災い
グーリがターロ村に現れて間もない頃。
ある家庭に子どもが生まれた。家族が喜び、祝っている時に、グーリがやって来る。
自分が子どもの名前を決めてやろう、と言うのである。神が授けて下さった名前を。
だが、その家族には大じいさん、生まれた子にとってはひいじいさんがいて、彼が名前を付けることになっていた。生まれる前から、子どもの名前はすでに決まっていたのだ。
するとグーリは「おかしな名前をつけると、家族の誰かに災いが起こる」と告げて帰って行った。まだ彼のことはよくわかっていない状態であったので、何だあいつは、と思いつつ誰も気にしなかった。
だが、名前が決まった次の日、大じいさんの目が次第に悪くなり、一時は全く見えなくなってしまう。年のせいというには、あまりに急激な変化だった。子どもは元気に育っているが、今でも彼の目は完全にはよくならない。
別の年。
夏の終わりにいつも来る嵐は今年は来ない、とグーリが予言した。今まで嵐のない年はなかったために村人は疑ったが、もうそれまでに色々な予言が当たっているので、頭から疑う人はいなかった。
それでも、家を多少なりとも補強する人がいて、通り掛かったグーリが家を直している人を見付ける。すると、グーリは居丈高に言った。
「神の言葉を信じないのか。そんなことでは、災いが起きるぞ」
彼は元々屋根が壊れかけていたので、直していただけだ。もっとも、心の隅では嵐が来た時のために、というのもあった。嵐が来ないはずがない、と。
毎年、大小に関わらず嵐は来る。それが今年に限って来ないなんて、信じられなかった。
しかし、グーリが去り、大工仕事に戻った彼は、足をすべらせて屋根から落ち、ケガをしてしまった。
さらにはその二日後、嵐が村を襲ったのである。しかも、これまでになく大きな嵐だった。
村人は嵐に備えて何もしていなかったので、大きな被害をこうむってしまう。村人は抗議をしにグーリの家へ向かった。
「信じない者がいたので、神がお怒りになったのだ。不心得者がいたためだ。恨むのなら、信じなかった者を恨め」
グーリはそう言ってのけたのだ。自分のせいではなく、村人のせいだ、と。
別の件では、結婚を約束した二人がいた。双方の家族も彼らを祝福し、じき結婚式という時、グーリが二人を占ってとんでもないことを言ったのである。
「夫婦になると、不幸になる。よくないことが起こる。やめた方がいい」
幸せな生活に踏み出そうとしている二人に、この言葉はとても重くのしかかった。しかし、どうしても離れられない二人は、その占いにも関わらず一緒になった。
彼らは幸せな日々を送っているのだが、流産が続いてしまう。今度こそはようやく安定して落ち着いたと思ったが、どうも早産になりそうで、家族は今もずっと気が抜けないでいた。
ある村人は、グーリからある皿を神に差し出すように言われる。これをずっと持っていると災いが起こるから、と。その皿はミカトの街へ行った時に買い求めた美しい飾り皿で、その人が気に入ってずっと大切にしていたものだ。いきなりそんなことを言われても、すぐに渡せるはずがない。
だが、やがて彼はグーリの言う通り病気になってしまった。心配した妻が皿を持ってグーリの所へ行くと、彼の病気は次第に治っていったのである。
これはあくまでも一例。
他にもグーリは多くの予言をし、彼がこうせよと告げたことをしなければ、必ず何か悪いことが起きるのだった。
☆☆☆
「ずいぶんと厳しい神様だな。言うことを少しでも聞かないと、すぐにおしおきか」
村長からこれまでのグーリの話を聞いて、ダルウィンはさらに神の使いらしからぬ、ことのなりゆきを感じた。
普通、神様というのは人間に何か教えたとして、でも人間が過ちをおかしてしまっても、寛大な心で許すものではないだろうか。もちろん、それにも限度があるのだろうが、教えたことをやらなければすぐに災い、などというのは行き過ぎに感じる。
