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お嬢様にピンチなし  作者: 碧衣 奈美
第一話 リンネの旅
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プロローグ

1995年から1998年に書きためた物語。まだこの世に影も形もなかった読者の方が多くいらっしゃるかも。物足りない部分や説明不足な描写など、たっぷり修正しました。

執筆当時は違うタイトルでしたが、投稿するにあたり変更しています。

「リンネ、ちゃんと本は読みましたか? この範囲を今日テストします、と言っておいたでしょう」

 柔らかなウェーブがかった黒髪の少女は、家庭教師の若い魔法使いを上目遣いで見た。見られた方の魔法使いは、渋い顔で少女の顔と手元の紙を交互に見ている。

 予想以下の低い点数に、薄い金色の前髪からのぞく緑の瞳が、あきれた表情を浮かべてこちらに向けられていた。

「だってぇ、昨夜はちょっと眠くてすぐに寝ちゃったから、ゆっくり本を読む時間がなかったのよぉ」

 拗ねたように反抗してみる。

「また屋敷を抜け出して、夜遊びしていたんでしょう。理由になりませんよ」

 わずかな抵抗は見事に無駄だった。昨夜の行動はしっかり見抜かれているらしい。

「で、でもね、ニルケ、街はすっごくにぎやかよ。まだ記念祭は二週間も先だっていうのに、みんなうかれてるの」

「リンネはいつもうかれているでしょう」

 きつい一言。

「とにかく、もう一度チャンスをあげます。これまでやった部分のおさらいばかりなんですから、せめて半分の点数は取ってくださいね。このままだと、ぼくが何を教えていたんだと責められます」

「あ、ズルいんだ。自分が叱られるのがいやだからって、あたしに無理矢理勉強させようなんて」

 責任転嫁も含め、ちょっと責めてみる。

「いいんですよ、そんなにいやなら勉強しなくても。ですが、世間の批評はシビアですよ。莫迦だ、無知だと陰口を叩かれるのは、リンネですからね。それでも構わない、と言うのであればどうぞ。父上、母上の嘆きを無視して、遊びまくってください」

「そ……そこまで言う?」

 魔法使いの言葉は、にこやかな表情とは真逆に厳しい。

「ねぇ、テストの点をニルケが細工してくれれば、どちらも叱られなくて済むからいいと思わない?」

「思います」

「じゃ、そうしようよ」

「それであなたの自尊心(プライド)が何ともないのなら、そうしてあげても構いません」

「……」

「でも、ぼくなら人様を欺いて裏で笑うより、いっそのこと莫迦に撤した方が気も楽ですね。そこまでして頭のいい人間に見られよう、とは思いませんから」

「うー。わかったわよっ。本、読めばいいんでしょ。今日は遊びに行かないで、ちゃんと本を読むわ」

 こと、勉強に関しては彼に勝てない。

「わかればいいんです」

「ふんだ、悪魔」

「ひいてはリンネのためです。がんばってください」

 悪魔……もとい、魔法使いはにっこり笑って励ましてくれた。

☆☆☆

 リンネアリール=エクサール、通称リンネ。

 ルエックの国の北部、ラースという街に住んでいる。東西に長く伸びるパズート大陸には十三の国が存在し、ここルエックの国があるのは北北西にあたる所。横長な楕円の時計で例えるなら「12」の位置付近だ。

 父であるラグス=エクサールはラース港に多くの漁船を持ち、また貿易業も営む名士である。この大陸では貨物を陸路で運ぶ技術が未発達で、小さな馬車くらいしかない。大量の荷物を他国へ輸送するとなると、船が使われる。そのため、内陸よりは海に面した街が発展しているのだ。

 こんな環境の世界で、貿易に携わる父を持つリンネ。平たく言えば、リンネはお金持ちの娘、ということになる。

 でも、リンネはお嬢様と呼ぶにはほど遠い。誰かが「深窓の令嬢」などとおべんちゃらを言おうものなら、海の中はもとより、ラース港に釣り上げられた魚でさえ笑い出すに違いない。十五になって、外見はとてもきれいになった、という評判はあるのだが。

