第十話 草の戸も住み替わる代ぞ雛の家
第10話「草の戸も住み替わる代ぞ雛の家」
「その取引は呑めない」
町長が、ギリギリのところまでやられたと思っていたのに、しかしその取引を断った。
よって、絵鈴が選んだ選択は――
「じゃあ死にますかそうですかわかりましたやすらかにど」
笑顔でなにかぶつぶつ言いながら絵鈴は羽ペンを高く振りかざす。
しかし、そこで町長は手を挙げて静止のポーズをとる。
「待て。貴様ら、私が死んだらこの町からは当分出られんぞ」
「……くっ!」
この町長、相当の切れ者だな。俺は素直にそう思った。
自分の命が危うい場所でもそれすらを駆け引きの材料として提示するという点において、人としてそうとう強い人物なんだろう。
絵鈴は悔しそうに下唇を噛んでいるのだろう。後ろから見ていればわかる。
とはいえ、俺は絵鈴に口げんかで勝てたことはないので、(絵鈴の瞳に大蛇が現れた瞬間、俺はウサギのように縮こまるのがテンプレートだ)その表情は滅多に見れるものではないが。
さっきから立て続けにドアを集中攻撃してくる羊の音が聞こえる。しかし、ここにいる三人はそんな音なんて、もう聞こえなかった。
さっきまであれほどに気になっている俺ですら、頭の片隅にそんなことを追いやっていた。
「だが、まあこちらとして呑んでほしい条件を満たしたらそれを叶えてやらんでもない」
それでいて、町長は自分の案件を持ちだして、そして自分が優位に立っているという事を知らしめるべくガラス片を持っている絵鈴の前に立ちはだかった。
形勢逆転。
いや、最初からこちらの立場としては弱いものだったのだ。
逆転なんか、されていなかった。
「ねぇ、サッキー、この町長、殺っていい?」
満面の笑みでこちらに振り返り同意を求めてきた。
その振り向いたときの町長の顔は、最近のキレやすい若者を目の前にした老人のような顔――ってそのままだな。
まあ、絵鈴の場合キレやすいっていうか、これすらも含めて駆け引きなんだろうが。
「待て待て! ワシを殺したら次来るまでには何週間――いや、何年間もかかるかもしれないんじゃぞ? 報告する人がいないんじゃから!」
町長はあわてて、自分の優位性をアピールするが、しかしこれが絵鈴の罠だ。
「でも、そんなに急ぎの用事でもないしね」
と、明るい声で一言。
そして、駄目押しで最後に一言。
「まあ、いっか」
まるで最後に『☆』でも付いてしまいそうなくらい明るく、そして清々しい声で。ただそれだけ、言い切った。
「誠に申し訳ない!!」
次の瞬間、村長だけにものすごい重力が掛ったのかというくらいの速度で土下座をされた。ものすごい重圧は確かに掛っているのだろうが。
「だが、ワシらも困っているんじゃ……どうか、旅のお方、救っていただけないだろうか!」
額を地面に擦りつけながら懇願するそのかすれ声に乗せられて届く音は、俺達に届く前に地面に反響して消えていった。
しかし、なんとなく言いたいことはわかっていたので、何も言わずに、無言の空気で町長に話の続きをしろ、という重圧をかける。
ずっと定規を握りっぱなしだったので、相手の思惑が読んで取れていたのだが、ここで絵鈴の心の中を覗いたことを少しだけ後悔した。
(ふふふ……無様だな)
うわぁ……人をクズ扱いできるような人間じゃねぇよ……。
(こうやって偉そうだった奴が地面を這いつくばって私に懇願するこの瞬がたま)
俺は一旦定規を置いた。
絵鈴の内面がまさかあんなコールタールだったなんて……。いやまあ知ってたけど。
「つまり、栗瓦という羊飼いにお灸を据えればいい訳ですね」
俺はそう村長にいう。
「その上でワシらに引き渡して欲しい。奴はワシら町民の手によって懲罰を与えられねばならん」
