意外なつながり
カードの背中の傷は消えなかったが、ダルウィンの手のしびれの方はディボスが消えたと同時になくなった。
「ニルケ!」
今度こそ敵はいなくなり、リンネはもう一度ニルケのそばへ走る。
「死んだりしたら、許さないからね」
およそ青白い顔をしたケガ人に言うセリフではない。
「リンネに言われては、簡単にあの世へ行けそうにないですね」
苦笑しながらそう言うと、ニルケは目を閉じる。
「ニルケ? やだ、ニルケ、今許さないって言ったばかりでしょ」
今にも掴み掛からんばかりになったリンネを、ダルウィンが止める。
「死んでないよ、リンネ。ディボスがいなくなって、気が抜けたんだろう」
言われてみれば、かすかに息はしている。一瞬、本当に命の火が消えてしまったのかと思ったリンネは、心から安堵した。
ダルウィンが床に寝かすよりは、と言ってカードと一緒にニルケをソファへ運んだ。
「これからどうしよう。どうやってニルケを連れて帰ればいい?」
まさかおぶって歩く訳にはいかない。この森から街までは遠すぎる。馬はこの森へ入る前に預けてしまっているし、ニルケがこの状態なので移動魔法も使えない。
「ねぇ、あなたも魔法使い?」
ニルケをかばってくれていたシェリルーに、リンネが尋ねた。
「ええ。でも……私は腕が悪いし、移動魔法なんて高等技術はできないわ」
リンネの言いたいことはわかるのだが、残念ながらシェリルーにはそれに応えられる程の力がない。
「ここまでの距離、結構あったからなぁ」
捜しながら歩いたせいもあるだろうが、この館は森の奥深くにあって着くまでが大変だった。まともな道などなく、ケガ人をおぶったりして歩くのはかなり困難だ。それにニルケのケガは重い。変な動かし方はしたくなかった。
「カード、ニルケだけでも運んでくれるような知り合いの魔獣、いない?」
「うーん、そう言われてもなぁ」
だいたい、普通の魔獣は人間とあまり関わりを持とうとしない。好奇心が旺盛だったり、興味を覚えれば近付いて来る場合もあるが、少数派だ。たまにカードのように人間べったりな変わり者もいるが、それはさらに少数派。
どうしようかとみんなで悩んでいると扉付近に気配を感じ、カードとダルウィンが振り返る。そこには、褐色の肌をした長身の男性が立っていた。
見た目は五十歳前後といったところ。真っ直ぐな黒の髪は胸辺りまで伸び、瞳は金色。着ているのは白いラフなシャツだが、気品が感じられる。
「ディボスはどこだ? 気配が消えたようだが」
静かな口調で問われ、代表してダルウィンが答えた。
「ついさっき消えた。二つあった心臓をつぶしたから、復活することはないはずだ。で、あなたは?」
目付きの鋭さが、猛禽類を思わせた。
普通に考えて、こんな所に自分達以外の人間がいるとは思えない。魔族には違いないだろうが、ディボスのように気分が悪くなるような気配は感じなかった。
「私はシィヴァという者。ディボスから弟を取り返すために来た」
「弟?」
聞き返してからダルウィンは、彼が小脇に魔物の頭の骨を持っていることに気付いた。さっきダルウィンが斬った骨の魔物だ。
「まさか、それが弟?」
「そうだ。十年前に亡くなったが、その骨をつい最近ディボスが奪ったと仲間から聞いた。私はしばらく国を離れていたのでその話を知るのが遅れ、ようやくここを見付けたところだ。どうやら自分の小間使いのようにしていたようだが」
「それだけじゃないわ。人間をさらわせていたのよ」
これは被害者であるシェリルーだ。
「亡骸を弄ぶとは。だが、なぜこうもばらばらにされている? 頭の骨など、二つに斬られて。これは剣でやられた痕だ」
「俺だよ。俺がそいつを斬った。ディボスに操られていたらしくて、こっちも襲われたから正当防衛だったんだ」
内心、ヤバい展開にならなきゃいいけど、と思いながらも、正直にダルウィンが告白した。
「そうか」
男は短くそれだけ言った。しばらく沈黙がおり、それから静かに言葉を継ぐ。
「……おかげで弟は、魔性の呪縛から逃れられたようだな。礼を言う」
「あ、いや……」
死んでもなお殺されたようなものなのに、礼を言われるのも変な気分だ。
「ねぇ、お礼はいいから頼みをきいてもらえないかしら」
