解放
カードは懸命に自分を抑えようとしていた。だが、その度に自分の身体が傷付いてゆく。
「もういいわっ。カード、もういいから」
リンネが叫んでも、カードはその場に踏ん張って動こうとしなかった。
「リンが……オレを……信じてくれた……から」
カードはもう襲って来ない。
リンネがニルケやダルウィンに言った言葉を、カードは心の奥で聞いていたのだ。それを裏切りたくない。だから、カードは身体が動かないようにするのに必死なのだ。
「けけ、信じるだってよ」
「そんなの、すぐに崩れるぜぇ」
「ロクなもんじゃねぇもんな」
飽きもせず、魔物達ははやしたてる。
「うるさいわねっ」
リンネが一喝して、少し静かになる。
座っていたリンネが急に立ち上がった。何をするのかと魔物達が見ている中、リンネはカードの方へ歩き出す。
「来るなっ、リン」
だが、リンネはカードの言葉を聞かない。動こうとしないカードの横へ来ると、カードの背中から抱き締める。
「ありがとう、カード。あたしは平気よ。ほら、こうすればあたしがカードの動きを封じられるわ」
「駄目だって……」
後ろから抱きすくめられれば、確かに動きは封じられる。だが、リンネの力くらいなら簡単に振りほどけるのだ。その衝動をカードは抑える。
苦しかった。リンネがそばに来ることで、さらに身体がリンネを襲おうとする衝動が強くなってしまう。
だが、一方では安らぎのようなものも感じていた。リンネの温かい感触がとても優しい。とても安心していられる場所にいるような。
それでも、こうしていてはいつかリンネを傷付けてしまいかねない。かろうじてある意識が消えてしまいそうになることもある。そうなったら……。
そうだ、このままだから危ないんだ。
カードは人間に姿を変えた。いつものようにスムーズにはいかなかったが、それでも姿が変わる。そのことで、カードはリンネに後ろから抱きしめられている形になった。
狼でいれば牙や爪で傷付けやすいが、人間になればそれが少しでも回避できる。リンネの腕を掴んで彼女を投げ飛ばすくらいできるが、その手を自分の脇に挟んで動かないようにすれば。
しかし、それはまたギドムの術に逆らうことになる。カードの身体に新しい傷が増えた。人の姿だと、その傷が目につきやすい。すでにあちこち傷だらけだ。
「へへー、考えたね」
「人間なら、牙はあまり鋭くないもんな」
「でも、腕があるぜ。それで首を絞めちまえ」
カードが姿を変えたのを面白がって、魔物達がまたはやす。その声で、リンネはカードが姿を変えた意味がわかった。
「カード……どうしてあたしのためにそこまでしてくれるの」
「リンは……オレを助けて……くれた。ううん、ただ……リンが好きだ……から……ぐっ」
腕から足から顔から、カードは血を流している。
まだなの、ニルケ、ダルウィン。
カードの力がこのままでは尽きてしまう。早く術を解かないと、リンネの代わりにカードが死んでしまう。
「んな顔……リンらしくない……」
涙をためたリンネの顔をちらりと見て、カードが言った。
自分のために泣いてくれる誰かがいるだけで、カードは満足だった。それが大好きなリンネであればなおさら。
もし、このまま命を落としても、リンネを傷付けずに済めば、ギドムの術に勝ったことになるのだ。悔いはない。リンネのためなら構わなかった。
「カード、勝手に死んだりしたら、許さないからねっ」
「それが……リンらしい……よな」
リンネはいつも元気でいてくれなくては。泣いてるリンネなんか、リンネじゃない。
この少女は、正当なことでも無茶なことでも元気に言ってのけてしまうのが、一番彼女らしい。
「もうすぐだ」
「こいつ、ギドムに逆らったから死ぬぞ」
「人間なんかのためによぉ」
「世の中、莫迦な魔物もいたもんだ」
一斉に魔物達が嗤う。さすがに頭にきたリンネは魔除けの石をポケットから取り出し、それを魔物達の方へ叩き付けた。
