【4】
自分に暴力を振るっていた夫に対し、どうしてそんなに寛容でいられるのかわからないが、アニエスは夫の行く末を心配しているようだった。マリオンは治療をしながら答えた。
「さあ。少なくとも私は、ラグレーン子爵を訴えるつもりはありませんから」
「……何故ですか?」
てっきりマリオンは子爵を突き出すつもりだと思っていたらしいアニエスは驚きの表情になった。マリオンはアニエスの他の古傷なども見ていきながら応える。
「医者なんかしてると、ああいうことはよくあるんです。治療を受けるのが嫌で暴れる人とか、結構多くて。ま、ちょっと痛かったですけど、私も同じくらいやりかえしましたし」
むしろ、肩の骨を外したのでやり過ぎともいえる。
「だから、決めるのは子爵夫人ですよ」
「……私?」
「ええ。妻に暴力を振るうのは、れっきとした犯罪ですから」
「……」
「私は詳しくありませんが、良ければ法律に詳しいものを紹介しますが」
「……いえ。そこまでは……」
アニエスはそう言って拒否した。ということはおそらく、彼女も夫を訴えるようなことはしないだろう。マリオンはアニエスの治療を終え、自分の切った唇を癒す。
「そう言えば、デュラス女男爵があなたのことを心配していました」
「レティシアが?」
はっとした表情になるアニエスに、マリオンは「ええ」とうなずいた。
「そう、ですか……」
マリオンはアニエスの表情を見ながら、まあ離婚くらいが手の打ち所かな、と思った。
「マリオン。いいか?」
「は~い」
アニエスの夫であるラグレーン子爵が暴力沙汰で強制入院となった二日後、マリオンはベクレルの来訪を受けた。書類に悪戦苦闘していたマリオンはこれ幸いとばかりにベクレルを招き入れた。
「ラグレーン子爵の検査結果でたぞ」
「ありがとうございます。ベクレル先生」
マリオンは検査結果の書かれた紙を受け取る。様々な検査を行った結果。
「魔法中毒だ」
「やっぱりね~」
マリオンは一つだけ飛びぬけている検査結果を見て納得の声をあげた。
魔法中毒とは、アルコール依存症などに近い。ある一定の魔法が常にかかっていなければ身体に異常をきたす。しかし、やり過ぎは何事も良くない。
「精神魔法を受けすぎたんでしょうね。まあ、洗脳か自分からかはわからないですけど」
「そこまでは私たちの仕事ではないからな」
ベクレルもマリオンに同意した。病状を調べるところまではマリオンたち医師が患者を回復させるために必要なことだが、それ以上は司法などが関わってこない限りはそれ以上は調べない。医師は患者を回復させるのが最優先。
これを受けてアニエスはどうするのだろうか。夫は正気ではなかったと言うことだが、暴力を振るわれたのは事実である。
「しかし、お前よく気が付いたな。見た目ではわからないだろう」
「まあ、話聞いた時にびびっと。勘ですね」
「確かに、長く医師をしているとそう言う勘も働いてくるものだが。お前まだ三年目なのにな」
「もしかしたらそう言った類の魔法を使っているのかもしれません」
予知能力に近い何か。マリオンは透視能力者であるので、千里眼を持つ可能性もあった。
それは置いといて。
「ま、旦那の方は任せておけ。嫁の方は?」
「アニエスさんも大丈夫。と言っても、私は怪我しか診れませんからね。先生がいればメンタルケアもしてくれるんですけどね」
と、マリオンは苦笑を浮かべる。彼女の師匠にあたる宮廷医は様々な分野に精通する優秀な医師だ。そんな宮廷医は、ほぼ王族の専属となっている。この辺りがジェラシーである。
「どうしてもってなら心療内科を紹介するつもりです」
「それがいいだろうな」
ベクレルがマリオンをよしよしとばかりに撫でる。医者としては最年少であるマリオンはこんな扱いが多い。
「……でも、できれば女医がいいんですけど、女性の心療内科医っていないですよね」
