解毒
山を降りる時は、来た時のことが嘘のように楽に降りることができた。
魔物はまるで出て来ないし、あの苦労した石や植物の壁が消えていたのだ。ガラスの木に辿り着いたせいか、あの大きな魔物を消したからか。
それはわからないが、とにかく何事もなく山を出られた。
あとはコルドナの街へ戻り、エレストの山で待っているフェダーの所へ行くだけだ。ここまで付き合ったのだから、ということで、ダルウィンもエレストの山まで一緒に行くことになった。
「ロック鳥って奴を一度見てみたいからな。それに万一このガラスの実は違うとか、足りないだとか言われたりしたら、また出掛けなきゃならないだろ」
「やめてくれよ、ダル。あれだけ色々と苦労して、違うなんて言われたかないや」
「大丈夫よ。フェダーがあるって言う山へ行って、そこで取って来たんだもん」
あれやこれやと言いながら、一行はエレストの山へ戻って来た。
フェダーの通った跡は残っているので、彼のいる所へは迷わずに行ける。他にそういう道がないところを見ると、あれからフェダーは山を出ていないか、少しは飛行する時の勘が戻ってきたのかも知れない。
「えらく派手に木が倒されてるな。これ、そのロック鳥がやったのか?」
「うん。毒のせいでうまく着陸できなかったみたいね。もうすぐよ」
やがて、フェダーの黒い姿が現れる。だが、彼はこの前のように直立した姿勢ではなく、地面に横たわっていた。色が全て黒なのでよくわからなかったが、近くまで来るとその目は閉じられている。
「……フェダー?」
リンネが呼び掛けるが、フェダーは返事をしない。何の反応もない。
「おい、冗談だろ。苦労してガラスの実を採って来たのに、頼んだ奴がひっくり返ってどうすんだよ」
カードが怒鳴っても、やはりフェダーの応えはなかった。
「まさか毒のせいで……。私達、遅かったの?」
「どのような毒なのかわからないので、何とも言えませんが」
「無駄……だったのか?」
「そんなことないわ。フェダーはまだ死んでなんかいない!」
リンネは横たわるフェダーのそばへ行くと、いきなりその大きく長いくちばしに手をかける。
「おい、リン。何するつもりなんだよ」
「口を開けてガラスの実を飲ませるのよ。まだ間に合うかも知れない。魔族は死ねば消えるはずでしょ。フェダーはまだここにいるんだから、完全に死んだ訳じゃないわ」
言いながら、リンネはフェダーのくちばしを開けようと苦戦する。重くてなかなか開いてくれない。
「全部が全部、そうじゃないけど……やってみっか。ダル、手伝えよ」
「あ、ああ」
普通の大きさの鳥ではないので、とてもリンネだけではフェダーの大きなくちばしを開けるのは無理だった。結局、ニルケとシェリルーも加わり、全員でフェダーのくちばしを開ける。意識のない怪鳥のくちばしは重かったが、何とかすきまができた。
リンネは持ち帰ったガラスの実を、そのすきまから放り込んだ。
「ニルケ、実は一つでいいのかしら」
いくつ必要かわからなかったので、少し多めに採ってきたつもりだ。しかし、こうしてこの巨体を見ていると、それでも足りないような気がする。
「どうなんでしょう。ぼくもこの実のことは知らなかったので、はっきりとは言えませんね。カードはどうです?」
「オレにもわかんないな。しばらく様子を見てみたら?」
そんな会話をしていると、フェダーの目が半分開いた。
「フェダー! やっぱり生きてたのね。わかる? 私達のことがわかる?」
「あなたに言われたガラスの実を採って来たわよ。教えて、いくつ必要なの? 口に入れてあげるから。今一つ入れたわ」
こちらの言うことをどこまで理解しているのか、真っ黒な瞳からは読み取れなかったが、やがてかすれたような声で返事があった。
「あと……二つ」
