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お嬢様にピンチなし  作者: 碧衣 奈美
第二十話 海の鏡

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守護

「聞いて来たわよー」

 しばらくして、マリンがリンネ達のいる場所へ戻って来た。

「彼女がダルウィンのこと、知ってるんですって」

 そう言うマリンの後ろには、人魚がひとりついて来ていた。プラチナブロンドの長い髪と、薄ピンクの真珠色に輝くウロコを持つ女の人魚だ。

 マリンが聞き回って彼女を見付けるのに、そう時間はかからなかった。

 実際、ダルウィンがここを去ってから、時間はあまり経っていない。ほんのワンテンポずつ、リンネ達が遅れているだけなのだ。

「ダルウィンを見たの? 彼がどこへ行ったか、知ってるの?」

「ええ。ここから東へ向かったわ。彼、海の鏡を探しているんでしょ?」

 どうやら彼女はおおよその事情を知っているようだ。

「東には深い海溝があってね、その手前付近でたくさんの仲間が光る物を見ているの。だから、近くにあるんじゃないかってことで、彼はそちらへ行ったわ」

 人魚は指で示しながら、その方向を教えてくれた。

「最初は人間がこんな所に立っているのを見て、仲間達が不審がってね。誰かが彼のことを魔物を操っている黒幕じゃないか、なんて言い出して」

「ええっ、ひっどい言い掛かり」

 魔法使いでもないダルウィンが、魔物を操れるはずがない。むしろ、襲われそうになった被害者だ。海の底にいたのも、強引に行くように仕向けられたというのに。

 しかし、そんな経緯を知らなければ、人間が歩き回ることは海に棲む者達にとって不審な状況以外のなにものでもない。疑心暗鬼になってありもしない事情を相手に押し付け、自分達の正義感を振りかざして攻撃するのは人間も魔族も同じだ。

 人魚は、仲間達が水の縄を持ち出し、彼を縛り上げて捕まえようとしたことを話した。それですぐに事態は解決するのだと信じて。

「だけど、その戒めが急に破れたの。それを見て仲間達が腕ずくで捕まえようとしたけれど、彼の身体から光が飛び出して、全員が跳ね返されてしまったわ」

「……どうして?」

 水の縄とやらが切れたのは、ダルウィンの力が強かったか、縄そのものが弱かったのかも、と推測できる。

 だが、身体から光が出る、なんて妙だ。まして、その光が人魚達を跳ね返すなんて、ダルウィンにそんな力はないはず。

「守られているからよ」

 人魚はきっぱりと言った。

「守られてる?」

「ええ。海の中で、彼に危険なことが及ぶことはないわ。あっても必ず切り抜けられる」

 保証するように、人魚はにっこりと微笑んだ。リンネ達は知らないが、彼女はダルウィンに「加護」があることを最初に気付いた人魚である。

「ダルって何か魔除けになるような物を持ってたのか? ただエクサール家へ挨拶に来るだけだってのに」

「私はそういった話は伺っておりませんが……」

 人魚の話を聞いて、ヴィクスは首を傾げる。

 イメールからラースまでの道中、魔物が現れて危険だという場所を通る予定はなかった。もし街道沿いに魔物が現れるとわかっていれば、従者として(あるじ)の安全のため、そういった魔除けを持つことを少しは考慮しようとしただろう。

 だが、実際はそういったものを用意することはなく、二人は出発した。ダルウィンだけがヴィクスに内緒でこっそり魔除けを持っていた……とは考えにくい。

「ダルウィンはそんなに強い力で守られてるの?」

「ええ、だから心配しなくても大丈夫よ。……あら、あなた達もそうじゃない」

 そう言われ、リンネ達はきょとんとなる。ダルウィン達とは違い、魔物が出るらしい、という噂のある場所だとわかりながら向かったが、リンネは魔除けを持とうなんて考えは全くなかった。なので、何も持っていない。

