打ち明ける
今の声は、ティルにも聞こえた。
驚いて振り返ると、出入りする穴から見たことのない人間が次々に入って来る。
「何なのよ、あなた達」
「ニルケを迎えに来たのよ」
先頭で入って来たリンネが、はっきり答えた。
「ひどい顔色……」
ニルケの顔を見てそう言うシェリルーも、真っ青になっている。
「おい、ニルケ、生きてるか」
ぐったりとなったニルケを見て、ダルウィンが怒鳴った。ニルケはそちらを見て、応えるように弱々しくながら笑う。
「生きてるけど、あれじゃすぐにくたばりそうだぞ」
カードの言い方はきついが、誰もがニルケの具合の悪さは見てとれた。ニルケは床に座った状態だが、その様子は糸が切れた人形のようだ。
「ニルケはね、熱があるのよ。病気なの。あなたがどういうつもりで連れて来たかは知らないけど、とにかく返してもらうわ」
「ダメ!」
リンネが歩きかけると、ティルはニルケの前に立ちはだかった。
「ティル、やめるんだっ」
最後に入って来たフェダーがいさめる。
「フェダー……」
見知った顔に、ティルはなぜ人間がここまで来ることができたのかを悟った。同族の彼がこの人間達と邪魔しに来たのだ。
「まさかとは思ったが、本当にお前が魔法使いを連れて行ったとは。早く彼を帰すんだ」
「やだっ」
ティルが叫ぶと、いきなり鷹のような大きな鳥がその場に何百羽と現れ、リンネ達に襲い掛かってきた。
ダルウィンは短剣を出し、カードは狼になってその牙でそれぞれ襲ってくる鳥を撃退してゆく。リンネとシェリルーは前に出ているふたりが守ってくれるので無事だが、たまに彼らの反撃の間をぬって襲ってくることがあった。それらは、一応の護身用で持っている短剣の柄で、リンネがはたき落とす。
だが、鳥達の攻撃は長く続かなかった。フェダーが風を起こし、ティルの出した鳥達を地面や壁に叩き付けてしまったのだ。衝撃を受けた鳥はすぐに消滅してしまう。全てが消えるのはあっという間だ。
ティルの見た目はリンネより年上のようだが、フェダーは彼女のことを幼いと言っていた。リンネ達にとっては激しい攻撃になりえても、フェダーにとっては大した攻めではないのだ。
それを見たティルはニルケを掴まえて立たせると、侵入者から少しでも離れようと移動する。
「病人に無茶しないで。お願い」
ティルのニルケに対する扱いに、シェリルーは気が気でない。
「帰ってよっ。せっかくニルケとふたりでいたのに。どうして来たのよぉ。ここはあたしの場所なんだから。あたしの好きな誰かとしか、いちゃいけない場所なんだからっ」
その姿に似合わず、子どものように叫ぶティル。耳元で叫ばれてるニルケはうるさくて仕方がない。
「あなた……ニルケが好きなの?」
「うんっ」
リンネの問いに、ティルはこの場に不釣り合いなほどにっこり笑って頷いた。
「だから、ティルは一緒にいるの。ニルケと一緒にいるんだから」
「一途なのはいいが、あまり思い込むのもどうだかな」
「好きなのに、どうして好きって言っちゃいけないのっ」
ダルウィンの言葉に、ティルが噛み付く。責めるのは筋違いだ、とでも言うように。
「好きだから一緒にいたいっていう気持ちは、あたしにもわかるんだけど……」
リンネだってダルウィンが好きで、好きだから一緒にいたいと思う。その気持ちは人間も魔族も同じ。
いつもなら負けず口撃するリンネだが、いつもと事情が違うので強く言えない。
「ティル、離してください。ぼくは彼らと帰ります」
苦しそうな息の下からニルケが言い、自分を掴まえている手を解こうとする。ティルは大きく目を開き、それから何度も首を横に振る。
「やだやだやだやだ! 離さないもん。あたしはニルケと一緒にいるんだから」
「ティル……お願いですから」
「やだってば。せっかくティルが連れて来たのに。せっかくティルのいる所に、ニルケがいるのに。あたしはここにいるのっ。ニルケと一緒にいるのっ」
ニルケが離れようとすればするほど、ティルはそれを拒否し、離すまいとする。しまいには有無を言わさず抱き締めた。
「いい加減にしなさい!」
急にきつい口調で言われ、ティルはびくっとする。まるで母親に叱られた子どものように。
恐る恐るというように声の方を見ると、シェリルーがつかつかとこちらへ歩いて来る。
「な、何よ。こっち来ないでよ」
逃げるように、ニルケを盾にするように彼の後ろへ隠れるティル。だが、シェリルーは構わずにふたりのいる所まで来ると、ティルの腕を掴んだ。そのままぐっと引っ張られ、ティルの手からニルケが離れる。
「やっ……何を」
ぱしっ、という音が響く。シェリルーがティルの頬を叩いていた。
