ゴイルの術
「一体、どういう術をされるのです? それにこの女性達は……ダァリィまで連れて来て、何をされるつもりですか」
わかってはいるが、ニルケはとりあえず最後まで知らないふりをしていることにしていた。
「お前は実に都合のいい時に、都合のいい女を連れて来てくれた。私の術に必要な女を」
「まさか、邪な術を……黒魔術をなさるつもりでは」
計画を知らなくても、こういう状態になれば想像がつく。わからないふりをするのも大変だ。
ゴイルは答えず、意味ありげな笑いを浮かべるだけ。
そして、ゴイルは呪文を唱え出した。低い声で、術の言葉を連ねる。
ニルケはその様子を注意深く見守った。普通の魔法とは呪文が違う。ゴイルは確かに黒魔術を行っているのだ。
やがて呪文が終わり、魔方陣の中に音もなく大きな扉が浮かび上がる。重そうな黒の二枚扉だ。鉄のようにも見えるが、魔方陣の中から鉄の扉が現れるとは思えない。
ただそこに存る、というだけで周りの空気が変わった。その扉同様に、空気がずしりと重みを持ったように感じるのだ。
「何をなさるおつもりですか。これは……もしかして魔界の扉ではないのですか?」
「よくわかったな。その通りだ。これは魔界へ通じる扉。この向こうに、こちらとは異なる世界がある」
ゴイルがにたりと嗤った。
「何てことを。これが開けば、この世界は無事ではすみません。それがわかってらっしゃるのですかっ。私はこんなものが見たくて、ここまでついて来たのではありません」
ニルケは怒ったふりをした。見習い魔法使いの立場ならきっとこう言うだろう、と思う言葉を並べて。
「そうわめくな。何もこの世界を滅ぼそうというのではない。誰かを殺そうという気もないのだ。この扉が開いても、あちらの住人がここへ現れることはないから安心しろ」
「しかし……」
「バグ、女達をこちらへ」
ゴイルはまだ何か言いたげなニルケを無視し、バグに命令した。バグはおとなしく、女三人を扉の方へと連れて行く。
「彼女達に何をさせるおつもりですか」
「あの扉は女にしか開けられん。だから手伝ってもらう。それだけだ」
それだけではないくせに、ゴイルはしゃあしゃあと言う。
三人が重々しい扉を押した。だが、扉はいつまで経っても開けられない。
「何をしている。さっさとしないか」
ゴイルの声に少し苛立ちが混じる。
「ゴイル様。扉が開きません」
バグが報告し、ゴイルの顔色が少し変わる。
「そんなはずはないだろう。バグ、お前、処女ではない女を連れてきたのではないだろうな」
「いえ、わしは確かに……」
ゴイルは扉のそばにいる女達へと足早に近付く。
「おい、本気で開けようとしているのか。お前達三人でなら開くはずだ。もっと力を込めて押せ」
ゴイルが一人の肩を軽くついた。と、つかれた方はグラリと身体を傾け、そのまま倒れてしまう。
「どうした? ……バグ、ちゃんと食事は与えておいたのだろうな」
倒れた女を見下ろしながら、バグを問い詰める。女を起こそうともしない。口ばかりだ。
「は、はい、それはちゃんと……。あの、もしもし?」
バグは倒れたまま動かない女を揺する。それから、バグはギョッとしたような顔になってゴイルを見た。
「ゴ、ゴイル様、息をしていません」
「な、何? 死ぬのはまだ早いぞ。やるべきことを全てやってからだ」
勝手な言いぐさである。
「おい、ここまで歩いて来たのに、なぜこんな……」
ゴイルはようやくしゃがみ込み、倒れた女の顔を覗いた。目は開いているが、そこには無表情な顔がある。自分の屋敷にいる使い魔達と同じように、無表情な顔が。
しかし、それは生きている者の顔ではない。人形だ。見ているうちに、子どものおもちゃのようなサイズに縮んでゆく。
「なっ……人形? どういうことだ。人形が歩いていたのか。まさか」
ゴイルはもう一人の女の肩を掴んだ。その場に立ってはいるが、やはり無表情。これも人形だ。
