第十三話 Vs栗瓦(2)
第13話
広場は惨憺たる光景だった。日干し煉瓦の地面は血のりで汚れ、羊に追われて逃げ惑ったであろう人々の遺物で散らかっていた。
中央にある井戸は……直視できない。血が溢れてその周辺だけ地面が真っ赤だった。
そして空はこの流血を吸い取って、一層朱く滲んでいた。ここで起こった地獄を物語る残酷な朱だ。
その朱の中をカラスが不気味な声で鳴きながら旋回している。
彼らは井戸に溢れる『食べ残し』を狙っているのだ。
ちらほら、町の人が言っていた。人食い羊が出ると。そして、さっきまで死体が積みあがっていた井戸の周りには、羊が集まり、何か分からないような赤で塗れた肉を咀嚼していた。
草食動物である、羊が、だ。
たしかに、人食い羊というのは本当なのだろう。
しかし、彼は確か、ここの村人の羊を彼の思いのままに動かしているのではなかっただろうか。
いったいどうなっているんだ……?
だが烏たちが近づかないのは、井戸のそばにかかしのように立つ天然パーマの少年があったからだった。
彼の名は栗瓦別生。この惨劇を起こした張本人だ。
彼を中心として120度ずつ半径20mに3匹の羊が配置されていた。
俺は彼の下へ、抵抗する町長を拘束しながら歩く。
地面に散らかった物を踏まないように、また血で滑らないように、足元に気をつけながら歩く。
井戸の手前2mで「止まれ」と言われると、そこで立っている少年に対して深々と頭を下げ、ついでに町長の頭も強引に沈め、
「へへー、栗瓦さまー。ここににっくき悪党を連れて参りましたでごぜえます」
と平身低頭した姿勢を一貫する。
「はっは、愉快愉快」
栗瓦も同じノリでこのやりとりに応える。
この何とも言えないやりとりを後に振り返ったらどう思うことだろう。
俺も声音がいい感じで小物っぽくなってるなぁ。
自分より年下の子供に頭を下げて恥ずかしくないのかと言われると、そうでもない。
生と死がかかった行動にプライド云々は気にすることではないのだ。
「こらっ、離せ! 貴様、よくもワシを裏切りおったな!」
町長は空虚に吠える。
俺は頭を少し浮かせてチラリと栗瓦の顔を窺う。
この惨劇の一部始終を見ていたであろうに、返り血を拭った跡のあるメガネをかけてニヤニヤしていた。
ゾッとして俺はまた顔を下に向けた。
「ワシの町を…住民をこんなにしおって!このゲスが~!!」
「ハッ、バカだね。この僕を散々コケにしてきた奴らにはピッタリの末路さ」
「そしてあんたは僕の手によって、この連中より残酷に殺してやる!」
栗瓦が暴力的に唾を飛ばすと町長はすっかり縮み上がった。
「やはり……」
栗瓦はその様子を見てそう呟いた。そして沈黙が間に入る。
俺はわざとらしく咳払いをして
「では、町長を引き渡したのであっしらは逃してくれますか?」
「うんうん、よいとも」
先ほどの殺気だった態度から一転、とても上機嫌に気前よく言った。
「1つ質問なんだが、お前らどうやってここに来れたんだ?通りは羊が警戒していたはずだが」
ほらきた。必ずそう聞くと思った。
「へい、こやつめが町役場の向かいにある建物に侵入したところを捕らえましてね。それで栗瓦様のご命令通り食欲を我慢している羊たちにおずおずと挨拶して、通りを沿ってここまで来ました」
俺は予め用意しておいた解答を言った。栗瓦は手元の円錐形の拡声器を弄びながらそれを聞き、
「おかしいな、喰い殺されないなんて」
予想通り、不思議そうに首をかしげる。
考え込む栗瓦と、そろそろ頭を起こし始めた俺と、後ろに縛られた手をもぞもぞと動かしながら栗瓦を睨み付ける町長と、そのやりとりを見守る羊やカラスの中に、再び沈黙が訪れる。
井戸からの悪臭を意識し始めてソワソワし出した頃、栗瓦が、
「ああ、わからんのか? 今のは『おかしい』と『惜しい』を掛けた高等なジョーク。所詮今日解体されるために生きているだけの家畜には理解し得ないか」
と口を開いた。正直意味が分からん。だが嫌な予感のするフレーズだ。
「はあ、つまり?」
反射的に聞き返す。
「つまるところ、お前死ぬんだよ。通りで羊に襲われなかったとかどうでもいい。僕の目の前に来た時点で終わりなのさ」
俺は身構え、歯ぎしりして見せた。
いつの間にか三頭の羊は半径10mまで近寄っていた。この展開は、やむなし。
「それに町長がちっともらしくない。芝居打つんだったら僕の前でなく、家畜の見世物小屋でやるんだな」
感づかれていた。そうでいなくても生かすつもりはなかったんだろうけど。
「くそっ、バレてたか!」
騙しは無理と悟った町長は手首の縄をほどいた。縄はもともと工夫さえすればほどけるように、緩く結んでおいたのだ。
「まっ、町長を僕自身の手で苦痛を与えられる機会を作ってくれたことは感謝するよ」
「フン、言ってろ」
町長と栗瓦のやりとりを最後に、三度緊迫した沈黙に支配される。
この場にいる誰もが待っているからだ。どちらかが動き出す瞬間を。
1秒が長く感じる。
