【1】
今日から第二章。
前半はカロン視点です。
カロンはその日の仕事を終えて王都の屋敷に帰るべく馬車に乗りこんだ。季節は社交シーズンの少し前なのだが、今日はあいにくの雨だった。この時期は晴れが多いのだが、珍しいこともある。
しばらく馬車に揺られていたカロンであるが、ふと何かに気付いて馬車窓から外をのぞき、それから馬車を止めさせた。雨の中歩いている人物に見覚えがあったのである。カロンは馬車の扉を開けて、傘をさしてその人物に呼びかけた。
「マリオン!」
名を呼ぶと、その人物は振り返った。片手に傘、片手に診療用の鞄。黒い雨よけの外套に足首までの茶色のスカート。足元は編み上げブーツ。いつものスタイルだ。彼女はカロンを見てパッと笑った。
「あー! カロンだ!」
雨が降りしきっているため、マリオンの声も大きかった。普段冷静で大人びた様子を見せる彼女だが、駆け寄ってくる姿を見るとまだ十八歳だったのだなぁと思う次第である。
「マリオン、診察帰り? 辻馬車を拾わなかったの?」
マリオンは往診に出かけることも多いが、たいてい馬車移動だ。本人がなんと言っても、彼女はまだ十八歳の少女なのである。用心するに越したことはない。
たとえ先に馬車を帰らせていたとしても、彼女は辻馬車を拾うようにしているはずだ。たまに徒歩で帰ってくるが、今日のような雨の日に歩いていると言うのは奇異に映った。
「んー。歩いて帰りたい気分だったんだよね」
そう言いながらもカロンに手を引かれると素直に馬車に乗りこんだ。カロンはマリオンの濡れた髪や服をぬぐってやりながら尋ねた。
「診療先で何か嫌なことでも言われた?」
マリオンは数少ない女医で、しかも若い。せっかく診察に行っても嫌味を言われることも多い。彼女の腕の良さはカロンたちは知っているが、知らない人間は初見で軽んじるのだ。
「ん~。っていうか、ちょっと心に刺さったっていうか」
長い黒髪を梳いて編み直してやりながら、カロンは注意深くマリオンを観察したが、さすがに彼女が何を考えているかわからなかった。
「マリオン、もう仕事は終わり?」
「ええ。このまま家に帰ろうと思っていたし」
カロンは三つ編みにした髪をひもでくくり、マリオンの顔を覗き込んだ。
「じゃあ、ご飯でも一緒に食べに行かない?」
女好きが泣くような誘い文句であるが、マリオンはいつも通りの口調で「おごってくれるの?」などと言い出す。これだからマリオンとは付き合いやすいのだ。
「もちろん。ついでに君の愚痴も聞いてあげよう」
「わぁい。カロン大好き」
わざとらしく喜ぶマリオンに、カロンは頬を緩めた。
△
カロンがマリオンを連れて行ったのは、いわゆる大衆食堂である。愚痴を聞くと言った以上、普通の貴族が行くような店には行けない。大衆食堂と言っても、下級貴族なら普通に出入りするくらいの店だ。それでもマリオンは初めてなので、物珍しそうにしていたが。
「僕から離れないようにね」
「わかった」
そう言ってカロンのあとをついてくる。この子は本当に可愛い。
カロンがその美貌で周囲の女性の視線をかっさらっていったのと同じように、マリオンにも男たちの視線が集まっている。本人は素っ気ない恰好をしているつもりだが、彼女はどう見てもいいとこ出のお嬢さんだ。しかも美人。視線を集めて当然だが、それがちょっと面白くないカロンであった。
席についたカロンは慣れた様子で店員に注文を告げる。
「マリオンも同じでいい?」
「うん」
確認をとり、さらに酒も注文する。先に出てきたアルコール飲料を見て、マリオンが微妙な表情になる。
「マリオン、酒は初めてだっけ?」
「……そんなことはないけど、あんまり飲んだことはない」
何度も言うが、彼女はまだ十八歳なのだ。あまり飲んだことがない、というのもうなずける。彼女の診療室には度数の高いアルコールが無造作に置かれているが、あれは消毒らしい。
「それじゃあ、お試しと言うことで。乾杯」
「かんぱーい」
マリオンが間延びした口調でいい、グラスを少しあげた。自分は一気に半分ほど開けながら、ちびっと舐めるように飲むマリオンを見る。
「……おいしい」
「甘いけど、結構酔うから飲み過ぎないようにね」
「はーい」
よい返事であったが、マリオンはケロッとカクテルを空けた。そして、彼女は意外と酒豪だった。運ばれてくる料理もおいしそうに食べている。おなかがすいていたようだ。カロンは微笑ましくて目を細める。
「それで、何かあったの? 愚痴を聞いてあげると約束したから、何でも話して」
カロンが雨の中歩いていた理由を問うと、マリオンはカクテルの入ったグラスを両手で包み込むようにもち、話しはじめた。
「今日、とある伯爵家のご婦人が陣痛が始まったかもしれないってことで往診に行ったんだけど」
