妹
カディアンには、カディアーナという妹がいる。腹違いだが、彼にとってはかわいい、そして愛しい妹だ。
そのカディアーナが、グボルグという魔性にさらわれた。グボルグの花嫁として。
さらう際、カディアーナを四番目と言うのを聞いた。どうやらグボルグは複数の花嫁を集める気でいるらしい。
カディアーナがさらわれた時、たまたまその場にいたカディアンは後を追ったが、逃げられてしまう。同族に頼み、グボルグの居場所を捜してもらって、ようやく見付けた。
ジェスタ・メーシス・ポスベームの三国をまたぐ森の中に、異世界へと通じる穴があったのだ。
グボルグは、異空間に自分だけの世界を造れる力を持っているらしい。その世界で、王として君臨していた。
カディアンはすぐにカディアーナを助けるべく、その世界へと飛び込んだ。その途端、カディアンは鳥の姿から人間の姿へ、強制的に変えられた。そこへグボルグの手下である魔物達に襲われる。
もちろん、対抗した。だが、なぜかいつもの力は出せない。
グボルグはこの世界を造る時、他の魔族の力がこの世界では消えるように細工をしていた。その術の作用で、カディアンの力はなくなってしまったのだ。
一方で襲って来る魔物に力があるのは、自分の手下には力が抜ける作用が及ばないようにしているため。自分で造った世界だから、グボルグにとって都合のいいようにできているのだ。
魔力がなければ、カディアンも人間と変わらない。それで魔力のある魔物達と戦おうなど、無茶な話だった。まして、彼は単身で相手は十を超えていたのだ。
多少の魔力なら跳ね返せるはずの羽の魔力も、なくなっていた。たとえ人間の姿でも、効力はあるはずなのに。
あちこち傷付けられた頃、グボルグが五番目の女を連れて現れた。
「よくここまで来られたじゃないか。それはほめてやろう。だが、ここまでだな」
倒れたカディアンを見下し、グボルグは言った。
「ここではお前のような魔物や魔獣は全て、魔力が消えるようになっている。いくら歯向かおうと、無駄なことだ。悔しければ人間の助っ人でも連れて来るんだな。お前達のように魔力に頼って生きていないから、ここでは逆に強いかも知れんぞ」
カディアンの怒りを込めた目付きを一笑に付し、グボルグは手下に外へ放り出せと命令した。
元の世界へ戻り、どうにか魔力が戻ったおかげでカディアンは一命を取り留めた。そのままであれば、魔物達に付けられた傷によって死んでもおかしくない。
痛む傷を押さえながら、カディアンはグボルグの言葉を頭の中で繰り返していた。
人間の助っ人。こちらでは弱い人間も、あちらの世界では強いかも知れない。グボルグを除き、力の強弱が逆転する世界。
その時、カディアンの頭に浮かんだのは、シーナの森で会った少女の顔だった。
普通の人間なのに、魔性と対峙するために森へ来た、やけに印象に残る少女。
たった一度しか会っていない。だが、知っている人間と言えば、彼女だけだ。
カディアンは人間に傷付けられたこともあって、人間に対してあまりいい印象を持っていなかった。いや、はっきり言えば、大嫌いだ。魔力はないが、その分残酷な心を持った、できる限り関わりたくない生き物だ、と。
でも、あの少女は違った。彼が魔鳥とわかっていながら、全く臆せずに近付いて来たのだ。普通は離れて行くものなのに。追われても、追われないとわかっていても。
その時のカディアンはケガをしていて、彼女が近付いて来たのはそれを手当てするためだったのだが、魔族に対してそんな行為をすること自体、変わっている。
人間に対する印象が、カディアンの中で少し変わった。中には違う人間もいるのだと。
彼女は周りの者を惹き付ける何かを持っていたのかも知れない。
彼女が去ってもしばらくの間、カディアンはその少女の姿が頭の中から消えなかった。
同族、もしくは他の種族に助けを頼んでも、こちらの世界の魔族であればどんなに力が強くても自分と同じ目に遭うだけだ。
しかし、人間なら……どうにかなる、だろうか。
保証はもちろんない。グボルグが口からでまかせを言っただけ、ということもある。むしろ、その可能性の方が高い。
でも、今の状況で頼れるのは彼女しかいなかった。カディアーナを救うには、彼女の力が必要なのだ。
一度そう考えると他の考えは浮かばず、カディアンはすぐ実行に移した。
詳しい居場所は知らない。同族に頼んで捜してもらい、リンネはルエックの国にいるとわかった。ラースの街にいるらしい、と。
それがわかると、カディアンはまだ傷の残る身体で、北へ向かって飛び始めたのだ。
ラースの街を目指して二日間、休むことなく飛び続けた。
人の足で十日かかる距離を、彼らは早ければ一日足らずで行ける。その森からラースまでは十日以上かかるだろうが、彼が本気で飛べば一日でも着けるはずだった。