「誰が一体……」
最後に残った一人の、ニルケが連れて来たダァリィとかいった女の方を見る。彼女はベールをかぶっているので目だけしかわからないが、これは人形の目ではない。
だが、この状況に戸惑うといった様子はなかった。ここはもっと不安そうな表情が浮かんでもおかしくないはずなのに。
ゴイルは急にそのベールが気になった。
手を伸ばしてベールをはぎ取ろうとする。ダァリィは後ろへ引いて逃げようとするが、ベールの端がすでにゴイルの手に掴まれ、取られてしまう。
「あーあ、とうとう取られた。まぁ、そろそろ自分で取ってもいい頃だとは思ってたけどな」
顔はどこか中性的だが、声は間違いなく男の声だ。
「お前、男だったのかっ。ニルケ、どういうことだ。お前は昨日、こいつは女だと言ったではないか」
「はい、嘘をつきました」
あまりにもあっさりした返事をされ、ゴイルは一瞬、ぽかんとなった。
「もう知らないふりはいいですね。ずっとわかっていたんですよ、あなたがやろうとすることは。目的ははっきり知りませんが、この世界をひっくり返すとか、自分のやりたいようにやるとか、そういうことでしょう? それはともかく、自分の欲望のために女性を生け贄にするのはどうでしょうね。ぼくは反対なので、邪魔をさせてもらいました」
「最初から……知っていただと?」
「正確には、バグがあなたの命令を受け、ある女性をさらってからです。その人はぼく達の身内なので、放っておけませんでしたから。ここまで捜しに来て、あなたのことを知りました。ちなみに彼女達は、あなたが屋敷へ戻る前に逃げています。どこにいるかはぼくも知りませんが」
すぐそこにいると知ったら、ニルケはどんな顔をするかしら。
ニルケの言葉を聞いて、そんなことを思うリンネである。
「ここにあんたの味方は一人もいないぜ。まぁ、あんな使い魔がいくらいたって、こいつにはかなわなかったみたいだし、役には立たないだろうけどな」
目元の化粧はともかく、気分はすっかり男性に戻ったダルウィンがカードの肩を叩く。
「あいつら、一つの部屋で仲よく寝てるぜ。今頃は起きて騒いでるかも知れないけどさ」
「お前達、グルだったのか」
「ついでに言えば、バグもオレ達の方へ引き込んだからな。だいたい、人間が魔物を飼い慣らせる訳がないだろ。そんなことしたって、いつか逆に喰ってやるって思われるのが関の山だ。覚えとけ」
カードが舌を出してイーッとする。
「バグもだと? ふん……お前のような奴が私に逆らおうなどとは、よく思えたものだな」
蔑んだ視線をバグへ向けるゴイル。冷たい視線に、バグはびくっとなった。
「も、もうたくさんだ。あんたに脅されて、いやなことをさせられるのは。わしはあんたに何も悪いことはしてない。なのに、あんたはわしを脅し、こき使った。もうそばにいたくない」
震える声で、それでもバグは必死に言い放った。
「それで? お前達は私をどうするつもりだ?」
大して興味もなさそうに、ゴイルは問い掛けた。
「決まってんだろ。二度とこんなことを考えないようにするんだ。下らないことをしでかさないように」
好戦的な目付きでカードが答えた。
「ふん……ザコがいくら集まっても、ザコに変わりはない」
ゴイルの目が静かな怒りの色に満ちる。大切な魔術の邪魔をした者達への怒りだ。邪魔をする者には死あるのみ。
「殺生に興味はないが、今はそうも言ってられないようだからな」
奴等を葬り、もう一度やり直さねばならない。あんな下級の魔物に用を言い付けたのが間違いだった。妙な奴らを後ろ盾にして強くなった気でいるのだろうが、そうはいかない。お前のような奴でも、裏切りにはそれなりの罰を与えてやる。この邪魔者達を始末したらゆっくりといたぶってやるから待っているがいい。
ゴイルの目を見て、ダルウィンが服の下に隠し持っていた剣を抜いた。相手が魔法使いでも、呪文を唱えられる前に刃先を向ければ動きを止められるはず。
