第二十二話(後篇) 「準備段階」
♯
カチャカチャと陶器と匙の奏でる金属音が食卓を囲む。
広い机に座るのは奈佐木と峯崎、そして主様とカエデだ。
主様の恰好はさっきとは打って変わって白色を基調とした、やはりノースリーブのドレスになっていた。
聞くところによると、カエデはどうやらいつもこの席では食べないらしいが、客人の関係者ということで同席をするようにと言い渡されたらしい。
そんなことを食事が始まる前段階で奈佐木に告げてきた。
カエデからしてみると奈佐木は話しやすい相手なのだろう。こちらとしても居心地はいいのでありがたいが。
使用人――といっても奈佐木らと変わらないくらいの年端も行かぬ少年あるいは少女だった。仕立てられてはいるものの、顔のあどけなさと執事やメイドの雰囲気がどうしても噛み合わずにちぐはぐな感じが支離滅裂な違和感を生み出している。
そんな執事メイドらが白い陶器の上に乗った肉を運んでくる。不思議な黄色いソースがかけられていて、皿の端には彩りとしてか何かの花が添えられている。
田舎者特有の感想になるが、とりあえずお洒落だ。
「ほぉ……」
峯崎が感嘆の吐息を漏らす。いつかどこかで王都の街を最初に見たときの感想と同じようだ。
「見た目は料理のおいしさを左右する――って、よく主様が仰っておられるからのぉ」
奈佐木の隣でカエデが告げる。今日のものは特にいい出来じゃ、と言うと、主様の後ろで待機している少女メイドがはにかむような笑みを浮かべた。
「さぁ、召し上がれ」
「頂きます」
僕らは主様の言葉に呼応するようにナイフとフォークを手に取る。テーブルマナーというものをあまり知らない峯崎は、それでも一応奈佐木の持ち方を見様見真似て持ち直した。ただ、ナイフとフォークが逆になっているが、それもまた峯崎らしい。
峯崎は一つ肉を切り分けると、鼻のあたりまで高く持ち上げてから舌へと運ぶ。煌く肉汁が、魚が飛び跳ねるように飛沫をあげる。舌へと運ぶまでの間にも、肉が辿り着く前に肉汁が口腔へ入り込む。一滴這入り込んだ瞬間から、峯崎の表情は驚嘆のものへと変わった。
奈佐木も肉を分け、少し下を向いて自分の舌を見せないようお淑やかに口元へ運ぶ。一口その侵入を許した瞬間、息を呑んだ。
正直、舐めていた。
王都という場所に対して、圧巻を覚えた。
少しでも歯で噛み切ろうとするのならば、低反発――いや、無抵抗で溶ける様な感覚。よもや舌だけで押しつぶせてしまいそうなくらいの柔らかさだった。そして極めつけは味付け、肉としての旨味が……。
閑話休題。
少しばかり取り乱してしまった。
美味しさのあまり意識を乗っ取られるだなんて、まだまだだな。
「どうです? うちの料理は」
「はひぃ……おいひぃですぅ……」
「ええ、とても」
峯崎が大変危険な領域に入ってしまっているような気もしないでもない。
彼女の頬は既にとろけてしまっていて、もしかするとこのまま口角が下がり過ぎて顎まで蕩けさせてしまうのではないかと本気で危惧するところだ。
「自己紹介がまだだったわね。私の名前は糸刀 なぐみ。辺境に住むしがない婦人――ってとこかしらね」
フランクに笑うその姿からは、なんでも最小限にしか体を動かさないお淑やかな動きと合わさってその真性を隠しているような印象を受けるが、少なくとも敵意はなさそうに感じた。
「あなたたち二人のことはカエデから聞いたわ。でもどうしてこんな王都の端くれに来たのか、いろいろ聞きたいわね」
「それにはいろいろと事情がありまして……」
苦笑いで対応する。しかしなぐみの視線はこちらをはっきり捉えており、逃がしてくれそうにもない。
「私たひぃは大陸南西部にあひゅ小さな町から旅をしてきたんでひゅよ」
峯崎が蕩けたままの顔で返答をする。礼儀というものを知らないのかこいつは。戒告の意味を込めて右隣に座る峯崎の足を踵で蹴り飛ばす。
その途端、右側から「あふゅっ」という情けない声が聞こえたが、奈佐木はそれを無視してなぐみに話しかける。
「この街に来て初めてなんで、この街についていろいろ教えてくれるとありがたいんですけど……」
後頭部をポリポリと掻きながら、迷子が醸し出す特有の庇護欲の様なものを振りまいてなぐみを見つめる。
なぐみの口元は一切動かなかったが、目だけはにっこりと笑った。
「その前に、あなたたちの話から聞きたいわ」
奈佐木は峯崎とアイコンタクトをとる。
どうする、正直に話すか? という意味のものであったが――峯崎は目の前に出された食事に夢中でこちらを見てすらもいない。気づいてくれよ!