言われた通り、リンネは二つのガラスの実をフェダーのくちばしの中へ放り込む。今度は自発的にくちばしを開けてくれたので、さっきまでよりも楽に入れられた。
リンネ達が見守る中、フェダーの身体が次第に変化し始める。
真っ黒だった身体から色が抜けて白っぽくなり、最後には薄い砂色になった。リンネが前に見たロック鳥とよく似た色だ。
大きさは、今よりさらに大きくなるかと思いきや、逆に小さくなってゆく。最初は効果がなかったのでは、と疑ったが、鳥の姿から人間の姿へ変わった。小さくなったのはそのせいだ。
「フェダー……?」
その場にうずくまるようにして現れた男に、リンネがそっと声をかける。
砂色の真っ直ぐな長い髪に、こちらを見る瞳も同じ砂色で、立ち上がればかなり大柄の男だ。ダルウィンも身長はある方だが、その彼を軽く超えている。見た目はニルケと同世代か少し上くらいといったところか。
「フェダー、よね? 元に戻れたの?」
目の前であの大カラスから変わったのだから間違いないだろうが、一応確認してみる。
「ああ、毒の要素はあのガラスの実で消された」
「本当に大丈夫? 私達が戻って来た時、意識がなかったけど」
心配そうにシェリルーが尋ねる。
「ああ、さっきはかなりつらかったが、もう何ともない」
毒のせいで、ずいぶん体力を奪われていたらしい。そのために意識がなかったのだが、リンネがくちばしをこじ開けて実を入れたおかげで意識が戻ったのだ。リンネがそうしなければ、そのままフェダーは息絶えてしまったかも知れない。
「てっきりロック鳥の姿になると思ったんだが……」
ダルウィンはそちらの方をちょっと期待していたのだが、フェダーは人の姿。ちょっとばかり拍子抜けのような気がしないでもない。
「あちらの姿になると、この周辺の木々を倒してしまうからな。これ以上の森林破壊はしたくない」
「そっか。あれだけの大きさだもんね。ここでロック鳥になったら、確かに大変だわ」
ロック鳥の大きさを知っているリンネが納得した。フェダーが鳥の姿になるには、ここは木々が密集している。
「きみは?」
見覚えのない青年にフェダーが尋ねた。ここにいると、人がどんどん増えてくるような気がする。
「俺はダルウィン。リンネ達に話を聞いて、首を突っ込んだんだ」
こうなったいきさつを、ダルウィンは簡単に話した。
「そうか。感謝する、魔法使い達。おかげで命を長らえることができた」
「魔法使いは二人だけだぜ。リンとダルは普通の人間なんだから。……普通かどうかはともかくさ、あんな道だってわかってるんなら言っといてくれよな」
「すまない。私も実際に行ったことはなかったのでな。それほど険しかったのか?」
フェダーは鳥だ。あんな山道をわざわざ歩き回ることなどしない。ガラスの木の存在や、魔物がいるから魔法使いでなければ向かえないだろうということは知っていても、どれだけの困難がそこにあるかなどわからないのだ。
「もういいわよ。ちゃんと戻って来たんだから」
色々なことはあったが、こうして帰って来たからリンネはそれでいいのだ。
「何か礼をしたい。私にできることか、あげられる物があれば」
「あたしは別にお礼なんていいけど。今回はニルケが一番大変だったから、お礼なら彼にしてあげて。魔力のあまりない時に魔法は使わなきゃいけない壁が出たりするし、ケガまでしちゃったし」
お礼がほしくてやったことじゃない。トータスティンの友達と聞いたからやったこと。いや、リンネは困っていれば、それが魔物でも人間でも関係ないのだ。
「いえ、ぼくも礼なんて結構ですよ。ケガはシェリルーに治してもらったので、もう何ともないですし」
シェリルーもダルウィンも、そしてカードも礼なんていらない。別に欲しい物なんてないし、してもらいたいような困ったことも今はないから。
しかし、それではフェダーの方も気がおさまらない。自分の不注意で、関係のない人間を危険に巻き込んでしまったのだ。彼はかなり律儀な性格だった。
