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第九話 主人公だって人だもん 怪我くらいするさ

 第九話


 この朱い空の下の光景と相成ってまるで地獄に落とされた様な気分だった。

 絶体絶命という言葉が痛感できる。心臓が高鳴って神経が悲鳴を上げている。だが頭脳は正常に働く。

 羊は2.5mまで近づいている。もう最後か?いや違う。

 俺はリュックからビスケットを取り出す。

 昔見た、どこかの冒険記を頭の中に再現しながら。

 ビスケットをリュックに入れてくれた父さんと母さんには悪いが、羊が美味しそうだと感じる香りであれば幸いと思いながら、放り投げる。

 羊が集れば美味しいビスケットだったということで、帰った暁にはそう伝えておこう。

 正午近くでたくさんの人を食うために腹を空かしているだろうという一か八かの浅はかな思惑だったし、良くて急場しのぎにしかならないと考えた。

 結果はうまく行ったみたいで、羊は目の前のビスケットをがっつく。


 絵鈴はいつの間にかその右手にはふわふわの――それこそ目の前でビスケットに集る羊の様に――羽が付いているペンを取り出していて、羊と建物の壁の直線上に簡略な人型を描いて、俺たちは連中の視界の外に伏せる。

 思ったように作用する仕組みなのか、三次元上に書かれている(置かれている)線は、線と線をつなげた瞬間に、枠から不思議なインクのようなものが噴出され、囲った部分が黒く染まり俺達の姿を羊たちの視界から消失させることに成功した。