「お前は……今は魔法の気配がしていないな。昨日はニルケの魔法でゴマかしていたのか? まぁ、どうでもいい」
ダルウィンはもうカディアンの羽を持っていない。リンネの元にある。だから、魔法の気配がしないのだ。ゴイルは鋭い。
「ではまず、ただの人間のお前から死ねっ」
呪文も何もない。ゴイルが腕を突き出し、手の平をこちらへ向けた途端に火が吹き出し、ダルウィンを襲った。
☆☆☆
かなり近くまでリンネ達は近付いていた。なので、魔方陣を囲んだ彼らの会話もよく聞こえている。
ダルウィンが男だと気付いたゴイルの顔を見て、いい気味だわ、と軽く拳を握った。
明らかに術は失敗。これからゴイルはどうするつもりだろう、と思いながら、リンネはなりゆきを見守っていた。
まぁ、どうでもいい。
夜の空気よりも冷たく感じる声を聞いた時、リンネは背筋が寒くなった。
何かいやなことが起こりそうな気がする。
直感だった。それだけがリンネを突き動かし、ゴイルが腕を上げようとする直前に走り出していた。
ダルウィンへ向かって。それに気付いたシェリルーが止める間もなく。
炎がダルウィンを包もうとするのと、リンネが彼に体当たりするように抱き付いたのはほぼ同時だった。
ゴイルの放った炎はダルウィンからそれて、燃やす物もないまま消えてしまう。
「リ、リンネ?」
何かが自分にぶつかって来た。炎が目の前に迫ったのは見ていたが、身体に当たったのは炎にしてはやけにしっかりした感触のもの。
炎が消えて残っているのは、自分に抱き付いているリンネ。ダルウィンが驚くのも無理はなかった。もちろん、リンネの存在に気付いたニルケとカードも。
「どうしてこんなに所にいるんだよ」
「あとをついて来たの」
「ああ、そうだろうな。でなきゃ、ここにいるはずないもんな。信じろって言ったのに、信じられなかったのか」
危なかった場面に逃がしたはずの少女が現れ、さすがにダルウィンも怒っている。
「信じてるわよ。だけど、静かに待ってろとは言わなかったじゃない」
「全く、口がよく回るお嬢さんだな」
「あなたまでニルケみたいに、お嬢さんらしくしなさいって言うの」
「ああ、今は言いたい気分だね」
言い争っていると、また炎が二人を襲う。
「二人共、口ゲンカしている場合じゃありませんよ」
何度も炎が襲ってくる。ゴイルがヤケになったように火の魔法を使っているのだ。
「なぜだっ。なぜ焼かれないんだ、お前達は」
ゴイルはダルウィンが普通の人間だと思い、最初に攻撃したのだ。まずは簡単な所から処理していこうと。
なのに、相手は無事でいる。
ようやく、いきなり現れた少女が炎を避けているのだと気付いた。
「お前は……そうか、お前が生け贄になるはずだった女か」
だが、そんなことはもうどうでもよかった。こうなったらここにいる者全員を始末してやる。生け贄など、代わりはすぐに探せる。
ゴイルが四方に氷のつぶてを放った。すさまじいスピードで飛んでくる。ニルケはシールドを張り、カードは柱の陰に隠れ、ダルウィンはリンネを連れて木の後ろへ避難した。
わずかに氷のつぶてが途絶えた隙に、ニルケが風の攻撃魔法を仕掛けるが、ゴイルはすぐに回避する。逆に自分を狙ってきた風の刃の方向を変え、さらに速度を増してニルケを襲わせる。疾風がニルケの腕の皮膚をかすめた。
「ニルケ!」
リンネと同じように出ようとして、ゴイルの出す炎や氷のつぶてに遮られてしまったシェリルーが叫んだ。
運動神経の差か、経験の差か。力に大差はないものの、ゴイルの動きはニルケよりわずかに速い。その分、ゴイルの方が優勢になるのだ。
シェリルーの方にちらりと視線を向けたゴイルは、迷わずシェリルーの方に氷のつぶてを放とうとした。それを狼になったカードがゴイルに飛び掛かって食い止める。
「ええいっ、邪魔だっ」