「いい加減にしなさい。あなた、彼がどういう状態だかわからないの?」
叩かれた方のティルは、呆然としてシェリルーの方を見ている。それはその場にいた誰もが同じだった。
今は人間の姿とは言え、相手はシェリルーより背が高く、その本性は魔鳥なのに。まるで恐れる様子がない。
「ティル。あなた、さっきからニルケが好きだって言ってるけど、それは好きとは違うわ。そういうのは、ワガママって言うのよ。本当に好きなら、相手のことを思いやる。だけど、あなたは自分のことばっかりで、彼のことなんて何も考えてないじゃない」
「そ、そんなことないもん。ティルだってニルケのこと、考えてるもん」
あっけにとられていたティルだが、少し立ち直って反論する。
「だったら、彼を早く帰してあげて。こんな寒い所じゃ、もっと熱が上がるわ」
「けどぉ……」
ティルは渋い顔をする。どんなに叱られても責められても、やっぱりニルケを手放すのがいやなのだ。
「また、せっかく、なんて言うの? その言葉は、好きな相手に対して使うものじゃないわ」
さっきティルが口にした言葉を、シェリルーはきっぱり非難した。
「な、何だか今日のシェリルー、強いわね」
後ろで見ていたリンネ達は、いつもとは違うシェリルーの姿にちょっと驚いていた。
以前もニルケが危ない時、普段からは考えられない強さの魔法を使ったことはあったが、その時の本人はほとんトランス状態だった。
でも、今ははっきり自分の意思で、魔族と対峙している。
「恋する乙女は強いって言うが、シェリルーを見ていると、なるほどなと思うよ」
「何だかリンを見てるような気分になる」
「ああ、言えてるな」
いつもこういう相手を攻める役はリンネがしているのだが、こうして他の誰かがすると不思議な気分になる。
「そう落ち着いていていいのか? 今のうちに魔法使いを」
「まだ待った方がよさそうだ」
ニルケ達の方へ出ようとしたフェダーを、ダルウィンが止める。
「話を中途半端に終わらせると、同じことをしかねないからな、あの子」
おおいにありえると思ったフェダーは、言われた通りもう少し待つことにした。
シェリルーの言葉に、ちょっと詰まっていたティル。だが、キッとシェリルーを見据えると、再び反論する。
「ティル、ニルケのこと好き。ニルケがティルのこといやなら、ニルケの好きな誰かに姿を変えてもいいって言った。ニルケのためよ。ティル、自分のことばっかり考えてないもん」
「ティル……それも違うわ」
「違わない!」
否定されたことを、ティルはさらに否定する。
「あなたがたとえどんなに上手に他の誰かの姿に変われても、それはうわべだけ。ティルはやっぱりティルよ。ニルケが好きな誰かとは、やっぱり違うの」
「ティル、ニルケの好きな誰かになる」
頑固に言い張る。足を踏ん張り、顔を赤くして。その様子を見ていると、小さな子が必死になっていい訳しているみたいだ。
「ティルはティル以外の誰にもなれないのよ。他の誰も、ティル自身になれないのと同じで。誰かを好きになるのは、外見も含まれるでしょうけど、その相手の中身だもの」
「……」
まだティルは反論したそうな顔をしているが、言葉が見付からないらしい。
「ティル」
ニルケに呼ばれ、ティルはすぐにそちらを見た。シェリルーがティルを引き離したため、ニルケは壁によりかかり、かろうじて立っている。
「きみの好意は嬉しいですが、ティルの気持ちに応えられません。ぼくには……好きな人がいます」
かすれる声で、ニルケは告げた。
「誰? どんなひと? そのひとも、ニルケのことが好き?」
「ぼくはその人ではありませんから、わかりません。推測するだけです」
「教えて。誰?」
「……」
ニルケは答えようとしない。
「はっきり言えばいいのよ。途中でやめるなんて、ズルい態度だわ」
リンネの言葉は、味方に対しても結構容赦ない。
「どうして言ってくれないの。ティルから離れたいから、嘘ついたの? 本当は好きなひとなんていないとか」
「もうやめて、ティル」
問い詰めようとするティルを、シェリルーが止めた。でも、本当はシェリルーだって知りたい。
端から見ればシェリルーとニルケは恋人同士みたいだ、とリンネは言った。でも、ニルケの口からそういった言葉を、これまでに聞いたことはない。
シェリルーも告白しよう、と何度も思ってはいても、まだ直接本人に言えてなかった。
これまでに色々なできごとがあり、その度にニルケは魔法の下手なシェリルーを守ろうとしてくれていた。魔法の下手さ加減に落ち込んだりすると、なぐさめてくれた。シェリルーのレベルでは危険な魔法を使い、そのことを本気で叱ってくれたのも彼だ。
