帰らないニルケ
さんざん遊び回り、デュート家へ戻って来て食事が終わる頃には、リンネのまぶたがくっつきそうになっている。
「リンネ、もうベッドにお入りなさい。今日は余程あちこち歩いたのね」
ケイニャが優しく促し、リンネも素直にそうすることにした。
セイダルは仕事から戻っているが、セルスとニルケはまだ帰っていない。セルスは仕事だとして、ニルケは昔話に花が咲いているのだろうか。それとも、リンネには黙っているがやっぱり彼女がいたりする……のだろうか。
ま、いいか。明日、ゆっくりからかっちゃお。
リンネはさっさとその夜は寝てしまった。
次の朝。まだ半分寝たような顔をしながら、リビングへ行く。
「あら、リンネ。まだ寝ていてもよかったのよ」
マーファが言ってくれるが、いくらリンネでもホテルじゃないのにいつまでも寝過ごしていられない。これでも充分寝過ごしているのだから。
「うん、しっかり寝たから」
まだ寝足りないような顔だが、口だけはしっかりそう言う。
ベビーベッドのそばでは、カードがサーシャに手を差し出していた。小さな手がカードの指をきゅっと握って笑っている。
ケイニャとマーファは、そんなカードを眺めながらソファでお茶を飲んでいた。
「あれ、ニルケは?」
まだ寝ているのだろうか。前の夜がどんなに遅くなっても、ちゃんと時間通りに起きるニルケがリビングにいない。
「ええ……昨夜は戻らなかったみたいね」
ケイニャの言葉に、リンネは目を丸くする。
まさか本当に友達の彼女を挟んで三角関係になって、とか……。それとも、本当に恋人がいて、そこに泊まったとか? まぁ、ニルケだって二十代半ばの男だもん、朝帰りしたってねぇ……。
とは思うが、本音はやっぱり、あのニルケが? という気分だ。
しかし、いつまで経っても、ニルケは戻って来なかった。昼を過ぎても姿が見えない。
「よっぽど彼女と離れたくないのね」
リンネはその場にいない本人をからかってみるが、内心ではちょっと心配になってきた。
もしかして話がこじれてるのかしら。恋って時々刃傷沙汰になっちゃったりもするからなぁ。
何にしろ、連絡一つないというのはおかしいではないか。彼がこんなに長く行方を知らせずにいる、というのは今までなかった。帰れないなら帰れないと、そう連絡をしてくるはずなのに。
気になったリンネはカードと一緒に、ニルケが行くと言っていた彼の友人宅へ行くことにした。
名前と住所を聞いて、あちこち訪ねながらようやく見付ける。慣れない街だから時間がかかってしまったが、ドュート家からはそんなに離れていない所だ。
が、本人は仕事でいない。家族に教えられ、仕事場である役場へ赴く。
ちょうど休憩時間で、リンネはニルケの友人であるユーガスとようやく会えた。
「ああ、きみがニルケの言ってた、エスケープ常習犯の教え子か」
リンネが名乗ると、ユーガスの第一声がこうだった。これだけで、ニルケがリンネのことをどういう風に話しているかわかるというもの。
もうちょっと別の言い方がないのかしら。そりゃ、しょっちゅう勉強は抜け出しているけど。
「ニルケ? あいつなら、昨夜のうちに帰ったよ」
ユーガスはあっさりそう言った。でも、ニルケはこうしてリンネが出掛ける時にも帰って来なかった。
「あの……ニルケに恋人っているのかしら?」
半分まさかと思いながら、それでも一応聞いてみる。
「彼女? さぁ、そういう話はしてなかったよ。いればそんな話になっていくと思うしね。俺の結婚の話になった時に、言いそうなもんだけど」
男同士だとどういう話題に流れていくのかリンネは知らないが、リンネには言わないことも男友達には言うということはあるだろう。
それをユーガスも知らないというのは、本当に恋人はいないということだろうか。ニルケもそこまで秘密主義ではないはず。
とにかく、ユーガスは知らないらしい。
「まだ帰ってないの?」
