「微動だにしない」って、勘違いが多いみたいですね
会話の中で、時々使われる「微動だにしない」という言葉。
これって、案外勘違いが多いみたいですね。
とは言っても、別に用法が間違っているわけではありません。(少なくとも私の知る限りでは)
「全く動かない様子」を表すので間違いないのです。
では、何が"勘違い"なのでしょうか?
答えは「文法」です。
あ、使い方の問題じゃないですよ?"言葉の中の"文法です。
まず、「微動だにしない」という言葉が、複数の単語からなる慣用表現であることはわかりますよね。
しかし、「これを単語に分けてください」と言われた際に、どうやら間違う人が多くいるようです。
あなたはどのように分けますか?そして、そのように分けた理由を説明できますか?
「微動だにしない」を単語に分けますと、「微動/だに/し/ない」となります。
ここでどうやら、「微動だ/に/し/ない」と間違える人が多いようなのです。つまり、「微動だ」という形容動詞にしてしまうのですね。
しかしこの際、「に」を説明できなくなってしまいます。
これを、"何か知らない「に」の使い方があるのだろう"と片付けてしまう人がいるのは、助詞の利便性を如実に表しているとも言えます。
しかし、これを説明し得る「に」の用法はありません。
ですから、これは間違いです。
では「微動だにしない」を、単語別にさらりと説明しておきましょう。
・微動…抽象名詞。僅かにうごくこと。
・だに…副助詞。意味は後述。
・し…動詞「する」の未然形。
・ない…付属語の助動詞。ここでは形容詞ではない。
では、「だに」の説明をしましょう。
一部の人は、単語分けで「だに」で分けられた時に、"ああ、なるほど"と納得したことでしょう。
この「だに」というのは、高校国語で習う単語です。
思い出せなかった大人の方も、高校相当以上の国語の学習経験があるなら触れているはずです。
……古文でですが。
はい。高校1年の必修範囲で、「だに/すら/さえ」の訳というのがあります。
「だに」と「すら」は、これを「さえ」と訳して良いけれども、「さえ」が出てきた時は「ですら」などと訳さなければならないというものです。
……はい。この時点でもう解決ですね。
「だに」は「さえ」と同じ(昔は僅かに語義の違いがあったのでしょうが)なのです。
つまり「微動だにしない」は「微動さえしない」と同じわけです。
因みに、他にも「だに」が使われる慣用表現が幾つかあります。
「想像だにしない」または「予想だにしない」という表現だとか、「一顧だにしない」だとか、「考えるだに恐ろしい」なんてやつらです。「然らぬだに」もそうですね。
案外あるものですねぇ。
以上!
……としても良いのですが、折角なので現在も残る古語を、幾つか紹介しておきましょう。
まずは「けり」です。俳句などではまだ使われますよね。
「〜だった」という"過去"と、「〜だなあ」という"詠嘆"の意味の二つがあります。
…………え?日常では使わないじゃないかって?
いやいや、使っているじゃないですか。ほら、あれですよ。「けりをつける」ってやつですよ。
先程言ったとおり、俳句や短歌などで最後を「けり」で終えることが多いので、「物事を締め括ること」という意味で使われるようになったのです。
他には……、「き」ですね。これも「〜だった」とか「〜た」という意味です。フリードリヒ・ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」などです。
……え?それは古すぎるって?最近は「ツァラトゥストラはこう語った」の題にもされているって?
まあまあ、これはあくまでも例の一つですからね。
これも高校古文の範囲ですが、多くの場合は連体形の「し」の形で使われますね。
ほら、「聞きしに勝る」とか、後は「故郷」の「兎追いし彼の山」などです。
終止形なら「かく語りき」の他に、「思いきや」があります。意外と使うでしょう?
後は「ぬ」ですかね。否定の意味の「ぬ」もそうなのですが、古文に出てくる完了の助動詞の「ぬ」も、まだ知られています。
「やんぬるかな」がそうです。「もうおしまいだ!」という意味ですね。
……え?知らないって?むぅ……。もう知名度が低いですからねぇ。
されどこちらは聞いたことがあるでしょう。
「風立ちぬ」です。はい、宮崎駿の映画作品ですね。ついでに松田聖子のシングルにも同名の曲があります。「赤いスイートピー」の前の曲です。
さらに言えば、このシングルは堀辰雄の同名の小説を基にしています。
この「風立ちぬ」は「風立たぬ」ではありません。寧ろ逆の意味です。
連用形につく「ぬ」は、打消の助動詞「ず/ぬ」とは違い、「〜した」という"完了"の助動詞です。ついでに"強意"と"並列"の意味もあり、同様の助動詞に「つ」があります。
この「つ」は、現代でも「並列」の意味を残して「持ちつ持たれつ」とか「つきつ離れつ」なんて使い方をしています。
おっと、「ぬ」の話でしたね。先の通り、これは"完了"の助動詞ですから、「風立ちぬ」は「風がおこった」という意味です。「風がおこらない」という意味の「風立たぬ」とは違います。
後は、「あらん限り」とか「御加護のあらんことを」とか「せんかたない」とか「如何せん」とか「言わんとすること」とかの「ん」ですね。
これも古文の助動詞「む」が由来です。音便化して「ん」になりました。
これは中々意味の多い助動詞で、推量、意志、勧誘、仮定、婉曲、適当」の六つがあります。
「あらん限り」なら推量で「あるだろう限り」という意味です。(婉曲として「ある限り」ともできますが)
「如何せん」と「言わんとすること」は意志で、「如何しよう(か)」と「言おうとすること」という意味です。
「御加護のあらんことを」と「せんかたない」は婉曲で、「御加護があることを」と「する方法がない」という意味です。(婉曲は訳出せず、するとすれば「ような」とします)
有名な歌の中にも、そうでなくとも、古語が残るものは様々あります。
しかし字数が増えてきたので、最後に「宜なるかな」と「言わずもがな」と「然もありなん」について説明して終わります。
まずは「宜なるかな」です。
これは「宜なる/かな」と分けられます。
「宜なり」は音便化して「うべなり」とも言い、この形容動詞「むべなり」というのが「尤もである」という意味です。
そして「かな」は言わずもがな、短歌俳句などにも多く見られる「〜だなあ」という詠嘆の終助詞です。
よって「宜なるかな」は「尤もであるなあ」や「その通りだなあ」という意味です。
次に「言わずもがな」です。
これは「言わ/ず/もがな」と分けられます。
「言う」の未然形「言わ」に、打消の助動詞「ず」の連用形、そして願望の終助詞「もがな」です。
この「もがな」は強い願望を表すもので、基本的には名詞か連用形に接続します。
よって「言わずもがな」は「言わないでいたい」という意味で、これが派生して「言う必要のないこと」や「言うまでもないこと」の意味で使われています。
では「然もありなん」に移りましょう。
これは「然/も/あり/な/ん」と分かれます。「そうである」という状態を表す名詞「然」に係助詞の「も」、動詞「あり」の連用形がついて「そのようである」という意味を成します。
そこに「風立ちぬ」と同じ助動詞「ぬ」の"強意"の用法の未然形がつき、最後に「あらん限り」と同じ"推量"の助動詞「む」がついて構成されています。
この「ぬ」と「ん」の連続で「きっと〜だろう」とか「確かに〜だろう」という意味になります。
だからこの「然もありなん」は、「きっとそうであるだろう」とか「確かにそうだろう」とか「いかにもそうだろう」という意味になっているわけです。
これで今回は終わります。思ったより多くの古語が、まだ日常に潜んでいるので、たまに探してみると面白いかもしれません。
初めて3,000文字を超えた……。