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第二十一話 王都到着

 21話 


 目覚めの悪い朝だった。


 奈佐木は寝袋から手を出して目を擦る。

 季節は秋の暮れ。

 夜が少しだけ寒くなってくる季節だ。旅なんてしていなければ昼までこのまま寝ていたいような気分だ。


 寝惚け眼に見えるテントの布切れは、辺りを吹き荒らす風に抵抗してたなびいている。

 まだ太陽が出かけている状態のとても明るいとは言えない早朝だが、奈佐木は目を覚まさずにはいられなかった。

 激しく揺れる地響きと、それに共鳴して轟く地鳴り。


 少しばかり現実から目を逸らして惚けていると、隣で寝ていた峯先がゆさゆさと体を揺らしてくる。


「なにぼけっとしてるのさ!? なんか揺れてるよ!」


「そうだな、揺れてるな」


 素っ気無く返事をして、何事も無かったかのようにもう一度就寝をしようとした俺を峯先は思いっきり転がした。

 奈佐木は抵抗しようにも、目を擦るために寝袋から出していた右手一本しか瞬時に動かせるものが無く、樽のように無抵抗のままテントの端まで放られた。


 奈佐木の頭の周りには星でも出ているのだろう、目を×印にしたまま動かせる一本の手でテントのドアについているチャックをこじ開けて外の様子をちらりと覗く。


 するとそこには体躯3メートルはあるだろう大男――いや、限りなく獣に近い男が立っていた。


「うわぁ……」


 奈佐木とは反対側から顔を出した峯先もその姿を目撃して素っ頓狂な声を出した。


 瞬時に奈佐木はテントの中に戻り、峯先の方へ寝袋のまま転がっていく。

 と、同時に峯先が引き攣るような顔をしてこちらを見る。


「えっ、ちょっ、こわっ」


「そうじゃなくて! 今寝袋から出るからそれまで応戦して!」


 ああ、と峯先は呟きポケットに補填スタンバイしてあった羽ペンをくるりと回して獣に向き立てた。

 既に寝袋から出て臨戦状態だった峯先はテントから飛び出して華麗に宙を舞う。

 奈佐木にフォーカスされていた獣の焦点も峯先のインクの軌道に合わせて移動する。


 ――そう、ここはそういう場所だった。

 町や村は平和が確立されている。

 だが一方、誰が立ち入るということも無く、誰が触れるということも無かった森はその奥で獣が繁殖する危険区域になっている。互いが互いに手を出すと危険だということを知っている。それが『森』という存在だ。

 入ることへの利益が無い。ハイリスクノーリターンな場所。


 そんな場所を奈佐木たちは今突っ切ろうとしている真っ最中だった。



 峯先のペンが天を突く。その先端からはこの世の光を吸収するような黒さの半液体が無差別にちりばめられ獣を覆う。

 獣は身の危険を感じたのか、瞬時に一歩身を後進。柔らかく艶の有り整った毛並みの手先から鋭くも頑丈な爪を抜き出す。朝焼けの太陽光を反射させ的確に峯先の瞳に挿入させて目晦ましをしてきた。

 眩しい反射光が目を覆うもリカバーまでおよそ三秒、どきつい朝の光を食らった虹彩は悲鳴を上げながらもホワイトアウトした視界から徐々に光景を取り戻してゆく。眼前に広がるのは黒ずんだインクが空中に点在しているという情報のみ。ほんの三メートルほど前にいた獣がこの数秒間のうちに姿を消していた。

 まっすぐこちらに向かっていないなら――と、風に揺られて今にも吹き飛びそうなテントの方角を向くと、そこには奈佐木が身軽な格好で決め顔をして立っていた。

 その手元には定規が携えられている。


「大丈夫だったか?」

「見てわかる通りね。あのでっかいのは?」

「それなら・・・・・・」


 奈佐木は定規の直線状にそっと一差指を向ける。

 木の下に伸びて動かなくなった獣が横たわっていた。


「殺傷力もあったのね、それ。小型にしては恐ろしい凶器だね……」

「凶器とかいうなよ。ただの文具だろ」




 #




 森を抜けなければいけない理由が奈佐木たちにはあった。

 重力塔、と呼ばれる謎の機構がある。街と街を移動する際に必要な、簡単に言うと速過ぎる移動機関だ。日常生活を送っている分にはそれぞれの街で自給自足地産地消が成り立っているので必要とされないのだが、ほかの町へ旅に出たり、話に聞いた事があるだけだが――街と街の間を通じて移動する貿易商なんかが使ったり、後は税金取立ての役人が使う際には必要になる。

