唖然とする程の杜撰な文書管理で、改竄を見逃すという惨憺たる有様だった
最近このタイトルは、
「あ然とするほどのずさんな文書管理で、改ざんを見逃すという惨たんたるありさまだった」
と書かれるのです。
……読み難いったらありゃしない。
「斡旋」も「あっ旋」ですし、「逼迫」は「ひっ迫」、「捏造」は「ねつ造」ですし、「軋轢」も「あつれき」です。
「轢死」も「れき死」になって"轢かれた"ことが伝わり難くなりました。
最近の若者(私も最近の若者ですが)の中で、「らせん」と「ネジ」が同じ漢字を持つと知る人はどれ程いるのでしょうか?
逆に「螺旋」と「螺子」を読める若者は、どれ程いるのでしょうか……。
あなたは思いませんか?"最近のニュースのテロップは読み難いなあ"と。
……思わない?そんなあなたは今に順応した人間です。流石ですね!
残念ながら、私は順応できていないのです……。
「災やく」は「災厄」と書きますし、「隠ぺい」は「隠蔽」と書きます。勿論「えん罪」は「冤罪」と書きます。
"どうしてわざわざ画数の多い漢字を使うのか"と、不思議に思う方もいる事でしょう。
しかし、私にとっては寧ろ逆なのです。
如何して態々漢字を使わないのですか?
と、問い掛けたくなるのです。
"まったく言いたいことがわからない"って?
全く解らない訳が無いでしょう。
あなたは「講義」と「抗議」を使い分けられるでしょう?
何故使い分けられるのですか?
それは「受講」とか「抵抗」だとか、そんな別の熟語と結び付けられるからでしょう?
……流石に、各々の言葉を別個に覚えてはいませんよね?(それは効率が悪いですよ……?)
全く同じ事です。漢字で書けば、一々熟語の意味を覚えずとも、意味が大抵判るのです。
例えば先の「れき死」。良い意味の言葉ではありませんが、これが漢字で「轢死」と書かれていれば、「轢く」という常用語から、意味を即時に知る事ができるのです。
「耽溺」という熟語も、「耽る」と「溺れる」の二語から、"溺れるように物事に耽る様子"と理解できる訳です。
「捏造」も、「捏ねる」というのは常用語なのですから、"手ずから捏ねて造ること"と考えられる訳です。
漢字は、あなた方の思う以上に、便利な物なのです。
勿論「専業主ふ」のように、偏見を減らす等の尤もな目的があるならば、それは当然構いません。
しかし、今の状況は「漢字の消失」に向かう流れの途上にあるようで、到底受け容れられる物では無いのです。
漢字を深く勉強する程、周囲の文字が読み難くなるのですから、これでは漢字を勉強する人が減ってしまいます。
あなたは漢字の無い世の中を生きたいのですか?
そこは、げんざいのわたしたちには、たいへんいきづらいよのなかだとおもいますよ?
「たいしょう」も「こうせい」も「こうぎ」も「しょうしゅう」も、どのいみなのかがわかりにくいので、べつないいかたをかんがえなければなりませんよ?
ひょうげんのはばが、すっかりせまくなってしまいますよ?
それに……、みんなこてんが、かんぶんが、もじどおりまったくよめなくなってしまいますよ?
かんこくやちゅうごくやベトナムがたどった、でんとうとれきしとアイデンティティをうしなうみちを、このくにもたどるつもりですか?
皆さんは、如何思いますか?
改めて見返すと、すごく喧嘩腰ですね……。
半分愚痴ですから、「こういう考えもあるんだ」というくらいの感覚で持っておいてください。(2021.9.4追記)




