第6章 気付いていましたか?
翌日、日曜日の午前10時。
俺はPCを立ち上げていた。
一刻でも早くリスナーさんに、昨日の報告をしたかったのだ。
【どーだったでゴザル?@The Wall】
【またレアな時間に始めやがって 旦那ゴルフだから良いけど@ふぅ】
【これから仕事なんですが…@豪腕先輩】
【朝までAV見てて眠い@コン太】
こんな時間でもリスナーさんはチラホラいる。
俺はテンションそのままに報告に入る。
「同窓会、行ってきたよ!!」
【それは知ってる@ふぅ】
【それで、どーだったんすか?@向日葵】
【出逢いあったか?@コン太】
「それがさ!昔、ちょっと良いかもって思ってた子が来てさ!!」
【おぉぉぉぉぉ!!!!@山菜】
【で?で?で?で?@パンク姫】
「今度、一緒に食事行こうよって言われた!!!」
【キターーーー!!!!@コン太】
【おめでとうでゴザル!!yaccy殿にも春が…春が…@The Wall】
【デートですか!?それはデートなんですか!?@パンク姫】
「うーん、デートでは無いかも。もう1人友達を誘って行くし」
同窓会の後、俺は井口と渡会と3人で駅までの道を歩いていた。
俺はあれからビールを3杯追加し、正直だいぶ良い気分だった。
なんかフワフワして、まだ話し足りなくて、でも上手い事を言い出せなくて…そしたら渡会が切り出したのだ。
「もっと色んな話がしたいし聞いてみたいし。だから近いうちに3人で会わない?」
「も、もちろんっ!!」
「俺は構わないよ」
俺は即答した気がする。
井口は何故かこういう時に勿体ぶる。
まぁ、ともかくそんな話があったのだ。
「でもね、一緒に行くヤツは、こないだ服買うのに付き合ってくれたヤツだから」
俺はリスナーさんへの報告を再開する。
【それは逆に援軍でゴザルな!!@The Wall】
【賄賂を使ってでも味方に引き込め@ふぅ】
たぶん昨日のテンションで、井口は俺の気持ちに気付いているんだと思う。
ヤツが味方してくれたらちょっと心強いかも…なんて思った。
「あ、あとね、さっきメール来た」
【なんだとおおおおおおお@コン太】
【なんて書いてあったでゴザル?The Wall】
【おぉ!読んで下さい!!@向日葵】
「えーっとね、『昨日はお疲れ様、久し振りに会えて嬉しかった!食事会も楽しみにしてるね~』ってさ」
【これは良い予感!!!@山菜】
【会えて嬉しかったとか…それがしも言ってもらいたいでゴザル@The Wall】
【フラグが立ってるな!@コン太】
【社交辞令だろ?@スイスの熊】
【で、何て返したんすか?@向日葵】
「取り合えず『お疲れ~!昨日は楽しかったね』って返した」
【それだけっ!?@ふぅ】
「うん…だ、だめ?」
【アホだ…@ふぅ】
【ダメに決まってるだろーが!!@コン太】
【俺でも、もう少しマシなの返す@山菜】
【さすがのDT 救いようが無いな@スイスの熊】
それから俺は枠の残りの時間全部を使って、リスナーさんから『気が利いたメールの返し方』を教わる事になった。
もの凄いスパルタに感じたのは、俺だけだったみたいだ。
渡会との食事会は、井口が色々と段取りしてくれてサクサク決まっていった。
彼女が1週間しか日本にいられないらしく、食事会は翌週の金曜日の夜に決まった。
その間、俺の再燃した「ほのかな恋心」は自重しなかった。
井口からメールが来たり、放送でリスナーさんから言われるたびに、気持ちは高ぶっていく。
放送では毎回リスナーさんから、恋愛のテクニックを教わった。
【服は同窓会と違うの着て行けよ!@コン太】
【多少カジュアルな感じでも良いと思いますよ@向日葵】