出来ればこの状態が長く維持されれば…なんて願望は早くも消える。
栗瓦が拡声器を持つ手を動かしたのだ。
瞬間的に時間が0.1倍速で動いていく。そう感じた。少なくとも奴の挙動を見てから、猛ダッシュで詰め寄り、懐の定規で拡声器を切断するまでは。
俺はコンマの世界を体験した。
そして俺はすかさず2撃目を栗瓦に決めようとしたが躱される。空振りに終わった攻撃で体をよろめかせてしまった。続けざまに町長が腕を掴むもふりほどかれ、転倒してしまう。その隙に栗瓦に距離を置かれてしまった。
だが栗瓦は「集合」の「う」を叫ぼうとしたところで拡声器を破壊できた。
奴はこれで増援を呼べない。これは一応の成功だ。
しかし状況はやや不利だった。
2頭の羊がこちらに突進して来て、一頭が逃げ切った栗瓦を護る。
無力な町長の身を守らなくてはならない俺にとっては二方向からの同時攻撃は厳しい。
「馬鹿め!そのメガホンはダミーだ!」
そして栗瓦が得意げに妙なことを言い出した。そしてポケットから小さくて黒い円筒形を取り出した。
「僕の遺品はこの印鑑だ。こいつを手に持つことで印の押してある動物に念じたことが命令できるのだ。ハーハッハッハ」
そう言って自慢げに高笑いを続ける。正直言っている内容は意味不明すぎる上に、羊を相手に戦っているので理解に意識が回らない。
「そうやって遺品を狙ってくる奴らがいることを想定してダミーを用意しておいた僕の頭脳勝ちだ。」
栗瓦がそう喋っている間に俺はアグレッシブに動く。
まず衝突の寸前に町長を押し飛ばし、自分も堅い日干し煉瓦の上でローリング。これで一頭目を避ける。
2頭目はややタイミングを遅れていたため、俺を立ち上がったところで吹き飛ばした。
俺が一頭目を回避したおかげもあって二頭目は若干の方向修正、よって威力は減衰したようだった。
それでもこの衝撃はかなりのダメージだった。肋を折ったみたいだ。地面に打ち付けられた背も痛む。
だが気力を振り絞って立ち上がる。羊が止まった今がチャンスだ。
俺は牙のずっしり生えた口を大きく開き噛みつきかかってくるそいつを、顎の部分で上と下に分ける。
そんなに筋肉がある方でもない俺でも肉を寸断出来るのだから、この定規はかなり切れ味がよい。
そして井戸をうまく盾に使いながら逃げ回る町長を追い回すもう一頭を背後から仕留める。
「やはりお前も遺品を持っていたか。見たところ定規だな。そんなもので僕の羊を殺めていったのか」
栗瓦は形勢が傾いても余裕な態度だった。
「僕の羊たちを…猛獣に仕立て上げるまで苦労して育て上げたのを……」
そして無惨に横たえる羊を見て涙するかと思えば、踵を返して
「だがもう遅い!集合はかけた。じきに僕の羊たちが大挙して押し寄せるぞ!」
と自信満々に叫ぶ。
奴は町に散らばる羊を一同に集めて、数の暴力でゴリ押そうと考えているわけだ。
確かにそれをやられたら一貫のお終いだが、
「へぇ~、来るのか?」
と余裕を返す。打って変わって栗瓦の表情からそれが消える。
「何故だ!もう一頭くらい到着していいはずだ。」
日は沈みつつあり、町は暗がりに飲み込まれいった。
カラスがその闇に紛れて井戸に群がり、そこに積まれたものをわれ先にとついばみ始める。
町は所々で微かに日干し煉瓦を叩く音は聞こえるが静かそのものだった。
そしてそれらしき物陰もなかった。
「絵鈴が上手くやってくれたな。いや、正確には町の生き残り達か」
そう、ここまでおおむね作戦どおりだった。
だまし討ちだとか増援の呼び寄せの阻止だとかが失敗するのはいい。むしろそうなるであろうことは読んでいた。流石に印鑑が云々とは奇想天外だったが。
「種明かしをしよう。建物の中に残った住民に協力してもらって羊たちを駆逐したのさ」
実際はこの広場へ通じる道にバリゲートを築いてもらったんだがな。
全て迅速にやらなければならないし、建物一軒ずつ巡って説得していくのが面倒くさかったのは内緒だ。
「馬鹿な馬鹿な馬鹿な! 認めないぞ。町の連中は懐柔したはずだ」
いやいや、どこがだよ。外に出たところをたちまち羊が襲いかかってきてるじゃねぇか。
それで信用しろと言う方が無茶だよ。
「おっ、見ろ。援軍が来たみたいだぞ」
俺が指さした方向に栗瓦が希望を向ける。しかしそれを見た瞬間彼の顔は青ざめる。
「俺たちの方のな」
彼が見たものとは無数の人影と灯りだった。
生存者達がここに押し寄せてきた。そう考えたのだろう。
だが俺は知ってる。ハッタリだ。
絵鈴が暗闇に紛れ込んで数多の人影を描き、数多のカンテラを浮かせたのだ。
そう、あの日発見した、もう一つの能力。
羽ペンで、ものを浮かせるという能力。
俺は栗瓦の心理的な虚を突く事を忘れなかった。
すかさず詰め寄り、定規を振りかざす。
最後の断末魔が聞こえ、栗瓦は俺の方へ向き直る。
だが遅かった。すでに俺は奴の首元に刃渡り6,5cmの凶器を突きつけていた。
「さあ、今すぐその印鑑をよこせ」