 勉強を抜け出すなんてしょっちゅうだし、何かの祭りがあろうものなら、出て行ったままでなかなか帰って来ない。街にいる荒くれ者にもなぜか顔がきき、最近では誰に習ったんだか剣術のマネごとまでするようになってきた。

 家の者達は「少々」おてんばなリンネに困ったりもしているが、街では人気者のリンネである。家が裕福なんてことを自慢したりしないし、誰とでもすぐに仲良くなるからだ。

 普通のお嬢様が高飛車なのを見ているあまり裕福でない子ども達は、リンネのその気さくなところが好きなのである。

 そんなリンネの手綱を握る役目を任されているのが、ニルケ=ドュート。二十四歳の若い魔法使いだ。

 彼はリンネの父ラグスの友人、セイダル=ドュートの次男である。商家で育ったニルケだが、幼い頃から魔法使いが志望で、熱心に勉強をしてきた。

 その彼が十五歳の時、ラグスがリンネの家庭教師をしてくれないか、と依頼してきたのだ。

 彼の出身地である街コルドナは、ルエックの国の南端に位置するので内陸部になり、どちらかと言えば田舎である。当時、コルドナでは魔法に関する本が圧倒的に不足していて、取り寄せにもずいぶんと時間がかかっていた。

 それに比べて、ラースは港があるので多くの商品が入ってくる。もちろん、その類の書物も、好きな時に好きなだけ手に入る訳だ。

 リンネに勉強を教え、残った時間はニルケの自由にできる。住まいは立派なエクサール家で部屋をあてがわれるし、もちろん食事付き。仕事として依頼されているのだから、家庭教師料も入る。

 好条件ばかりだ。ラグスは父の昔からの友人で、ニルケ自身もラグスのことはよく知っているので信頼できる。

 そんな事情から、ニルケはリンネの家庭教師をするようになった。

 ただ一つ。ニルケの期待を裏切るものがあったとすれば、リンネだ。

 まだその時は六歳でしかないリンネだったが、もうその頃から本領発揮。

 悪い子ではないのだが、ちょっといたずら好きで、屋敷の外へ出るのが好きだった。

 どうやって見付けたのか、敷地を囲む壁の抜け穴を通って街へ出たり、ニルケの本を隠すなんていういたずらをしたり……。苦労の絶えない日々が続くのだった。

 リンネに七つ下の弟ラグアードが生まれ、親の目がそちらへ向く時間が多くなると、ますます気が抜けなくなった。

 勉強の時間になり、呼びに行くとすでに部屋はもぬけの空だったことは、両手両足の指を足しても足りない。はっきり言って、この先やっていけるのかと自信をなくしかけたこともある。自分より九つも下の少女に遊ばれてしまうなど、情けない限りだ。

 しかし、ニルケも魔法使いの端くれ。こうなったら、と魔法を使ってリンネの使う抜け穴を探し出し、それをふさいだ。

 抜けられなくなったと知ったリンネは、下は駄目なら上へとばかりに、壁を乗り越えて外へ。

 それを知ったニルケは、リンネが近付くと壁が高くなって上れないようにして彼女を捕まえた。

 リンネが本を隠せば、魔法で捜し出した。

 とにかく、何かリンネがやる毎に、ニルケは魔法を使ってそれを解決していったのだ。

 さすがのリンネも魔法が相手ではかなわない、と観念したが、だからと言って全く抜け出さなくなった訳でもない。

 あの手この手で、ニルケの目をゴマかしながら街へ遊びに行く。一方、ニルケもリンネがいたずらすれば、魔法で対抗する。

 ニルケが魔法使いになれたのは、彼の元々の才能はもちろんだが、リンネのおかげかも知れない。

 エクサール夫妻はニルケがよくやってくれている、と喜んでいるのだが、ニルケにすれば毎日が化かし合いのようなものである。

☆☆☆

 エクサール家では毎年四月の下旬、ムルアの国にあるペンスの街を訪れるのが恒例行事となっていた。

 ムルアは、リンネの母リリアネーシャの実家がある国だ。なぜ同じ時期に訪れるのかという話になると、リンネが生まれる前まで時間が遡る。

 リンネの父ラグスの事業が、今よりそんなに大きくなかった頃のこと。

 ペンスの街の、とある商人の家を訪れた。もちろん、仕事の話だ。

 無事に商談もまとまり、帰るという段になった時、明るい女の子達の笑い声が聞こえてきた。その家の娘とリリアが友達で、ラグスがその家を訪れた時に偶然リリアも遊びに来ていたのだ。