 街と街の間には危険な森が広がっており、ほかの街へ行くのには欠かせない存在となっている。

 だが、先ほどの街――シニャラマ――でこの重力塔を操作できる唯一の人物が亡くなってしまった。

 なぜこんな重要で大形な機械を操作できる人物がこの街に一人しかいないんだと問い詰めたくなる気持ちもあるし、実際に問い詰めてみたのだが――。


「こ、これはそういう規則なんだ。国で決まってるんだ! そんな怖い顔で見ないでくれ、俺は何もしらねぇ! ギャァァ返り血がぁぁぁ!」


 と、こんな感じで皆に逃げられてしまった。


 おとなしく数ヶ月待っていれば役人もこの町に来るだろうと呑気に話してはいたが、それを峯先が許さなかった。

 彼女曰く、青春の一ページは常に捲られ続けているとのこと。何を言っているんだ。

 飽くなき探究心はもう誰にも止められる事ができないと言っていた。力づくで抑え込んでやろうかとも思ったが、間違いなく力負けすることは目に見えているのでしぶしぶ従うことにした。

 戦略的撤退は敗北ではない。


「ちょっと……睨み付けないでよ……。あんな獣とエンカウントすることなんてそうそうない――はずだから」


 奈佐木の目の前を歩く峯先が鋭い視線を感じたのか、振り返ってそう呟く。

 こちらとしても睨み付けている訳でもないのだが。


 峯先の肩が少し項垂れている。押し切って進めてしまったことに後悔でも感じているのだろうか。

 それでも先陣を切る峯先の歩調は速い。

 少しばかり考えて――奈佐木はとある結論を捻り出した。


「測ろう」


「は?」


 奈佐木は峯先の疑問に声も返さずに見てろと言わんばかりに定規を取り出し、地面に置く。

 置く、というよりかは添える、と言った方が正しいか。何かを見ている様な、見据えている様な、神妙な表情で定規の目盛りを見ている。

 峯先は神妙な顔で奈佐木の動作を見守る。


 誰かがゴクリ、と咽を鳴らした。


 それと同時、奈佐木は視界に出てきた情報を脳内で整理する。奈佐木が測ったもの――それは単純に本来の定規の使用用途である『長さ』。


「あと4キロ345メートル23センチ4ミリ以下省略で目的地だ」

「はぁー……なかなかに便利ね」


 感嘆とも呆れとも取れる微妙な声を峯先は出して、くるりと踵を地に着けて回転する。


「でもありがと、ちょっと元気でたわ」


 惚れてしまいそうな、最近一番の笑みで峯先はそう言った。

 その顔を見て、少しだけ元気が出た。


 惚れていたのかもしれない。

 もしその笑顔が、乾いたものではなかったのなら――。



 ♯



 王都、パーヴェネルク。

 あるいは、パーベネルク。

 王都文字への統一化が図られているが、未だに旧書体で書く輩もいる。そのため呼称が二分化されているが、どちらも似たようなものであるため、さりとて誰も気にはしない。

 この大陸で最も大きい都市と謂われるだけあって、奈佐木らが住んでいた村とは比較対象にもならない。象と蟻、という喩えではとてもではないが喩え切れていない。

 そして目を引くのが、中心にある囲われた森。

 通常奈佐木たちのような人類が住む場所は森に囲われた村々だが、ここ王都に限ってはその比率が逆転している。王都のど真ん中に森が存在する。そしてその森を越えたところには、霧がかって薄らとしか見ることができないが、それこそ蜃気楼とも疑ってしまいそうな巨大な城――王城が聳えている。

