2、赤い髪、黒い髪
収穫祭での惨劇から、街は騒然としていた。そして、その騒がしい音が遠くに聞こえる城壁の外に僕達はいた。
「赤い髪じゃないんだね、黒髪の女の子だ」
黒い薄汚れた外套を着た男は、ゆっくりと歩を進めながら話し掛ける。
「アータルの民かと思ったんだけど……」
男は柔らかい口調で続ける。
男は既に片手剣を抜いていて、ヒカリも男の投げ掛ける言葉に返事をせず、すぐさま持ったままだった短めの刀を構えていた。
『逃げろ』
僕はヒカリに伝える。昔の、チートだった頃の僕だったら楽勝だったけど、今は無理だ。
だが、ヒカリは逃げずに口を開く。
「お兄さん、強そうだし、足が速そう」
「実はそうなんだ。だから刀を捨てて欲しいな」
僕は改めて気配を消す。ヒカリは逃げ切れないと思ったみたいだ。
「でも、1対1だし、何か奇跡が起こるかも知れないし……お兄さん、一人ですよね? 」
これは僕に何か奇跡を起こせと言ってるの?
僕はチャンスを待つ。チャンスを作ると言ってるんだよな、これ? いや僕が作るのか?
チートじゃないよ、今の僕は。
「確かに君に追い付けたのは俺だけだ。でも、女の子とは戦いたくないなぁ」
二人の間合いはゆっくり狭まっていく。先に仕掛けたのは男だった。
男はすっと一歩踏み出すのと同時に、右手の片手剣を左下から斜めに切り上げてくる。流れるような動き。煌めく剣の軌道をヒカリはしっかり眼に捉えていた。だが、彼女はその剣筋を避ける事が出来ないものだとも理解出来た。踏み込まれた距離、剣の速さ、腕と片手剣の長さ、それらが彼女に躱す事を許さなかったのだ。
ヒカリは右手の刀で男の斬撃を受けようとする。だが、彼女の右手の刀は弾き飛ばされた。
男は次の攻撃には移らなかった。
「殺したくなるような奴らだったとは思うが、あれはちょっと誉められたやり方じゃないな」
ヒカリは表情を弛める。
相手は一流の剣の使い手でだ。そんな相手とまともにやりあっては、彼女の特殊能力がいかに有利であっても勝てない。
ヒカリは背後に飛ばされた刀の位置を確認する。距離、柄の向き、どのように刀を手に取れるか……一瞬の思考。しかし、男の言葉も早かった。
「動いてくれるなよ。慰み者になるはずだった少女を助けた事には感心してるんだ」
ヒカリはその言葉に両手を挙げて口を開く。
「参った」
男が息を吐く。
そう、今だ。この一瞬!
男は突然右手甲に痛みを感じ、剣を落とす。何が起きたかわからない状況でも、男はすぐさま反応し、距離を取る。
同時にヒカリも刀を取り、逃げ出した。
男の右手甲には軽い火傷の痕が残った。
かなり走った。全速力。
砂漠の中、岩場が立ち並ぶところまで逃げた。あれから、さらなる追っ手が来る様子は感じられない。
ヒカリは自分の特殊能力にかなり自信を持っていた。実際に市長と伯爵への襲撃そのものは上手くいった。デビュー戦で、緊張もしていたはずで、あれだけあっさり成功させたのは立派と言える。だからこそ男が現れた時に自惚れず、冷静な判断を下せた事が信じられない。
「何か余裕綽々だね」
「そんな事ないよ。クロが何か魔法を使ってくれたんでしょ? 」
「そりゃそうだけど……」
「普通にしてたら逃げられないと、私の勘が囁いたのよ」
ヒカリは言いながら笑っている。
「アニメやライトノベルなんかにある特殊能力って圧倒的だ」
僕の言葉にヒカリは頷く。
「圧倒的な、この世界の一般人からすると恵まれた能力を持っていても、あっさり命を落とす事がある。ヒカリもそうだ。敵の動きがゆっくりと見える能力、これは素晴らしい能力だ。それでも相手が達人なら剣が見えていても避けられない」
「そうだね」
「なのに何でそんなに余裕あるの? 状況判断できるの? 」
昔の僕くらい圧倒的な力を持っているならわかる。だがヒカリの能力程度で余裕があるのがわからない。
ヒカリは首を振る。
「クロ、勘違いしてる。1対1なら勝てない、肌で感じたの。でも2体1だったから」
「僕がなんとかすると? 」
「逃げる隙くらいは作ってもらえると思ってさ。それにあの女の子が、腐った野郎どもに弄ばれる事だけはなくなってたし、生き返らせてくれたお礼も兼ねて―――今度は自分のやりたいように生きたいから」
ヒカリの特殊能力、『相手の動きがゆっくりに見える』能力を知った時は失望した。そんな能力が虹色のオーラなの? そんな能力で正義の味方になれるの? ってね。
でも、そうだ。諦めたら負け。8192回も頑張ったんだ。ここから負債を取り返さなくちゃ。
「それにしても、あの男は強かったよ。戦士とか剣士ってあれぐらい強いの? 」
ヒカリが尋ねてくる。
「あれは超一流。あんなのが沢山いたら、たまらん。というか、いきなりあれだけやれたヒカリの方が信じられない」
僕が答えると、ヒカリがいきなり身構える。
「クロ、それ本当? 気配を感じさせずにこれだけ近寄られるのが続くと信じられないなぁ」
ヒカリの視線の先にはゴブリンが立っていた。