リンネが口を挟んだ。
「何だ」
「ディボスを消滅させたのはいいんだけど、ケガ人が出たの。治してもらえないかしら。それがダメなら、せめてこの森から連れ出してほしいの」
リンネ以外のメンバーは、何てことを言い出すんだ、と思ったが、確かにこうなったらよくわからない相手でも可能なら頼みたい。
シィヴァはしばらくリンネを見詰めた。それからふとダルウィンを見た時、その胸元に視線が止まる。
「それは……カディアンの羽か?」
「え? あ、これ? ああ、そうだ。リンネと俺がもらった」
人間の姿に戻ったカードが、壁に突き刺さった羽を取ってリンネに渡してくれた。
「この羽のおかげで助かったわ」
ニルケの魔法もディボスの攻撃から守ってくれたが、この羽のおかげでもある。
「あいつが人間に自分の羽を与えるとは……」
「あなた、カディアンを知っているの?」
「同族だからな」
弟だと言った魔物の骨も鳥のようだったし、彼も魔鳥なのだ。口調からして、よく知る間柄らしい。こんな所でつながるとは。
「ここへ来る前にカディアンに会ったの。じゃあ、カディアンもあなたの弟を捜していたのかしら」
「いや、弟を捜していたのは、私だけだ。質の悪い魔性を相手にして、同族に余計な傷を付けられたくなかったのでな」
カディアンが近くにいたのは、たまたまだったということらしい。
「あの人間嫌いが心を許したのなら……いいだろう。カディアンが気を許す人間ならば、助ける価値もあろう」
「ありがとうっ。彼なの」
ソファで眠るニルケのそばに、リンネはシィヴァを連れて行く。
彼はしばらくニルケを見ていたが、すっと羽を一本取り出した。カディアンのものとは違い、瞳と同じ金色の羽だ。
それをニルケの身体の上で走らせる。一瞬、ニルケの上で金粉が舞い踊ったように見えた。その金粉が消えた後、額や腕の傷がなくなっている。
「あの……彼、背中にも火傷のようなひどい傷があるんです。それに、左手を骨折してて」
ニルケがケガをするところを一部始終見ていたシェリルーが、彼のケガの様子を告げる。
「問題ない。この人間の傷は全て消えた」
シィヴァが請け負う。それを聞いて、リンネとシェリルーは胸をなでおろした。
「シィヴァ、無理にお願いをきいてもらって感謝します。本当にありがとう」
リンネの礼に、金色の瞳の魔鳥は黙って頷いた。
「この忌まわしい館は私が消す。本当ならディボスとの決着はこの手でと思っていたが、そちらがやってくれたようなので、後始末だけでもやっておく」
ここがそもそも誰の館だったのか知るつもりもないが、魔性が使おうとするくらいだからよからぬものだろう。こんな館なんてない方がいい。もし魔力のある魔物や魔性がいれば、今回と同じように悪用するかも知れない。
「傷が治ったんなら、俺達がおぶって帰っても支障はないな」
治癒はしても、心身共に疲れ切っているニルケは深く眠っている。あんなことの起こった後でもあるし、眠らせておいてあげたい。
「森のすぐ外でいいのなら、送ろう。その方が、こちらも早くここを始末できる」
思いがけず、シィヴァが申し出てくれた。リンネ達にすれば、ありがたいことこの上ない。
「あの、他の部屋にも魔法使い達がいるの」
「まさか彼らを館と一緒に消せはしないだろう」
彼にすれば、ついでである。
「ありがとう。カディアンにもよろしくね。あたしにできることがあったら、何でもいいからうちに来てねっ」
森の外へ送ってもらう寸前、リンネはシィヴァに大きな声でそう言ったのだった。
☆☆☆
見覚えのない天井がある。自分の部屋は薄いクリーム色の天井なのに、ここは白い。
どこに来ていただろうと考えているところへ、よく知った少女の顔がひょいと現れた。
「あ、目が覚めた? 英雄さん」
「何ですか、それ」
意識が戻った途端にリンネから向けられた言葉に、ニルケは眉をひそめた。
「ふふ、聞いたわよ。ニルケってば、シェリルーをかばってケガしたんだって。やるわねぇ、女性をかばうために自らの身体を張るなんて、すっごく男らしいじゃない。物語の英雄みたいだわ。うんうん、ニルケも隅に置けないよねぇ」
「リンネッ」