 だが、見るべきはそれではない。

 きっと誰もが驚いただろう、そして誰もが今では気にしてはいないだろう、巨大な建造物――否、自然物。王都中心部の森の上に浮かんでいる『島』があった。



「王都名物、『浮遊島』か……」

 それらすべてが見渡せる小高い丘の上からでも、その姿が黒く王都に影を落としているのが見受けられる。

 奈佐木が観望しているその街は、次の目的地。

 あの忌々しい思い出と共に蘇えらない、少女の姿。峯崎だけが目撃したという、不思議な少女。その少女が移動したと思われる転送先が、ここ王都パーベネルクだった。

 丘の天辺から町を見渡したところで、その少女は発見できないだろう。肉眼でミジンコを捉えられないように、スケールが違いすぎる。

 それに、そもそも峯崎が見たという話すら疑わしい。峯崎のことは信じてはいるが、そんな突拍子もない話を軽信できるほど絶対的な信頼関係は構築されていない。

 奈佐木と峯崎の関係はあくまでフレンド。主従関係ではないのだから。


「さて、行くよ。こんなところから見てたって何もいいことなんてないんだから」

「そうだな」


 奈佐木が一言を返す前に峯崎は歩を進める。丘のそばを軽快な動きで降下する。それに続いて奈佐木も下手の磐石に飛び降りた。


「いいところがないどころか、むしろ悪いことづくめなんだよね」


 峯崎は俊敏な動きで木と木の間を潜り抜け飛び越えている。


「悪いこと? たとえば?」


 続いて、同じ道をなぞる様に続く。

 右前方の木の枝に右足を掛け、そしてそのまま反動を駆使して左側に飛び移る……。まるで忍者みたいな移動方法だ。

 下から聞こえるのは濁流と荒れ狂う獣の音。だがそんな声も出逢わなければかわいいものだ。


「森から突然人が出てきたらどうよ。注目されること請け合いじゃない?」

「よくて晒し者、最悪拘留だな……」


 王都なんて訪れたこともないが、スパイ容疑がかかることは必須だろう。重力塔というのは移動装置であるとともに監視装置でもある。それをパスして入ってくる輩はとりあえず捕まえる――なんてことは妄想の類などではないだろう。