 彼女に一目惚れしたラグスはすぐにリリアを口説き、リリアも意欲に燃えているラグスに好意を寄せた。二人はすぐに誰からも、お似合いの恋人だ、と言われるようになる。

 だが、仕事に恋に張り切っているラグスの前に、高い壁が立ち塞がった。

 結婚し、リリアをルエックの国へ連れて行きたいと望んだ彼に、リリアの父ガーネズが猛反対したのだ。

 理由ははっきり言えばとても個人的であり、父親ならみんなそう思うであろうものだった。

 つまり、一人娘であるリリアを手放したくない、というだけなのである。

 ましてや、ルエックがあるのはオクトゥームの国の向こう、つまりペンスからは街だけでなく、国一つを隔てた所にある。いくらラースの街は港があって商業が発展し、裕福な街だとしても、そんな遠い所へ娘を嫁がせたくない、と言うのである。

 このことについては、自分も遠い所から嫁いだ経験のあるリリアの母ルネアの方がずっと理解してくれた。

 娘はいつか嫁に行くものであり、いつまでも引き止めていては婚期を逃してしまうし、それでは娘が不幸になる。父親が娘が不幸になる手助けをするのか。

 ルネアは父親の心理を突くような説得をし、ラグスも必死に頼み込む。リリアの涙も功を奏し、ガーネズもようやく折れた。

 ただし、条件付き。

 それが、毎年リリアを連れてペンスの街を訪れる、というものだったのである。厳密に言えば、五月初めに来るガーネズの誕生日に必ず顔を見せよ、と。

 もちろん、ラグスはこれを承諾し、二人は無事に結婚できた。

 翌年からずっと、夫妻はペンスの街を訪れることを欠かしたことはない。ラグスは忙しい身ではあるが、この時期だけは何とか都合をつけてきたのだ。

 リリアがリンネを身ごもり、医師から遠出の旅行はやめた方がいい、と言われた時だけ、ガーネズ自らがルネアと共にラースの街へやって来た。

 その時以外はリンネとラグアードも加え、毎年里帰りがなされてきたのだ。

 今年も、その時期が近付いている。

 だが、ラグスは頭を抱えていた。

 今年はルエックの「独立百周年記念祭」が行われることになっているのだ。

 歴史は時に、ひどく迷惑なものを残してくれる。なぜこの時期に独立なんてするのだ。

 いつもなら都合をつけてどうにかペンスの街へ行くのだが、この行事は欠席できない。一つの街ではなく、一つの国のイベントなのだ。

 ラグスはこの記念祭に出資しているし、名士達が集って色々とパーティも催される。中には夫妻で出席するものも予定されていた。

 行事によっては、ルエックの国の代表として顔を出す程の身分でもあるラグスが、妻の里帰りについて行くために欠席など、世間が承知してくれない。

 リリアについては体調がどうの、と言えば行事の欠席は可能だ。でも、リリアだけをペンスの街へ帰せば、絶対にガーネズが文句を言うだろう。

 娘だけで、夫は同伴していない。もう愛が冷めたのか。それなら、もうリリアをルエックの国へは帰さない、などと言い出しかねない。

 いや、間違いなく言う。

 世間の目も厳しいが、義父の目もかなり厳しい。

 ラグスとしては、どこでどう折り合いをつけるか、悩むところだ。

「よりによって、日が重なるとはなぁ……」

 父が溜め息交じりにつぶやいているのを、リンネは聞いていた。

 いつもなら、そろそろおじいちゃんの所へ行く時期だ、いつでも出られるようにしておきなさい、と言われている。リンネが遊びにかまけてなかなか用意をしないので、いつも父は早めに言ってくるのだ。

