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お嬢様にピンチなし  作者: 碧衣 奈美
第九話 助っ人

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移動魔法

「行くべき場所はわかったけど……遠いわね。あの塔、かすんでる」

 襲って来た魔物は、一部をリンネが、ほとんどをダルウィンが倒した。周りが片付いたのでいざ出発、ということになったのだが、目指すグボルグのいる塔は今いる場所からかなりの距離がありそうだ。

 その塔は、砂漠の遙か彼方にあった。慣れない砂漠を、えんえんと自分達の足で歩いて行くのは時間がかかりすぎる。まして、真っ直ぐに行けるとは限らない。これまでのように、魔物がまた襲って来ないという保証はないのだ。その度に止まっていたら、いつまで経っても到着できない。

「ねぇ、せっかく魔法が使えるようになったんだもの、利用しましょ」

「利用って?」

「ほら、ニルケがよくやってくれる魔法よ」

「移動魔法をするって? あの魔法、難しいって言ってなかったか?」

 ニルケはいつも何でもないような顔をして移動魔法を使っているが、実はなかなか複雑な魔法なのだと話していた。逆に言えば、ニルケの腕がとてもいいということ。

「普通ならね。でも、ここじゃニルケが使う魔法とは違う種類みたいなものでしょ。素人のあたしが使えるんだもの。やってみても、損はないと思うわ」

「そりゃ……まぁ、そう思えなくもないけど」

 さっき魔物を消す時、ダルウィンも剣を使いながら魔法も使えるか試してみた。結果として、ダルウィンもリンネのように魔法が使えたのだ。火が出たり風が吹いたり。まだ完全に自分のものにはなっていないが、使ううちに慣れるだろう。