「まあ……町医者にならいるかもしれないが、登録されている女医はお前含めて三人だけだからな」
マリオンが外科と産婦人科、もう一人は内科全般、最後の一人は耳鼻咽喉科が専門となる。場合によっては内科的診療も行うマリオンが一番専門範囲が広いかもしれない。
そもそも心療内科は最近になってできた診療分野であり、医師が少ない。そのすべてが男性医師だ。アニエスの抱えている事情だと、男性には話しにくいだろう。
「普通にカウンセリングでもいいのかもしれないですけど。っていうか私が話しを聞ければ一番早いんですけどね~」
「お前、その性格だからな」
「そうなんですよ~。っていうか、私自身が相談に乗ってほしいくらいです」
ため息交じりに言うマリオンに、ベクレルは「お?」と反応する。
「なんだ? 元気娘が悩み事か?」
相談に乗ってやろうか、とベクレル。親切心なのかもしれないが、面白がっているように見えたので遠慮した。
「遠慮しときます」
「そうか。ま、お前も年頃だしな」
何度も言うが、大人びて見えてもマリオンはまだ十八歳なのである。そんな娘ほどの年齢の彼女の頭を、ベクレルは相変わらずぐりぐりとなでる。
何となく、ベクレルにはマリオンの悩みが見透かされているようで居心地が悪かった。
△
「先生」
アニエスの最後の診察日、彼女は穏やかにマリオンの名を呼んだ。マリオンは動きを止めてアニエスの方を見る。
「私、このまま夫が回復するのを待つことにしました」
「……それはまたどうして」
てっきり離婚するかと思ったのだが、アニエスの回答は予想の斜め上だった。
「ええ。家族にもそうしろって言われたのですが……でも、私、やっぱりあの人が好きで。苦しんでいるのなら、助けてあげたいと思って」
「そう……」
まあ、アニエスの人生だ。アニエスが好きなように生きればいいと思うのだが。
「先生にはいろいろと助けていただきました。本当にありがとうございました」
深く頭を下げられ、マリオンはいやいや、と首を左右に振る。
「大したことはしてないですよ。仕事ですし、それに……」
結局、一番大切なところは救えなかった。つまり、アニエスの心を助けられなかった。
「そんなことはありません。正直、こんなに若い先生で大丈夫だろうかって最初は思いました。でも、先生は体だけじゃなくて、私の心も救ってくれたんです。ありがとうございました」
「……?」
そんな自覚のないマリオンは首をかしげた。わかっていない彼女を見て、アニエスは微笑む。
「先生も、きっとわかりますよ」
医者と患者の関係だが、さすがにアニエスの方が年上だった。
「……まあ、大丈夫ならいいですけど……とりあえず、治療は終わりです。痕は少し残ってしまいましたが……体の機能的には問題ありません。痕が気になるようでしたら、再生魔法治療を続けますけど」
ちなみに、傷跡を完全に消すような治癒魔法はマリオンには使えない。彼女は幅広い知識と能力を持っているが、その分個々の能力値がさほど高く無かったりする。
「いえ。その必要はありません。本当にありがとうございました」
アニエスはそう言って立ち上がる。迎えが来ていると言うのだが……。
「アニエス」
「あ、レティシア。終わったわ」
まさかのデュラス女男爵だった。立ち上がったマリオンは軽く彼女に一礼する。
「先生。ありがとうございました」
女男爵にも礼を言われるマリオンである。
「別に何もしていませんよ」
とマリオンは肩をすくめる。少なくとも、デュラス女男爵が望んだことは何もしていないはずだ。
「いえ。本当に、ありがとうございました」
デュラス女男爵とアニエスはもう一度礼を言い、診察室を後にした。
「……私、何したかな……」
やっぱりわからないマリオンだった。
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