「うん……連絡なしで帰って来ないのって今までなかったから、どうしたのかなって」
何でもないと思う反面、どうもいやな気がして仕方がない。自分でもよくわからないが、これが虫の知らせというものだろうか。
「心配しなくても、すぐに何でもない顔で戻って来るさ。大方、帰りに他の友達にでも会って、話し込んでるんだよ」
そうだといいのだが。それにしても、何か連絡の一つもありそうなものだ。他の人ならともかく、ニルケなら。
「ニルケを困らすのも、ほどほどにしておいてやってくれよ」
「考えとくわ」
ユーガスの休憩時間も終わり、彼は仕事に戻って行った。
☆☆☆
ユーガスからは間違いなく帰ったと言われた。それなら、ニルケはどこにいるのだろう。
「ねぇ、カード、どう思う?」
「んー、あの人は嘘をつくような感じじゃないし、そうなるとニルケはちゃんと帰ったってことだよな」
「でも、お昼を過ぎても帰って来てないわ。あたし達がこうしてる間に帰ってるかも知れないけど」
それならそれでいいのだが。でも、そうではないような気がする。
「あんまり思いたくないんだけどさ……ニルケ、さらわれたんじゃないかな」
カードがいやな可能性を口にした。
「一昨日、セルス達が話してたろ。魔法使いがここ最近続けていなくなってるって。ニルケにその手が伸びたってことも考えられるぜ。ルエックの国でも起こってるって話だったし」
「もしそうなら、かなりマズいわよ。だっていなくなってるってだけで、何もわかってないんでしょ。人間の仕業か魔物の仕業かもわからないし」
「噂でしかないってこともあるけどさ。いくら何でも、あのニルケにしちゃ変だ。あいつは女で周りが見えなくなるってタイプじゃないよ。一人じゃどうしようもない事態に巻き込まれたって考えた方が、すっきりする」
「うん、カードの言う通りよね。だけど……」
本当にニルケがさらわれたとして、何から手をつけるべきなのだろう。頼みの綱であるはずのニルケがいなくては、捜す方法がわからない。
「よし、オレが聞いてやる」
「聞くって誰に?」
「仲間にだよ」
カードはリンネを連れて、コルドナの外れにある小さな森へやって来た。森と言っても、街より木がたくさん生えている、という程度のものだ。それでも、街の中とは違い、人気はない。
「どうするの?」
「まぁ、待っててよ」
カードは少年から狼の姿に変わった。それから、天に向かって遠吠えをする。
「それで仲間に聞くって訳?」
「まだこれから」
何度か遠吠えをして、カードはじっと待った。
「昼間から狼の遠吠えなんてあまり聞きたくないだろうけどさ、夜まで待てないだろ」
「ん、あたしは構わないけどね」
しばらくすると、ゆらゆらと揺れるものが現れた。火のようだが、違う。輪郭がぼやけた光の玉のような。
「来た来た」
「何が?」
「仲間さ。ほら、あれ」
あのゆらゆらしているものが仲間? カードの仲間って、狼じゃないの?
リンネが不思議そうにしていると、同じようにゆらゆらするものが増えてきた。
色は白っぽいのや赤っぽいのなど。近くまで来たり、あまり動かないものなど、その状態は様々だ。
「何かあって尋ねることがあった時、いちいち本体まで来てると時間がかかるだろ。移動魔法が使える奴ならいいけど、オレみたいに足で移動するしかない奴もいるし。そういう時に霊体だけで移動して会話するんだ。遠くからでも話ができて便利なんだぜ」
つまり、ここに浮かんでいるのは、カードの仲間である魔獣達の霊なのだ。
「ユータイリダツとかいうあれ?」
「そんな感じかな」
(久しいな、カードウィント。その横にいる人間は何だ?)
一番近くにいる白い光の玉から、男のような低い声が響く。これは馬の魔獣だとカードが教えてくれた。他にも豹や山犬に蛇など、色々いるらしい。
「オレの新しい仲間さ」
時間が惜しいので、詳しい話は割愛する。
(それで、呼び出した理由は?)
