第二十二話(前篇) 「準備段階」
「まずは『知識人』と会う」
客室に案内されて峯崎が最初に発した言葉がこれだ。奈佐木は適当に返事をしてソファーになだれ込んだ。峯崎は返事を聞いていないのか、その話を続ける。
「だから、まずは情報収集、それからこの大都市の『学校』に向かうわ」
峯崎、そして奈佐木は一応現在、留学生という扱いで旅をしている。二人の専門は『空学』、十五年前、突如として空が朱に染まって以来勃興した新しい学問だ。理由は現在も依然として不明。総当たりで原因を突き止めていくしかないという科学部門の延長線上にあたる。
「学校に向かった後、どうするんだ?」
「決まってるじゃない。研究員として加わるわ」
「身分証明書もないのに、ホイホイ受け入れてくれるとでも思うのか?」
「そ……それは実力さえあれば大丈夫よ」
空学における実力とは一体何かと思わないこともなかったが、峯崎は地元では一応トップクラスの成績を保っていた。とはいえ、あくまで高校課程で習う範囲――基礎を履修しているという程度のものだ。
基礎の習得すらままならなかった奈佐木がどうこう言えるような話ではないのもわかってはいるのだが。
それでも心配ではあった。
だが、客間から差し込む光に峯崎は目を細めて強い意志を込めて言う。
「もともとそれをするために来てるんだし、こんなところで立ち止まるわけにはいかないわ」
その姿を見て、彼女の熱意はどうしようもなく本物で、止められないものだと奈佐木は感じてしまった。だからもう、彼は掛ける言葉は持ち合わせていなかった。
奈佐木はゆったりと腰を上げ、静かにゆっくりと峯崎を見つめる。
昼下がりだというのに日差しは強く、そして鮮紅じみた赤みを帯びていた。陽光に照らされる彼女の顔は、ほんのりと桜色に染まっていてどこか美しく、それでいて可憐しい。あたりに光芒を散らす埃すらも、彼女を照らすための舞台装置のようだ。
彼女が行ってきたことは、決して正しいとは思えない。だが、ここに来て初めて奈佐木は彼女についてきて良かったのだと心の底から思える、ような気がした。
♯
お客様、お食事の用意ができました。
そんな声が扉の前から聞こえた。窓の外では余光がその残滓を遺憾無く発揮しており、燃える様な緋色に部屋が模様替えされているようだった。時刻は午後七時、すっかり眠りこけていた奈佐木はそんな言葉に意識を揺すられた。
「わかりました。今行きます」
寝ぼけ眼を擦りながら、奈佐木はそれだけ返事をした。使用人はそれを聞き届けたのか、ぱたぱたと愛くるしい音を立てて去って行った。
くるりとあたりを見渡し――峯崎を捜す。
ダブルベッドの上で、着の身着のままの恰好で大口を開けて寝ていた。大文字焼のように大きく手足を広げている。幸せそうなので放っておこうかとも思ったが、食事に呼ばれている以上、置き去りにしておくわけにもいかない。
峯崎の肩を鷲掴みにして、大きく揺らす。
「起きろ、飯の時間だぞ」
「ふぇっ!?」
むしろこちらの意識が覚醒するような変に上擦った声を出して、目をぱちくりさせる。
奈佐木はそれを確認して、客間に据え置かれていたアメニティグッズの中から梳き櫛を取り出して、峯崎に投げた。寝起きの峯崎は半ば反射的に、投げられた櫛を受け取ろうとして、胸に当たり見事にとりこぼした。
「あ、ありがと……」
皺くちゃになったベッドの上に跳ね返った櫛を手に取り、寝た跡が赤白く付いている手を使って髪を梳く。奈佐木は鏡の前に立ち、己の姿容を確認する。
二人の間に玉響の静寂が流れ、やがて峯崎の支度が終わったらしく、ベットから立ち上がる音が聞こえた。
「さあ、行こうか」
「そうだな」
「謝罪とかいろいろしないとね」
峯崎はそう言って梳いたばかりの髪の毛をそっと流す。その顔には少しだけ自省の念がみられて、彼女にも人としての善良とか道徳観とかが残っていたんだと安心して、奈佐木の頬が少しだけ緩んだ。
貸し与えられた部屋の扉を閉じる。長く続く廊下はまるで永遠の回廊のように広く遠く、しかしそこには必ずどん詰まりがあり、右に曲がれと言わんばかりに再び広がる廊下がある。誰もいないこの廊下が、どこかもの寂しげに瞳に映った。それはまるで蜃気楼の様な――影も形もない虚像なのかもしれない。
「もてなしてくれるとは言え、どんな料理が出るんだろうね?」
気がつけば、峯崎がこちらを振り向いてそんなことを言ってきた。食い入るように廊下の先を見つめていて焦点が現実に合っていなかったので、峯崎の言葉に返すまでに若干のラグが発生してしまった。
「ん、ああ、そうだな……。まあ王都っていうくらいだしおいしいものが出てくるかもしれないし、逆に招かれざる客にはとてもじゃないけど食べれない級のゲテモノが出てくるかもな」
「ゲテモノかー……。あんまり得意じゃないな」
「食べたことあるのかよ」
「一応村暮らしですからね」
峯崎はどこかその言葉に誇りを持っているのか、鼻高々に笑う。えっへん、という擬音がとてもお似合いだ。
「そんなことを言うんだったら俺だって村育ちだよ……」
しかも同じ村で隣の家だ。幼馴染もいいところだろう。冗談めかしく呆れたように言い、言葉の末尾に少しだけ嘲笑のニュアンスを加える。
「でもほら、村だから悪いとか、そういうことはなかったじゃん! なんだかサッキ-の家裕福だったし」
「そりゃまあ食い物には困らなかったけど……」
食べ物には困らなかったが、それ以上を求めるというのは贅沢ということだろうか。
暖衣飽食すらままならない人から見ればそれは驕奢というものだろう。だが、あの村の人々はそうではなかった。奢侈を求めようとしているわけではないが、それ以前に向上心というものが抜け落ちていた気がする。
現状維持だけを求めて生きる。
約やかで、質素。それが悪いとは言わない。だが、そんな閉塞感に嫌気がさして出てきたというのもまた理由の一つではあるだろう。
事情が事情だ、否が応でも期待値は上がる。
「まあでも、期待のし過ぎはだめだよ」
峯崎が奈佐木の心を読んだかのようなタイミングで言葉を挟む。
「ここは一応王都の端っこ。大きい家だからってそんなにお金持ちじゃないかもしれないんだから」
「お前絶対それこの家の人の前で言うなよ」
大変申し訳ありません前後編投稿です。




