恐れ?それとも畏れ?
使う際には一瞬間考える「おそれ」。
「惧れ」や「怖れ」は先ず候補に挙がりにくいので兎も角、「恐れ」と「畏れ」は悩まれがちです。
どのように使い分けられるのでしょう?
…………結論から言ってしまいましょうか。
実は「恐れ」と「畏れ」、語義の重複が大きく、 結構な場面で"どちらでも構わない" のです。
この二語には共に、「おそれる、こわがる」という意味と、「つつしむ、かしこまる」という意味があります。
前者はそれぞれ「恐慌」「畏敬」、後者は「恐悦」「畏怖」等があります。(「畏敬」には単に "敬う" だけでなく、相手を "畏れる" 気持ちが、「畏怖」には単に "怖がる" だけでなく、相手に "畏まる" 意味が入ります)
では、語義が被らない部分は何処なのでしょう?
先ずは「恐れ」です。こちらは「畏れ」と違って "おどす" という意味を持ちます。「恐喝」がこの好例ですね。
実は「畏」という字にもこの意味はあったそうですが、時代に侵食されてしまったようです。
では「畏れ」は如何でしょう?これは特に "敬意を示す" 意味が強いです。例えば現代語では、「畏まりました」は「恐まりました」とは書けません
併し最近は、この「語義の被らない部分」に牽引されて、「恐」は単純に「こわがる」、「畏」は「敬意を持ちながらもこわがる」というように分離が進んでいます。
一般に「恐」と「畏」に持たれるイメージを考えると、そう使い分けた方が良いかもしれません。
では、他の「おそれ」は如何でしょう?
第一に「怖れ」です。これには「こわがる、おじけづく」という意味があります。
よく「恐れ」と迷われるのですが、「恐れ」には "本能的な恐怖" 、「怖れ」には "心理的な恐怖" というニュアンスが持たれています。
また、それは「こわい」の読みでも共通します。(なので、辞書には明示されませんが、「怪談を恐がる」等と書けば誤字として認識される可能性が高いです)
但し一点、「手ごわい」は「手強い」なので注意です。
次に「惧れ」です。これは「危惧」と殆ど同義で、「絶滅の惧れがある」等と使います。「危惧」と言い換えられるかで判断しましょう。
三つ目に「懼れ」です。これは「惧れ」と類似して「あやぶむ、おどおどする」という意味です。「失敗を懼れる」のはこれです。
最後に「虞」です。これは「心配する、慮る」という意味があり、「土砂災害等の虞がありますので」のように使います。
因みに、「不慮」と同様の意味の熟語に「不虞」というものがあります。どちらも誤用ではないので、見かけても誤字だと思わないようにしましょう。
他にも「おそれ」という読みの漢字はありますが、上記の語の定義内に殆ど入りますので、ここでは割愛します。
そう言えば先に書きましたが、「畏」は「畏まる」という読みを持ちます。
また、古い言葉では「恐」も「恐まる」という読みを持ちます。
そして、比較的知られる祝詞の中に、「かしこみかしこみもうす」と認識されている節があります。神様に対する言葉なので、「畏み畏み申す」となりそうですし、そう表記されていることも少なくありません。
併し、それは祝詞としては正しくありません。(フィクションとしてはご自由にお使いください。こちらの方が平易ですので)
では原文を見ましょう。「かしこみかしこみもうす」に相当する部分が出てくる祝詞は複数ありますが、ここでは最も著名な「祓詞」という祝詞を挙げます。
「掛麻久母畏伎伊邪那岐大神筑紫乃日向乃橘小戸阿波岐原爾御禊祓給比志時爾生坐世留祓戸大神等今日仕奉留神職等賀過犯世留罪穢有良牟乎婆祓給比清給閉登申須事乎聞食世登恐美恐美母白須」 (表記は昭和11年発行『現行神社法令抄』に拠った)
………………こんなの解るかぁ!!──となるのが目に見えています。
というのも、これは「宣命書」といって、漢字と万葉仮名のみで構成された文体です。正式な文体ではありますが、正式故に古すぎるのです……。
という事で、これを多少読み易くします。
「掛まくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘小戸阿波岐原に、御禊祓給ひし時に生坐せる祓戸大神等、今日仕奉る神職等が過犯せる罪穢有らむをば、祓給ひ清給へと申す事を聞食せと、恐み恐みも白す」
はい。一度「畏き」は出てきますが、「畏み畏み申す」ではなく「恐み恐みも白す」ですね。「恐」の "つつしんで" という意味と、「白状」に代表される「言う、申し上げる」という意味の「白」です。
つまり、「かしこみかしこみもうす」は「謹んで謹んで申し上げる」という意味なのです。
では、全訳を載せておきます。
「"言葉に出して言うことも畏まる伊邪那岐大神様が、筑紫島(九州)の日向国(宮崎)の橘小戸の阿波岐原という所で、禊と祓をなさった時に誕生なさった〔ここまで全て修飾語〕祓戸大神様たちに、『現在お仕え申し上げている神職たちが犯してしまっている罪があるだろうものを、祓いなさり清めなさってください』と申し上げる事をお聞き届けください" と、謹んで謹んで申し上げる」
…………婉曲迂遠だぁ。
最後に一つ。時代劇によくある台詞に「おそれながら申し上げます」というものがありますよね。
果たしてこの「おそれ」は、どの「おそれ」なのでしょう?
意味を鑑みるに、少なくとも「怖れ」や「惧れ」、「虞」でないことは間違いありません。
では「恐れ」と「畏れ」のどちらかになります。
併し最近は兎も角、昔の二者は非常に近しい意味でした。
ならば、漢字からはこれを導けないのかと言いますと……、決してそんな事はありません。
非常に近しいということは、必ず使い分けがあった筈です。
"漢字の意味は熟語から、熟語の意味は漢字から" です。
故事成語の類で無いならば、これは非常に強く機能します。
なので、「おそれながら申し上げます」に近しい意味の熟語を探しましょう。
例えばこれを「恐縮ながら」としても、言葉のニュアンスは概ね変わりませんよね。このようなものを探すのです。
今回なら、他に「恐察」や「恐悦至極に存じます」なんて言葉も、同様に謙譲的な敬意を示すので判断材料になります。
一方、「畏」を用いた例は……、如何にも適当なものが見つかりません。
この事からも、これを「恐れながら申し上げます」と表記すると推測できます。そして、辞書にもこちらの表記で記載されています。(最近はもしかすると、「畏れながら」と記載するものもあるかも知れませんが)
少し調べてみただけでも、『「恐れながら」は誤りで、「畏れながら」が正しい』と言う方はいらっしゃるらしいことが判りました。
併し、少なくとも「恐れながら」は正しい表記です。「恐縮」と繋いで覚えておきましょう。
今話のネタは、猫屋敷たまる様より頂きました。