「そこのあなたと……あなたは違うみたいね」

 人魚はヴィクスとマリンを指した。つまり、リンネとニルケ、そしてカードがダルウィンと同じ力で守られていると言っている。

 だが、普通の人間であるリンネはそういうものはさっぱりわからないし、ニルケやカードですら守られているという意識はない。カードはもちろん、ニルケも魔除けとなるものは持っていないし、持っていたとしてもダルウィンと同じものなんて偶然は考えにくかった。

「あら、あなた達、そんなに強い力で守られているのに、気付いてないの?」

「えっと……」

 そう言われても、わからないものはわからない。ニルケですら、そんなことを言われて戸惑っている。

「私達の見間違い? そんなはずないわね。すれ違う程度なら気付かないけれど、こうして近くにいれば間違えようがないもの」

「思わせぶりなこと言わずに、ちゃんと教えろよ」

 わずかに間をおいて、人魚は答えた。

「海の神の娘よ」

「あー、ほんとだぁ」

 マリンも言われて気付いた。リンネはそう言われても、不思議そうな顔をしている。

「セスィールが? あたし達を守ってくれてるの?」

 海の神の娘セスィールが大切にしていた石を盗まれ、それをリンネ達が取り戻したということがある。でも、それは半年以上も前の話だ。それに、彼女がいる海はここからかなりの距離がある。

「すっごぉい。感激だわ」

「海で何かあった時は名前を出すといい、とは言われましたが、まさか海へ入っただけですでに守られているとは思いませんでしたね」

 こうして教えられても、ニルケには守られているという力を感じられない。それだけ馴染んでいる、ということだろうか。

「さすがだな。海ン中は全部テリトリーか」

 カードにもわからないのだから、水属性の魔族にのみわかる力なのだろう。

「ちょっと待ってください。つまり、その守りの力というものがダルウィン様にもあったと?」

 横で聞いていたヴィクスが、目を白黒させる。

「そういうことですね。彼も一緒に会っていますから」

「一体……何をどうすれば、神の娘に会うんですか」

 そもそも、神だの、その娘だのといった存在がまず信じがたい。そういうものは、おとぎ話の中のことではないのか。

「どうすれば、と問われると困るんですが。会おうとして会ったのではなく、ほとんどがなりゆきみたいなものだったんです」

 ヴィクスの質問ももっともだ。ごくごく普通の生活をしていれば、会うことのない相手である。いや、普通でない生活をしていたって、そうそう会えるものではない。本当になりゆきとしか言い様がなかった。

 強いて言うなら、リンネが世話焼きだから、ということだろうか。

「本当にそういった存在が……」

「すぐに信じられないのもわかるよ。同じ水属性の奴でも、自分が会ったことがないから本当にはいないだろって思ってたりしたからなぁ」

「最初は彼女の息子と友達になったのよ。その話はまた今度してあげるわ。とにかく、ダルウィンの行き先がわかったんだから、今は早くそっちへ向かいましょ。教えてくれてありがとうね、人魚のお姉さん」

 行き先がわかれば、この場でゆっくりしている理由はない。リンネが人魚に手を振り、教えられた方へと歩き出す。その後ろ姿に、人魚が声をかけた。

「気を付けて。さっき他の仲間がそちらの方で大きな影を見たって。あの魔物がいるかも知れないわ」

「何ですって……。わかったわ」

 リンネは人魚の言葉を聞くと、東へ向かって走り出した。

「リン、先頭を突っ走るなって」

「こんな時に、ゆっくりしてられっこないでしょ」

 リンネは走りながら言い返した。海の中なので泳ぐ方が速い気もするが、薬の効果なのか地上よりは少し遅いが走れる。むしろ、無理して泳ぐより走る方が速い。どちらの行動に慣れているか、の違いだろうか。

「ダルウィンが鏡を探しているのをあの魔物が知って追い掛けてるなら、彼が危険じゃない。きっとダルウィンは、魔物がそばへ来てることを知らないわ。それにいくらセスィールが守ってくれていたって、全くの無傷で済む保証はないもの」