リンネは、ニルケがシェリルーのことを想っているからだ、と言う。シェリルーもそれが真実ならどんなに嬉しいかしら、と何度も考えた。
ニルケはシェリルーのことを、本当にそういう目で見てくれているのだろうか。同じ想いを抱いてくれているのだろうか。
それはティルより、シェリルーの方がずっと知りたいこと。
でも、今はそんな場合ではない。早くニルケを休ませなければ。
「ね、教えて」
しかし、ティルがあきらめる様子はない。
「……その人に危害を加えたりしない、と約束できますか?」
リンネの言葉が効いたのか、このままではティルが決してあきらめないと思ったのか、ニルケは静かに尋ねた。
「できるよ。ティルは今まで、約束破ったことなんてないもん。だから、教えて」
しばらく間があった。シェリルーは心臓が破裂しそうな気すらして、この間が早く過ぎて欲しいと祈っていた。時間が止まったようなこの沈黙が痛い。
ティルがもう一度せかそうとした時、ようやくニルケが口を開いた。
「……シェリルー=サントレーフという人です」
「……!」
その名前を聞いて、シェリルーは息が止まりそうになった。
「好きってどれくらい?」
「どれくらいと聞かれても……数で言えることじゃありませんから」
「でも、どれくらい?」
「……。心から愛しています」
自分の愛する人の口から、自分の名前を聞いた瞬間、シェリルーは自分の顔に血が上るのをはっきり感じた。知らず、涙がこぼれる。
「へぇ、本当に言ったわね」
「リンがけしかけたんだろ」
「まぁ、いいじゃない。これであたしも、ようやくニルケの気持ちがしっかり聞けたわ」
「何だよ、あの二人。まだお互いの気持ちを言ってなかったのか?」
「みたいよ。シェリルーが慌てて否定してたもん」
「俺、てっきり言ってると思ってたんだけどなぁ。リンネがハッパかけるとかして」
「どっちもこういうことにはオクテみたいだしね」
外野の方がうるさい。
ティルはフェダーと一緒に現れたこの侵入者の名前をまだ知らなかったが、リンネ達が話しているのを聞いて、目の前にいる女性がニルケの言うシェリルーだとわかった。
「あなたが、ニルケの好きなひとなの?」
改めてティルは、シェリルーの方に向き直った。
「ティル、その人に危害を加えないと約束したはずでしょう」
「ニルケは黙っててよっ」
ティルの声の調子が変わり、シェリルーは、そして少し離れて見ているリンネ達もわずかに身構える。ニルケの想い人がすぐそこにいるとわかり、逆上したティルが手を出してくるかも知れない。
「あなたはどうなの? ニルケのことが好きなの?」
「あ……の、えっと」
第三者にはっきり聞かれ、シェリルーは耳まで赤くなる。さっきまではきはきしゃべっていたのに、今はまともな言葉にならない。
「シェリルー、がんばれ。今言わないと、ずっと言えないわよ」
リンネが後ろで応援する。その言葉に励まされたのか、シェリルーはぐっと顔を上げ、ティルとしっかり視線を合わせた。
「私はニルケが好きです。初めて会った時からずっと」
「絶対に好き?」
おかしな表現だが、シェリルーはそんなことなど構っていない。
「好きよ。他の誰よりもずっと」
言ってから、シェリルーはニルケより熱があるんじゃないかというほどに、さらに赤くなる。
「それじゃ、ティルの入る所、ないじゃない。つまんないの。んじゃ、ニルケのこと、やーめた」
まるで遊びをやめるかのような口調で言うと、そのままティルはリンネ達の前を走り過ぎ、外へと飛び出した。
「待つんだ、ティルナーン!」
ティルの後を追って、フェダーも飛び出して行く。
しばし、あっけにとられて彼らの姿を見送っていたニルケだが、やがて短くため息をついた。
「これで……帰らせて……もら……そうで…………」
最後の方は、もう言葉になっていなかった。ニルケはそのまま、崩れるようにして倒れる。慌ててシェリルーが腕を差し出し、抱き留めようとしたが、意識のない男性を抱えるほどの腕力はない。
ニルケと一緒に倒れそうになるシェリルーを、駆け付けたカードとダルウィンが支えてくれた。
「! ひどい熱」
思っていた以上に、ニルケの熱は上がっている。その熱さに、シェリルーはぞっとなった。
「早く……早くお医者様に診せないと」
シェリルーがおろおろしているのを見ると、リンネは急いでフェダーが出て行った方へと走り、そこから大きく叫んだ。
「フェダー! 戻って来てっ。早く!」
リンネの通る声が何度もこだました。