先ほどと同じようにして、今度は踝のあたりを蹴ってやろうと攻め懸けるも、偶然なのか躱わされてしまった。もう一度と思って突撃してみると、寧ろ反撃を食らった。見てもないのに見えているらしい。どういうシステムなんだよ……。
だが、それに乗じて峯崎がこちらを向いた。
キッと目を吊り上げて怒り心頭といった感じだ。食事中に邪魔をするなと言いたいらしい。何を考えてるんだ峯崎は。何も考えてないだろ。
「絵鈴、だってよ」
「ムグ?」
やはり何も聞いていなかった峯崎が本能の欲求のままに食べ物を貪る動物の様に生返事を返す。だが腐っても峯崎、要領の良さを発揮し3秒ぐらいのタイムラグを持って会話の流れを理解して返事をする。
「私たちは研究をするためにこの都市へ来たんですよ」
今度はきちんと咀嚼を終えてから切り出した。というのも、峯崎の目の前にある皿には何一つとして残っていなかった。
「研究?」
「はい、私たちは空学の専門研究者ですから」
空事の様な気もするが――このくらいは尾鰭を付けるようなものなのか。峯崎に話を振らなければよかったと少しだけ後悔する。
「空学、ね……。残念ながら専門外だわ」
なぐみは少しだけ考えるように物憂げな表情を浮かべたが、すぐに相好を崩す。一瞬の間を奈佐木と峯崎は敏感にキャッチして、見逃さない。
だが、それを突き詰めようとするほど好奇心旺盛というわけでもない。専門外と言われている以上、特に口出しはしない。
「何かを専門にしてらっしゃったんですか?」
「ええ、そうね。昔の話だけれどねぇ……旦那と結婚して以来勉学とは縁遠くなっちゃったから」
見た目若そうだが、それでもある程度の年はとっているらしい。女性の恐ろしさが垣間見えたような気がして、奈佐木は目をそらした。
それを目敏く見つけたのか、なぐみはくすりと奈佐木の方を見て笑った。
♯
なぐみとの対面を済ませ、晩御飯もごちそうになった。結局終始相手のペースで芳しい情報は手に入れることができなかったが、この王都の概要説明だけはしてもらった。
王都は円周上に広がっており、おもに東西南北で四国に分かたれているらしい。と言っても、明確な区切りがあるわけではなく分かり易さ中心の俗称だ。そして中心には森が広がっており、今から目指さなければいけないところは――
「北国ね。王城の周りにあるという学問中心域を目指せばいいのね」
「そういうこと、らしいな」
「でもここからじゃとかなり距離が離れているのぉ……」
場所は貸し与えられた客室。仄かな間接照明が滲むような光を発し、目に悪いくらいの光度しかない。
「なんでいるんだ?」
「お主らを巻き込んだ責任、ということで派遣されてしもうた……」
なんか、ほんとにごめん。
奈佐木は同情と憐みの念を込めて一回り小さいカエデの頭にポンと手をおいて撫でる。
カエデは突然背筋を凍らせるようにおとなしめの痙攣を起こした。油の効いていないロボットのようにぎこちない動きで首を回して奈佐木の顔を見る。進まぬ顔をして目を白黒させる動きには矛盾が生じていて面白い顔つきになっていた。
「この手はなんじゃ」
「偉いな、と思ってつい」
「子供扱いするでない!」
カエデは奈佐木の手を払いのけ、少しだけ距離をとる。
――が、その距離をものともせず、寧ろカエデが距離をとるその場所に予め移動していたかのように動いて、離れて行ったはずのカエデを逆に受け止めて撫で回す。
「なっ……ひゃっ!」
悲鳴と喫驚が重ね合わさっているようだった。なぜ逃げた先に居る――言葉に出されなくても分かっている。答えは簡単。
ぎゅっと、どちらかと言うと骨ばった体を抱きしめながら、顔を綻ばす。
「ここまで予想通り、うん、やっぱ子供はいいわー」
「やめろぉ! 佐々木だけはまともじゃと思っておったのに……」
「サッキー……」
気がつけば峯崎も冷たい視線を送ってくる。な、何故そんな目で見るんだ、と言いたいが原因が克明であるため溜飲を下げる。
「わ、わかったよ……」
しぶしぶ少女――カエデを手放す。カエデは紅涙を浮かべて峯崎に抱きついた。
そうか、一度峯崎に自身のような行動をさせれば向こうから来るのか、と奈佐木は感嘆した。カエデは蛇に睨まれた蛙のように、あるいは濡れたチワワのように震えて動かない。
「よしよし、こわかったこわかった」
「ふぇぇ……」
奈佐木としてはこれが見られるだけでも眼福ものではあったが、やり方が違えば自分ができていたのかもしれないと思うとどうしても後悔の念が先立ってしまう。
「悪かったな……。どうしても自制が効かなくなって」
「まあ私はなんとなく知ってたけど……本当にするとは」
峯崎の知っていたというカミングアウトに絶句する奈佐木だったが、幼馴染としてこちらも峯崎の趣味嗜好は知っているので目くじらを立てる様な事でもないと考え至る。それでこそ峯崎だとすら考えてしまいそうだ。
少しばかり峯崎の胸元で涙を拭ってからカエデは復活したが、その後も奈佐木からはかなりの距離をとり、奈佐木は居た堪れない気持ちになった。
「もうしわけない、取り乱してしもうた。もう大丈夫じゃ」
「抱きついても、とかそういう意味で」
シュン、という音が耳元を横切る。縄跳びをしている時の音に近しい。
奈佐木からしてみれば軽いジャブのつもりだったが、カエデはポケットに忍ばせておいたクレヨンを取り出していた。奈佐木の体はロープで巻かれたように手と胴体がくっつき、日中拘束したのと同じように一瞬にしてひっ捕らえて隅の方へ放置された。
「あやつは放っておいた方がよくないかのぉ……?」
カエデは峯崎のことを見上げて反応を待った。
「でも……あれでも頼りにはなるから」
苦笑いで峯崎は応対する。それを受けてしぶしぶカエデは縛り上げた奈佐木のことを開放する。
なんじゃ、こやつもこやつで……。やっとられんわい。そう思ってカエデは天井を見上げ、明日が来るのを憂鬱に思った。
お待たせしました後篇です。
次回もなるべく早くにお届けできたらと思います。