それは人間側の意見だ、と言われたらそれまでなのだが。
「……本当はわしらとしても、グーリを完全に信用はできないと思っています。しかし、現実に神の言葉を守らなければ災いがくる。神の天罰としか思えない」
オーグが小声で告白した。
グーリの人柄では、人々を惹き付けるものに欠ける。だが、起こると言われたことは本当に起こるのだから、信じるしかない。
「俺は神を信じない。まぁ、苦しい時の神頼みはたまにするけどさ。魔物を倒す力がある、なんて言われたけど、俺の命の保証はしてもらってない。やるのも危険、やらなきゃ災いがって言われたって、どっちも嬉しくないからな。死ぬ確率の低い方を選ぶよ」
ダルウィンは立ち上がった。話は終わったようだし、ここに長居することもない。時間がずいぶん経ってしまって、もう夕暮れの域に入っている。宿に入ってゆっくりしたい。
「どうしても……駄目ですか」
「もっと命知らずな奴に頼んでもらえないかな。もしくは、明日の『災い』次第では、気持ちが変わるかも」
下らない冗談を言って、村長の家を出た。外には、村人ががっかりした顔でダルウィンを見る。中には恨めしげに。
こういうのって、あまりいい気分じゃないなぁ。
少し息がつまりそうな感覚を覚えながら、ダルウィンは村の宿屋へ向かう。
その彼の後を、小さな男の子が追って来た。
「お兄ちゃん、男だろっ」
顔を赤くし、拳を強く握ってダルウィンを見上げる。
「ああ、そうだ。こんな女がいたら、ちょっといやだよな」
「じゃ、魔物を退治してくれよ」
必死に訴えかける。ここにリンネがいたりしたら「まかせなさいっ」などと言って請け負うのだろう。
初めて会った時、頼まれもしないのに盗賊退治をしようと思い立つあの少女のこと、こんなに一生懸命な顔で言われれば二つ返事で引き受ける。それをニルケが横で、溜め息をつきながら眺めて。
だが、ダルウィンはリンネじゃない。そう簡単に返事はしなかった。
それに、彼には彼なりに少し考えたいことがある。とにかく、今は返事ができない。
「坊主が大きくなったら、退治してやりな」
ダルウィンは男の子の頭を軽くポンとたたくと、宿屋へ向かった。
☆☆☆
食事も済ませ、ダルウィンは部屋で身体を休ませながら考えていた。
もちろん、この村へ入ってから聞いた話のことだ。
オーグ村長も話しながら、どこか納得しきれてない様子が見え隠れしていた。
信用できない、と小声で告白していたし、きっと彼にも似たようなことがあったのだろう。何か言われてそれを守らないでいると、よくないことが起こる、ということが。
しかし、どう考えても全ての話がグーリにとって都合よく運ばれているように思える。加えて本人のあの態度。
仮にもダルウィンが救いの英雄だと言うのなら、もっと持ち上げそうなもの。別におべんちゃらを期待しているのではないが、なぜ占った人間の方が偉そうなのだ。
そして、断れば脅しをかけてくる。あれが神の使いのすることだろうか。神の使いがあんな態度でいいとはとても思えない。
よくグーリに天罰が下らないものだ。もしそう言えば「わしの行動は神の行動だ」とでも言うのだろう。
占いをして、こうした方がいい、と言うのはわかる。そうすることで、運が開けたり、ものごとがいいように進む……というのが一般的な話だ。
だが、しなければ必ず「悪いこと」が起きてしまうのはなぜだろう。
村長に聞いた話はほんの一部でしかないようだが、それでも突き詰めてゆくとおかしい部分がいくらでもある。
例えば、子どもの名前をつけたひいじいさんが突然目を悪くしたこと。
子どもに名前をつけた人が目を悪くするなんて、聞いたことがない。なぜ、その人にだけそういうことが起きたのか。
名前がよくないのであれば、名前を付けられた子どもに災いが起きそうなものだが、なぜひいじいさんに起きたのだろう。
