ると、宝石店へ向かった。ここの店主ともしっかり仲がいいのである。
「こんにちは、ブロッカさん」
「おや、リンネ。今日は何を壊したんだい」
小さい時、母親の装飾品をいじってはペンダントの鎖を切ってしまったり、ブレスレットの留め具部分を壊したりし、よくここへ持ち込んでは直してもらったのだ。
だからつい、彼の挨拶はこんなものになってしまう。
エクサール家は上得意様だからもっと腰が低くなりそうなものだが、リンネ一人の時はこんな感じだ。リンネもこの方が気楽でいい。
「やぁねぇ、最近はもう壊したりしないわよ」
言いながら、リンネは例の白い玉を取り出した。
「これで何か作ってほしいの。んー、ペンダントが一番いいかな」
「ほお、見掛けたことのない石だ。真珠じゃないし、ムーンストーンでもなさそうだね」
ごつい指で魔除けの石をつまみ、ブロッカは吟味した。彼は店主でもあり、職人でもある。太く無骨そうに見えるこの指が、細かい細工を施してゆくのだ。
「あたしもよく知らないけど、お守りみたいなものなの。ね、ペンダントにしてもらえる?」
「ああ、いいとも」
「なるたけ石に傷が付かないようにしてほしいんだけど。あと、できるだけシンプルに」
「おまかせあれ」
ブロッカはにっこり笑って請け負ってくれた。
ちょうど他の仕事も一段落した時で、彼は早速作業に取り掛かる。
大した時間もかからず、石は少ししゃれたペンダントになった。金色の金具が石の半分近くを包み込むようになっているデザインだ。石に穴があけられているのではなく、はめこまれた形になっているから傷もない。
「ほんのわずかだけ接着剤を使っているが、あとは傷付けたり汚したりしてないよ」
ブロッカはリンネの首に、仕上がったばかりのペンダントをかけてくれた。石はちゃんとリンネの身体に触れている。これなら魔除けとしての効果も期待できるだろう。
「ありがとう。あたしの期待通りよ」
「また壊れたら持って来るといいよ。すぐに直すから」
「そう簡単には壊さないわよ。……すぐ来るはめになったりしてね」
自分がペンダントの類を着けるのにふさわしい行動をしている、とはリンネも思っていない。すぐに引っ掛けて鎖を切ったりすることは、容易に想像がつく。
「まぁ、石さえ無事なら、鎖や金具はいくらでも取り替えられる。安心していいよ、リンネ」
ブロッカはそう言って笑った。