町長はそこまで言うと一呼吸置き、
「もちろん生死問わずだ」
と付け足す。
「……あんたら、あの少年に対してやけに侮蔑的だけど一体何があった。」
外で羊の鳴き声と扉とぶつかる音が大きくなっていくのは分かっている。その上で問う。
「そんな悠長な事説明しているヒマはな……」
「理由もなく戦うのはゴメンだ! だが理由も分からず死ぬのはもっとイヤだ」
ここで話されなければ、きっと町長の口から事実が明るみに出ることはないだろう。
そう恐喝気味に言うと榊村町長も折れたらしくボソボソと語り始める。
「奴は、栗瓦別生。かつてこの町にやってきたよそ者の子孫で、親は奴隷の焼き印が押されていた。どこかの大豪商のところから逃げてきたんだろうな」
俺は町長の話を耳に入れながら、周囲を見渡す。ここは広いロビーとなっており、奥には受付のカウンター、手前には階段があった。
ロビーに灯っていないランプの照明がいくつか壁に立てかけられているのを見て閃いた。
俺は定規を壁に当てて、話を聞く。
「とにかく下賤な身分であったのは間違いない。もちろん町民は彼らを遠ざけ、彼らは町のハズレで羊飼いという誰もやりたがらない仕事にありついた。そして卑しい親がくたばって跡を継いだのがあのガキだった」
「だがあのガキはあろう事か町の私物である羊を闇商人に横領しやがった!」
憤慨した他の町人の声音とは別に、意外な声が聞こえた。
(ま、実際はワシがやって、奴に罪を着せたんだがな。取引現場を目撃されたせいで町に噂をコソコソ広めるハメになったが)
おれはその心の声を聞いた瞬間、口から何の言葉も出てこなかった。代わりに、腹の奥底から、熱い何かが、こみあげてくるような感覚に陥った。
今怒りを前面に出している顔は虚像、裏では狡猾にほくそ笑んでるに違いない。
しわを少し操るだけで、感情なんて偽れる。人間ってのは……嫌な生き物だ。
そしてあんたは外道だ。町長……。
俺は今にも胸ぐらを掴んでしまいそうな衝動を、震える握り拳に抑え込んだ。
今は割り切らなくてはならない。
絵鈴にもこの事実は伏せるとして、栗瓦別生という少年にも同情してはならない。
奴は俺たちも殺そうとしている。だからこれっぽっちも同情なんてないんだ!
俺は溜飲を飲み込んだ。
そして町長は言う。
「さあ、もういいだろう。早くこの町役場から出よう」
「ああ、そのことなんだが、あんたもしかして受付カウンターの扉の奥にある、あの裏口から逃げだそうとか考えてない?」
この建物の物件は建築計画がきちんとしていなかったのか、建物の南に広場、北に細い通、東西は他の民家に挟まれており、窓は一階南側に1つと二階南側3つ北側1つという、日当たりを完全無視している設計となっている。
故にランプ照明が至る所に取り付けられている。
そしてこの間取りは出入り口が限られるということを意味する。
その限られた出入り口が北側の通りへと繋がる裏口というわけだ。
「ああ、そうだが」
(なんでこいつ知ってるんだ?)
さっきあんたが話している間に定規で間取りを見てたからだよ。
「それは止めといた方がいい。向こうに五頭ほど待ち伏せている」
榊村町長は心中2度目の台詞に『!』マークをつける。
それはさておき、何故奴らは突入してこないのか?
これは俺の解釈になるが、後方に待機している奴らは正面の連中が突破するタイミングを見計らっている。挟み撃ちにしようという寸法だ。
その間は慌てて逃げ出してきた人間のどの部位を自分が喰うかとかで議論しているに違いない。
そんななか、困惑気味な町長たちを見て俺は、
「囲まれているんだったら、籠城しようぜ!」
空気も読まずに、そういった。