 しかし、今年はそれどころではないらしい。父は本気で悩んでいる。

 リンネとしては、祭りの後でゆっくり行けばそれでいいのではないか、と思うのだが、父の立場としてはそうもいかないようだ。大人は難しい。

 だいたい、おじいちゃんが誕生日にこだわるからいけないんじゃない。特別の日に大切な人達と会うのが嬉しいのはわかるけど。今年はルエックの国にとっても大切な日なんだし、少しくらい大目にみてくれてもいいのに。よし、あたしが父様の代わりを務めてあげよう。孫なら、おじいちゃんだって文句は言わないだろうし。

「ねぇ、父様。あたしが先にペンスの街へ行くわ。母様もパーティなんかに出席しなきゃいけないんでしょ? だったら、あたしが先に二人の分もおじいちゃんに会って来てあげる。記念祭が終わってから、ペンスの街へ行けばいいじゃない。ちゃんとフォローはしておいてあげるから」

「リンネ一人でか? ペンスは遠いんだぞ」

「知ってるわよぉ、それくらい。毎年行ってるんだから。一人旅も面白そうじゃない。道順も何もかもわかってるんだから、平気よ」

 一瞬悩んだが、ラグスはすぐに首を横に振った。

「駄目だ、リンネ一人だと、すぐに寄り道をする」

 さすが父親。娘の性格をちゃんとつかんでいる。それ以前に、お嬢様が一人旅なんて、危険すぎてとんでもない。

「じゃあ……ニルケと一緒に行く。その気になれば、移動魔法で行けるもん」

 瞬時に目的地へ行ける魔法を、ニルケは習得している。寄り道して時間がかかったとしても、その魔法で遅くなった分などいくらでも取り戻せるはずだ。

「し、しかし……」

 ニルケと一緒なら、多少の寄り道くらいで済むだろう。屋敷を抜け出すリンネも、道中で意図的にはぐれることは……本当にないだろうか。そうなってしまわないか心配だし、同行するニルケにも申し訳ない。

「いつまで悩んでるの。どうせどっちかは捨てなきゃいけないんだから、さっさと決めちゃえば?」

 娘は他人事のようにあっさり言ってくれるが、事実でもある。身体が二つない限り、どうしようもない。

 ラグスはニルケを呼んだ。

「……ということで、リンネが行くと行っているのだが……ニルケ、同行してもらえるかね」

 寄り道するのを止めたり、珍しいものを見付けてよその村や街で迷ったりしないように面倒をみてくれ、と言外に頼んでいるような言い方。まぁ、ラグスはそういうつもりで言ったのだし、ニルケもそう聞いた。

「もし、ぼくがお断りすると、この役目は誰になるのでしょう」

 すぐに返事はせず、ニルケはそんな質問を先にした。

「うーん……」

 まさか年下のラグアードに、こんな役目をさせる訳にはいかない。リンネと本当の姉弟かと言われそうな程、ラグアードはおとなしい性格をしている。リンネの元気を半分分けてもらいたいくらいだ。

 いや、本当にそうなったら、それはそれで怖いのだが……。

 そもそも、ラグアードはまだ八つにもなっていない。これでは、姉に振り回されるだけ。メイドの誰かがリンネを抑えられるとも思えない。それ以前に、頼んでも全員から辞退される。

「父様! どうしてそこでそんなに悩むのよ」

 ラグスが腕を組んで真剣に悩んでいるのを見て、リンネは少々気を悪くした。

「ぼくしかいない、ということですか。でも、あまり自信はありませんよ」

「何よ、ニルケ。あたし、そこまで跳ねっ返りじゃないわ」

「本当にそう思ってますか?」

 質問の失礼さに、リンネは絶句してしまう。

「とにかく、ニルケ。きみのできる範囲でいいから、面倒をみてやってくれないか。リンネももう十五だ。ことの分別もつく……だろう。万が一何か起こっても、きみに責任を押し付けたりはしない」

「わかりました。ぼくの力の限りを尽くします」

「頼む。すまんな」

「どうして二人して、そこまであたしを危険人物みたいに言うのよ」

 それまでの会話の経緯はともかく、リンネはニルケと一緒にムルアの国へ行くことが決まった。

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