 河を渡り終えて、いよいよ王都が眼前に迫ってきた。

 今まで速度を落とさないまま走りぬけてきた峯崎が急に速度を落とし、やがて止まる。後ろに続いていた奈佐木も追随するように隣へ立つ。

 立ち尽くす。


「これが王都――」


 気がつけば口を衝いていた。

 今まで目指してきた超巨大都市の端くれ、その末端。


 木材の香りがぷんと鼻をつく。働く男たちの汗がそこらじゅうで散見される。

 そう、今でも王都は、この超弩級の街は、広がり続けていた。


「さて、どうやって這入る?」

「夜半を狙うか?」

「時間が惜しいわね。もう少し迂回してみましょうか」


 単調なやり取りを数言交わし、方向性が決まった奈佐木らは森の陰に沿って右側へと歩き出す。

 しばらく亡者の行脚のように無言の状態がつづくなか、奈佐木は人がいない区域を発見した。

 峯崎と目を合わせて、お互いが頷き合う。


「ここだっ!」


 奈佐木と峯崎はタイミングを合わせたわけでもなかったが、一斉に飛び出した。

 王都まであと数メートル。住宅街の中の路地まで侵入できればこちらのものだ。


「はい、確保。お主ら、何者じゃけぇ?」


 ――スッ、と。

 音もなく目の前に何かが現れて、強い何かに引っ張られるような感覚の後、遅れて視界が右にぶれた。

 速過ぎて視覚がついてこれていなかったということがわかったのは、物凄いスピードで街の中に引き入れられてからだった。

 罠か――と考える隙もなく、声の主がもう一度問い直す。


「ほれ、これで安心じゃぞぅ……、で、お主らは何者じゃ?」


 勢いよく引っ張られたことで感じたGの所為で、脳みそがぐわんぐわん揺れてプリンのように震えてしまっているのを気力で強制して、目の前にいる人物に焦点を合わす。


「え……」


 峯崎の方は三半規管が悲鳴を上げ続けているようで、喉仏のないすらりとした細くて白い喉首をこちらにさらけ出してしまっている状態で目を回している。


「あなたは……いや、君は……」

「なんじゃ、助けてやったというのに。そんなに怖い顔をせんでもええじゃろう」


 奈佐木の前に居たのは、峯崎よりも少し幼そうに見える年端もまだゆかぬ女性――女子だった。

 そしてその手に握られていたのはクレヨン。


 一目見て了知した。彼女は僕と同じ遺品【ラカーフ】使いだと。

 彼女はいったい、敵か味方か――。



「俺の名前は佐々木……秀太、そう、佐々木秀太だ」


 奈佐木が自己紹介をしたところ、意識が戻りつつある峯崎が「うーん……」と呻き声を上げた。


「大丈夫かのぅ……少々手荒過ぎたか」


 奈佐木らを目にもとまらぬ速度で拘束しあげた彼女は薄緑の頭髪をポリポリと掻きながら峯崎を結びあげている紐の様な何かを取り外し始めた。


「儂の名前は紅葉もみじ かえで。気軽にカエデとも呼んでくれのぅ」


 名乗るのと同時に指と指の間にクレヨンを挟んで顔の前に手を置く。決めポーズでもしているのだろうか。

 カエデは薄緑色の髪の毛、ダブついた青色のオーバーオールに使い古した砂汚れが激しいスニーカーという傍から見れば奇妙ともとれる服装をしている。

 緑の毛玉を揺らしながら、不思議なクレヨンで縛り上げた紐をほどく。


「それで、助けてやったはいいが、お主らはこれからどうするつもりじゃ? 行く当てがあるというわけでもあるまいに」

「ちょっと待ってくれ……。いろいろ見解の相違があるようだが、まず助けてやったっていうのはどういうことなんだ?」

「なんじゃ、お主らは違うのか?」


 カエデは奈佐木の腰元に固定されていた紐を解き終えると、上目遣いでこちらを見上げる。

 人差し指を顎の下に置いて、何かを思案しているようでもある。


「なんじゃ……お主らは『攫われ者』、ではないのか……」


 肩を大きく落とし、カエデは首を垂れる。


「『攫われ者』? 何だそれは……」

「いや、違うのならいいんじゃ、疑って悪かったのぅ。それに邪魔をしてしまったようじゃ。だが、こちらにもせねばならぬ悲願があるんじゃ」


 カエデはこちらの話を聞こうともせず、一方的に話して――


「それじゃあのぅ。悪かったの、佐々木とやら」


 それだけ言い残して、大きく飛び跳ねた。

 緑色の髪の毛がふわりと揺れる。続いて。ダブついたオーバーオールが風の抵抗を受けて大きく膨れ上がった。

 凄まじい脚力――人間業ではないような恐るべき跳躍力で、引きこんだ路地裏から眩しい太陽のもとへ飛揚する。


「いや、ちょっと待ちなさいよ」


 途端、視界から光がすべて失われる。眩むような陽光を浴びていたはずなのに、突然光が亡くなったことに体が動揺して体が少しふらついて重力に対して垂直に立てなくなりそうだった。