横から黄色の霊が尋ねた。これは熊ということだ。
「うん、実は……」
カードは簡単に魔法使い失踪事件について説明した。
「彼女の知り合いの魔法使いが、同じ奴に連れてかれたらしいって考えてる。で、誰の仕業か知ってる奴がいたら、教えてほしいんだ」
しばらく集まった光は、現れた時のままゆらゆら揺れているだけだった。が、やがて茶色っぽい光が大きく揺れた。これは鷹の魔獣だ。
(俺、知ってるぜ)
「本当? 誰なの、それ。誰が魔法使いをさらってるの」
実体があれば胸ぐらを掴みそうな勢いでリンネが尋ねた。本当に服を着ていたら、握って離さないかも知れない。恐れもなく近付く人間の少女に、魔獣の方が圧倒されている。
「リン、落ち着けよ」
カードになだめられ、リンネは一歩引いた。
(ラカールの国のシーナにいる)
鷹の光はほっと一息ついてから話し出した。
(ディボスっておいぼれの魔性だ。こんなチンケな森じゃなく、もっと深い森の奥にある古い館に棲んでる。かなり年くってるから、魔力がかなり衰えてきたんだ。それを何とかしようとして、人間の魔力をもらおうって企みやがったみたいだな)
「人間の魔力って……魔法使いの魔力ってこと?」
(そうさ。仲間の魔性からもらえればいいけど、そんな親切な奴はいないからな。人間なら簡単だし、さらう力は残ってる。だから狙われたんだ)
自分が蘇るために、魔法使いは魔性にさらわれていたのだ。
「ねぇ、魔力を奪われた魔法使いはどうなるの?」
(そりゃ、遅かれ早かれ死ぬさ)
他の魔獣の光が答える。これは豹だ。
「死ぬ?」
(ああ。魔法を使う時は魔力だけじゃなく、多少でも肉体的精神的な力が要るんだ。魔法を使うってことに関して言えば、人間は俺達より何をするにも力が弱いからな。個人差って奴もあるだろうけど、ある程度の体力がなくなっちまえば、人間は生きてらんないだろ)
「魔力を奪われるってことは、生きる力も奪われるってことになるの?」
(そういうことだ。魔性に生気を抜かれてるようなもんさ)
「……」
リンネが黙り込んだ。カードがそちらを向く。
「リン……?」
呼んでから少しドキッとする。
リンネは拳を握り締め、その手が細かく震えている。くちびるを噛みしめ、一点を凝視して。こんな表情のリンネを、カードは見たことがない。
「許せない。自分を何だと思ってるのよ、その魔性は。魔力を取り戻すために魔法使いをさらってるですって? ふざけんじゃないわよっ」
リンネの身体から怒りのオーラが出ているのが、そこにいる魔獣達にははっきりわかった。魔獣でなくてもわかるかも知れない。それだけリンネは真剣に怒っている。
「人間を何だと思ってるの。絶対に許さないから。ニルケが死んだりしたら、その何とかって魔性、あたしが消滅させてやるんだから」
「あ、おい、リン。どこへ行くんだよ」
リンネはいきなりくるっと方向転換して歩き出す。
「ラカールのシーナにいるんでしょ。ニルケや他の魔法使いが死なないうちに、その莫迦魔性から助け出すのよ」
今もし光の魔獣達に顔があれば、きょとんとしていただろう。
(おい、カード。もしかしなくてもあの子、本気だぜ)
(でも、あの子、普通の人間じゃないのか?)
「うん、何も魔法は使えないし」
(止めた方がいいぜ。いくらおいぼれてても、相手は魔性だぞ)
(ああ、ディボスって奴、かなり汚い奴だって聞いてるからな。あの子に魔力がないなら、それこそ簡単に殺られちまう)
「みんな!」
歩き去りかけたかと思ったリンネが戻り、いきなりそう呼ばれたのでカードをはじめ、会話をしていた魔獣達は思わず後ろに引いた。
「これだけのために集まってくれてありがとう。もう元の身体に戻ってくれていいから。あとはあたしが何とかするわ」
リンネにすれば彼らを驚かすつもりなどなく、興奮して忘れかけていたが自分のために彼らが集まってくれたのを思い出し、礼を言いに戻って来たのだ。
(あ……ああ。ま、がんばれや)
(あんまり無茶はしない方がいいぜ)
(カード、幸運を祈っておいてやるよ)
ほとんどリンネの勢いに飲み込まれてしまったような雰囲気の中、魔獣達の霊は消えて行った。
「カード、行くわよ。シーナへ」