強い風を起こし、ゴイルはカードの身体を吹き飛ばした。軽々と飛ばされたカードの身体は空中ではバランスがうまくとれず、大理石の柱にぶつかった。そのまま落下するところを、バグが下で受け止める。
「だ、大丈夫かい、カード」
「てて……脇腹打っちゃった。でも、生きてる。ありがと」
カードはぶつかる勢いを何とか殺していたので、最小限のダメージで済んでいた。
「シェリルー、早く逃げなさいっ」
ゴイルがシェリルーを狙っていたのを見て、ニルケも怒鳴った。シェリルーは慌てて木の陰に隠れる。
「お前達、本気で私を捕まえようとでも思っていたのか? そんな実力もないくせに? 笑わせてくれる」
冷たい目をした魔法使いは、笑う声も冷たかった。
その言い方にかちんときたリンネは、木の陰から出て来るとゴイルを睨み付けた。
「何よ、実力もないくせにって言うけど、あんただってそうじゃない。魔王に頼んで魔力をもらおう、なんて考えてるくせに」
「……もう一度言ってみろ」
魔法使いの目が、さらに冷たさを増す。
「いっくらでも言ってやるわよ」
相手が魔性であろうとも衰えない、リンネの口が回り出す。
「魔力をもらおうってことは、自分の実力に自信がないからだわ。あれば、わざわざ魔王に魔力をもらおうなんてこと、考えたりしないわよ。世界をひっくり返すか何か知らないけど、それがしたければ魔王なんておかしなものに頼らないで、自分の力だけでやってみたらどうなのよ。それができもしないくせに、他人に実力がないなんて偉そうな口がきけるの? そっちの方が笑っちゃうわね」
「……口の減らない女だ。弱い犬程よく吠えると言うが、そのクチのようだな」
ゴイルは明らかに不愉快そうだ。
「ええ、あたしは弱いわ。認める。でも、あんたよりは強いわよ。あんたは自分の実力がないことを認めようとしないもの。認めたくないのよ。それは弱さだわ。バグも弱いけど勇気を出して、もうそばにいたくないってちゃんと言えた。あんたは本当は強くない。莫迦にしていたバグよりも弱いのよ」
「黙れっ!」
怒鳴られても、リンネの口は止まらない。
「弱い奴ほど、真実を告げられたら怒鳴ってやめさそうとするんだわ」
「やかましいっ」
さっきよりも大きく鋭い氷のつぶてが飛ぶ。まるで氷の剣が何本も飛んでいるみたいだ。リンネは羽のおかげで守られ、飛んできた氷の剣はリンネの後ろに立つ木に刺さり、張りの山のようになる。
ニルケが隙をついて火の魔法を使う。が、腕を傷付けられ、少し魔法力が落ちていた。ゴイルは水を出して簡単にその炎を打ち消す。辺りにうっすらと霧が漂ってきた。
それを見ていたダルウィンが、リンネに話し掛ける。
「リンネ、羽を貸してくれ。そしてここからシェリルーと一緒に早く離れるんだ。あいつの魔法さえまともにかぶらなきゃ、俺が剣でどうにかしてやる」
リンネはすぐに、自分の服に着けていた羽をダルウィンに渡した。
「でも、逃げないわよ」
「頼むから、少しは言うことを聞いてくれ」
「悪いけど、いや。あなた達ばかり戦わせて逃げるなんて、あたしの一番やりたくないことだもん」
「それはわかってるけどさ……。さっき自分が弱いと認めるって言ったよな。それなら、ここにいるべきじゃないってことをわかってくれないか?」
ダルウィンもなだめたりすかしたり、大変だ。
「……おとなしくしてる。羽もあって、剣の腕もあるんだもん、ダルウィンが何とかしてくれるでしょ?」
どう言っても、リンネは逃げる気はなさそうだ。
「わかったよ。見掛けに似合わず、本当に強情っ張りだな。そこもいいんだけどさ」
何でもないような動作で、ダルウィンはリンネの額にキスをした。
ええっ?
「本当におとなしくしていてくれよ」
リンネが何をされたか把握する前に、ダルウィンは木の影から出て行った。
その後で、リンネは顔に血が上ってくるのをはっきり感じた。





