第十五話 Vs栗瓦(4)~ヒーロー~
第十五話
「さて、それじゃあ旅人さん、早速君が倒した羊の代わりに活躍してもらおうか」
栗瓦は拡声器を持とうとして、バラバラになっていることを今更のように思い出して手慣れた手つきを取りやめる。
なんだ……俺は今、なにをされているんだ……?
特に異常はないまま、一瞬だけ意識を失っていたようだ。
血で薄汚れた地べたに俺は倒れこみ、動かない朱く汚れた右手を自分の瞳でじっと見つめる。だが、その右手は確かにさっきまで動かなかったはずなのに、今ではしっかり動くようになっているし、グーパーを繰り返してもしっかり開閉可能だった。
「俺は……何があったんだ?」
右手に定規を持った状態でそうぼやいた。今では体は確かに動くのに、あのときは体が制止した。
「だから言ったじゃねぇかよ、家畜旅人野郎。貴様の体はもう僕の思いのままなんだよ」
栗瓦はしつこいと言わんばかりの声音で俺に説明してくれる。何度も説明しているあたり、そのことに対して優越感を感じているのだろう。
尖ったままの刃で、彼の足をもう一度掻き切ろうとリトライした。勢いをつけて、しかし予備動作なしに一瞬で。
しかし、当たる直前に栗瓦が一言――止まれ、と。そう言うだけで、俺の体はすべてが拘束されたように、動かなくなった。
目の前に刺すべき部位があるのに、刺さらない。
体の自由が、奪われたかのように。
――なんでだよ……勝てるつもりでいたのにッ……!
「サッキー!」
俺を呼ぶ声が、遠くから聞こえる。
聞きなれた声で、俺が声の方向を見やると、さっきまで黒い人影を照らし出していたはずの絵鈴が、そこには居た。
遠近法をもってして、どんどん絵鈴の姿が大きくなってくる。
黒と白のコントラストの強い羽ペンを右手に持ち、走ってくるその足元には血飛沫が跳ね上がりスニーカーを汚すことも厭わない姿勢が見て取れる。
羽ペンの羽の部分には、少しだけ暗がりを見せ始めた空の光が反射して赤黒く見える。
俺のもとに走ってくる絵鈴を栗瓦が視認し、彼は小さく一言、来させるな、とだけ呟いた。
その瞬間、俺の後ろで町長を血祭りに上げていた後、なにもせずに待機していた羊が絵鈴の方に向って走り出す。
絵鈴は羊が走ってくるであろう予定路線の予測をつけたのか、俺に向って真っすぐ走り、時速30キロ前後の羊のタックルを手で押すように美しく髪を靡かせてかわし、しかしその衝動で少しだけバランスを崩したのか筋力のない女子らしいところを見せつつも、栗瓦の前までたどり着いた。
栗瓦は絵鈴がここに来る前までに、やれ、やれ、と小声で数回つぶやき、そのたびに二体の羊が咆哮を上げている。
二体目の羊が栗瓦と対峙して止まっている絵鈴に向って飛びかかる。
絵鈴は、予備動作なしに、羽ペンを振りかざし、そして空中に一本だけ線を引いた。その線は絵鈴と羊のちょうど中間に設置され、ものすごい脚力で飛び上がった羊は空中でキャンセルできずに思いっきり腹からインクの塊にあたりドサッという重たい音を立てて仰向けに転がった。
「サッキー、待っててね、ここは私が、決着をつけるから」
おい……絵鈴。待てよ……。
俺はそう言葉に出したかったが、何かを口に出すことすら憚られるくらいの絵鈴の視線に有無を言わせない状況を作り出されてしまった。
でも……俺は今、こいつに操られているんだぞ。そんな状況のなか、絵鈴はなぜここに飛び込んできたんだろう。
そんなことを考えながら、俺はいい加減自分で操作できるようになった体を血だまりのなかから上体を起こす。いまさら血の匂いなんて気にならなくなってきた。
上空をくるくる回るカラスは、闇夜に塗れて見えにくくなっている。しかし時折見える朱色の耀きがガラス玉に反射した時のような眩しい光が俺の目を傷めつけるため、そこにいるということだけはわかる。
「さて、|お嬢(家畜)さん、まだ僕に降伏しないって言うのかい?」
壊れかけている拡声器を、サッカーボールを人差し指一本でくるくる回しているかのように、ちょうどいいところを見つけてバランスよくくるくる回している。
余裕をあらわしているのだろうが、俺の目から見たらそれは油断にしか見えなくて、ただ見ていることしかできない俺は不甲斐無く思うことしかできなかった。
「そうね、あなたみたいな悪者には、私たちは決して降伏しないわ」
絵鈴が啖呵を切る。思いっきり正面から挑発する作戦もすべて台無しにするような言葉に、俺はしばらく驚きを隠せない。
そもそも絵鈴は栗瓦を心理的に追い詰めるために人影を作り出していたのだ。だが、彼女の意識の範囲外になってしまった今、その人影は消え、ただカンテラが羊の肉の上でメラメラと燃え盛っているのみだ。
そう、さっきまで心理的圧迫をされていた栗瓦にとって、ここで絵鈴が感情任せに飛び出してきてしまったことで、逆に心理的な安心感をもたらしてしまった。
よくいえば、相手を油断させることができたと言い換えられなくもない。
「僕が悪者? ――いや、それは違うだろ。 僕は、生まれてこのかた蔑まれてきたんだよ! これまでずっと蔑まれた相手を見返して何が悪い。 これはある種正当な下克上なんだよ! 何の事情も理解してない旅人にこの計画が邪魔されてたまるかよ」
感情を少しだけ爆発させて、栗瓦は言葉を切り、いったん落ち着く。絵鈴はそれを神妙な面持ちをして聞いている。
「確かに貴様ら旅人は、町民から見たら偶然やってきた自分たちを守る守護者だよ。だがな、俺は、誰にも頼らずに、天涯孤独で独りきりで戦ってきた、正真正銘の主人公なんだよ! だから、ここで負けたら、僕は今までの運命に負けた挙句、奴らを正当化させてしまうことになっちまう!」
たしかに、言っていた。町長は自ら、彼の羊を横領したと。それから、今まで彼は虐げられていたと。
――はたして、この状態で俺たちは本当に町民に味方してよかったのだろうか。
善悪の判断は俺にはできない、倒れている人間を放っておけなかっただけだし、なんなら巻き込まれ系で偶然遭遇してしまっただけの一般人だ。
だから、成り行きで町民に味方をしている俺たちは、確かに意識が甘かった。
「――だから、主人公は負けるわけにはいかないッ!!!」
栗瓦の印鑑が、熱く燃え上がる。暗がりに覆われた町の中心で、一閃の耀きがこの広場に存在するものすべての目を奪った。
命を燃やすように、朱色に輝き続ける印鑑は、そして誰の目にも美しく留まり、栗瓦の瞳からは少量の涙が零れ落ち、その水滴が血だまりと一体化したその瞬間から、侵攻を始める。
「旅人よ、この町を、燃やしつくせ」