かなり甲高い悲鳴が辺りに響き、魔物達は石の力によって逃げ、さらに力の弱い者は消されてしまう。
「莫迦な魔物はあんた達の方よ」
リンネが怒鳴った直後、びくっとカードの身体が震えた。
まさか。嘘でしょ。
普通ではないものを感じたリンネは、大きな声でカードに呼び掛ける。
「カード……カード! しっかりして」
揺すりたい気持ちをリンネは抑えた。傷だらけの身体を揺すっては、出血もひどくなるし、どう考えてもよくない。
リンネが抱き締める腕の中で、カードは長い長い溜め息をついた。
「カード?」
「とけた……」
かすれた小さな声が、カードの口からもれる。
「え? とけたって……術が解けたの?」
カードがわずかに頷いた。急にリンネの腕が重くなる。今までリンネから離れようとしていたカードの身体が、もたれかかってきたのだ。
「大丈夫? 本当に術が解けたの?」
「うん……」
さっきまでとは違い、カードは穏やかな表情になっている。術をかけられたまま、こんな表情をするのは無理だろう。それに、目が完全に黒く戻っている。確かに術は解けたのだ。
一気に力が抜けたカードは、そのままリンネに身体をあずける。
「あったかいな……お袋みたいだ……」
そっとつぶやくその顔は、リンネよりもずっと幼く見えた。
「大好きよ、カード」
☆☆☆
「リンネ、無事かぁ」
遠くからダルウィンの声が響いてきた。すぐに声の主と魔法使いが現れる。
「ギドムはやったぞ。リンネ、カード、生きてるか」
「あたしは無事よ。でもカードが……ニルケ、カードを治してあげて」
言われたニルケは傷の状態を見て、治癒魔法の呪文を唱える。だが、いつもはすぐに消えるはずの傷が、今日は消えない。
「これは……ギドムの術で傷付いたものですか?」
「うん」
リンネは手短に、周りにいた魔物達が言っていたことを話した。ギドムの術に逆らうとこうなってしまうのだ、と。
「それでは傷の種類が違いますね。剣や何かならともかく、魔物の術でなったとなると、ぼくなんかの力ではすぐに治せないんですよ。せいぜい止血程度です」
相手が人間ならまだいい。でも、魔物の術で傷付いた魔物というのは、それぞれが持つ魔力などで複雑になってくるのだ。
ニルケはとにかく止血を施す。
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「手当てをして休めば、カードならそう日が経たないうちに治りますよ。しばらくは痛みで多少つらいでしょうが」
「ニルケ、まさかカードが死んじゃうことはないわよね」
「その心配はありませんよ」
力を使い果たしたらしいカードは、リンネの腕の中でいつの間にか眠っていた。
「こんな不愉快な場所はもういい。早く帰ろうぜ」
「しかし……この傷のままで移動魔法を使っていいものかどうか……」
「それなら、こうすれば済む話だ」
ダルウィンがカードをおぶる。小柄なので軽いものだ。
こうして、リンネ達はカドゥータの街へ戻った。
☆☆☆
カードが目を開けると天井が、そしてリンネの顔が見えた。
「あ、気が付いた?」
「リン……?」
しばらくリンネの顔を眺め、それからカードはガバッとはね起きた。
「いっ……」
身体のあちこちに痛みが走る。カードは顔をしかめた。
「ダメよ、カード。そんなに急に起きたりしちゃ。ゆっくり休んでなさい」
「休んでって……オレ、どうしてベッドで寝てるんだよ」
「どうしてって、ケガ人はベッドで休むものでしょ。あ、ケガ魔獣かしら」
「そ、そうじゃなくって。……オレ、今までベッドで寝たことないし」
リンネの部屋にいる時、カードは狼の姿で床の絨毯の上で寝ている。もちろん、リンネの家に来るまで、ベッドのある状況なんてなかった。だいたい、魔獣がベッドで寝るなんて聞いたことがない。