今度こそリンネは歩き出した。
☆☆☆
リンネは一度ドュート家へ戻り、ケイニャに頼んで馬を借りた。
移動魔法ができるニルケがいない今、足で移動するしかない。でも、コルドナからシーナの街まで歩いて行くと、丸一日以上かかってしまう。何せ国を超えなければならないのだ。
カードならもう少し早く走れるだろうが、リンネはもちろん無理。カードがリンネを乗せて走るとなるとスピードが落ちてしまうので、やはりここは馬に乗った方がずっと速い。
「馬をどうするんだ、リンネ」
仕事から早めに戻って来たセイダルが、リンネが馬を引っ張り出して来るのを見付けた。
「ニルケを迎えに行くの。おじ様、馬を借りるわね」
目的としては間違っていないが、それまでに起こるであろう経過をリンネは見事に抜かしている。
「少し遅くなると思うけど、心配しないでね」
「リンネ、どこまで行くつもりだ? 遅くなるって一体……」
もう夕方だ。これから女の子が出掛けるにはちょっと……かなりふさわしくない時間帯。
「シーナまで。だから、今夜中には戻れないと思うけど、何かあったら知らせるから」
「今からシーナへ? あ、これ、リンネ」
リンネはそれだけ言ってしまうと、馬を走らせた。その後ろを、狼になったカードが走る。セイダルが止める暇もない。
ラカールの国は、ルエックの南西に位置する。コルドナの街から南へ馬を走らせると、すぐに国境だ。そこを越え、あとはずっと西へ向かう。一晩走れば、シーナの街へ着くはずだ。
途中、山道になるのがうっとうしい。平野ならもっと飛ばせるのに、坂道だと時間がかかってしまう。
おまけに、当然のことながら夜になって暗くなってきた。ますます走りにくくなる。
「もしかして、これも魔性の妨害かしら」
「これは単に、暗い山道をスッ飛ばすのが無理ってことだと思うけど」
出発したのが夕方で、走っているのが山道。走りにくいのは魔性とは関係ない。
「この山に恨みはないけど、うらめしく感じるわね」
「リン」
ふいにカードの声が緊張する。
「人の声がした。それも複数」
「どこから?」
「この先から」
迂回した方がいいのだろうか。カードの声の緊張具合と時間帯から、恐らく好ましくない職業の人間がいるのだろう。
それなら、余計なトラブルへわざわざ突っ込んで行くより、遠回りした方が早いかも知れない。
そうは思っているのだが、こんな山道に迂回するための道はないし、はっきり言って、今のリンネはそういう面倒なことをやってる気分ではない。
「カード、やれそう?」
つまり山賊の類であれば相手を倒せるか、という意味だ。
「そりゃ、やれと言われればやるよ。十人もいないみたいだし」
ケンカの達人(達獣)にかかれば、一握りの山賊など子どもも同然。
「じゃ、行くわよ」
これから魔性と対峙しようとしているのに、人間に恐れを抱いている余裕はない。
リンネは馬を先へ進ませる。暗いが全く見えない訳でもない。
やや平坦な道の上で、数人の男達がいるのが見えた。
やはり山賊のようで、旅人から金品を巻き上げようとしているところだった。
「おい、またお客が来てくれたようたぜ」
山賊の一人がリンネを見付け、下品な声で仲間に知らせる。道をふさぐように立たれ、馬を止めるしかない。
「急いでるのよ。邪魔だからそこをどいて」
「ほっほぉ。女の子が一人で山道を歩いちゃいけないなぁ」
「そうそう。俺達みたいに優しい山賊でなかったら、すぐに斬り殺されちまうぜ」
「あたしは歩いてないわ。どいてって言ってるでしょ」
「まぁ、俺達はいきなり乱暴なんてしないからな。ちょっとお嬢ちゃんの持ってる金を恵んでくれれば、通してやらんこともないぜ」
つまり、金を渡しても通してくれるかどうかはわからない、ということだ。どうせ何を言おうと、こういう連中は同じようなもの。リンネだって、言って素直に通してくれるとは思っていない。
本当に先を急いでいるリンネは、ムカムカしてきた。元々、いらいらしているので余計に腹が立つ。
「ふっざけんじゃないわよ、莫迦。どけって言ってるでしょ。あんた達、言葉もわかんないの? そのうどの大木みたいな身体が邪魔なのよ。あたしは山賊なんかと遊んでるヒマはないんだから。おっさんはおっさん同士で勝手にやってなさい。あたしにちょっかい出すのもいい加減にしとかないと、後悔するわよ」