マリオンは助産師ではなく、産婦人科医であるのだが、まあ、それは置いておく。彼女が出産の手助けをできることに変わりはないのだから。
行ってみたらそれは陣痛で、しかも破水していた。すぐに出産準備にかかったが、そこからが長かったらしい。
「午前中から行って、お昼返上でこの時間よ。まあ、無事に生まれたからよかったんだけど」
そう言えるあたり、彼女は医者の鏡だと思う。とりあえず、おなかがすいてた理由はわかった。お昼返上だったからだ。
「出産後の母親の健診と赤ん坊を診察したときに言ったのよ。『良く頑張りましたね。お疲れ様でした』って。これ、結構決まり文句でしょ」
「そうだね。お医者さんにかかると言われることはあるね」
特に大きな病気やけがから回復したとき。もしくは、長い検査を受けた時などに言われることが多い。カロンもマリオンでない医者から言われたことがあった。
「そうしたらね。そのお母さん、『子供を産んだこともないくせに偉そうにわかったような口きかないで!』だって」
「……それは、まあ、癇癪だろうね」
「わかってるわよぉ」
マリオンがテーブルに突っ伏した。カロンは手持無沙汰気味に彼女の黒髪を撫でる。
「別に偉ぶってるわけじゃないわよ。診察してやったんだから感謝しろ、なんて思ってるわけでもないのよ。たださあ。それ、言う必要ある? って思うんだよね」
私も大概毒舌だけどさぁ、とマリオン。聞けばそのお母さんはマリオンと同年代らしく、何となく納得してしまうカロンだった。
「子供を生めば偉いの? 医者が怪我や病気を治すには、それを一度経験しないといけないわけ? そんなことしてたら死んでしまうわよ……」
本当に愚痴だった。マリオンがこのようなことを言うのは珍しい。しかし、言えばすっきりしたらしく、頬を膨らませながらも顔を起こした。
「マリオンは結婚願望とかあるの?」
カロンが尋ねると、「ないと言えばうそになるわね」と彼女は言った。今度はワインを果汁で割ったサングリアを飲もうとしている。
「一応私も女だし、お嫁さんっていうのに憧憬はあるわよ」
と、まったくあこがれていなさそうな口調で言うマリオン。軽い調子で言っているが、憧憬があるのは事実なのだろう。事実、彼女は素っ気ない恰好が多いが、かわいらしいものが好きなのである。
マリオンとて伯爵令嬢だ。普通に暮らしていれば、『お嫁さん』になれたはずだ。特にマリオンの家は娘二人だから、そうなる可能性が高かった。『普通』に暮らすのはおそらく、マリオンには無理だっただろうが、医者になろうと思わなければ、彼女はもう結婚していた可能性もある。
「……それでも、どうしてマリオンは医者になろうと思ったの」
少し踏み込んだ質問をすると、マリオンは「う~ん」と悩みの声をあげた。
「……まあ、動機としては単純なんだけど、小さいころ、男の先生に診られるのが嫌だったのよね」
「ああ、なるほどね」
思春期の頃だろう。カロンも、思春期の頃に女医に診られたらいやな気分がしたかもしれない。
「……それに、かっこいいと思ったのよね。医者になると。他に特にやりたいことも思いつかなかったし」
「……それで医者になれるマリオンはやっぱり天才だね」
「カロンに言われたくないわ」
マリオンはそう言って笑い、サングリアを一気飲みした。カロンはぎょっとする。
「ちょっとマリオン。大丈夫?」
「うん……眠い」
あくびをしながらマリオンが訴えるので、カロンは苦笑した。仕事で疲れているところにおなかも満たされ、アルコールも入り、眠くなってきたようだ。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「うん」
支払いを済ませ、カロンはマリオンを立ち上がらせる。マリオンは本人が思っているより酔っているのか、足元がふらついてまともに立てなかった。危ないのでそのまま抱き上げてしまった。
「ちょっとー。降ろしなさいよ」
「危ないからダメ」
拒否すると、マリオンは「むー」と怒ったような声をあげたが、店を出るころにはすでに寝息を立てていた。こういうことでもないと彼女を抱き上げられないので、ちょっと得した気分。
カロンは待たせてあった馬車にマリオンを抱えたまま乗り込み、御者に告げた。
「このままうちまで行ってくれ」
「マリオン様のお屋敷には寄らなくてよろしいので?」
御者に尋ねられ、馬車のクッションにもたれかかってすやすや眠っている少女を見た。
「寄らなくていい」
「かしこまりました」
こうしてカロンはマリオンを堂々とお持ち帰りした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
マリオンは往診に出掛けることの方が多いです。