「あたし達がこんなことをしている間にも、ニルケ達がどういう目に遭っているかわかったものじゃないでしょ。相手は魔物なんだし」

 早く行けるに越したことはない。ここにいても、また次の魔物が現れるだろう。

「そうだな。悩んでたって仕方がない」

「じゃ、やるわね」

「え……リンネがするのか?」

「行くわよ」

 返事も待たず、リンネはダルウィンとラグアードの手を取ると、心の中で念じた。

 ふっと周りの空気が変わる。さっきまで乾いた空気だったのが、少し湿り気を含んだものになった。さらには一気に冷たくなって。

「……リンネ、ここ、どこなんだよ」

 ダルウィンが周りを見て、軽く溜め息をつく。

 三人が出て来たのは、氷でできた洞窟の中だった。地面も天井も壁も全てが氷。空気が冷えているのはこのせいだ。洞窟内だが、外と同じような薄暗さ。

「姉様、ちょっと違うような気がするんだけど……」

 ラグアードも周りを見回して感想を述べた。

「あたしもそう思うわ。……失敗したみたいね」

 魔物の気配は全く感じない。神経を張り詰めても、グボルグらしい気配はなかった。彼はこの世界の魔物の王なのだから、近くにいて全く何も感じないはずはないだろう。

「こんな所にいたら風邪ひくぞ。早く出よう」

「あ、待って。あそこに何かあるよ」

 ラグアードが何かを見付け、指差した。

 氷の壁の中に、細長い物が埋まっている。氷とは違う、青い物体だ。

 三人はそちらへ近付き、氷の壁に埋まっている物を見た。

「剣だわ。こんな所に剣がある」

「魔性が造った世界に、宝物なんかないよな」

「グボルグの秘密の武器かも知れないよ」

 ダルウィンはしばらく氷の中の剣を見詰めていたが、右手で拳をつくる。

「取り出してみようか。剣なら利用価値はある」

 魔法を使うよりも、ダルウィンとしては剣の方が使い勝手がいい。この剣に元から魔法がかかっていれば、自分が意識して魔法を使わなくてもよくなる……はず。

「少し離れてろ」

 言われてリンネとラグアードは後ろへ下がった。

 ダルウィンは右手に神経を集中し、拳で氷の壁を叩き割った。もちろん、今は魔法を使っている。さすがに素手ではこんなブ厚い氷の壁は割れない。

 氷の壁がガラガラと崩れ、剣がむきだしになった。ダルウィンは深い青色の柄を握る。ヒヤリとした感触が襲うが、身体が凍り付くなどというおかしな作用はなかった。

「きれいな色ね。宝剣かしら」

「こんな所にあるくらいだから、そういう類の剣かもな」

 ダルウィンは鞘から剣を抜く。刃は中央から先端に向かって透明、柄側に向かって残りの半分は普通の剣の刃と同じ鋼色をしていた。

「二つの色を持つ剣の刃なんて珍しいな。両刃でそれぞれ色が違う、というならわかるけど」

「何かの力が宿ってるのかも知れないよ。剣の先が透明な氷みたいだもん」

「氷の刃、ね。切れ味がよさそうだ」

 リンネが小さくくしゃみをした。少し長くこの氷の洞窟にいすぎたようだ。

「早く出よう。これだけ収穫があれば上等だ」

 三人は出口を探して走り出した。早く出たいというのもあるが、身体を温めるためでもある。さすがに手がかじかんできた。

「ここって出口はあるのかしら。迷路みたい」

 どこまで走っても、外には出られない。普通に入って来たのではなく、リンネの魔法でここへ来たのだから、もしかすると出入口のようなものはないのかも知れない。

「魔法を使った方が早いよ」

「あたし、もうこんな寒い所、がまんできない」

 再び、リンネは移動魔法を使った。

☆☆☆

 ニルケ達はグボルグの塔へ連れて行かれると、捕虜お決まりのコースを進んでいた。

 つまり、牢に入れられたのである。

 この世界を造る時、グボルグはご丁寧にも牢までしっかり造っていたらしい。太い鉄格子に石の壁。窓はない。オーソドックスだが、それだけにいやでも牢だと教えられてるみたいだ。

「カード、カディアン、ケガはしてませんか?」

「全くの無傷じゃないけど、動けるぜ」

 カードが返事をした。カディアンの方を見ると、彼も大丈夫だと頷いてみせる。

「リンネ達のことですから、何があってもここまで来るでしょう。ぼく達もじっとしている訳にはいきませんからね」

 心配ではあるが、リンネならどんな目に遭っても目的地までやって来そうな気がする。

 これまでの彼女を見ていれば、誰もがそう思った。

 だから、そのリンネ達と少しでも早く会うために、いつまでも牢の中で座ってはいられない。

「どうやって抜け出す? 幸い、一緒に放り込まれたから、破る牢は一つで済んだけどさ」

「この壁は、恐らく石のブロックを積み重ねて造られてます。これを動かすのは無理でしょうし、やはり鍵を壊すしか方法はないですね」

「できるか? 向こうは魔法使いがいると知っている。簡単には外れないようにしているはずだ」

 グボルグの世界で、彼より強い魔法を持つことはできないだろう。いくらニルケの腕がよくても、グボルグよりは下のはず。ニルケに外すのは無理だという可能性は高い。

 ニルケはしばらく鍵をいじった。これまたありふれた南京錠だ。

 世界をまるごと造ったのなら、捕虜を入れたら出入口をなくしてしまう仕掛けにでもしておけばいいのに、などとも思うが、鍵があるということは外せば出られる。むしろ、これはありがたい状態とも言えるだろう。

 カードもカディアンも、どうだ、と聞きたいのだが、焦らせては外れるものも外れなくなると思い、黙って見ていた。

「向こうも考えてますね」

「何が?」

「魔法でこじ開けようとすればする程、開かなくなるようにしてあるんです」

 鍵があってよかった、などと思ったが、実は出られない絶望を味わわせるためなのだろうか。グボルグの顔を思い出せば、そういうことをしそうな気もする。早い話、いやがらせだ。