だが、傷を負っているカディアンでは、どんなに気が焦っても速度は知れている。そのため二日もかかってしまったのだ。ほとんど休憩なしにも関わらず。普段なら考えられない遅さだ。
かろうじてラースの街へ着いた頃には、心身共に疲れ果てていた。リンネがラースの街にいるとは聞いたが、街のどこにいるかまではわからずじまいで、そこからまた捜さなくてはならない。街の周辺にいる同族に尋ねなければ。
しかし、カディアンにはリンネ、もしくは同族を捜し回る力はもう残っていなかった。
とある屋敷の庭に立つ木が目に入り、一度だけでも休もうと思った。カディアーナのことを考えるととてもそんな気分にはなれないのだが、彼の身体はとっくに限界が来ている。
枝に止まろうとしたが、疲れで目がかすんで目標を見誤った。そのまま、不覚にも落ちてしまう。体勢を立て直す力もなくなり、その場にうずくまっていた時に人の気配を感じた。
まずい、早く隠れなければ。
山や森の中ならともかく、人間の住むエリア。しかも、今は昼間だ。自分の黒い身体ではすぐに見付かってしまう。
気持ちだけが焦った。だが、身体は言うことをきいてくれない。
そうこうするうちに現れたのは、一人の幼い少年。
それを見たカディアンは、一番よくない人間に見付かってしまったと思った。
人間の子どもというのは、大人以上にひどく残酷なことを平気でする、と聞く。人間の中でも一番悪い性質を持つのだ、と。
相手はそんな最悪の存在である子ども。普段ならともかく、今の自分の状態では、何をされても逃げられない。今以上にひどい状態になってしまえば、カディアーナを救うことはおろか、自分の命さえも危うくなる。
だが、少年はカディアンのそんな気持ちを知らず、優しく話し掛けてきた。彼が傷付いているのを知ると、心配そうな表情になる。
それでも警戒していると、少年は地面にうつぶせ、ただの鳥だと思っているカディアンと目の高さを同じにしてそっと近付いて来る。もちろん、捕まえてやろうというような目的はなく、ただ早く傷の手当てをしてあげたいという気持ちだけがあるのはわかった。
その様子を見ているうちに、カディアンはその少年が捜していた少女と似たような話し方や雰囲気を持っていることに気付く。
きっと傷のせいで弱気になっているんだ、と考えを改めようとしたが、この少年に何の邪気もないということは感じていた。
少しだけなら……ほんの少しだけなら、この少年の元で休んでもいいかも知れない、と思い始める。
少年の手が、カディアンの身体に触れた。その手は、冬の冷たい空気ですっかり冷えている。それにも関わらず助けようとしてくれる少年に、カディアンは身を任せた。
その手の冷たさが、少年の温かい気持ちを伝えていたから。
少しだけ……ほんの少しだけ、ここで休もう。
そう考えたカディアンは、傷の手当てをされて暖かい火のそばに置かれた途端、深く眠り込んでしまった。
そして、はっと気付いた時、部屋にはあの捜していた少女、リンネが現れていたのだ。
☆☆☆
「じゃ、妹を取り返すために、リンの所へ来たっての?」
話を聞いて、最初にカードが口を開いた。
「……ああ」
カディアンは静かに頷く。
話すだけ話すと、妙に落ち着いてしまった。そして、どうして自分はこんな無茶なことを頼みに来てしまったんだろう、と思い始める。
普通の人間が、たった一度会っただけの、しかも魔鳥なんかのために、わざわざ危険な所へ赴くはずがないではないか。あの時は傷を負った彼を助けてくれたが、だからと言ってまた助けてくれるとは限らない。
この前の傷は人間の猟師が放った矢が原因だったが、今回の相手は魔性。状況があまりに違いすぎる。
リンネの顔が浮かび、ひたすらここを目指した。力尽きて、たまたま落ちた所が幸いにもリンネの家だった。そして、ここへ来た理由を話したが……急に頭が冷えた気がする。
「それじゃ、すぐに行きましょ」
少し俯きかけていたカディアンは、その声の主が誰なのか、一瞬わからなかった。
「え……?」
顔を上げると、そこにはリンネの顔があった。
「え、じゃないわよ。カディアンってば、何をしにここまで来たの。カディアーナって妹さんがさらわれたんでしょ。だったら、助けに行くのが当然じゃない」
リンネは本当に、それが当然のような言い方をする。
「リン、そんな簡単に」
「難しく言っても、同じじゃない」
簡単でも難しくても、リンネの気持ちは話を聞いた時から決まっているのだ。
「困った時はお互い様でしょ」
「リンネにとっては、人も魔族も関係ないんですね」
「そう言われれば、そうかもね」
笑って応えるリンネを、カディアンは何だか信じられない気持ちで見ていた。
いきなり頼んだものの、こんな頼みは断られても当然と思っていたのに。いや、断るのが普通だ。