 しかし、ビスケットをもの凄い勢いで食べ終えた羊たちは俺達がいたところに黒い壁を見つけて雄叫びを上げて猛進する。

 羊はインクをすり抜けずに勢い余って突進し壁に激突、頭を強打し身動きを取れないでいる。

「よし今だ、窓を突き破れ!」

 扉がダメなら窓から侵入するまでだ。二人してリュックを放り投げて、ドアの隣に設置されている十字の木枠がある窓ガラスを、損害とかそういうのを何も考えずに割った。

 その音は羊の怒声と群衆の悲鳴にかき消されたと思っていたが、新たに二頭が聞きつけこちらへ向かってくる。距離はそれぞれ5mと8mほどだ。

 俺は絵鈴に先行させる。ガラスの破片に注意しなくてはならないので、慎重に窓枠を跨ぐ。

 彼女が無事に乗り越えたときには羊があと3mまで迫っていた。俺は急いで足を向こう側へ渡してもう片方を引く。

 よし、問題はない。と思った矢先、ローブが引っかかってしまった。羊はあと1mもない。

「くそっ!」

「もうっ!」

 絵鈴が俺を見て、少しだけ気を抜いていた体勢から俺のところまで戻ってきて、急いで引っかかった箇所を解消して、ようやく乗り越える。

 が、激痛が左腕を襲った。

 羊が窓にギリギリで体を乗り出し俺の腕に噛みついたのだ。鋭利な牙が肉に食い込むのを感じた。

「うわぁぁぁ」

 痛みは神経で電気信号となって殺到する。それが俺の思考を妨げていたが、考えることを止めなかった。だがどうしようもない。せめてこの羊の首をナイフで一突き出来れば……

 そんな発想にいきついた直後、俺は直感的に右手に握っていた定規を、ウールで覆われた羊の喉元に突き刺していた。

 羊は俺の腕を放し、血のあぶくを吐きながら、メェーとやっとそれっぽく弱々しい声を出した。

 定規を抜き取ると鮮血が勢いよく吹き出す。

 俺は定規がナイフのような切れ味の何かに変わったと理解した。

 そしてその赤く染まりつつある綿の塊によって窓枠は塞がれた。

 扉で激しい衝突音が聞こえるが、閂で補強された木製のそれは、当分壁になってくれそうだ。

 左腕がズキズキ痛みを増してきた。俺の左腕のくっきりした歯形から血がにじみ出て斑点となる。


「大丈夫?」

 絵鈴が本気で心配そうな顔をして俺の腕元に駆け寄ってきた。

 肉に牙が食い込んだせいで、血の大海ができそうなくらいにはドクドクと酷い音を立てながら流血していた。

 痛みが伴う程度の怪我なので、更に性質が悪い。


「貴様ら! 器物損害じゃぞ!」

 先程まで怯えていたであろう榊村町長がまた顔を赤くしている。粉々になった窓を見て、やっちまったなと思いながら、俺は定規を手にして、

「俺達を見捨てて自分だけ助かろうなんて性根が腐ったヤローに言われたくはねぇよ!」

 と町長の目の前に定規やいばを突きつける。

「さっきの羊みたいに、サクッてしてやろうか?」

 と、思いっきりガンを飛ばして痛めていない右手を少しずつさらに町長の顔に近づける。


「止めなさい、サッキー。悪いのは私たちでしょ」

 絵鈴が横槍を入れてくるが、さっき思いっきり目の前で閂をかけられたことは忘れない。

「町長さん、ここら辺に救急看護セットとか無いですかね?」

 町長は絵鈴が見方をしたことで少しだけ元気を取り戻したのか、厳格な姿勢を垣間見せつつ、それでも目先の定規に怯えてじりじりと後退しながら、

「み、右の部屋にある。旅人よ、好きに使うといい」

「ありがとうございます!」

 町長が言うが早いか、絵鈴は右の部屋へすたこらさっさとかけて行ってしまった。その姿を見て町長は何か言いたげだった。

(ワシはこの男と二人きりなのか……)

 という絶望の様な声も聞こえてきたが、きっとこれとは関係ないだろう。

 うん、そういうことにしておこう。


 右の部屋から、絵鈴が「見つけた!」という声をあげたのと同時に、町長もまた「ひぃ!」という老人特有の息絶えるような声を出しながら俺と対峙していた。

 立って村長に定規を突き付けているせいか、出血の所為でどうにも足がふらつく。指先からは生温かい鉄分を大量に含んだ朱色に富んだ液体が滴っている。

 定規の先端が、足がふらつくのと作用してターゲットがぶれる。

 座ればいいのに、と、思うかもしれない。だが、こいつには何か仇返しをしてやらないと気が済まない。

 俺のことはいい。少なくとも、絵鈴を見捨てるような人間はクズだと思う。

 絵鈴は、傍から見れば可愛い方の女子だと思う。

 見知らぬ人物なら、か弱い女子供を見捨てていいのか。

 それは違うだろう。俺は少なくともそう思う。

 だから、俺はこいつに、どうにかして罰を与えてやりたい。


「ほら、サッキー座りな? 半端な知識で悪いけど、傷口は心臓より下にするといいとか。さあ、寝転んで」

 そう言って、絵鈴は俺を後ろから抱きかかえるようにして血痕がまだついていない場所に横たわらせる。

 そして、応急措置だけどね、と言って包帯を巻いてくれた。

 町長は、俺が離れた瞬間、安堵の表情を顔に出していた。その顔を見るだけで、心がモヤモヤする。


 ドゴン!

 大きな物音がした。木と何かが強い衝撃の元にぶつかりあった様な音だった。

「それでも、やっぱりここに長居するわけにはいかないよねー……」

 絵鈴がそう漏らす。どういう意味か一瞬理解しかねたが、徐々に増えてくる四本足の駆けてくる音で全てを察知した。

 そうだ、さっきの栗瓦とか言う奴は、町長を狙って反乱か何かを起こしたんだっけ。ってことは、当然狙うはここだよな。

「さて、町長さん、ここで取引をしませんか?」

 絵鈴が唐突にそんなことを言った。

 俺は唖然としながらも推移を見守る。そんなことより、いつあの閂が外れるあるいは壊れるかが気がかりすぎてそっちに集中できない。

 そろそろいいだろうと、流石に我慢ができなくて、体を起こすと、再び左腕がドクンという音を立てたが、さっきよりだいぶんましな状態になったのでまあいいかなと思い放置することにした。

「あなた、さっき私たちを捨てましたよね?」

「え……でもそれは貴様らが悪いというこ」

「黙れ」

 町長がなにか反論をしようとしたところで、絵鈴の本性が垣間見えた。

 長い付き合いだから、後ろから見ているだけでもどんな表情をしているかがわかる。透き通った泉の奥には大蛇が住んでいる、みたいな比喩を考えたものだ。

「私は、貴方を殺すことにだって躊躇はありませんよ? だって、こんなクズ野郎なんですから」

 そう言って、絵鈴はその辺に落ちているガラス片で町長の頬の肉を切り裂く。その部分からは、血がツツツーっと垂れていく。

「へ……?」

 町長は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしながら、何も反応ができないでいる。

「確かに物を壊したのはすいませんでした。私たちの不徳の致すところです。ただし!」

 ただし、と言ったところで町長の方がピクリと震えあがる。

「それとこれとは、話が別ですよね?」

「……はい」

 厳格そうに見えた町長を絵鈴が押し込んでいる。被害者側の立場というだけでこれほどまでに強く迫れるとは……。


「そこで、取引です。あなたが今ここで殺されるか、私たちを他の町に転送するか、どちらにします?」


 ……それ取引って言うか、脅迫だよね。


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