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お嬢様にピンチなし  作者: 碧衣 奈美
第二十話 海の鏡

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人魚

 ちゃんと説明しろ、と言ったのがマズかったかな。説明されたのはいいけど、まさかこうなるとは。それにしても……どうして俺、律儀に海の中を歩いてるんだ。マリンが戻って来た時に俺がいないってわかったら、心配させるぞ。

 魚人達にことの次第を聞かされ、気付くとダルウィンは水の中でも呼吸のできる薬を手渡されていた。小指の爪サイズで、水の泡のような見た目だ。

 人間が来られるはずのない所にいる。これは選ばれた人間だからだ、などと言われたので、水の妖精に助けてもらったからだと弁解した。いや、弁解ではなく事実なのだが、相手はそんなことに耳を貸さない。たぶん、最初から聞くつもりがない。

 こんな所で巻き込まれるのはごめんだと、必死に否定しようとしたのだが「お願いじゃ、探してくれ」という言葉とともに、次の瞬間には目の前が真っ青になっていた。

 岩の洞窟内にいたし、突き落とされたという意識はなかったので、彼らの力でその場の地面が消えてしまったのだろう。この島は自分達で作ったと言っていたから、そんなことはお手のもののはず。

 もらった薬を慌てて飲むと、確かに陸にいる時と同じように呼吸ができた。水の抵抗もぐっと少なくなる。全くなくなったとは言えないが、それでも歩きやすいし泳ぎやすい。

 薬は二粒もらっていたので、残りはポケットに入れておく。水の泡みたいに見えるが、つまんでみると弾力があるようなのでつぶれることはないだろう。

 しっかし、あいつらも無茶言うよなぁ。自分達でさえどんな代物かもわからないって話なのに、名前すら聞いたことがなかった俺に探して来い、なんて言うんだから。……それでこうやって海をうろついてる俺も俺だけど。このまま陸へ戻っても、文句言われる筋合いはないよなぁ。俺が探さなきゃいけないって理由はないんだし。いくら楽観的でも、海の中でどんな物かもわからない鏡なんか、見付けられるとは思えないぞ。

 これまで色んなことに首を突っ込んできたダルウィンだが、これはあまりにも手掛かりがなさすぎるし、範囲が広すぎる。魔法使いでもない彼が、本当にあるのかすらも怪しい鏡をそう簡単に見付けられるとは思えなかった。

 それにもし、こんな海の底を泳ぎ回っている時に飲んだ薬の効果が切れたりしたら、目も当てられない。

 魔物もいるんだよなー、ここの海は。あの蛇だかトカゲだかわからない、ドデカイ奴が。おまけに方向が全くわからないときた。あの島へ戻っても、きっと同じ会話が繰り返されるだけだろうし。帰るにしても……さぁて、どっちへ行くかな。

 まだこの辺りは明るい。見上げれば、水面に光が当たっているのがわかる。ここは太陽の光が届く深さだ。それでも、地上のような明るさではないので、少し薄暗く感じる。

「おい、見ろよ。あれ、人間じゃないか?」

 行くべき方向に迷い、その場に立ち尽くしているところへ、遠慮のない声がダルウィンの耳に入ってきた。

 そちらを向くと、岩陰にいくつかの大きな影がある。どうやらその影がダルウィンを見付け、話しているのだ。

 水がゆらめいて初めはよくわからなかったのだが、影はかなり人の形に近いように見えた。

 人間? まさかな。俺以外に鏡探しで海へ放り出された人間がいる、とは思えない。他にいるなら、あいつらが言うだろうし。あれって……人魚か。

 影は上半身が人で、下半身が魚。影は人魚達のものだった。

 人魚と言えば女のイメージがあるが、そこには男の人魚もたくさんいた。どうやら岩の向こうにもいたらしく、最初に見た時よりも数が増えてきた。

 男の人魚ってのはマーマン、だっけ。話には聞いたことあったけど、こんな所で本物を見るとはな。

 大勢いるが、微妙にウロコの色が違う。青っぽかったり赤みが強かったりするが、みんな美しい真珠色。金色や銀色の長い髪が波に揺れ、まるで風になびいているみたいだ。

 人魚達は美しい顔をしていた。好みもあるだろうが、誰もがそれぞれの美しさを持っている。美形の集団なんてそう滅多にお目にかかれないだろう。普通の状態であれば、多くの美形に囲まれて魅せられていたかも知れない。

 ただ、男の人魚達の表情は、あまり美しいとは言えなかった。容姿が悪い、というのではない。彼らの浮かべている表情が、まるで街のならず者のような意地の悪いものなのだ。

「お前、人間だろ。何だってこんな海の中にいるんだ?」

 ひとりがダルウィンに近付いて来た。それに続いて、他の人魚達もダルウィンを取り囲むようにして集まる。女の人魚達は不安そうな表情を浮かべ、その様子を遠巻きにして見ていた。