「これじゃ、どっちもおさまんないわねぇ」
妙な問題が持ち上がってしまったが、ふいにリンネが思い付く。
「そーだ。じゃ、あたしからのお願い、聞いてもらえる?」
「ああ、言ってくれ」
「ちょっとこっちに来て」
リンネはフェダーの手を引っ張り、みんなから少し離れた所へ行く。
「どうした?」
フェダーは不思議そうにリンネを見る。リンネはいたずらっ子のような顔で、ちょっと肩をすくめて笑った。
「ん、聞かれたくなかっただけ。あのね」
みんなから離れているにも関わらず、リンネはフェダーに耳をかすように指を動かす。普通に立っていると、大人と子ども程に身長の差があるので、フェダーはかなり身体を曲げてリンネの方へ耳を差し出した。
「そんなことでいいのか?」
「うん。フェダーなら簡単でしょ」
「ああ。それがリンネの頼みなら、喜んで」
フェダーはしっかりと頷いてみせた。
そんな二人の様子を眺めていたダルウィンがつぶやく。
「何を頼んでるんだか」
「よからぬことじゃなければいいんですが……」
「心配なら頼んでみれば? リンネが何を頼んだのか教えてくれって」
わざとそんな風に言ってみる。
「……また何か起こった時にでも聞いてみますよ」
また家を抜け出したと思ったら、とんでもない所まで遠出している。
今後そんなことがあったりすれば、きっとフェダーが関わっているのだろう。どうせ今止めても無駄だろうから、その時が来てから対処する方がいい。
「はは、その時にはもう遅かったりして」
そんな魔法使いの言葉に、カードが実にありえそうな言葉を口にする。軽く溜め息をつくニルケの隣りで、シェリルーがクスッと笑った。
☆☆☆
フェダーと別れ、リンネ達はコルドナの街へ戻った。
ダルウィンもそのままコルドナへ入り、その日はドュート家に厄介となった。
ニルケの父のセイダルや兄のセルスも仕事先から戻っており、彼を紹介する。旅先で知り合った友人、ということにしてリンネの婚約者ということは言わなかったものの、エクサールの両親より先にダルウィンを紹介する形になってしまった。
次の日に彼はコルドナを出て、別のルートからオクトゥームへ向かうつもりだと話していた。またしばらくダルウィンとはお別れである。
リンネはすっかり散らかってしまっているシェリルーの部屋の片付けを手伝うために、しばらくコルドナの街に残った。もちろん、カードとニルケも一緒である。
サントレーフ家の修理を手伝う間に、ニルケはますますサントレーフ夫妻に気に入られ、またシェリルーとも親密になっていったようだった。
リンネは二人が話をしているのを見掛けると気を利かし、その場を離れていたので詳しくはわからないが、いい感じであることは間違いない。
ラースの街へ戻ったのは、家を飛び出すようにしてコルドナへ向かった日から十日後だった。ようやく平和な日常が戻る。
「リン、あの時何を頼んでたか、聞いていい?」
のんびりとお茶を飲んでいるリンネに、カードが尋ねた。
リンネが誰にも聞こえないように、フェダーにしていた頼みごと。誰も聞こうとはしなかったものの、やっぱり気になる。
「フェダーにお願いしてたこと? いいわよ。シェリルーをよろしくってこと」
「あ? どうしてシェリルーのことをリンが頼むんだよ」
てっきり、リンネがどこかへ遊びに行く時に手を貸してほしい、という内容だと思っていた。ニルケもそう思い込んでるはず。
「だって、シェリルーがさらわれたって聞いた時、カードがよくさらわれるなって言ってたでしょ。それを思い出したのよ。またそんなことがないように注意してあげてって」
シェリルーがさらわれるのは、もちろん彼女のせいじゃない。何かのとばっちりみたいなものだ。
魔法使いなら自力で逃げればいいのだろうが、残念ながら彼女はそこまでうまく魔法を使えない。
