時は過ぎ行き花に出逢いし夜の闇
フィオーレ ディ チェリージョ デ カッシターニ 、プリンチペッサ、美しき都サンチェリーノの白き都に映えし、薄紅色の薔薇の蕾よ、愛しき我が娘……
蒼き南の海を制する、パルマ王国、その首都サンチェリーノには、壮麗華麗な宮殿が造られており、国は海運と農業により経済的にもめぐまれた環境で、その豊かな大地には花畑が広がり、
広大な農地では、小麦が金の海を作りだし、木々はたわわに果物を実らせる、そんな恵まれた国、パルマ、白き都サンチェリーノ
国民も貴族達も、穏やかで、豊かにそして、優雅な毎日を過ごしていた。
『フィオーレ ディ チェリージョ デ カッシターニ』
薔薇色の姫、と両親から称されている彼女は、カッシターニ王室の王女
国王フェリオス三世と、その奥方『麗しの白き大輪の華』と称されているビアンカ王妃が、何よりも大切にしている、年頃ならまだ少女といえる年齢の姫君の名前。
―――そよと夜風が宮殿から、優雅な舞踏会の調べを城下に運んでいる。
舞踏会の大広間、白亜の石を敷き詰めた床、高い弧を描く天井には、美しい神話の物語が極彩色で描かれており、
壁際には、東洋から取り寄せた、大振りな花器に花がたわわに活けられ、規則ただしく配置されている。
きらびやかで、心踊る空間。紳士淑女達が美しく装い、密やかに笑いさざめきながら、手に手を取り、身を寄せあい、音楽に乗って軽やかに舞いつつ、一夜の恋の花を咲かしてる。
……「おおう!これは、素晴らしいのお!たまに目にするそなたが、近頃変わった格好をしておるので、気にはなっておったのだが、こんな楽しい所に来ておったのか!」
身分高きの人間に姿に、身をやつしている主君、そして、彼の従者の装いを身にまとった、少々迷惑そうな表情の漆黒の君。
さながら、貴族の主人と、執事の様な二人のいでたち。
「いえ、今宵の役目が近くなので、街中よりは女性達が安全ですから、着る物の事ですが、私は、地上へと降り立つ唯一の者、服装はその時々で変わります」
真面目な彼が、ため息を付きつつ答えるのに、義兄上ときたら、目をキラキラさせて、どの花に飛び、そして止まろうか、と準備の真っ最中、
せわしく、右に左に視線を動かし、その両の耳には義弟の声など全く届いてない様子。
地上のおなごの服装はよいのぉー!こう、胸がバーン!くびれ!きゅッ!おおう!いいのぉー!と両の手で、その形を空に描く主君に苦笑しながら、制止をかける。
「はしたなき事はお止め下さい。淑女たる女性達に見られでもしたら、今宵は誰にも、お相手にされませんよ」
「ぬお!何とそれは悲劇なり。我も柔らかきおなごの手を、身を寄せあって取りたいぞよ!」
ハイハイ、では行ってらして下さい。と主君を送り出す、漆黒の執事、その表情には先程とは違い、何やら企んでいる様子。
「上手くかかってくれれば、後々楽なのだが……」
密やかにそう呟くと、人目に付きにくい場所から、優美に戯れる紳士淑女達の、一夜限りの恋模様を眺める。
……おおう!美しい!どのおなごも『胸がバーン』として『くびれがきゅッ!』素晴らしい!高く結い上げている髪型も、後ろ姿のうなじからの、色気が匂うようでよいのぉー。
目を細め、嬉しげに見渡す彼の目に、一人のすらりとした美しい貴婦人の、後ろ姿に引き寄せられた。
高く結い上げた髪には、真珠で作られた髪飾りを差し、華やかなさらとしたドレスは、薄紫色の生地に金糸の刺繍、その姿は
何処か儚げで、それでいて立ち姿に、匂うような色香を漂わしている。
主君の好みにドンピシャ!彼はいそいそと近づくと、優雅さを漂わせながら、声をかける。
「美しい貴婦人、私と踊って頂けませんか?」
と、それまでとは、別人の様に紳士と化した女好きの主君、
その声が耳に届くと、純白の扇で顔を隠しながら、優雅に振り返る気高き風情の彼女。そして、そのたおやかな手を彼に差しだす。
うっとりとした表情で、その手を取る下心溢れる主君、そして勿論、早々に口説きにかかる。
「貴方様に出逢えて、光栄ですよ、美しい貴婦人、今宵は私は貴方のしもべ、二人で楽しき夢をみたいものです………ぬおおー!」
……「よし!上手くいった!後は姉上が良しなにしてくださるだろう」
漆黒の執事の彼は、満足そうに二人を眺める。
「ええ、わたくしも、ぜ、ひ、に!」
にこやかに微笑みながら、ふわと、扇をずらす彼女。
目には怒りの光を灯すその花の顏は、紛れもなく主君の美しき奥方様。
慌てて手を引こうとするのを、しかと握りしめる彼女。
「奥ー!お前が何故ここにいるのじゃ!」
「貴方様が悪いことを、なさらない様にですわよ!」
何時もの繰り返しが始まる。彼に、助けてくれーとの主君の情けない声が届いたが、助ける気などは元からなく、くすりと笑いを漏らすと、