「ま、そりゃそうだけど」

 先を行こうとするリンネを制し、カードが前を走る。やはり水の中でも、リンネよりはカードの方が速い。

 だが、彼よりも速いのはマリンだった。ここはマリンのテリトリーになるから、動きも自然で素早い。人の姿をしていても、泳ぎのレベルは魚だ。

 遠く近くで様子を見ていた魚達は、リンネ達が近付くとさっと散る。そして、また遠くから眺めていた。

「あのような令嬢は……初めてだ」

「そうでしょうね」

 まだ動きがぎこちないヴィクスは、女の子のリンネより少し遅れをとっている。陸上であれば、率先して走っているのは彼だろう。口には出さないが、表情を見ればもどかしいと思っているのは明らかだ。

 ニルケは運動神経がそんなによくないものの、こういう事態に対する慣れがある。そのおかげか、ヴィクスよりもスムーズに動いていた。

 だから、自分だけならもう少し速く行けるのだが、さりげなく彼とスピードを合わせている。

「きみみたいな子は初めてだ、と言われるのは常ですよ。それが人であれ魔族であれ、ね。自由奔放すぎて苦労しています」

「口調と違って、嬉しそうだ」

「……そうですか?」

「てこずってるのに、それが妙に嬉しいという感じだ。少し言葉は悪いが……できの悪い子程かわいいと思う親のような」

「せめて、兄にしておいてください」

 ニルケが苦笑しながら抗議した。

「まだ私には、リンネアリール嬢の魔物に対する感情の持ち方が理解しきれないが……本当に若君を愛していらっしゃる、というのはわかる」

「リンネが聞けば、喜びます」

 ニルケは口ではそう言いながら、彼自身も喜んでいた。少なくとも、リンネのダルウィンに対する気持ちだけは、ヴィクスに理解してもらえたのだ。

「今までの体験がどのようなものだったか知る由もない。だが、間違いなく人間を襲う魔物がいる場所へ真っ先に行こうとするなど、そうそうできることではない」

 いくら愛する人が向かった先でも、魔物がいるとわかっていればちょうちょしても仕方がない部分がある。行ったところで自分の力が足りなければ、共倒れになる可能性も無視できない。

「それなら、あなたもそうじゃないですか」

「私には、若君をお守りする義務がある。それは私が若君の世話役をおおせつかった時から、ずっと続いていることだ。この命に代えても、若君をお守りしなければ」

 ヴィクスは主人に忠実である。だが、こういう真っ直ぐすぎる人物は、パニックになると何をしでかすかわからない、ということがあるので怖い。

「ヴィクス、もし魔物に遭遇しても、無茶な行動はしないでください。ぼく達は魔物退治に来たのではないですし、何かあってもカードやぼくがどうにかできると思います。余計な行動がかえって命を危うくする……なんてぼくが言わなくても、あなたの方が職業柄わかっていらっしゃるでしょうが」

「あ、ああ……」

 魔物と対峙するには、魔法のプロが適任。

 ヴィクスもその点はちゃんと認識している。

 ダルウィンの世話役でもあるが、彼はジューバ家の主人と同じく要人の警護を仕事としているのだ。素人(しろうと)がおかしたささいなミスでとんでもない重大事が起き、最悪の場合は警護するべき人物の命に関わる、などということには敏感なはず。

 いざ魔物に遭った時に彼がどんな行動をしてしまうか想像できないが、隠れていろと言われれば余程の混乱状態でなければ素直に隠れてくれるだろう。

 ニルケにとって問題なのは、リンネだ。

 彼女に隠れろと言っても、まず確実に無視される。それどころか、ますます場を険悪な状態にしてしまいかねない。思い返してみれば、よくこれまで無事でいられたものだと感心する程だ。

 できるものなら、魔物に見付かる前にダルウィンを見付けて戻りたい。

 ヴィクスより切実に願うニルケだった。

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