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第十四話 Vs栗瓦(3)~印鑑の効力~

 第14話 印鑑の効力


 今広場にいるのは数々の死体と、羊が二体。そして、俺と栗瓦がセンチメートルの尺度で近づいている。

 ギシリという音が至近距離で聞こえる。音の発生源はおれではない、栗瓦だ。歯と歯が擦れ合って

「この……印鑑はやらんぞ」

 悪魔を見るような眼差しで栗瓦は俺を見る。その視線はレーザーかと思われる程に熱く、意識させられるものだった。恨みつらみが込められていて、俺をその視線だけで焼き切って、分断することもできるのではないかと思ってしまうほど、強烈な何かがあった。


「じゃあ、俺は、この切れ味のいい定規・・でお前の首を掻っ切るかな」

 刃渡りがいくら短いとはいえ、刃物のように一刀両断というわけにはいかない。

 ただ、頸動脈を切ることくらいはできるだろう。


 互いが互いに一歩も動かない状態――膠着状態に陥ってしまった。だが、次に動くのは、間違いなく栗瓦の方だ。

 栗瓦が動かないと、俺はどうすることもできない。とはいえども、この右手の刃を少し動かすだけで、この戦いは終わってしまう。


 ならば、なぜ動かさないのか。

 ――なぜだ?

 自分でもよくわからない。印鑑を受け取ったらそのまま解放してしまいそうな勢いだ。

 生け捕りにする理由がどこにある。

 このまま生かしておいても、こいつはそのうち村人どもにぼこぼこにされてしまう運命だ。

 ならば、いっそここで殺めてしまうか……。


 そう思っていた刹那、栗瓦の口が開く。

「甘い、甘いよ。旅人君」

 刃を首筋につき当てられながらもその態度を変えないという姿には、感心するものがあるが、容赦はしない。

 口が開いた瞬間に俺の手は自然の摂理の如く少しだけ自分の方に引いていた。

 引いたところから、ツツツと血が垂れる。すこし頸動脈からはずれているようで、そこまで大量の血は出ない。


「何がだ」

 俺はそうぶっきらぼうに訊き返す。

 首元から視線を外し、栗瓦の顔を見るとにやにやとした笑いが張り付いていた。

 定規の力で後ろで控えている羊の存在も気にかけていたりはするが、一向に動こうとする気配がない。

 主人のピンチに自分から動こうとする意識がないのか、あるいはそういう命令がなされていないのか。

 なんにせよ、これはチャンスなのかもしれない。

 いや、チャンスはずっと続いている。なんだったら今だってチャンスタイム中だ。


「いや、この状況で、僕に選択肢を残させてくれているってことがさ」

 そう言って、栗瓦は俺に向けて手を差し出す。

 俺は印鑑を受け取ろうと、定規を握っていないもう片方の手で、手を伸ばした。


 ジュッ。

「あつっ!」

 差し出した手が反射的にひっこめられる。

 人間の触覚が敏感な指先が、過剰に異常反応を示して反射をした結果だ。

 何か非常に熱いものが、人差指の第二関節に触れた。

 視線を即座に手に向けると、印鑑の先端が指に触れていたような丸い跡が残されていた。


「だから言ったろ……甘いって」

 そう言って、首に当てられた定規を、俺の手首をたたくことで叩き落とした。

 俺はその定規を地面に落ちる前に下に手をのばしてキャッチする。定規は俺の手から離れた瞬間に刀の体をなくし、ただの透明で少しだけ赤味がかった不思議な素材のもとの形に変形した。

 いきなりしゃがんだことによって、折れた肋が悲鳴を上げる。同時に、地面の血だまりで俺の履いているスニーカーに血飛沫が付着する。

 ただ、そんなことはどうでもいい。たしかに俺は甘かったようだ。何人も死に追いやったようなシリアルキラー顔負けの村人を生かしておくこと自体、そもそもおかしい考えだったんだ。


「栗瓦……お前、印鑑を渡す気なんてなかったな……」

 俺はもう、何の感情も出てこなかった。それでも、栗瓦の顔を見て訪ねた。


「ああ、当たり前じゃないか……なんでそんなぬけぬけと、家畜どもに聖なる遺品ラカーフを渡さなきゃいけないんだよ……馬鹿じゃないのか?」


 ああ、なるほど。まあ、確かにそうだな。

 そんな簡単に、事は収まらないよな。

 ならば、一突きで殺すだけだ。


 俺は手に持った定規に殺意を込める。その瞬間、ドクン、という、まるで血管と神経が定規にまで伸びるような熱くジンとするような痛みとともに、青白い発光をして再び定規が刀に変化する。

 同じところをくるくる飛び回っているカラスが、鳴き声をあげた。

 さっきまでは、そんな音すら耳に入らなかったのに、今となってはとてもよく聞こえる。血生臭い匂いも、鼻につんとくる。冷静になったと、自分で理解できる。

 何を迷っていたのだろう。印鑑を渡すように求めるのではなく、あの時点で殺しておくべきだった。

 悪者は倒す、いつだってヒーローはそうしてきたはずだ。

 そして、今この町に住んでいる人たちにとって俺たちはまぎれもなくヒーローそのもの。

 巻き込まれてしまったことについては物凄い不満はあるけど、だからと言って自分の命を失うわけにはいかない。

 俺と対峙しようというのならば、俺はそれを受けるしかない。


 しゃがんだ状態から、彼のアキレス腱めがけて刃を突き立てる。栗瓦が履いているジーンズによって多少なりとも彼の傷が浅くなってしまうのが残念だな。


「やめろ」

 低い声が広場に響き渡る。一瞬、時空すべてが制止されたような感覚に陥った。


 その声が聞こえた後、その攻撃は、ジーンズにすら刃を通さないうちに制止された。

 急に右腕が動かなく、なった。

「どういう……」


「君を見ていればよくわかるよ……どこを攻撃するのか、とかね」

 でも……でも! 栗瓦は何もしていなかった。どういうことなんだよ……。

「考えていてもわからないなら、僕がわざわざ家畜に教えてやろう。なに、冥土の土産さ。喋り過ぎが玉に傷って、よく言われるよ。左手の人差し指を見てごらん」

 彼はにやにやを顔に張り付けたままの状態でそういう。口角が上がりっぱなしで、今にも笑いそうな状態だ。

 そう言われて、俺はまじまじと左手の人差し指を――さっき、なぜか熱かったあの場所を、第二関節付近を凝視した。


『栗』。

 ただ、そこにはさっきまでなかった漢字一文字が、浮かんでいた。赤い血が地面に溜まったせいでそのコントラストにやられたのか、それともこんな不可解な状況に陥ったせいなのか、わからないが、とりあえず俺は眩暈めまいを覚えた。

 栗という漢字一文字が、焼印のような状態で押されていた。血管が浮き出たように、文字が浮かんでいる。その文字は丸で囲われていて、羊の頭頂部で見た、それそのものだった。


「そう、それを押した動物は思いのままに操れる――誰が人間に効かないなんて言ったよ、というか、そこまでは予測されて然るべきだろ」

 もはや笑う一歩手前というような声で、栗瓦は言う。

「人間は全員、俺の家畜だからな。これで貴様も俺の正式な家畜だよ、旅人さんよ」

 そう最後に締めくくり、彼は俺を足蹴にして俺は何者かに意識を乗っ取られるような感覚を得た。

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