 そして、跳躍したカエデも同様で――突然現れた黒い幕の様な物体に押し戻され、峯崎の前に倒れこむ。

 突然のこと過ぎて言葉が出てこないのだろう。声にならない声と、過度な呼吸音だけが断続的に耳に入ってくる。


「な、なんじゃこれはぁ!」

「そんなことはとりあえずどうでもいいのよ。まずあなたは何者なの?」


 先ほどの会話の途中で意識が回復した峯崎は、状況を見てインクを揮ったようだ。飛び出ていた僕らを覆う影――純黒色のインクがするすると羽ペンの先端へ格納されていく。

 だが、戻ったのはそのインクと光だけだった。

 峯崎の目の前に跪いたカエデの手首足首胴体にインクが巻きつけられていた。カエデは観念したように息を一息つく。


「悪意があったわけじゃないんじゃよ……」

「弁解はいいから。別に謝罪は求めてないわ。そもそも悪いことなんてしていないんでしょう?」


 少なくともそのような認識はないんでしょうね、と言わんばかりの鋭い視線で峯崎はカエデを見下す。


「そうじゃのぅ……。お主は儂に何を求めているんじゃ。何も持ってはおらんぞ?」

「そもそもあなたは誰? 何のためにこんなところに居るの?」

「なんじゃ、そんなことか。儂は善意のボランティアじゃよ。攫われた子供たちを救って、返すんじゃ」

「へぇ……どうして?」


 峯崎の瞳がさらに上がり目になる。ペン先がカエデの方を向いた。呼応するようにカエデの焦点が少しブレた。峯崎の瞳を見つめあっていた視線がランダムに動き回る。


「昔、そうして助けられたからじゃ……」

「……そう。それで、この街ではそういう誘拐が流行っているのね?」

「ああ、まあそういうことになるのぉ」



「そういえば私たち、この先行く当てがないんだけれど……」


 峯崎の柔らかい笑みがカエデを突き刺すように襲う。にこりと微笑んでいるだけなのに、カエデは蛇に睨まれたような反応をしていた。


「は、はいっ、お主らの寝床を用意すればええんじゃな?」

「まあそうねぇ……勘違いとはいえ人を無理やり襲って突然解放するっていうんじゃ確かに割りに合わないし、そのくらいなら妥協してあげられるわね」


 責め立てるような言葉の数々に、カエデの肩身がどんどん狭くなっていく。

 言質を取った、と言わんばかりにカエデに巻きつく黒いインクをしゅるしゅると銀色の小さい矛の中に戻す。絡みつくような質感がなくなってカエデはしなしなとその場に倒れこむ。今更逃げる気はないのか、砂利道の上にそのまま手をぺたりとついた。

 そんな彼女の瞳では透明な水滴が射光を反射拡散して、ほんの数滴頬を伝って流れ落ちた。トラウマになってなければいいのだが。


「まあ、人違いはたまにはあるわよね」、と峯崎がフォローになっていない追撃を繰り出す。善意で行っていたボランティアだったのに怖い人たちに絡まれた――彼女の主観ではそう映っているのだろうか。だとしたら同情を禁じ得ない。


「儂の家――もとい、共同住居はこっちじゃ。主様にお主らのことは聞いてみるが、不可と言われたら」

「その時はあなたの部屋を借りるわ」


 さすがに図々しいというか、敵に回したくないな……。

 立ち上がり砂埃を払って歩き始めたカエデの顔に一層翳りが増す。対して峯崎は何も考えていないような――少なくとも傍からはそう見える――無邪気な表情でカエデに連れ添っていく。

 奈佐木は部外者ですというアピールなのか、一歩間隔をあけて歩く。だが、ウンザリとした表情は一目見て理解できてしまう。


 何回曲がり角を曲がっただろうか、方向感覚をいい加減失ったころに見えてきたのは巨大な豪邸だった。


「主様、なんて言っていたから多少は期待していいと思っていたけれど、これほどとはねぇ……」


 初めての王都だからか、どこか気分が高ぶっている峯崎が感嘆の声を上げる。ポケットに手を入れっぱなしにしている奈佐木も唸らざるを得なかった。

 ポケットに入っている定規を握りっぱなしにしておくと、情報が感覚として脳内に滑り込んでくるので、非常に便利だ。この邸宅――直径420メートル、王都最辺境の一軒家の直径が10メートルから大きいもので40メートル、端だから地価が安いということもあるのだろうが、それを差し引いてもやや大きすぎる邸宅ではあるな、と奈佐木は感じた。


 カエデが荘重に彩られている門を押し開ける。いつか噂で聞いた『使用人』なる人物は今のところ見えない。


「あ、おねぇちゃんだ!」

「ほんとだ、帰ってきた!」

「でも何で正門から?」


 門が開く音が聞こえたのか、正面に位置する家から三人ほどの子供たちが堰き止められなかった河のように飛び出てきた。

 家――というよりかは屋敷といった方が正しいだろうか。三階建てプラスアルファの構造で、各階にそれぞれ部屋が24部屋、ただし三階だけは4部屋、大広間が一階にあり、エントランスホールとはまた別のスペース……。眩暈がする様な広さだ。