ニルケはガバッとはね起きた。途端に軽いめまいがして、思わず目元に手をやる。
「リンネ、起きたばかりの奴をからかうなよ。ほら、ニルケも急に起き上がるからだ。丸一日寝てたんだぞ」
ダルウィンの声に、ニルケは少しめまいのおさまってきた頭をそちらへ向けた。
部屋には二人の他に、カードとシェリルーもいる。
「ここは……」
「シーナの宿屋よ。あの莫迦魔性の館からちゃんと出られたの。傷はどこにもないはずだからね」
リンネの言葉で、ニルケも何があったかを少しずつ思い出す。
あの魔性にいいようにやられ、全身が傷だらけになったはずだ。左腕に激痛が走ったはずだが、今はまったく感じず。起きたばかりでわずかに身体がだるいような気もするが、痛みというものはどこにもない。
「あたしがあの部屋の扉を開けてね」
代わる代わる語り手が交替しながら、ニルケにこれまでのいきさつを話した。
「リンネの行動も、あながち責められるようなものばかりじゃないですね」
シィヴァが助けてくれた理由を聞いて、ニルケがそんな批評をする。
「あたし、そんな悪いことばっかりした覚えはないわよ」
「悪くはないけど、ヒヤヒヤするのが多いだけだよな」
カードが茶々を入れる。
「だけど、どうして急にディボスの力が弱くなったのかしら」
ディボスがリンネ達を攻撃した後、魔力が弱まったのはシェリルーにもわずかながらわかった。でも、原因がわからない。
「たぶん、銀の実のせいでしょう」
「え、あれって呪いを解くだけじゃないの?」
あの銀の実は、呪いをかけられたラグアードのために手に入れたものだ。リンネはてっきり、呪いに関するものにだけ効果があると思っていた。
人間をさらう魔性なら、魔法と言うよりは呪いに近そうだから、少しは何か効き目があるかな程度にしか思っていなかったのだ。
「あの実は、悪しき力を溶かすんですよ。ディボスが使っていた力は、どう見ても悪しき力でしたからね。あの部屋には全体に結界もどきが張ってありましたけれど、床に銀の実が落ちてその力を消してしまったんでしょう。それと同時に、奪っていた魔法使いの力も消えたんです。おかげで、わずかながら魔力が戻って来ましたし」
「あ、あの時の感覚って、魔力が戻ってきてたのね」
ニルケの説明を聞いて、シェリルーはやっとあの時の感覚が何かを知った。
また、そのおかげで他の部屋にいた魔法使い達が、シィヴァの力で森の外へ出た時には歩ける程度に身体が回復していたのだ。
「あの銀の実が散らばった所ね、もう銀の実はなくなってて、白い粉みたいなものが落ちてるだけだったの」
「自分の役目を果たした結果でしょう。あの実は一度しか使えませんから」
粉は見ているうちに風に飛び、なくなってしまった。これで、リンネの手元には一つの銀の実も残っていない。
でも、残念だとは思わない。本当ならラグアードの呪いを解くだけの分があればよかったのだから。
「しかし、ニルケもえらい災難だったな」
「そう言うダルウィンも」
「俺は勝手に巻き込まれたようなもんさ。いつもみたいに」
リンネに頼まれた訳じゃない。自分から関わってきたのだ。
「話を聞いてるとそのようですけれど……ダルウィンも厄介ごとが好きですね」
「ただあちこちを見て歩いてるだけより、ずっと刺激的でいいぜ」
「ダルも物好きだなぁ」
カードも人のことはあまり言えない。
「だけど、朝になっても戻ってないって、おば様達に聞いた時は驚いたわ。ニルケってば、本当に三角関係でもめてるのかと思った」
そんなリンネの言葉を聞いて、ニルケはため息をついた。
「言われると思ってましたよ。帰ったら絶対に何かしらからかわれると……」
「彼女といるのかと思ったけど、本当にいたのねー」
「はい?」
ニルケが聞き返す。
「だってほら、ディボスの館で彼女と二人っきりだったじゃない」
自分のことを言われているのだとわかったシェリルーは、少し顔を赤らめた。
「そうよねー、ニルケだってお嫁さんをもらってもおかしくない年頃だもんねー」
「リンネ! 人をからかうのもいい加減にしなさい」
怒ってもリンネには堪えない。
「シェリルー、ニルケの世話は任せるね。あたし、せっかくだからシーナの街を見たいの」
「あ、じゃ、オレも行く」