「え?でも彼女、こないだの服を『似合ってるね』って言ってくれたんだけど…」
【それは服と言うより服をチョイスしたセンスを褒めてんの!!@ふぅ】
【さすがに2回続けたら、服が無いんだと思われるだろ…@コン太】
【なんかプレゼント持って行くとポイント高いですよ~~!!@パンク姫】
【あまり高くないヤツでな@ふぅ】
「でも、彼女の誕生日とか全然近くないよ?」
【別に誕生日だの記念日だのにあげるだけが、プレゼントじゃないんだよ!@ふぅ】
【バラの花束とか?@コン太】
【花は嬉しいけど、嵩張るから持って帰るのメンドイんだよ@ふぅ】
【時間を作ってくれたお礼って感じっすよ@向日葵】
【田舎に帰るときのお土産的な?@山菜】
【微妙に似てて、微妙に違う>山菜@スイスの熊】
なんかどれもこれも初めて聞くことだった。
一部のリスナーさんに言わせると、恋愛の初歩的なテクニックとの事だが…
でもそんな知識を教わる事が楽しくて、俺は毎日の様に放送を配信した。
食事会までの1週間はあっという間だった。
木曜日の夜、放送でリスナーさんから最後のチェックを受ける。
【服は決めたでゴザルな?@The Wall】
【プレゼントは友人が買ってきてくれるって事で大丈夫なんだな?@ふぅ】
【絶対に飲みすぎちゃダメっすよ!!@向日葵】
【チ●コ出すなよ!@コン太】
【汗拭きようのボディペーパー忘れるなよ!@山菜】
「持ち物は全部大丈夫…たぶん」
【おいおい…しっかりしてくれよwww@ふぅ】
【良い報告待ってるぜ!@コン太】
【家庭科の宿題やりながら待ってます!@パンク姫】
【戦場へ向かうyaccy殿に敬礼!!@The Wall】
【まぁ気楽になw 次に繋がる何が見つかりゃ成功だから@スイスの熊】
「じゃあ、明日頑張ってきます!!」
そう決意を伝えて前日の放送は終わった。
食事会の会場は吉祥寺駅から少し歩いた、隠れ家風なイタリアンの店だった。
渡会のリクエストなのかと思ったら井口のチョイスらしい。
なんでコイツはこういうオシャレな店を知ってるんだろう。
「おー!ヤジ早いね」
「いや、今さっき着いてタバコ吸ってた」
井口が来たのは待ち合わせの7時少し前。
まだ渡会は来ていない。
ちなみに俺は今さっきじゃなく、30分前に着いていた。
定時の6時より更に10分前に職場を出て、駅まで小走りし、発車間際の急行に飛び乗ったのだ。
もう今日は仕事が手につかなかった。
「おまたせ~ 遅くなってゴメンね」
井口と2人でタバコを吸ってると渡会がやって来た。
今日はワンピースだ。
短めの袖から覗く二の腕が正直眩しい。
「タバコはやめた方が良いんだぞ!」
会うなりカワイイ顔をしながら注意される。
「えーっと、そろそろやめようかな~と思ってるんだけど…」
「無理っ!」
井口はキッパリと断言する。
なんでコイツはこんなに可愛げ無いのにモテるんだろう。
「じゃあ、取り合えず乾杯しますか?」
「そーだね!」
「じゃあ、久し振りの再開とアラサーの夏休みに…乾杯!」
グラスの当たる乾いた音が響く。
井口と渡会がチョイスしたチリだかペルーだかの、安いけど飲み応えのあると言うワインだ。
俺はワインの事なんかよく分からない。
飲むのは専らビールか焼酎か日本酒で、その3つも別に詳しい訳でもない。
でも、夏の夜風を感じながら、キャンドルの灯るテーブルで飲むワインは美味かった。
アラカルトで頼んだ前菜を食べながら、会話は主に渡会の主導で進んでいく。
久し振りに日本に帰ってきた彼女は、本当によく喋った。
時々、井口がバトンを受け取って俺たちの近況を話したり。