「じゃ、無理なのか?」

 カディアンの言葉に、ニルケはわずかに笑みを浮かべた。

「何とかなると思いますよ。要するに、魔法を使わずに開ければいいんですから」

 ニルケは魔法で細い針金を出した。その先を鍵穴に入れる。しばらくして、がしゃっという音が響いた。

「外れた?」

 カードがニルケの手元を覗き込む。そこには確かに外れた鍵があった。

「ぼくはカードやカディアンみたいに動く方はからきしですけど、手先は割に器用なので」

「すげぇ。ニルケ、魔法を使わなくてもドロボーになれそうだな」

「……カード、リンネが言いそうなセリフを言わないでください」

「あ、リンも同じことができるらしいぞ」

「はぁっ?」

 聞き捨てならないことを言われ、ニルケはカードに話を聞こうとしたが、カディアンが中断させた。

 とにかく、鍵は外れたのだ。見張りがやって来ないうちに、今はさっさと牢を出る。

 だが、やはりすぐには逃げられなかった。と言っても、魔物がやって来た訳ではない。道が来た時と違うのだ。

 連れて来られた時は螺旋階段を上り、長い廊下をしばらく歩かされたのに、牢を出てもその廊下がない。周りの様子も違う。廊下に沿っていくつかあったはずの扉はまるでなく、ただ石の壁があるだけ。扉があるかと思えば、なぜかそれらは宙に浮かんでいたりする。