いつものように、カードもリンネのあとをついて出て行く。
「それじゃあ、俺だけここに残るのはよくないよな」
「ダルウィンまで、変な気を遣わないでください」
「いやいや、俺も馬に蹴られたくはないもんで」
さっさとリンネ達が出て行ってしまい、部屋にはニルケとシェリルーが残される。シェリルーは顔が真っ赤だ。
「あの……お話ししていて思ったんですけど……みなさん、面白い方ばかりですね」
「すみません。みんな、ぼくをからかうのが好きなようで。特にリンネは……」
ニルケは軽くため息をつく。
「でも、みなさん、とっても心配されてましたよ」
「ええ、わかってます」
リンネ達がニルケを心配してくれたであろうことは、目覚めた時に全員がここにいたことでもわかる。ずっとついていてくれたのだろう、ということは……。
☆☆☆
目覚めたその日に、ニルケが魔法を使うことはさすがに無理だった。失敗してよくわからない場所へ行くのも困るので、ゆっくり養生する。
次の日。
馬に乗ってコルドナの街へゆっくり帰ってもよかったのだが、同じくコルドナに住むシェリルーもいる。女性ということもあるし、家族が心配しているだろう、ということで移動魔法を行うことになった。家族が心配しているのは、ニルケも同じだ。
それに、ラースの街でもエクサール夫妻が、帰る予定を過ぎても娘達が帰って来ない、と気をもんでいるだろう。またリンネが何かしでかしたのではないか、と思われているに違いない。
「リンネは何の説明もなしに、ドュートの家を飛び出して来たんでしょう? 帰ったらリンネより、きっとぼくの方が叱られますよ。女の子を危険な目に遭わせるようなことをしたって」
「えー、だって、ここへ来たのはあたしの意思なのに?」
「そういうもんだよ、リンネ。女の子が動かなきゃいけない状況に陥ったってことで」
ダルウィンの言葉に、少しすっきりしない顔のリンネ。
「男の人って理不尽なことがあるのね」
「かわいそうだと思ったら、ラースに戻ってからの行動、少し控え目にしてくださいね」
こんなところでしっかりと、ニルケに釘を刺されるリンネだった。
「あ、でも、おじ様にはちゃんと遅くなるからって言っておいたわよ」
「そういや、リン、そんなこと言ってたっけ」
「遅い、の感覚が違いすぎますよ」
すでに二日以上経っている。これは果たして「遅い」だけで済むだろうか……。
「今更遅い早いの問題なんて、いいじゃないか。こうして無事に戻れるんだから」
「そうそう。ダルウィンの言う通りよ」
リンネが笑ってごまかす。ニルケは小さく溜め息をついた。
「とにかく帰りましょうか」
何やかや言ってるより、さっさと帰った方がよさそうだ。
もう少し滞在すると言うダルウィンとはシーナの街で別れ、リンネ達はコルドナの街へ戻った。
まずはシェリルーを送る。彼女の家は、ドュート家からそんなに離れていない場所だった。歩いて十分くらいの距離だ。案外、ご近所さんだったらしい。
「それじゃ、ぼく達はここから歩いて帰ります」
「あ、あの……」
歩き出したニルケを、シェリルーが呼び止めた。
ニルケが彼女の所へ戻り、リンネもついて行こうとしてカードに止められた。
「リン、野暮なことはやめとけって」
「え? あ……そうね」
ちょっと不満ではあったが、リンネは離れて待つ。
「ニルケ、あの……また会えますか?」
「明日にはラースの街へ戻ります。近くへ来ることがあれば、遊びに来てください」
シェリルーとの短い会話を済ませ、ニルケが戻って来るとリンネは何を話していたのか知りたがった。
「ラースへ来てください、ということだけですよ」
「それだけ? やだなぁ、ニルケってば、女の気持ちをわかってないんだから。女性の方から会いたいって言ってるのよ。自分からまた会いに来るって、どうしてそこで言わないのよ。シェリルーってきれいだから、すぐよその男に取られるわよ」
「はいはい。その話はまた帰ってからにしましょう」
「あ、今、適当にあしらったわね。女が思い込むと怖いのよ」
「それはリンネを見て知っています」
「うん、すっごくいいお手本が近くにあるもんなぁ」
賑やかな会話をしながら、一行はドュート家へと足を向けた。





