幕間 白兎の物語
プロローグの白兎視点の話になります。
読まなくても次の話の内容はわかるようになっているかと思います。
はっきり言って、何故この少年がこの『世界』に足を踏み入れられたのか理解できない。ちらと眺めただけだが、目を引くような知識は書かれていなかった。
この『世界』は知識に貪欲な者しか受け入れない。今までこんな人間は訪れたことが無かった。
会話をしながらも、帰ることだけを望んでいる少年。今までに見たことのないタイプで面白さはあったがそれだけだ。
私は少年から奪った頁に再び目を落とす。
やはり、大した知識はない。この少年の『世界』の常識も私の理想からは程遠いものだ。
少しばかり、溜息を吐いて彼を見据える。
自分の『世界』を奪われたショックは大きいだろう。今頃は酷い焦燥感と喪失感、そしてそれに伴う破滅感が体を襲っているはずだ。
「まぁ、私の知ったことではないがな」
誰にとも構わず独り言を呟く。
大体、人間はどうしていつもこの私を信じるのだ。得体の知れない者が、しかも自らの常識ではありえない者が、自分に都合のいいことを喋っていたら普通警戒するのではないか?
例え自分が知らない土地に放り出されていたとしてもだ。
どうせこの少年も大方、命までは取られまい、と言う甘い気持ちであったのだろう。
もっとも、そのおかげで私は知識を楽に集めることができるがな。
もう一度、阿呆な来訪者を眺めてみる。目は虚ろで口は半開き。体は身動き一つせず瞬きすらしない。典型的な『忘れ人』の症状が出始めている。このまま放っておけば体は硬直し、飢え、その上で死んでいくだろう。本人にはその認識すらないだろうが。
といっても、今の状況はただ『世界』を失ったショックに襲われているだけだ。新しい『世界』を受け入れれば死ぬことは無かろう。受け入れなかったとして、運が良ければ誰かに見つけてもらうこともできるかもしれない。そこは、この少年の運次第か。
不意に、少年の腕が何かを掴もうと動き始めた。
『世界』を受け入れようとしているようだ。
もう良いだろう。私の目的は人を殺すことでもなければ捕食でもない。
既に目的は果たした。
このまま少年が目覚めて何か言ってこられるのも面倒だ。
私には目的がある。この子供にいつまでも構ってはいられない。
自らの理想を夢想し、私は踵を返して草原を駆けていった。