4話 雲野真
「道すがら、自己紹介でもしておくか。俺は、雲野真。元々別の『世界』からこの『リドル・ワールド』へ転移してきた。地球、日本、聞き覚えは無いか?」
馬車に乗ってしばらく草原を走っていたが、唐突に御者さんが自己紹介を始めた。
御者台は二人掛けになっていて――街までどれくらいかかるのかわからないけど――男二人で隣同士に座っていると、沈黙が辛かったんだと思う。というか、僕も辛い。が……
「えーと、すみません……わかりません」
残念ながら僕には記憶がない。どこかの地名だろうけど、馴染みのない言葉で会話が繋がらない。
「ふーむ、人種的にアジアンっぽいけどな。名前も全く覚えていねーんだろ?」
それでも、雲野さんは会話を続けてくれる。正直、何を話していいかわからないから有難い。
「ええ、自分が誰なのか。どうしてあそこにいたのか、全然覚えていないんです」
「じゃあ、探究者、破壊者、調整者、創造者、どれか聞いたことはあるか?」
「言葉だけなら聞いたことありますけど……意味合いはきっと違うような気がします」
「まあ、そうだろうな……よっと」
そう言って、雲野さんは馬に鞭を入れる。彼の表情からは焦りの様なものは見られない。別に急いでいるわけでもなさそうだけど、時々鞭を入れてやらないと馬もだれてしまうそうだ。
「最後に、白兎……思い当たることはあるか?」
雲野さんは切れ長の眼を吊り上げるようにしてこちらを問い質してきた。服は派手、口調は荒くて目つきも悪い、と正直怖い。だけど、怖さだけじゃなくその単語に聞き覚えがあって心臓を握られたような感じがした。
唯一、僕の記憶に残っている人物?(兎だけども)
雲野さんはどうして知っているんだろう?
「その様子だと、白兎には覚えがありそうだな……あー、ビンゴかぁ……」
そう言いながら帽子の後頭部付近を擦っている。ホントは頭を掻きたいんだと思う。
「えっと、なんか不味いですか……?」
「あ? あー、こっちの話だから気にすんな。っても気になるよな。まあ、もう少ししたら街に着くからよ。そしたらもうちょっと詳しく話してやるよ」
ちょっと運転に集中するからな、と言って雲野さんは再度馬に鞭を入れていた。さっきより速度が上がっているのは勘違いではないだろう。焦ってはいないだろうけど、急いではいるようだった。
しばらくすると、草原地帯を抜けて舗装された街道にでた。遠くの方に家の煙突が見えてくる。どうやらあれが彼の言っていた街なんだろう。
「さて、グラス草原を抜けて到着しますはラーラル町だ。そんなに大きな街じゃねーけど、住みやすくていいところだぜ」
雲野さんがラーラル町を紹介してから、ほんの五分ほどで馬車はとある家に止まった。結構大きくて、煙突が一本突き出ている。厩舎が備え付けられていて、この馬車を牽いていた馬以外にもまだ何頭か入れるスペースはあるみたいだった。
「ここが俺の家だ。俺はこの町で宿屋をやっててな。今日は食料品だとか薪だとか、そういう生活用品の買い付けに行ってたってわけよ」
そのせいで野郎とベンチシートになっちまったけどなー、なんて笑っていた。
見た感じ、気を使ってくれているんだと思う。口調は荒いけど、雲野さんは良い人、なんだと思う。じゃなきゃ寝覚めが悪いからって素性の知れない人間を草原から拾ってきたりしないだろう。悪い人に拾われなくて良かった、と安堵の溜息が漏れた。
「お、とりあえず人の居るところに来れて良かった、ってか。ハッハッハ、別に取って食いやしねーって言っただろうが」
「あ、すみません……なんか失礼でした?」
いきなり溜息なんかついたら悪いよね。ごめんなさい。
「あー気にすんな。ガキは自分の事で精一杯なんだからよ。そんで、お前の記憶なんだけどよ。十中八九、白兎が一枚噛んでる。あいつの目的は知らねえが、お前みたいに白兎に会ったことしか覚えてないって奴が今までに何人かいた」
僕はその言葉に目を見開いていた、と思う。雲野さんは僕みたいな記憶喪失の人間に会ったことがあるみたいだ。もしかしたら、解決策も知ってるかもしれない。
「そ、それでその人達の記憶は今……」
雲野さんは馬車の荷台から生活用品を降ろしながら
「あー、残念だけど記憶が戻ったって奴にはあったことねーな。まあこっちの生活に慣れてちゃんと生きてはいるよ」
ガックリと首を垂れる。どうやら、雲野さんも記憶の戻し方はわからないみたいだ。
「まあそんなに落ち込むな。どうせ白兎を捜そうとしていたんだろう? そのヒントだったら俺もくれてやれる」
途端に、光が差した気がした。驚いて頭を上げると彼は二カッと笑い
「まあ、俺にゲームで勝ったらな」
と、そう言ったのだった。