器を差し出せと言われ、出さなかったために病気になった村人。なぜ、それまで手元にあっても病気にならず、グーリに言われた途端になったのか。
嵐が来る来ないを信じないだけで、ケガをしてしまうものだろうか。嵐はターロ村の人間の気持ち一つで、来るか来ないかを決める訳ではあるまい。
子どものできない夫婦というのは世の中にもあるから、これだけは突き詰めようもない。だが、神の使いを自称するなら、どうして助けてやろうとはしないのだろう。神の使いは人を脅すのが仕事ではないはずだ。
あのグーリという神使は、魔術を使えると言う。それなら、彼が自分の都合にいいように細工している、と考えるのに無理は感じられない。
どちらかと言えば、ダルウィンにはそうとしか思えなかった。
どんなやり方で占いをしているのか知らないが、それを信じてもらえなかった時、その不信心者をこらしめるためにグーリ自身が「災い」を起こしているのではないか。
単純な人間なら、あの方は本当のことを言っている、とすぐに信じるだろう。でも、ダルウィンはそこまで簡単に信じる気はなかった。
もし、ダルウィンの考えが正しければ、災いは「災い」ではなく「呪い」になってしまう。村人の中で、こんなことを考える者はいるのだろうか。オーグ村長のように、疑いながらもやはり天罰が本当にあるのだ、と思ってしまっているのだろうか。
こういう小さな村は、情報が少ない。素朴で、すぐに信じてしまう人が多い。騙そうと思う人間が来れば、格好の餌食だ。
とにかく、「災い」にしろ「呪い」にしろ、ダルウィンが魔物退治を断ったから彼にもそれが降りかかってくるはず。災いなら自分の注意で回避できることもあるが、呪いとなるとそうはいかない。魔法使いではない彼に、呪いを弾き返す力などはないのだ。
構わないと言ったものの、本当にこの手が血に染まるのは気分のいいものじゃない。
「これが弾いてくれるといいんだけどな」
ダルウィンは荷物の中から、黒い羽を一本出した。
つい最近、オオワシの魔鳥カディアンからもらった羽だ。シーナの街のそばにある森でケガをした彼を見付け、リンネと一緒に手当てをした。その礼のつもりで彼はこの羽をくれたのだ。
これにはカディアンの魔力が宿っているらしく、多少の魔法は跳ね返せる。効果の程は体験済みだ。
ただ、呪いに効果があるかは何とも言えない。それでも、力が弱っていたとはいえ、魔性の魔力を跳ね返したこともある羽だ。本当にグーリが呪いをかけているのだとしても、人間の力くらいならどうにかしてくれるだろう。
真っ黒で光沢のある、きれいな羽。服に差していても、飾りのように見える。怪しまれることはない。
「頼むぜ、カディアン」
羽に頼んでいると、部屋の扉が叩かれる音がした。ダルウィンがどうぞと応えると、静かに扉が開いて少女が入って来る。
「夜分に申し訳ありません」
きれいな少女だった。まっすぐな長い黒髪が歩く度にふわりと揺れる。大きな緑の瞳。十六、七というところか。顔はまだどことなく幼さが残っているが、身体は充分に大人らしく、細くてしなやかだ。
おいおい、まさか色仕掛けで承知させようってつもりじゃないだろうな。
こんな夜に、少女が一人だけで男の部屋へ入って来る。
これまでの経過が経過だけに、ダルウィンがそんな風に考えても仕方がない。
村人達が切羽詰まり、こんな少女を犠牲にしてまで村を救いたいと思っているのか、と。
「ダルウィン様、勝手だと知りつつお願いに参りました」
だが、どうもそうではないらしかった。少女は何もやましい気持ちは持たず、本気で彼に頼みに来たようだ。
「様はいらない。俺はそんなに偉い男じゃないんだから。きみは?」
「マーナと言います。今日、村長からお話は聞いていただいたと思いますが」
「魔物退治の話か」
「お断りになったと聞きました。通り掛かられただけの方に、こんな無茶なことをお願いするのはよくないとわかっています。でも、あなたは魔物を退治できる方だと、グーリ神使もおっしゃっています。私もできる限り、祈り続けますからどうか……」