ニルケが話していたが、彼女は「癒やしの魔法使い」に向いているらしい。つまり、回復魔法を専門にしている魔法使いだ。なので、基本的な魔力のことはともかく、攻撃系の魔法は苦手なのである。
それなら、誰かが彼女を守ってあげればいい。
「それじゃ、シェリルーは一生フェダーに見守られてる訳?」
「ううん。それじゃ、何十年も時間を取っちゃうから、フェダーに悪いでしょ。シェリルーがニルケと一緒になるまでよ。あたしがエクサールの家を出れば、ニルケは家庭教師の役も終わるんだし。ニルケがコルドナの街へ戻るのかどうかは知らないけど、シェリルーと結婚するのはそんな先のことじゃないはずでしょ。だから、それまでよ。今回みたいにニルケが焦っちゃうってこともなくなるわ。常に一緒にいれば、ニルケがシェリルーを守ってあげられるじゃない。それからのことは、ニルケの責任ね」
「ふぅん。リンも世話焼きだなぁ」
リンネのそういう部分も、カードは好きなのだが。
「だって、いい加減見てらんないでしょ。あんなニルケ見るの、初めてだったしね。でも、フェダーにまかせておけば安心よ」
あんなに真剣な瞳をしたニルケは初めて見た。いつも静かで穏やかな彼が見せたあの表情は、どこか怖い気すらした。
今回、シェリルーは無事だったからよかったが、もしものことがあれば、ニルケはきっと自分のせいではないのに自分を責めるだろう。自分の無力さをののしって。
逆に言えば、ニルケはそれだけシェリルーのことを大切に想っている……。
人間である以上、好不調があるのはどうしようもない。せめて離れた所にいる恋人を心配しなくていいように、今回のように慌てふためくことがないように。
恋人が離れた所にいるのはリンネも同じだが、ダルウィンにそんなお守りなんて必要ない。彼ならどうとでも切り抜ける。リンネはそう信じているのだ。
「それ、ニルケには言わないの?」
「こういうことは、黙ってる方がいいのよ。奥ゆかしいって奴ね」
「聞き慣れない言葉を聞いた気がしますね」
いきなりニルケの声がして、リンネは口をふさいだ。だが、魔法使いの様子では、これまでの会話はどうやら聞かれていなかったらしい。
「あたしにだって、それなりにボキャブラリーはあるもん」
「意味を使い間違わなければいいですが」
「ふーんだ。ね、魔力はまだ戻らないの?」
「戻った、と言えば抜け出すんでしょう。言いたくないんですけれどね……ほとんど通常通りになりました」
だいたい、調子が悪くなってしまうのはほんの数日のはずだ。あれから十日も経っているのだから、すっかり元の調子に戻っている。
本心から言いたくなかったニルケだが、約束は約束。
「そっか。よかったじゃない。あ、それならフェダーにどこか連れてってもらう約束でもしておくんだったわ」
「あの時にしていたんじゃなかったんですか? ぼくはてっきり抜け出す計画をしていたのかと」
はっきり言えば、そうに違いない、とニルケは信じて疑っていなかった。
カードのように普通の獣程の大きさにしかならない魔獣ならともかく、人間一人など軽く乗せて大空を飛んでしまうような巨鳥なのだ。ちょっと別の国へ、と思えば簡単に行ける。
実際、リンネはロック鳥に乗ってよその国へ行ってしまったことがあるのだ。何でも言ってくれと言われ、リンネが頼まないはずがない、と思っていた。
「まさか。抜け出すくらい、自力でやるわよ」
「……リンネ」
魔法使いの顔が思いっ切り渋くなる。それはそれでおおいに困るというもの。
「だって、今更誰かに頼らなくたって、何とかなるもん」
こんな自信は持ってほしくないのだが……。
「ま、リンの場合は確かにそうかもな」
次の勉強の時間から、また追い駆けっこが始まるのかと思うと、気が重くなるニルケだった。