「だって、カードは人間の姿だったし、それなのにまさか床に寝かせられないじゃない」
「カード、細かいことは気にすることはありませんよ」
「そうそう。今までなかったんなら、いい経験になるだろ」
部屋にはリンネだけでなく、ニルケやダルウィンもいた。ほんのわずか、ダルウィンがなぜここにいるのかと思ったカードだったが、すぐに思い出す。あの洞窟の中でも、彼はあそこにいた。きっとまた首を突っ込んだのだと納得する。
「けど、何だか落ち着かないよ。やっぱりいいや」
さっさと起き上がると、カードはベッドを降りた。リンネが持って来てくれた服をささっとはおる。
「カードったら……。痛くないの?」
リンネにすれば、ニルケの治癒魔法でも治らなかった傷が心配だ。全身に傷があるので、包帯だらけ。服を着てもいないのに、肌の見える部分が少ない。
「動けばちょっとね。けど、慣れない場所で寝るよりずっといい」
やっぱりカードは、人間とは少し違うんだ。
妙に感心するリンネ。また、そのことで改めて思う。
人間ではないのに、魔獣なのに、彼は一生懸命に……命をかけてリンネを守ろうとしてくれたのだ、と。
「だけど、休んでないと傷が治らないわよ。その格好でラースへ帰るつもり?」
「黙ってれば……あ、ちょっと無理かな。顔にバンソーコが貼ってあるし」
「ダルウィン、その黙っていれば、という発想がリンネに似てると思うんですが」
時々、ニルケは思ってしまう。リンネとダルウィンの考え方が似ている、と。さらにはカードも。一緒に行動しているからそうなってくるのだろうか。それとも似た者同士が集まってしまったのか。
「ダルウィン、この場合は黙ってるよりも、ごまかす方がいいわよ」
「リンネ、何を調子にのってるんですか」
「けどさ、ニルケ。やっぱりごまかすしかないぜ。オレのこんな格好じゃ、何があったのかって絶対に言われる」
カードの言うことももっともだ。街には傷が治るまで出ないでいれば済むが、一緒に住んでいるエクサール夫妻やラグアードにはそうもいかない。
「ちょっと手強い相手とケンカしたっていうのはどう? 魔物がどうのって話したりしたら、母様なんて卒倒しかねないわ」
「んー、オレとしてはちょっと不満が残るけど、仕方ないか」
「今回はリンネの案がよさそうですね」
ラースの街へ戻ってから、わざわざ魔物の話はしない方がいい。
「んじゃ、決まり。どうしたんだって言われたら、そういうことで」
「誰に尋ねられても、みんなの話すことが同じでないといけないわよね。口裏を合わせないと」
そういうことにはしっかり頭が回るリンネである。
「まぁ、オレの傷がさっさと治ればいいんだよな」
カードがお気楽にそんなことを言い、三人が驚いた表情を浮かべる。
「そんなことができるのっ。それじゃ、最初からそうすれば」
「カード、自分で傷を治せるんですか?」
「そんな力があるなんて初耳だぞ」
カードが自分で治癒できれば、ケガのことをごまかすなんて話もしなくて済む。
「へ? んなの、ある訳ないじゃん。人間よりは早く治るけどさ」
「それじゃ、さっきの言葉は何よ。さっさと治ればって」
「だから、治るように仕向ければいいんだろってこと」
誰もが首を傾げた。
「オレの場合は、一つしかないだろ」
それを聞いて、三人はようやくわかったような気がした。
「メシだろ、カード」
「なるほど。食事をすれば、それがカードにとって薬になりますね」
「あは、あたし達としたことが、すっかりそのことを忘れてたわね」
リンネはカードの腕に自分の手を絡めた。
「じゃ、行きましょうか。お薬の時間ですよ」
「こういう薬なら、大歓迎」
カードは傷のことなどすっかり忘れたように、リンネと一緒に部屋を出て行く。
ふたりの後ろ姿をニルケとダルウィンは笑みを浮かべて見ていたが、彼らもその後をついて部屋を出て行った。