 カエデはその子供たちをあやして、何やら一言二言告げると、途端に屋敷の中に戻ってしまった。


「今主様を連れてくるように伝えておいた。応接間までとりあえず案内しちょるから付いてこい」


 そのまますたすたと進んでゆくカエデ。苦渋の顔を浮かべて、額を抑えている。


「なんか、ほんとに、ごめん」


 奈佐木はカエデに近づいて一言そう告げた。カエデはこちらを振り向いて、一つ溜息をもらした後、


「お前さんは別に構わんよ……。思慮分別はありそうじゃしな。お前さんはな……」


 そう言ってぎゅっと脳天をつまむカエデを見て、憐憫の念を抱いてしまうのはおそらくおかしいことではないのだ、と奈佐木は自分自身に言い聞かせた。



 ♯



「おかえりなさい、カエデ」


 客間に通されると、既にこの家の家主だと思われる女性がそこで待機していた。

 黒いドレスに身を包んで、妖艶な笑みを浮かべて佇んでいる。目は垂れ目で見ているだけで安心してしまいそうな包容力のある姿を思い浮かべるも、口元に塗られた朱色気味の口紅がそれを相殺して不思議と中性的な印象を醸し出していた。顔には統一感があり、美人であることは一目でわかるが、その奥に何かあるような――全体的なちぐはぐ感が否めない。


「ただいま帰りました。主様」


 カエデは跪き忠誠を誓うポーズをする。

 主様と呼ばれた女性が、それを一瞥して薄笑いを浮かべた。ノースリーブな肩口から伸びる白い肌を大きく動かして席を指す。後ろに控えていた子供たちが机を超えて奈佐木たちのいる方へまわってきてご丁寧にも椅子を引く。

 女性の椅子は予め引かれていたようで、幽霊のごとく音も立てずに座った。前に出ていた峯崎が、女性からの視線を受けて椅子に座り、奈佐木もそれに続く。

 首を上げたカエデが、奈佐木の後ろに立ち、給仕のように左肘を直角に曲げて佇立したことを確認して、主様は口を開いた。


「本日はどんな御用で?」

「一晩泊めていただけないでしょうか……」


 単刀直入に峯崎が切り込んだ。相手の女性は、その言葉に目をぱちり、と大きく瞬きした後、言葉の意味を咀嚼するようにしっかりと時間をおいて、


「え、ええ、構いませんが……ええと、何故?」


 それはちょっとよくわからないです。

 釈明の余地のないくらいに理不尽な展開ではあったが、峯崎は持ち前の要領の良さと舌先三寸で事を告げた。

 歩いていたら――捉えられ――お詫びに招待――等々。

 聞こえてもいない言葉が次々と出てくる。奈佐木の後ろでカエデは感情を表に出さないように表情をしっかり固定していた。しかし、奈佐木の耳には力強く拳を握るかすかな音が時折背後から聞こえてきていた。


「それは失礼いたしました。今晩はゆっくりしていってくださいね」


 しばらくの峯崎の説明――捏造とも取られかねないが――が終わった後、主様は深々と頭を下げて椅子から立ち上がった。その表情には申し訳なさが顕れていて、どこか濡れたチワワのようでもあった。



 通されたのは二回の客室。ダブルがいいかツインがいいかという謎の質問をされて、一つ分の部屋を貸し与えられることになった。それ選べるくらいの部屋数があるのなら、もう一部屋貸していただくというわけにはいかなかったのか、という疑問を奈佐木は頭に抱えたままソファーに寝転んだ。

 お世話になっている身で、よもやそのようなことを言うわけにもいかない。


「今晩の寝床はどうにかなったわね」

「ああ、絵鈴の所為でどうにかなったな」


 るんるん、という擬音でも付いているかのごとくはしゃいでいる峯崎に、奈佐木は溜息しか出なかった。

 やっていることは間違っているが、成果だけは出ている。そして今、その恩恵を受けている身としては強く出ていいのかどうか迷うところだが――。


「私の所為ってどういうことよ、私のおかげ、でしょ」

「うん、なにか大事なものが足りない、って自覚は持った方がいいのかもしれないな……」


 それだけは確実に言うことができた。


前回の更新から大変お待たせいたしました。


今回の話は、投稿時間までにブラッシュアップが間に合わなかったので、どこかのタイミングで改稿が入ると思われます。あくまで予定です。

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