第5章 ほのかな恋心の行方を覚えてますか?
結局美容院で髪を切ったのは、同窓会当日、土曜日の午前だった。
仕事が定時に終われば平日の夜にでも予約を入れたかったが、今週はなかなか忙しかったのだ。
予約した10時より5分前に、生まれて初めて美容院に足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
「あの、えっと、予約した矢島です」
「はい、矢島様ですね。こちらにお掛けになってお待ち下さい」
しっかりと光の入る大きな窓に、オシャレな音楽、そして女性のスタッフ。
いつも行く近所の床屋と違って、もの凄くアウェー感がいっぱいだ。
女性の美容師さんだったらどうしようと心配していたが、幸いにも男性が担当してくれた。
「どんな髪型にいたしますか?」
ふぅさんに教わったサイトからプリントした紙を見せる。
いくつも載ってた髪形の中で、正直1番無難そうなヤツだ。
「かしこまりました」
「似合いませんって言われたらどうしよう」なんて不安に思ってたが、美容師さんはしばらく見てからあっさり頷いた。
それから美容師さんは切りながら色々と話を振ってくれた。
だけど申し訳ないことに、どれも上手く答えられた自信が無い。
だって近所の床屋のオッチャンは、いつも怖いくらいに無口だから。
1時間ほど経って店を出たとき、俺はだいぶ疲れていた。
会場に向かうまで時間もあるし、帰って少し横になりたい気分だった。
同窓会のスタートは19時からで、15分前に店に着いたが、もう結構な人数が集まっていた。
会場は新宿駅東口のダイニングバーで、メインラウンジを全部使った立食パーティーだった。
今回は30歳の区切りと言う事で同級生の6割、120人近くが集まるらしい。
うちの学校は中学・高校の一貫教育を売りにする私立の共学校。
一学年は200人程度だし、6年も通えば殆ど全員の顔と名前は覚えてしまう。
ただ6年も同じ環境でいると、各々のポジションも固まってしまう。
クラスのリーダー、運動部にいた目立つグループ、男女で仲の良いグループ、地味な男子、大人しい女子…
そしてそれは卒業して10年以上たった今でも、変わらず同じだった。
「ヤジ!久し振りじゃん!」
「おぉ!長谷部!」
「いま、仕事何してるの?」
「IT関係。SEってやつ」
「へぇ!あ、結婚は?」
「いや、まだ全然」
そんな会話を色んな人間と何回か繰り返す。
でも俺の周りに来るのは専ら男ばかりだ。
学生時代はクラスで目立たなかった地味な男子…
『クラス全体』で見たら『その他大勢』みたいな、そんなポジションだったようなヤツら。
俺もそのグループの1人なんだけどね。
井口は今日の撮影係らしい。
あちこちから声を掛けられては撮影して回っている。
中学時代から写真部だったあいつは、毎回行事の撮影係。どのグループにも顔が効くようなポジションだった。
開始からしばらくたって、会場の雰囲気は少し落ち着きだしていた。
ますます当時から仲の良かったグループ同志で集まって、それぞれに談笑してる。
会場の隅で壁に寄りかかりながら、俺はそんな様子をぼんやりと眺めていた。
たぶんリスナーさんが言ってたような出会いは起こらないだろう。
あれは『そういうグループ』にいたヤツ限定のイベントなんだよ。
俺みたいなグループに属するヤツには、やっぱり同窓会ってのはただの同窓会さ。
そんな事を考えながらチビチビとビールを飲んでいた。
井口が俺の横にフラリと来たのは、3杯目のビールを調達して戻って来た時だった。
「お疲れさん」
「うん、マジで疲れた。まだ1口しか飲めてねーわ」
「これ、口つけてないから飲むか?」
「良いの?サンキュー!」
今さっき貰って来たばかりのグラスを手渡すと、井口は喉を鳴らして美味そうに飲み干していく。
「井口くーん!こっちも撮って!沙由美と一緒に!」
「はいはーい!」
井口は俺に空のグラスを預けて、女子の集団に呼ばれていく。
相変わらず愛想の良いヤツだ。
「あっ!」
「ん?どうした?」
ふと、思い出したように井口が戻ってくる。
「渡会、遅れてるけど、もうすぐ来るってよ」
「へっ?」
思わず間抜けな声が出る。
「だから渡会だって!渡会香澄!!良いな、伝えたぞ」
「え?ちょっと…」
井口は意味深に念を押して、カメラを担いで去って行った。
渡会香澄は少し不思議な女子だった。
と言っても、最近よく言われる『不思議ちゃん』ってキャラじゃない。
男女とも関係なく付き合えて、それでいて群れる事も無く飄々としていた。
はっきりと好き嫌いを言い、それでクラスから浮いても動じない。
自分の世界と考えを持っていた。
そんな彼女は、あの頃の高校生だった俺たちから見ると、やっぱり少し不思議な女子だった。
俺と渡会は中学3年と高校1・2年が同じクラスだった。
井口は6年間ずっと同じだったはずだ。
卒業してからも何度か皆で遊びに行った。
女子と話すのが苦手な俺でも、彼女とは臆面無く会話できた。
思うに、彼女から色々と話題を振ってくれたからだろう。
後になって考えて、「あれは『ほのかな恋心』だったのかな」なんて思ったりもした。
ただ、今回の同窓会に彼女が来るとは思っていなかった。
彼女は大学在学中から何度か海外留学をしていたし、卒業後はアメリカで働いているって話を聞いていた。
その辺りから自然と連絡も少なくなり、ここ数年は全く連絡も取っていなかった。
何より以前、彼女は言ったのだ。
「私、中学と高校の雰囲気って好きじゃなかったな。何度も転校しようと思ったもん」
成人式より少し後の、内輪でやった飲み会の席だったと思う。
中学や高校の話題になった時に、ふと彼女が言ったのだ。
「あぁ、何となく知ってた」
確か井口は、そんな風に言ったと思う。
いつも井口は何でも知ってる。
でも俺は全然気付いてなくて、むしろ散々中学と高校時代の面白かった話をした後で、ちょっと気まずかった。
それから確か彼女は、こう続けたと思う。
「こうやって少人数で集まるなら良いけど、同窓会とか絶対に行きたくないな」
その時はそれなりにショックで、でもしばらくして「そんなものか」と思った。
そしてそんな風に思ったことさえ、今の今まで忘れていた。
そんな訳で俺の頭の中から渡会香澄の事は随分と薄れていたし、今回、同窓会と聞いても昔の『ほのかな恋心』が再燃する事もなかったのだ。
ふいに会場の入り口辺りがざわめく。
ふと我に返って視線を送ると、彼女がいた。
「香澄ちゃん久し振り!」
「トモちゃんこそ元気だった?」
受付で出席を取ってる女子と笑顔で会話している。
高校当時、あのグループとはそんなに仲良くなかったはずだ。
むしろ互いに反目してた様な気さえする。
受付を済ませた彼女が会場内に歩みを進める。
最初のざわつきは収束しかけているが、「レアなヤツが来たぞ」くらいの会話は続いているだろう。
でも彼女は気にする素振りも嫌な顔もせず、フロアーをゆっくりと歩く。
薄い紫色のドレスの裾が、歩くたびに緩やかに揺れる。
彼女は流れるような仕草で、シャンパングラスを1つ摘み上げる。
そして最初からそこを目指していたかのように、俺の隣に立った。
「ヤッシー、久し振り」
グラスを目線の高さまで持ち上げ、おどけた挨拶をする彼女。
ウェーブが掛かる髪から流れた香りが、フワリと俺の鼻をくすぐった。