「祈る?」
マーナについての話は、ダルウィンも聞いていなかった。
少女の話によると、ダルウィンが山で魔物と戦っている間、マーナはグーリと共に彼が勝つよう、神に祈りを捧げる巫女に選ばれたらしい。そして、その一生を神に捧げることになるのだと言う。
「巫女はきみだけ?」
「はい」
「断らないのか? 一生を捧げるってことは、今後好きなこともできないで、結婚もしないでずっと神に祈ってるってことなんだろ」
マーナはつらそうに俯いた。
「仕方がないんです。私が巫女にならなければ、今よりさらに強大な魔物が現れると神使が予言されたから……。私一人のために村がなくなるなんて、いやです。私が家族や村を救えるのなら」
「立派な心掛けだな。でも、本当はいやなんだろう」
ダルウィンははっきり聞いた。
「予言をされた後で、神使が私だけを呼ばれました。その時に、私が断れば、魔物の最初の餌食になるのはエドだと言われて……」
「それは……きみの恋人?」
マーナは頷いた。
他の場合と同じだな。言うことを聞かなければ、というパターン。ってことは……おい、待てよ。その魔物ってのも、もしかしたらあの神使の仕業じゃ……。
「神使はきみに優しくしてくれる?」
いきなりそんなことを尋ねられ、マーナはきょとんとしたが、小さく頷いた。
「道で会う時など、よく声をかけてくださいます。でも……」
「でも、何?」
「弟には見向きもなさらないんです。あの子が挨拶しても、聞こえてないみたいに」
もう半分以上、真相がわかったようなものだ。
グーリはこのマーナを狙っている。手に入れるために、こんな騒ぎを起こしたのだ。
魔術なら、魔物を作り出すことも可能なはず。ダルウィンはグーリの思惑に利用されているのだ。
村人の中で魔物退治の英雄を出してしまうと、そちらにばかりスポットがいってしまうが、通り掛かりの旅人ならことが済めば消えてしまう。村を救う予言をしてくれたということで、グーリは今以上に崇められるだろう。
さらには、マーナが堂々と手に入る。グーリにすれば、いいことずくめ。
偶然この村へ来る最初の人間が、ダルウィンだったというだけだ。しかし、彼が素直に動いてくれないようなので、いつものように脅しをかけたといったところか。
ダルウィンが魔物退治に出てくれなければ、グーリの予言は外れてしまうことになる。それでは困るから、脅して動かしてやろうという魂胆なのだ。
やれやれ、女の一人くらい、自分の口でしっかり口説いて手に入れろよ。村人全員と、全く関係のない俺まで巻き込みやがって。ってか、じいさんと孫くらいの年齢差だろ。何を考えてんだ。愛に年齢差は関係ないなんて言うけど、それは相思相愛の時だけだぞ。
しかし、このことを教えたところで村人は信じないだろう。いや、信じても後の「災い」が恐ろしいから、グーリの言いなりになってしまうだけ。
「恋人が死ぬなんて言われたら、やるしかないか。だが、俺はせいぜい手が血に染まるって程度で済むらしい。その染まり方を見て、どうするか決めるよ。悪いが、今すぐには返事できない」
オーグ村長に言ったことと同じ言葉を、マーナにも向ける。
「私達を助ける義理はない、というのはわかっています。でも、どうかお願いします」
涙をためながら、マーナはダルウィンに必死に頼む。
「グーリの……神使の所へはいつ行くんだ?」
「あなたが魔物退治へ行かれる時に、と」
「じゃ、少なくとも明日は行かなくていい。それと、なるべくグーリと顔を合わさない方がいいな」
「ど、どうしてですか?」
「理由は聞かないでくれ。あ、人にも言うなよ。とにかく、俺は魔物退治はやりたくない、と言っておく。……若い娘さんが男の部屋にいるのは、あんまりよくないよなぁ」
さりげなく帰れと言ってみる。
マーナは沈んだ顔で、部屋を出て行った。





