第十二話 Vs栗瓦(1)
第十二話
「さて、そろそろいいかなぁ……無様な家畜ども。そろそろ一人目をかわいいかわいい羊ちゃんが」
栗がわらはここで一拍開けてから、
「喰らい尽しちまうぞぉ!」
と叫ぶ。
その姿はたしかに独裁者をどこか気取っていた。町全域に広がるその声に隠れ潜む町民はまたいっそう息を顰め、羊の闊歩する音しか町には響かなくなった。
「さて、どうしようか絵鈴。単純につき渡す?」
「何言ってるの、彼にも、こいつ(町長)にも精神的苦痛を与えてあげるにきまってるじゃない」
ああ……。どんどん絵鈴が壊れていく。
「ワシを……ワシをどうする気じゃ!」
町長が最後の足掻きと言わんばかりに抵抗する。しかし、青年二人の前ではそんな足掻きはいとも容易く封じられ、金切り声を喉の奥から響かせるだけの存在になり下がってしまった。
置いた定規を再び持ってた違った瞬間に、人々の思惑がそれぞれ聞こえる。
その中で、
(それにしても、とことん不幸ね……初めて寄った町で偶然こんなことが起こるなんて)
嘆くように、絵鈴がそう思っているのが俺の脳内で再生される。
不幸には間違いないよな……。なぜこんなことに巻き込まれたのかは今になってもとても謎だ。
そもそも、この事件に絡まるメリットがない。
しかし、この町長をあいつに引き渡すと、どうせ殺される。
よって、この町からはしばらく出られなくなってしまう。
急いでいるわけでもないが、だからと言って足止めは喰らわないほうがいい。
町長サイドが勝てば、この場は何も問題なくスムーズに終わる。犠牲者だって出ない。しかし、町長ができることはもう限られている。町長が勝つには、俺たちが手を貸さなければいけないが、それでこの町長が大きい顔をするというのは、なんだか頷けない。
しかし、このままでは町長はあいつに殺される。
町長の話を聞く限り、栗瓦がここまで――人のことを『家畜』と呼ぶくらいまでに――人のことを嫌っている原因は、昔からの『奴隷』という階級の存在に起因するのだろう。
その階級については、町長一人が悪いということでもなさそうだが、羊の横領の件に関しては町長が悪者だろう。
では、どうすればいい。
俺は握りしめている定規から目線を絵鈴に移す。
絵鈴は自分たちが外に取り残された件からずっと、この町長のことを敵対視している。当たり前といえば至極当たり前の話だが。ここでその感情が生まれなかったら、それはそれで問題だとは思う。
絵鈴はこちらを向いて、唇を吊り上げて笑う。
「さて――何をしてやろうか」
そんな言葉が、絵鈴の口から零れて、落ちた。
まるで、この徹底的に追い込まれた状況を、苦に受け止めているようなわけでもなく。
絵鈴の顔は、海の魚のように久しぶりに生き生きとしていた。
絵鈴と相談して、俺が一旦外に出ることになった。
羊が町を一定間隔で歩いているなか、いい場所を見て待機する。
カッ、カッと、四回の音が交互に鳴り響き、定期的に音が鳴るのにまるで不協和音を聞かされているような不思議な音だ。これも全身の器官が唸るように鼓動を刻んでいるからなのだろうか。極度の緊張の余り、傷口を包帯で巻いた部分からは血がにじみ出てきている。
人食い羊が近づいてくる。
あと4メートル、3メートル……。
物陰になって向こうからはこちらが見えない。そして、こちらは定規を使って、位置関係を正確に測ることができる。そのくらいのことしか、俺にはできない。
わけではないはずだ。
そして――ここで羊を仕留める!
俺がそう念じた瞬間、どくん、と。
鼓動を感じた。
心臓ではない、右手の先端に。
もっと正確に言うのなら、右手の延長線上に。
定規と身体が一体化した――ように感じた。体感では、少なくともこの定規も、俺の血が通った体の一部だと、認識してしまいそうなくらいに、シンクロしていた。
透明感あふれる不思議な素材でできた艶のあるなめらかなフォルムが青白く光りだす。
意識して――念じた瞬間に、俺の意識に答えてくれたかのように、音もせず、変形した。
滑らかに、長く。
ただの定規だったはずなのに、物理法則を完全無視して、俺の手の中にあったそれは、薄く長く伸びていて、刃先が、きれいに光り輝いていた。
あろうことか、刀の体をなして、俺の手中にその定規は存在していた。
というか、もうこれ定規じゃないよね?
