「追求」と「追及」と「追究」
「追求」と「追及」と「追究」の誤りは、よく見るものです。
「夢を追及する」だとか、「被告人を追究する」だとか、「自然界の謎を追求する」だとか。
……文脈次第では正しいものになりかねないのは言わないでください。(そちらの方が圧倒的に稀です)
さて、では簡単な説明を割り当てましょうか。ざっくり書くと以下の通りです。
追求…おいもとめること。
追及…1 おいつめて、悪いところを問いただすこと。
2 おいつくこと。
追究…曖昧なことやわからないことを、思考や調査によって明らかにしようとすること。
これを基に考えると、始めに出した誤例はそれぞれ「夢を追求する」と「被告人を追及する」と「自然界の謎を追究する」というようになります。
しかし、すぐにこの使い分けができないという方もいることでしょう。特に「追求」と「追究」は、その判断が難しいことでしょう。
さて、どうしたものでしょうか?
まずは「追求」について考えましょう。これは簡単です。
「追求」をそのまま「追い求める」に代えてみてください。違和を感じなければ、それは「追求」で構いません。(つまり言い換えです)
では「追及」はどうでしょう?これもまぁ大丈夫でしょう。
"悪いところを指摘している"という状況なら、それは「追及」です。
さて、「追究」は?……これは少し難しいです。
何故難しいのでしょうか?それは、この「追究」は、時として「追求」に置き換えても意味が通じてしまうからです。
出した例文で考えると、「自然界の謎を追究する」であれば、"そこに謎があって、それを解き明かそうとしている"という状況が浮かびます。
しかし、「自然界の謎を追求する」だと、"自然界にはまだ見ぬ謎があって、その謎を探している"という状況になります。
どちらも意味が通じてしまうのです。その上意味が違うのですから、作者と読者との乖離に繋がりかねません。
ここで気にしてほしいのは、そこに"謎"があるかどうかです。既にある謎を解き明かすなら「追究」、まだそこにない謎を探すなら「追求」です。
なので、「数学の真理をツイキュウする」という文の場合は、数学の真理は"まだそこにないもの"なので「追求」とも言えますし、「数学の真理」を"謎"として解き明かそうとしているなら「追究」とも言えます。
さらに、"真理をどこまでも追い求めている"という解釈で「追求」とすることもできます。
要するに、「謎を解き明かす」場合に限って「追究」の表現が使えるのだと考えてもらえればいいです。
そして、使えるときには「追究」は積極的に使った方が、無難に間違いを減らせるとも思います。
さて、では関連する同音異義語を見てみましょう。
「探求」と「探究」です。
これも基本は同じで、「探求」は「探し求める」に言い換えられますし、「探究」には「解き明かす」とか「理解する」とかいった意味が含まれています。
こうした同音異義語は、多少慣れても間違いが起こりやすいので、自分で例文を作るなどして鍛えておくと良いでしょう。
他にも気になる同音異義語はあるのですが、それはまた別の機会に。(「タイショウ」などは多いですね)