俺は基本的に聞き役だ。
3人ともアルコールは嫌いじゃないからワインも進む。
渡会が言葉を紡ぐたびに、楽しそうに笑うたびに、俺はそれを肴にワインを飲んだ。
「あっ、報告があるんだ!」
メインの肉料理が出た後で、渡会が改まって俺たちを見た。
「なになに?」
「……ん?」
俺はだいぶ良い気分だったこともあって身を乗り出す。
井口は相変わらず乗り気じゃない様な返事だ。
「えーっとですね…」
珍しく渡会が勿体ぶって引っ張る。
その顔がもの凄く可愛く見えた。
「実は…この度、婚約しましたっ!来年、結婚します!」
「だと思った。おめでとう!」
俺の沈黙は時間にして数秒だったのか、数十秒だったのか…
隣の井口の声で現実に引き戻される。
「お、おめでとっう…なんだ、早く言えよ~」
自分でもハッキリ分かるくらいに声が上手く出ない。
「ありがとう!ゴメンね。同窓会で発表すると他の人に聞こえちゃうでしょ?そうすると式に呼んで~とか言われるし」
「相変わらずだな。呼んだら相手の時に行かなきゃならないし、そこも考えてだろ?」
「そうそう。彼がアメリカンだから、式も向こうで挙げるつもりなの」
なんか2人の会話が遠くで聞こえる。
俺は頭の中を整理するだけで精一杯だった。
婚約って言ったよね…
結婚するって言ったよね…
結婚するって事は…俺、付き合え…無い…よなぁ…
「でね、こっちでは本当に仲が良かった友達だけ集めて、ホントに小規模にお披露目しようと思うんだ」
「旦那さんも一緒に?」
「勿論!!2人にも出て欲しいんだけど良いかな?」
「うん、喜んで」
「撮影係じゃなきゃ行くよ」
反射的な相槌は何とか打てたが、俺は渡会の顔が見れなかった。
ついさっきまで、何かと理由をつけては盗み見てた顔が、今は見るのが怖かった。
だからなるべく上を見たり、横を見たり、下を見たり…
それでも渡会の声は聞こえる。
彼女の嬉しそうな声が聞こえる。
井口は…と考えて思い当たる。
あれ、コイツさっき『だと思った』って言ったよな?
「ちょっとお手洗い行ってくるね」
渡会が席を立ったタイミングで、俺は井口に顔を寄せる。
「おまえ、知ってたのかよ?」
「結婚のこと?ヤジの気持ち?」
「どっちもだよっ!!」
井口の反応はいつもの事だが、それが今はもの凄く腹ただしく思える。
「前者は『可能性は考えてた』で、後者は『知っていた』って所」
「なんで教えてくれないんだよ!」
「うーん…まず最初に言っておくけど、俺だって確証無かったのは事実ね」
「でも思い当たる節はあったんだろ!?なんでっ!?」
思わず語気が強くなる。
「思い当たるって言ってもウチの彼女に今日の集まりのこと話したら、『結婚の報告がしたいんじゃない?』って言われたくらいだし」
「……」
「後は、同窓会で右手の薬指に指輪してただろ?でもあれってファッションかもしれないじゃん?」
「してた…?」
「してたよ。で、今日は左手にも指輪してるじゃん?それでやっと確信した」
俺はそんなこと全然気付かなかった。
結局、何も見えてなかったのか…
悔しいような情けないような、どっちもが混ざり合った気分だった。
ボトルに残ってたワインを並々とグラスに注ぎ、一気に飲み干してみる。
「ヤジが本気になってたから、俺の推測で止まって欲しくなかったんだよね。この1週間、頑張ってるの知ってたからさ」
井口の声が少しずつ遠くなっていった。
そこから俺の記憶は断片的になる。
渡会が戻ってきて、しばらく何かを話して店を出て、それから解散して電車に乗った。
次に気が付いたとき、俺は中央線の終着駅である高尾駅のホームで駅員に揺り起こされていた。