持ち手の部分は持ちやすいように丸くなっており、定規特有の滑りやすさを完全に無視して何らかの力で摩擦力を強めているのだろう、全く滑らない不思議な構造に、そこから先は先端にゆくにつれてどんどん細くなってゆき、ある一定のところから、光の錯覚で俺が反射して見えるような作りになっている。
少しだけ発光した青白い光に誘われるかのように、羊がこちらへ向かってくる。
俺は少しだけ後ろに下がって、羊が突撃してくることが可能であるくらいの助走距離を設けて、堂々としながら立ち尽くす。
羊が角を曲がり、建物と建物の間にある小路へ誘われる。その奥にいる俺を発見した瞬間、「ブォォォォォォ」という牛に負けず劣らずの怒号のような慟哭を発し、短い四本の足で助走距離をうまく使って走りかかってきた。
左手に噛み跡があり、血が滲んでいるとはいえ、刀を片手で持つことを憚られた俺は、両手で握り、勢いよく突進してきた羊の首元に合わせて刃をセットした。
鮮血が、飛び散る。
羊の茶色い毛は首周りを中心に赤く染まり、俺の顔も少しだけ血しぶきで濡れてしまった。だが、羊はまだ少しだけ、耳をひくつかせて動いている。首と胴体をつなげている骨に引っ掛かり、首が飛ぶということはなかったが、もうそのうち息絶えるだろう。呼吸ができるという状態になく、気管は外気と体内とで繋がっておらず、呼吸ができずに死ぬか、出血多量で死ぬかというそんな蘇生不可能なところまで羊を追いやり、耳のひくつきが収まったところで、ようやく定規を羊から抜く。
栗瓦に、俺たちが町長に協力するということが発覚していない以上。まず見回りの羊から消していくのが最善手だろうと絵鈴と一瞬にして合意し、そして絵鈴は町長と一緒に役場の中で栗瓦の様子を窺っている。
「7体が見回りってことは――あと6体か」
言葉に出すと、先がより思いやられるようで少しだけ後悔した。
羊の死体が転がる。家畜だと割り切っていながらも、残酷なことをしてしまったと心で何かに念じておくことにした。
別段何か神を信じているというわけでもないので、そんなに大した儀式はできないし、できたとしてもするつもりもない。
羊を殺したときに俺は思った。
あんなに狂暴だったはずの羊が、殺す寸前になると気配が変わり、急に元の羊らしいどこか温厚な雰囲気を急に醸し出す。そう、それはまさに、刀が首元に入り、何かの管を切った瞬間。
だから、殺すのが忍びなくなってきてしまう。
頭と体を分けると温厚になるということは、どちらかが羊を狂わせていると考えるのが普通だろう。
そして、怪しいと思うのはやはり――栗、と線で囲われたような、そんな焼印。
見る限り度の羊も、栗、と書かれた焼印が頭頂部に押されている。
これ……なのかなぁ。
俺はそう予想を付けて、見廻りのいなくなった町を、ただ一人役場に向けて闊歩した。
「ああッ!! 羊がまた一匹と慟哭を上げているッ! そのたびにこの町の家畜どもが死んでいくと思うと――たまらないね」
拡声器から聞こえてくる、少しノイズが混じった若干高めの青年の声。興奮していて、血肉湧き踊るとは、まさにこんな感じなのかもしれない。
「お帰り、サッキー、羊は?」
「一掃したよ」
絵鈴がドアの音に敏感に反応してこちらを向いて話す。
俺の手の中にある定規はもう既に定規の形に戻っていた。目的を果たした瞬間、医師の弱まりでも感じたのか、風船のように勢いよく萎んでいった。
「栗瓦はなぜまだあんなことを言っておるんじゃ……」
情けない声を出すだけだった町長がもう立ち直っており、外をみてそんなことを言う。
「さあな、単純に羊を大体のきく消耗品としてしか見ていないから興味がないのか、気付いていないのか、あるいは、まだ歩いていると思わせておいて人々を外に出させないためかもしれない」
「最後のだとしたら、栗瓦は相当に切れ者ね」
絵鈴がそう言い終わるのと同時に、件の拡声器から音がまき散らされた。
「さて……もうこんな余興には飽き飽きなんだが。そろそろ町長さん、出てきたらどうだい? ひらひらと舞って、花に止まったところを羊の一踏みでその生命の灯を消してあげようじゃないか――」
アッハッハッハッ――! という高らかな笑い声が聞こえ、拡声器はハウリングを起こし、最終的には人間に害のありそうな高周波音を撒き散らしていった。