「どうやって人間が、海の中で突っ立ってるんだ?」

「魔法使いか?」

「いや、魔法の気配はないぜ。あ、あれじゃないか? ほら、水の中でも呼吸できるって薬があるらしいからな。誰が持ってたんだか忘れたけど」

 ダルウィンがもらった薬のことは、彼らも知っているようだ。

「そうか。できなゃ、魔法も使えねぇ奴が、水の中をふらふらしてられる訳ねぇからな」

「それじゃ、どうやってこの男がその薬を手に入れたんだ?」

 事情を話すべきだろうか。手に入れたと言うよりも、手に入れさせられたと言う方が正しいのだが。

「災い……でも起こすつもりじゃないか。近頃海を荒らしまくってるあの竜のなりそこないの化け物だって、こいつの仕業かも」

「……は?」

 想像もしない言葉に、思わずダルウィンは聞き返す。が、人魚達は彼の声を無視。

「あの薬を奪って、様子を見に来たんじゃないのか」

「だとしたら、このまま帰す手はないぜ」

「黒幕を捕まえれば、あの化け物もいなくなる。これはみんなのためだ」

 ダルウィンを取り囲む輪が小さくなった。

「ちょっと待て。あんたらが言ってる化け物ってのは、あのトカゲみたいな魔物だと思うが、俺とは何の関係もない」

 とんでもない誤解をされたものである。あの魔物を操っているのが、よりにもよってダルウィンになってしまった。黒幕どころか、あの魔物をどうにかするために強引に海へ放り込まれたようなもの。

 はっきり言って、ダルウィンには迷惑以外のなにものでもない話なのに、濡れ衣もいいところだ。

「関係あったとしても、こんな所であるとは言わねぇよな、普通は」

 それはそうだが、本当に関係ない。

 ひとりがダルウィンの腕を掴んだ。周りにいる人魚達が何かを取り出す。最初は何かわからなかったが、よく見ると縄だ。水でできた縄を取り出したのだ。彼らの手元だけが微妙に水の色が違うので、かろうじて見えた。水の縄でダルウィンを縛り上げるつもりだ。

「待てよ。人の話も聞かないで、何するつもりだ」

「決まってるだろ。捕まえて、あの化け物の行動をやめさせるんだ。この辺りにいる奴らは、みんなあいつに迷惑してるからな」

「俺達が捕まえたとなりゃ、この辺りの連中の見る目が変わるってもんだぜ」

「捕まえても、こいつがあの化け物をおとなしくさせない時はどうする?」

「どこかこの辺りにでも縛り付けておくさ。そのうち薬の効果が切れたら、こいつもそれまでだ。こういう奴は、自分の命は何よりも大切にしたがるからな。ボロを出すさ」

 冗談じゃない。何の義理もないのに鏡探しに放り出され、今度は無実の罪で捕まるなんて理不尽を通り越している。

 だが、ダルウィンの言葉など、まるで聞いてもらえそうにない。

 水の縄は彼らの手から離れ、するするとダルウィンの方へと伸びて来る。よけようとするが、さらにひとりがダルウィンの腕を掴み、逃げられないようにした。

 ちっくしょう。何だってこんな扱いをされなきゃいけないんだ。

 あがいても、人魚の腕の力は強い。腰の剣でも取れれば逃げ道もどうにか開かれるだろうが、両腕は背中へ回されている。

「この縄を切ろうとしたって無駄だぜ。これは俺達にしか使えないからな」

 水の縄がダルウィンにせまる。首筋をなで、胸から背へと何度も回り、獲物を縛り上げた。人魚達は腕を離したが、代わりに水の縄ががんじがらめにする。水でできているはずなのに、縄は信じられないくらい強い。水のように見えても魔法がかかっているからだ。

 男の人魚達は笑いながら、女の人魚達はずっと不安そうな顔でダルウィンの様子を見ている。誰がどんな顔をしていようと、彼を助けてくれそうな者はひとりもいない。

 もう駄目かと思った瞬間、縄がぷつんと切れた。ようやく自由が戻ったが、驚いたのは誰もが同じだった。

「どういうことだ。どうやってこの縄を」

「くそっ。こうなったら俺達の手で」

 人魚達は縄が切れてもあきらめず、ダルウィンを捕まえようとする。手が何本も伸びてきて、中には爪が鋭い鉤のように伸びた者もいる。あんな物に引っ掛けられたら、ケガどころじゃない。

「縄を切ったのは俺じゃないぞっ」

 どうしてこうまで疑われるのだ。縄が切れたのは、ダルウィンだって驚いた。でも、きっと縄に込められた魔力が足りないとか、あちらに理由があると思ったのだ。

 それなのに、完全に人魚達はダルウィンのせいだと思い込んでいる。

 襲いかかる人魚の手をすり抜けようとするが、とにかく数が多いし素早い。すぐに腕や首や足に人魚達の手が絡まる。美しかったはずの人魚の口元に鋭い牙が現れ、噛み付こうとした。

「離せっ」

 ダルウィンの声と同時に、人魚達の手が離れた。離れたというより弾かれたのだ。ダルウィンの身体から光が出て、その光にしびれたように人魚達は手を離したのである。同時にダルウィンも、反動で海底に尻餅をついていた。

