第十六話 Vs栗瓦(5)~案の定。~
第十六話 案の定。
身体が……勝手に動く。定規は依然として定規の形を保ち続けている。
俺の意思で定規は変形するらしく、操られている状態ではその道具の能力は引き出せない。
「くっ……そう甘くはないか。まあ、これは誤差の範囲内だな。もともと旅人という存在が誤差みたいなものだからしょうがないか。ほうら」
そう言って栗瓦は俺に向ってマッチを放り投げた。俺は自然とそれを受け取り、中から一本取り出して箱の側面とマッチの先端部分を擦りつけてジュッという音とともに人差指の近くで温もりを感じた。
定規を小指と薬指の間で挟み、マッチを親指と人差し指で持つという格好のつかない二刀流になってしまったが、それでも木造建築が立ち並ぶこの町では火という元素は十分おそるるに値するものだ。
「とりあえず――そこに立っているもう一人の旅人(お嬢)さんをまずは、焼き切ってもらおうか。いや、火のサイズは小さいけれど、大丈夫、俺の羊も援護はするからさ」
栗瓦は俺には聞こえないくらいの大きさで、ぼそぼそと何かを口ずさむと、倒れていない方の広場にいるもう一頭の羊が、俺の方へのそりのそりと近づいて――自らの毛を、俺の手にあるマッチに吸い込まれていくかのようななめらかな動作で、焼いた。
チリチリという音が数秒した後、等加速度的に炎が広がっていった。
羊のもこもこした部分が、山火事のように燃えている。その状態のまま羊は絵鈴に突進してゆく。
「絵鈴――躱して!」
俺はなんとか支配から今のところ逃れている口元を懸命に動かして、絵鈴に向ってそう叫んだ。
しかし、絵鈴は動かない。ただ、一直線に、俺に向って――いや、羊に向ってなのかもしれないが――ペン先をこちらに向けている。
羊と絵鈴の距離わずか5メートル。その近さゆえ羊の助走もあまりない。よけれない速さでもない。
だが、絵鈴はそんな挙動をするそぶりも見せずに、一向に動こうとしない。
ただ一か所だけ――手だけを、動かした。
ペンで書かれたその物体は、意識から外れない以上決して動くことはない。だから、少しでもその場所にあるだけで、非常に厄介な代物になる。
絵鈴は滑らかに、羊の足の高さに自分を囲う様に前方にだけ線を引いた。
羊はそれにあたり、絵鈴を避けるようにして、助走5メートルとはいえ、時速20キロくらいの速度で奥に向かって走って行った。
そしてそのまま急ブレーキをかける。炎の揺れが作用・反作用の法則によりまったくの逆方向に揺れた。
絵鈴は自分で書いたインクを跨ぎ、栗瓦に4メートル、3メートルと近づいていく。
そして二人の距離が2メートルまで近づいたころ、絵鈴がようやく口を開く。
獰猛な炎の羊は、自身の背中の火が背中の肉までたどり着いたようで顔から汗をだらだらかきつつも苦しそうな顔をしている。
「さて、私の前で、潰れてもらうわよ」
絵鈴が気持よく啖呵を切る。その言葉を聞いて、栗瓦がニタァと嫌な笑みを浮かべて、「掛かっておいで、君のパートナーが、相手になってくれるよ」
そういった瞬間に、俺の体は自然と絵鈴と栗瓦が対峙している直径2メートルの戦場の中に強制的に入場させられた。
お互いがお互いを見て、俺のことなんて目もくれていないように立ち尽くしていた。
その直後――絵鈴が、「じゃあ、行くよ」なんていう、不穏な掛け声を聞いた後、俺の体は自然と臨戦態勢に入っていて、次の瞬間、絵鈴の容赦ない羽ペンの攻撃により、思いっきり吹っ飛ばされた。
羽ペンのやわらかくふわっとした感触が腹部に触れたと思ったら、宙に浮いていた。そして、地上から軽く10mはあるであろうところで拘束される。
この高さから落下することを想像したくはないが無傷ではすまないだろう。運悪く頭からいったら意識不明の重体…もっと悪ければ死ぬな。
……容赦なさすぎだろ、お前。
「その印鑑によってサッキーが操られているのなら、それ自体を無力化すればいい。そう考えるのは――普通のことだよね」
絵鈴は、攻撃力をすべて失い、魂の抜け殻のような表情をしている栗瓦に向って、そういいながら、さらに近づく。
おびえて、彼はことばが出てこないのか、なにも言わない。
「栗瓦さんとサッキーは水と油みたいにくっつかないけど、でも水と油だって重力という枷を外せば混ざるんだから、きっと水(栗瓦)と油を混ぜるには重力(概念)をなくせばいいだけの話。つまり――友好関係を、築こう」
絵鈴は近づいて、そう言った。
どういうことか一瞬、俺は理解に苦しんだが――絵鈴のすることだ、きっと考えがあるのだろう。