エクサール夫妻って、もしかしてリンの教育、間違ってんじゃないかな……。
リンネのタンカを聞いて、カードはちょっと考えてしまった。お嬢様と呼ばれてもおかしくない少女が山賊相手にふざけるなだの、莫迦だのと言うのだから。
「言うじゃねぇか、くそアマ」
「どう後悔するってんだね? してみたいもんだ」
当然リンネの言葉など本気にしていない山賊は、ドッと笑った。
「カード、暴れてもいいわよ。帰ったら好きなだけご飯食べさせてあげる」
「やったね」
リンネが乗る馬の後ろで声がした。暗くてはっきりしなかったが、そこには黒い毛並みの狼がいる。が、その狼が前に進み出ると、少年の姿に変わった。
「さぁて、おじさん達は何人いるのかな?」
ざっと見渡す。身体もいかついが、顔も同じようにいかつい。それなりに武装もして。
「ふぅん、七人だね。なぁんだ、楽勝じゃんか」
丸腰の少年は嬉しそうに言った。言われた方は面白くない。だいたい、こんな山の中で彼らに出遭ってしまえば、たいがいの人間は恐れるものだ。
それを楽勝、とまで言われては、山賊としてのプライドも何もあったものではない。たとえ相手が少し普通ではないようでも、所詮は子どもだ。
「なっ、何だと、このガキがぁ」
「うん、よく言われるよ」
にこにこ笑いながら、カードは高く跳んだ。飛び下りざま、二人の顔に蹴りを入れる。地面に軽く手を着き、それをまるでバネのようにして跳ねると、剣を持って襲いかかってきた男の腕を蹴った。パキンという小気味いい音がして、次に気分の悪い男の悲鳴が響く。
「これは俺も参戦しないテはないよな」
リンネ達が来る前に捕まえられていたらしい男が、カードの加勢に入った。彼も器用に剣の鞘で相手の剣を跳ね上げ、ついでにその先を山賊のみぞおちに食い込ませる。
あっという間に、山賊はみんな地面を這っていた。多少の打撲や骨折はあるが、カードは一人も殺してはいない。一応、人間は殺さない主義である。
「く……くそぉ、この……」
「このガキっていうのは、もう聞いたよ」
カードがセリフを先取りする。
「あたし、今すっごくいらいらしてるのよ。あたしが馬から降りる前に、さっさと消えなさいっ」
何もしてない人間が、一番偉そうにしている。
とにかく、このハッタリが効いたのか、やられた傷が痛むのか、山賊はすごすごと逃げて行った。自分達の不利を悟ったのだろう。
「余計な時間をとっちゃったわ」
「けど、遠回りするよりはいいよ」
「何を焦ってんだよ、おふたりさん」
逃げなかった男、つまり山賊ではない男がリンネ達に声をかけた。聞いた覚えのある声に振り向くと、見覚えのある顔がそこにある。暗くて今までわからなかった。
「ダルウィン! 山賊に捕まってたの、あなただったの?」
そこにいたのは、トーカの街やオーゼルの街でしばらく行動を共にした青年。パズート大陸のあちこちを旅しているダルウィンだ。
「捕まってたって……まぁ、そう見えなくもなかったろうけど」
「そうとしか見えなかったわよ」
「俺がおとなしく捕まるタイプと思ってる?」
行く手を彼らに阻まれたのは事実。だが、どうとでも逃げられると算段してやりとりしている時に、リンネが現れたのだ。
「えらい口の利き方をしてたな。どうしたんだ? そういえばニルケがいないな」
「魔性にさらわれたのよ。早くしないと、殺されちゃうわ。今はゆっくりしてられないの。またね、ダルウィン」
それだけ言うと、リンネは馬を進ませようとした。そのくつわをダルウィンが掴み、ひょいと重さを感じさせない動作でリンネの後ろに乗った。
「ちょいと失礼。よくわからないが、そういうことを聞かされて、笑って見送れる訳ないだろ」
ダルウィンはリンネの握っていた手綱を引き受ける。
「急いでるってことは、一応の場所はわかってるんだな。それじゃ、飛ばそうか」
「え……う、うん」
そうだった。この人、いつも当たり前のように一緒に来てたんだっけ。
ダルウィンに横腹を蹴られ、馬は再び暗い山道を走り出した。