 何だ、今のは。俺、魔除けの類は持ってないぞ。けど、確かに俺の身体から光が出た、よな? 魔法使いになった覚えなんてないぞ。

「お、おい……」

 さすがに、人魚達も変だと思ったらしい。衝撃でひっくり返ってしまったダルウィンを、遠巻きにしてこちらを見ている。あの薬の副作用みたいなものかとも思ったが、人魚の様子を見る限りではちょっと違うようだ。

「ねぇ、ちょっと……」

 ずっと様子を見ていた女の人魚のひとりが、視線はダルウィンに向けながら男達の耳に何かささやいた。

「げっ……」

「嘘だろ。まさかそんな加護があるなんて思わねぇしさ」

「でも、確かに……。あれって間違いないぜ」

「気付かなかったのは、ヤバかったな」

 そんな言葉がもれ聞こえた。さっきまで見下すように見ていたくせに、今度は彼らの方がまるで怯えるかのような目になっている。

「何だよ、さっきまで人をざんざんなぶりものにしておいて、今度は内緒話か」

 人魚達の態度に、ダルウィンはかなり不機嫌になっていた。これだけの仕打ちをされれば当然だ。海の中にいる、という以外、ダルウィンは彼らには何もしていない。

 それなのに、魔物を陰で操っているなどと難癖つけられ、しまいには縛り上げられそうになり、理由もわからないまま紐が切れると、今度は異様な顔で見られる。

「あんた、どうしてこんな海の中にいるんだ」

 お前、から、あんた、になった。何が原因かは知らないが、彼らがダルウィンを特別な存在に見るようになっているのは、その表情からも明らかだ。

「……」

 あれだけ好き勝手に遊ばれて、素直に答える気にはなれない。

「ごめんなさい。仲間が失礼なことをしました」

 さっき男達にささやいていた人魚だ。プラチナブロンドの髪に、薄ピンクの真珠色に輝くウロコ。上品そうな美女だ。ていねいに謝罪されて、それでも怒っているのも大人気ない。

「教えてくださらない? どうやって海の中にいられる薬を手に入れたの?」

 こういう聞き方をされると、ダルウィンとしても黙ったままでいるのは考えもの。魚人達にもらったと答えると、なぜもらったのかと聞かれる。

 あの薬は人間にすぐ渡されるようなものではないはず、などと言われると、それまでの事情を隠す訳にもいかない。

 仕方ないので、ダルウィンは海の鏡の件を人魚達に話した。

「あ、そう言えば、見たことがあるぜ。どこでだったか、みょーにきらきらした物が流れてくなって思ったけど……それが何かってのはよくわからなかった」

「あたしも見たわ。嵐だったから、人間が落とした物が流れているんだろうとは思っていたけど、それが何だったのか見えなかったのよね。あたしが見たのは、ここから東へ行った所よ。断崖があるんだけどね、その手前だったわ」

「それなら俺も見たぜ。あっちの方でそれっぽいのを」

 人魚達が、自分も見たと次々に言い出す。話をまとめると、ここから東へ行ったところに鏡が漂っていた、ということだ。

 そんな情報をもらいたくて話したのではないのだが、どうも話の流れが人魚達の会話によってダルウィンがそちらへ行くような雰囲気になってきた。ダルウィンとしてはさっさと海の外へ出たいのに。

「人間にしか見えないのなら、俺達にわからなかったのも納得できるか」

「あの魔物があの光り物を探してるってんなら、先に見付けちまえばこっちのもんだよな」

 とてもさっきまでの人魚の言葉とは思えない。今度はすっかりダルウィンを頼りにしているのだ。人魚達にとっても、あの魔物はかなり邪魔者らしい。

「あのおっさん達が選んだのなら、大丈夫だ。じきにここの海もまた静かになる」

 最初の待遇のことは、きれいさっぱり忘れているようだ。ずいぶん都合のいい性格をしている。

 それにしても、何がどう大丈夫なのだろうか。あの魚人達は勝手にダルウィンが力を持つ人間だと思い込み、言い分も何もなく海へ放り込んだのだ。ダルウィンにすれば、選ぶと言うよりはほとんどヤケだったようにも思える。はっきり言って、大丈夫の根拠はどこにもない。

「おい、ちょっと待……」

「ここからこの方向へ真っ直ぐ歩けば、みんなが光を見た場所へ出るわ」

「心配しなくても、迷わずに行けるから」

 指を差して教えられ、背中を押されて見送られてしまった。海に棲む者達は強引な性格の者が多いのだろうか。

 何にしろ、今ここで逃げても、話がここまでくればきっと簡単に帰してはもらえない。

 さっきのことでダルウィンが彼らの戒めを受けないとわかっていても、人魚を相手に海の中で追い駆けっこをする気はない。

 とりあえず、ダルウィンはため息をつきつつ、人魚達が教えてくれた方へと進んだ。

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