"忙しない"のは"忙しい"?
忙しい中で思い付いたのですが、忙しいので執筆が進まなかったという…………。
「忙しない」とは、時折耳目に触れますよね。
「忙しい」より何処か高尚な表現で、「忙しい」より少しだけ語調が良い…………、という具合に思って使っている人も多いのではないでしょうか?
しかしです。そもそも何故「忙し"ない"」のに「忙しい」のでしょうか?
まず、「忙しない」の「ない」が「無い」ではないのは推測可能です。そんな逆転の起こる方が、ずっと珍しいに決まっています。
そもそも「忙しい」の否定は「忙しくない」ですからね。
仮令方言による転訛であるとしても、他の「嬉しくない」や「面白くない」等の「く」が残り、「忙しくない」の「く」だけが脱落するのは不可思議です。(関西圏ではどれも脱落していますからね)
では、「ない」って何なのでしょう?
答えは、「強調を表す接尾語」です。
…………というだけでは、判然としませんよね。
まず、「接尾語」は名の通り、「単語の最後につく文字列」です。特定の意味を持ち、例えば「春めく」「騒めく」の「〜めく」は「〜っぽくなる」という意味を加える接尾語ですし、「〜っぽい」も「〜のようである」という意味の接尾語です。
これらと同様、「〜ない」は "前の語を強める" 意味を持つのです。
具体例を挙げましょう。
「はしたない」です。「みっともない」の意味で使われる語ですが、漢字では「端ない」と書きます。
元々の意味は「どっちつかずで中途半端な様子」です。「端」だけでも「幾分か足りない」という意味を持ち、この意は「端金」や「半端」といった語に現れています。
これを「ない」の古い形「なし」で強調したのが「端なし」という古語です。
ところが、今も昔もこの「なし」を「無し」と解釈する人が多かったようで……、幾らかの古文書にも「無端」という表記があるそうです。
そこから否定的な意味が増え、とうとう現在の形に落ち着きました。
次に「切ない」です。こちらの方が解りやすいかもしれません。
「切」という漢字には、多様な意味が存在します。最も著名なのが「切断」や「切る」等の「たちきる」というものです。
然る意味の一つに「切迫」や「痛切」、「切望」に代表される「ひたすらに」というものがあり、これを強調して「切ない」という語が生まれました。
これは古く「兎角"ひたすらに" 案じる」所から、「心から深く想う」という意味でした。
そこから時流の中で「焦がれる程に想う」という過程を経て「悲しみや恋しさに、胸が締め付けられる様子」を意味するようになったのです。
他に「あどけない」等は強調の「ない」だと言われることがあります。
しかし、語源がはっきりとしないものや否定の「ない」とも解釈できるものが多く、明確に強調の「ない」だと言えるものは寡少です。
よって特に身構えずとも、強調の「ない」だと判別する必要には迫られないのです。
普通の形容詞なら「味気ない」や「つまらない」、「詮ない」といった "単語全体" に対して一つの固定されたイメージを持つ人が殆どなので、「切ない」も疑問を持たれるのは稀です。
ただ「忙しない」だけが、「忙しい」の存在によって偶々紛らわしくなったのです。
……結局、一般的な認識は "ほぼ" 正しいのです。但し厳密には、「忙しない」は「忙しい」の強調なので、使い分けられると(極めて僅かではありますが)正確な文章化に役立つのではないでしょうか。