あまりに簡単に承諾され、カディアンはかえって戸惑ってしまう。
「リン、わかってんのか? 魔物はみんな、力がなくなるんだぞ。オレは元々そんなに力はないけど、それでもいつもの力がなくなるってんなら、どこまでリンを守れるか……」
珍しくカードが最初に反対した。カードはリンネのボディガードを自負している。それが自分の力が半減するとなれば、役目が果たせなくなるのだ。
リンネが行こうとしているのは、魔性がいる場所。間違いなく、危険な所だ。
普段は自分がそばにいて守れるから、リンネの行動に文句も言わずついて行くが、自分が守れないとなればカードとしても反対せざるをえなくなる。
「リンネ、その魔性が言うように、人間の方が強いという言葉を信じているんじゃないでしょうね」
ニルケもさりげなく止めに入る。彼としても、カードと同じく反対だ。
しかし、相手はリンネに魔除けの羽をくれた主である。あの羽のおかげで何度も助けられているし、彼の父である魔鳥にニルケ自身も(その時意識はなかったが)助けられている。今回は強く反対しにくい。
「でも、少しは信じてもいいと思わない? きっとその魔性は、カディアンが人間の助っ人を連れて来る、なんて思っていないのよ。だから、つい本当のことを言ったってことも考えられるじゃない」
「まぁ……ありえますが」
確かにできるはずがない、と思って真実を言ったということはありえる。やれるものならやってみろ、と。
「たとえ本当じゃないとしても、あたしを頼って来てくれたカディアンをこのまま帰すようなマネはしたくないもん。あたしは行くわよ。カードやニルケが反対したって」
こうまではっきり言ったリンネを止めるなんて、誰にもできない。
カードが軽くため息をつき、カディアンを軽く睨む。
「おい、カディアン。わかってるだろうけど、お前が巻き込んだんだから、お前も命がけでリンを守れよ」
「あ……ああ」
言われたカディアンは、まだあっけにとられたような表情をしている。
確かにリンネに助けを求めたのだが、こんなすぐに話がまとまるとは思いもしなかった。
まるで疑うことなく、リンネは魔性の所へ行くと言ってくれる。どんな楽観的な性格でも、こんな展開は想像もしなかった。逆にカディアンの方がこの状況を信じられないでいても、それは仕方ない。
「ねぇ、ぼくも行く」
横から同行を求める別の声。ラグアードだ。
「ラグも? ダメよ、遊びに行くんじゃないんだから」
多少なりとも遊び気分が入ってるくせに、と思ったのはニルケとカードである。
「どうして姉様だけがよくって、ぼくはダメなの? 人間がそこで強くなれるって言うんなら、ぼくだって強くなれるはずだよ」
「ラグアード、いくら強くなれると言っても、きみはまだ若すぎますよ。それに、本当に強くなれるとは限らないんですから」
「オレ、今回ばかりはリンだけで手一杯だと思うな。いつもとは状況が違うんだし、そんな所で一人増えたら、さすがに自信がないや」
ニルケもカードも、ラグアードの同行はとても賛成できない。まだ八歳の子どもを、魔物がわらわら出るとわかっている場所になど連れて行きたくない。
「姉様」
「ダメよ」
「……父様に話すよ」
弟の言葉に、リンネはしばし固まる。
もし、ラグアードがこのことを父に話したら。魔物が関わっている話に自らが乗りだしたことを知れば、きっとしばらくの間は外出禁止令が出される。
いや、しばらくどころか、ずっとかも知れない。最悪、いきなり見合いなんてさせられ、勝手に家を飛び出せないように結婚させてしまう、なんて方法までとられかねない。
今でこそ、父のラグスは娘が突然旅行に出たりするのを許してくれているが、それに魔物が絡んでいるとわかれば許可してくれるはずがない。
何にしても、外出禁止がリンネにとっては一番いやな罰だ。家の中でじっとしているのが嫌いなリンネが、それにがまんできるはずがない。
「ラグ、それってズルいわよ。……子どもの行く所じゃないのよ」
「レディが行く所でもないでしょ? 連れてってくれるなら、言わない」
姉が姉なら、弟も弟。
「ラグアード、本当に状況がわかっていますか? 旅行じゃないんですよ。命の危険にさらされるかも知れない場所へ行くんです。みんな、自分を守るのに精一杯で、きみを守れないかも知れない。それでも行きたいんですか?」
ニルケがちょっと脅しをかけるが、そんなことでひるむラグアードではない。
「うん、行きたい」
リンネは脅迫されて、もう弟を止められない。ニルケやカードが脅しても、全く意に介さない。おとなしい顔をしていて、これでなかなか頑固だったりするラグアード。
「平気だよ。ぼくだって男だもん。自分のことは自分で守れる」
どうやら今回の行程は、一人増える気配である。





