Ep.0 帰郷
この作品はカクヨムでも投稿しています。カクヨムメインで作業しているので投稿が多少ずれるかもしれません。
暖かな風がふわりと頬をなでた。
小さい丘の上にあるこの場所は昔から穴場だ。俺はそこに一本だけ生えている木に背を預けながら黙々と本を読んでいる。
医療、特に神経系について多く書かれたその本はもうすでに何度も読み返されていたため。そして雑な字で書き込まれたメモのために所々のページが読みにくくなっている。しかし、この本の内容についてはもうほとんど暗記してしまっていたので何ら不満はない。
「またそんなの読んでるの?」
頭を上げると美しい金色の長い髪をなびかせながら一人の少女が近づいてくる。身につけている帝国標準装備の軽量鎧にはいくつもの傷が入っていた。
「姉貴、もう帰ってきたんだ」
「今回の作戦はちょっと早く終わってね。連隊長殿がお前は女だから早く帰って休めだってさ。失礼しちゃうわ、これでも一級の騎士様なのに」
そう言って胸を張る彼女は、確か5ヶ月前から、終了まで半年かかる長期の作戦に出かけていったはずだが、1ヶ月早く帰れたようだ。
腰にぶら下げられた剣には、純金でできた鷲の装飾が施されている。帝国直属の騎士の証だ。それも、常人が獲得できる最高位である一級騎士の。
「それ、ちょっと見せて」
と、姉貴は俺のとなりにしゃがむと本を軽く掴んで自身に向けた。
「うわー……、難しいの読んでるねぇ……。何これ、脳……?」
彼女は本の図を指差す。
「俺達の頭の中にあるものだよ。こいつが体を動かしたり、ものを考えたりするんだってさ」
「そのくらいはわかるけど、グロいなぁ」
彼女は顔をしかめた。
「姉貴ならもっとグロいの見てきてるはずだろ」
一級騎士は数々の戦場に駆り出される。俺が学んだものより、はるかに悲惨で、惨たらしくて、ドス黒い戦場を、彼女はいくつもくぐり抜けてきた。
「いや、そうでもないよ。もう人間の区別がつかないほどグチャグチャにされるから、逆にグロくない」
「うへ」
今度は俺が顔をしかめた。
「そういえば軍医志望だっけ」
「そうだけど」
俺がそう言うと姉貴は立ち上がり、青い、ガラス細工のような目で遠くを見つめた。
「軍医って、中途半端に傷ついた人ばっかり面倒見るんだよ。銃弾の一発や二発受けた人ならまだしも、腕や足が無くなった人、はてには下半身が吹き飛ばされても生きてる人とかいたからね。それに比べればいっそ骨も残らないくらいに吹き飛ばしてくれたほうが良いと思うけどね」
「でも無くなった体を最近は機械が代用してるじゃないか。それがもっと発展すれば生きれる確率は上がるよ」
「馬鹿ね」
「は?」
彼女の唐突な罵倒に、思わずそう聞き返す。
「もう、体が苦痛に耐えれないのよ、そこまで体をもがれると。最初はいくらか耐えるけど、しばらくすると殺してくれ、殺してくれ、ってせがんでくるのよ。医療班の手伝いで何度も何度もそんな兵士達を見たわ」
遠くで蒸気がもくもく上がるのが見える。帝都の工場のものだろう。彼女は髪を指に巻き付けながら言った。
「だからさ、もしあんたが一級軍医になって私の面倒を見ることになって、私が殺せ、って言ったら、遠慮なく殺してね」
俺はため息を付きながら本を閉じる。彼女はたまにこういう事を言うから厄介だ。
「バカヤロー、そんなこと言ったらちぎれた部分にクッソダサい代用機械つけてやるよ。ババアになるまでそれ付けて過ごすんだな」
姉貴はそれを聞くとしばらく目を見開いてきょとんとしてたが、突如にんまりと口角を上げ、俺を抱き締めてきた。勢いで草むらに倒れ込む。
「うわっ、何だよ!」
姉貴はそんな俺の言葉を意に介せずというように笑う。
「ははは!さすが私の弟だよ!そんなこと言ってただ私に生きてもらいたいだけでしょー?いいよー!クソダサいの付けちゃっていいよー!」
わしゃわしゃと頭を撫で回される。正直図星だった。少し赤くなりながらされるがままになっていると彼女の柔らかい香りがほんわりと鼻についた。
それから色々話していたせいで日が沈みかけ、夕焼けのオレンジが帰り道の野原を染めていた。
姉貴はまだ話し足りないらしく、となりで歩きながら自身の武勇伝をもっともらしく語っている。嘘か本当かはさておき、この歳でこれだけ語れることがあるのはすごいと思う。
姉貴は帝国史上最年少の16歳で特例試験をパスし、軍隊に入った。その5年後には史上最速、最年少で一級騎士の位くらいを獲得している。現在も帝国騎士の中で1位2位を争う手練てだれである。
対して俺は17歳で、1年後に公式試験を控えている。これまで軍医を目標に勉強してきた。しかし彼女は俺よりはるか先の土俵に立っているのがわずかに悔しい。
そんな俺を気にすること無く、姉貴は太陽のような笑みを浮かべている。
「そうかぁ……もう17歳かぁ。早いなぁ、もう私の背超えちゃってるよ」
と、少し不満げに、でもどこか誇らしげに言う。
「公式試験、不安?」
彼女の問に、俺は少し考えてから口を開く。
「ちょっと不安だな、今まで積み上げたものが無駄になりそうで」
軍医を目指してから死ぬほど勉強して、努力してきた。自信だってある。しかし、最難関である医療カテゴリーの試験だ、そりゃぁ緊張だってする。
「大丈夫だよ、私でも通ったんだから」
「姉貴のは特例だしカテゴリーも違うからあてになんないでしょ……」
「そうなのかなぁ?」
俺はため息をつく。こんな人が国のトップクラスとは考えにくい。
「でもきっと行けるよ。生まれてからここまで頑張ったなら絶対に報われるって!」
そう言って彼女は「へへ」と笑った。
「ちょっといいこと言ったでしょ」
俺は少し救われた気がして、何も言い返せないでいた。
「ささ、早く帰るよ、メリーおばさんにご馳走してもらわなきゃ」
前を駆けていく彼女を見ながら、「あぁ、俺はあの人には絶対に追いつけないな」と思った。
彼女が行方不明になる、2年前の事だった。
医療系を結構扱うのですが肝心の作者に医療系の知識が殆どないのでなにかお気づきの点や間違いがございましたら遠慮なくお知らせください。