「目をくらまされてるのか」

 カディアンは走りながら、近くの壁を蹴ったり叩いたりしてみるが、その感触は本物だ。

「とにかく行ける道を通るしかないですね。石の中をすり抜けるのは無理ですから」

「……ニルケ、オレ、目の前がかすんできた気がする」

 珍しく気弱なカードの声。その声でニルケは立ち止まった。自分もかすんできたような気がしたからだ。

「違う。かすんでるんじゃない」

 カディアンがふたりの不安を打ち消した。

「霧だ。霧が出てきてるんだ」

 目がかすんできたと思ったのは、霧が行く手の景色をにじませているからだ。

 屋内であるはずの場所に、まさか霧が漂うとは思わない。だから、目がかすんだと勘違いしたのだ。

「牢から逃げても、すぐにはここから抜け出せないって訳か。くっそー、とことん莫迦にしてやがら」

 カードが壁を蹴った。自分が力を失って調子を狂わせていることを、相手にいいように利用されたみたいでいまいましい。

 いつもなら、目がかすんだなんて思いもしないだろう。それが今は力が人間並でしかないから、どういう状況にもなりえるという不安を使われたみたいだ。

 ニルケが呪文を唱えた。少しでもこの霧を払おうというのだ。

 だが、そううまくはいかない。霧はニルケの努力を無視してどんどん濃くなる。ここで動くのは危険だ。

「……カード、カディアン? どこです?」

 ニルケがふと後ろを振り返ると、真っ白な霧があるだけでふたりの姿がなくなっている。呼んでも返事すらない。

 何かされた? しかし、悲鳴一つ聞こえなかった。この霧で音まで吸い込まれているのだろうか。

「カード、カディアン」

 ニルケは声に力を込めたが、やはり返事はない。

 危険だとは思ったが、ニルケは一歩前に踏み出した。すると、誰かの影がゆらぐ。

「ニルケ……」

 細い声。カードやカディアンのものとは明らかに違う。でも、どこかで聞いたことのある声だ。

「誰です」

「……ニルケ」

 聞いたことのある、女性の声。でも、リンネとはまた違う。

 きゃしゃな影が霧の中に浮かぶ。やがて姿を現したのは……シェリルーだった。

「なっ……シェリルー?」

 長い金髪と紫の瞳。それはニルケもよく知る、魔法使いのシェリルーだ。

「どうしてここに? まさか、グボルグが」

 グボルグは複数の花嫁をさらおうとしていると聞いた。そのうちの一人が彼女なのか。てっきり魔獣や魔性を対象としていると思っていたのに、人間まで含まれてしまうとは。

「会いたかった、ニルケ」

 ニルケの言葉には何も答えず、シェリルーはニルケに抱き付くといきなりくちびるを重ねた。

「シェリルー、一体……」

 ニルケの方は、ただあっけにとられるばかりだ。

「愛してるわ、ニルケ。離れたくない」

「シ、シェリルー、今はそんな場合では……」

 あまりと言えばあまりのできごとに、さすがのニルケも戸惑いは隠せない。それでも、何とか冷静を保とうとする。

「お願い、どこへも行かないで」

 シェリルーはニルケの首に腕を回し、離れまいとしっかり抱き付く。

「あ、あの……シェリ……」

 何か言おうとして、ニルケはまたシェリルーに口をふさがれる。

「待ってください、シェリルー。あなたがどうしてここにいるんです」

 どうにかしてシェリルーを引き離す。だが、シェリルーは離されてもすぐ、ニルケに抱き付いて来る。そして、耳元でそっとささやいた。

「もうそんなこと、どうでもいいの。ここにいて……」

 おかしい。明らかにシェリルーの様子はいつもと違う。リンネに少しからかわれただけで赤くなってしまうような彼女が、ニルケにこんな風にせまろうとするなど、考えられない。

「シェリルー、しっかりしなさい。どうでもよくありませんよ」

 彼女に術がかけられているのかも知れない。カードやカディアンとはぐれた途端に見知った人間が現れるなど、できすぎだ。

 ニルケ達が逃げたのを見て、捕まえようと利用しているに違いない。そうなら、シェリルーの様子がおかしいのも頷ける。

「とにかくこの霧から抜け出さないと。歩けますか、シェリルー」

 ニルケが歩き出そうとした。だが、シェリルーは動こうとしない。ニルケの腕をしっかり掴んでいる。

「駄目よ、ニルケ」

「歩けないんですか」

「あなたはここにいるの」

「ここにいても、そのうち魔物に見付かります。それにカードやカディアンも捜さないと」

「いいじゃない、放っておいても。力のない魔物なんて」

「そうはいきません。それにリンネ達もこちらへ向かってるはずです」

 ニルケの言葉を無視するように、シェリルーはささやく。

「放っておいてもいいじゃないの。あの子達は来られないわ。ここには私だけがいるの。それでいいじゃない。他には誰もいないわ」

 ニルケの目の前に霧が漂う。真っ白で、見ていると何も考えられなくなってしまいそうな霧が。色があるのは、ニルケ自身とシェリルーだけ。それだけが目に入る。

 他には誰もいないわ……他には誰もいないわ……他には……

 その言葉が頭の中を回る。本当にそうだったような気がしてきた。自分とシェリルーの二人だけがいて、他には誰もいなかったのだと。

 リンネ達はいなかった。ここにはいなかった。リンネ達は……達? リンネの他に誰がいて「達」になったのだろう。リンネと……そう、ラグアードとダルウィンがここに……。あの三人はここへ向かっている!

 思い出した途端、頭の中の霧が晴れた。

「ニルケ……」

 シェリルーがまたくちづけようとしてくる。

 だが、ニルケはそんなシェリルーを引き離した。

「違う。あなたはシェリルーじゃない」

 術にかかっているのはシェリルーではなく、ニルケだ。この白い霧のせいで、感覚が鈍くなってしまっている。危うくだまされるところだった。

 でも、こうして意識すると、はっきりわかる。このシェリルーには人間の温かさがない。まるで動く人形だ。

「ここにいてほしいの」

「ニセモノと一緒にいる気はありません。ぼくは行きます」

 はっきり言い捨ててニルケは背を向け、見破られたシェリルーの幻は霧の中に溶けた。

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