漆黒の執事は、己の役目の時間が来たために、誰にも気付かれぬ様に、たち消える様にその場を後にした。
―――死にゆく者の元へと彼は近づいてゆく。そして、未だに逢えぬ愛しき花の姫を思う。
人の魂の緒を断ち切る彼は、それが役目とはいえ、神の世界でも特別な立場だった。
ましてや一族の長、大きな力を有する為に孤独が常に傍らに寄り添っている。そして出逢った花の姫。
彼女もまた、精霊と言えど孤独を知っているのを、彼は彼女の瞳に宿りし儚さでわかった。
「いけない、今は考える時ではない」
頭を振り、意識を高めてゆく。時が近づいていた。引きゆく波に乗らなければ、冥界へとたどり着くのに時間がかかってしまう。
乗り遅れるなど、その様な失態は許せぬ。限りの中で、精一杯生きてきた者達へ、要らぬ苦しみを与える事は蛮行に値する。
彼は、闇夜に吹く風に乗り、死を迎え様としている者の元へとたどり着いた。
苦しみから解き放つ為に、穏やかに眠れる様に
……お迎えですか、夢でお会いしましたね、と苦しい息の声で話しかけてくる。何時もの事。麗しい笑顔でその者の『恐れ』を取り除く。
手を差し出されれば、その手を包む。生きてきた話を始めれば時間の限り、耳を傾ける。
そして、時が満ちれば、スラリと銀の鎌で魂の緒を断ち切り、冥界へと引きゆく波に乗せおくる。そう、いとも呆気なく、終わらせる。
しかし、その度に彼に溜まりゆく寂しさと、哀しみ。
―――何故だろう、何時もの様に終わらせただけなのに、今宵は心がざわめく。姉上達に付き合ったからか、ふぅ、とため息を付き、心を律する。
彼は、今宵最初の役目を終わらした後、次なる者の元へと、宮殿に来た彼は、奥深く敷地を入り込んで行く。
目指すは、フィオーレ姫の館がある東の庭園。
木々に囲まれ美しい花が、咲き誇る中に配されているしょうしゃな建物。両親に十重、二十重に守られ、大切に育てられている彼女。
それにありがちな、見かけの儚さとは違い、勝ち気で、好奇心に溢れ、少々我が儘なところがある美少女。
彼女は、今宵はご機嫌斜め、年端がいかぬ故に、舞踏会の初めの挨拶と、ファーストダンスのみ終わらせると、何時もの様に母親に連れられ、館へと戻されたのだ。
―――「つまらない、わたくしもお母上や、父上とご一緒に、最後まで舞踏会を見てみたいわ」
頭上から、鈴を転がす少女の声がした。彼は見上げると、そこには今宵あえなく花を散らす幼い命が、夜空の星を眺めていた。
……事故とは、あまり私の好みではないな、冥界から風がくるか……
何故なら、今バルコニーの手すりに、頬杖をついている彼女は、これから先、そこから転落する運命だったからだ。
そして、時折夢を使い訪れる『病』とは違い、突然迎える終末の時には、自らきっかけの、手札にならなければならない。
見上げる視線を察知したのか、誰かそこにいるの?と問いかけてくる甘い声。そして、今迄雲に隠れていた、月が明るく辺りを照らす。
時が動き始めた。足元から感じる冥界の気配、ここで彼女が、彼の姿を目視出来ないのであれば、命は助かる。しかし目にした時は……
銀色の髪をふうわりとまとめ、ピンクのリボンで飾り、淡い薔薇色のドレスの少女、フィオーレ姫。
「貴方はだあれ?ここは男の人は入ったらダメなのよ」
あどけない声で、彼に話しかけてくる。異性と言えば、父親しか知らぬ彼女は、見知らぬ漆黒の衣装の男に、興味津々でさらにのりだし、視線を送る。
漆黒の迎えの者を確認した薔薇色の姫。
彼は黙って、冥界からの『誘いの風』が吹くのを待つ。
ざわざわと木々を揺らし、雲が運ばれ月が陰る。底知れぬ不安を抱いた姫は、隠れた月に目をやった刹那、
ごぅと、黒い風が彼女の軽やかな体に当たる。
バランスを崩し、身をのりだしていた為にそれを乗り越え、小さな悲鳴と共に地へと落ちて行くフィオーレ姫。
その時彼は何故か、何かをふと想い、何時もは落ちて行く者には目をやらぬのだが、ちらりと彼女の姿を視界に入れた。そして思わぬ行動に出てしまった。
時が終るはずだった、しかし現状は、漆黒の君にとって、頭の痛い問題の時の始まり。
ドサッ、重い音、そして、同時にしまったという彼の呟き。
彼の足元には、地面に無惨な姿を晒す哀れな姫は居なく、代わりに彼の腕の中に目を閉じ気を失っている、死ぬべき運命から変えてしまった健やかなる少女。
人の運命に干渉するとは、なんたる失態、神としてあらざらん行為。
しかし、いくらその持つ力が大きくても、やってしまった事はもとには戻らない。
「心が動いてしまった。さて、どうするか、冥界の女王陛下を欺かねばならないな」
彼女を迎える波が近づいて来ている。この顛末をどうすべきか、彼は、冥界の掟の裏をかくべく、考えを繰り広げていた。




