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第十八話

 この重い鎧を脱ぎたいところだが……。周りを見れば、もうすでに何事かと俺達へと視線が集まっている。この中では、さすがに無理だ。腰に下げた剣を抜く。剣も一振しかないが……。現状で出来る限りやってみるか。


 ロギさんから攻めてくる気配はなかった。それをいい事に、その姿をよく観察する。剣は両手で持ち、脇を締め右側へと引き寄せた形で剣を垂直に立てている。構えとしてはありふれた形だが……さて……。いくら観察したところで隙などという物はない。……どうするか。


「来ぬのか?」


 老人は摺り足でじりっと一歩前に進み出た。行くしかないか。どうあがいたところでこの老人の足元にも及ばない事はわかっている。着慣れぬ鎧に剣は一本。この場で俺に出来る事といえばただ一つ。


 飛び込む。


 剣は片手に。


 ただ剣を届かせるのだ。


 真直ぐに。一直線に。


 ……突く。


 俺の体の加速と共に時間は逆に減速して行く。


 カースソードの時にも感じた感覚。


 この時、俺に合ったのはただ本当に剣を届かせる事だけだった。本当に剣が届いたならば? 老人もまた金属鎧を身につけているとはいえ、届いてしまったならば……。思いもよらぬ長い時間のせいか、そんな事が頭に思い浮かぶ。


 だが、もう遅い。


 俺にはどうしようもない段階にまで来ていた。


 老人が剣を振り下ろし始める。


 早い!? 剣速がではない。老人の振り始めがだ。このままでは俺の体にすら……いや、剣にすら届かないはずだ。


 置きに来たのか。俺の体が来る場所へと先に!


 腕と剣の長さを合わせれば、リーチは相手が長い。剣が先に届くのは俺の体だ。だが、俺の体はすでに自分では止まる事のできぬ地点へと来てしまっていた。ただ剣を届けると、それだけにのみ集中したせいで。


 死んだかもしれないな。


 俺はどこか甘えていたのかもしれない。この老人の技量に。俺がどんな攻撃を繰り出そうと、この老人ならば俺に一切の傷を負わせることなく受け止められるだろうと。そんな風に考えていたのかもしれない。


 これは、そんな俺の甘えのせいだ。


 刻一刻とその瞬間は迫ってくる。後ほんの数メートル……。


 え……?


 そこで、俺の体が止まった。あれほどの速度で突っ込んだというのに、一切の衝撃を受けずにぴたりとだ。理解が追いついていない。俺の剣は老人の剣によって受け止められていた。僅かの違いなく、切先同士で……。そこまではいい。いや、よくはないのだがよしとしよう。老人はそれだけの事で、この俺の勢い全てを殺してしまったのだ。老人は涼しげな顔でその場から微動だにしていない。剣を突き合わせたまま下げる事もできずにただその姿勢のまま事態の把握に努める。


 とりあえずわかった事は……。すいません。甘えさせていただきました。


 先に剣を降ろしたのは老人だった。


「迷ったか? 途中わずかに速度が落ちたぞ?」


 あの時……、あの時間の延びを感じた時かもしれない。あそこくらいしか思いつかなかった。だが、俺自身あそこで速度を緩めた気はなかったが。


「剣を抜いた時。それは相手か、己か。どちらかが死ぬ時だと思え。生か死か。ただ純粋にそのどちらかしかないのだと」


 それは……。もちろん気持ちの上では、という事なのだろうが……。


「ロギさんは常にそうして生きてこられた……」


 老人はただ黙って頷いた。


「でも戦争に出られるわけですよね?」


 そんな老人がなぜ、人の死なぬ名ばかりの戦争などというものに出ているのかが気になった。先程までの手合せのようなものだと思っているのだろうか?


「戦争か……」


 老人は黙り込み、しばし何かを考えているような素振りを見せた。しばし後、その場に腰を下ろしどかりと胡坐をかいた。


「座らせてもらうぞ。さすがに齢にはかなわぬ」


 あれほどの剣技を見せておきながら、どの口が言う。ロギさんに習い隣に座る。


「儂が若い頃はまだ本当の戦争があった。もうすでに小規模化していたがな。……ああ、もちろんこの世界に来てからの話だが」


 日本で俺とロギさんは同世代だったか。同じように戦争を経験したことのない……。


「元々、ロギという青年は騎士の生まれだった……」


 それはロギさんと、そしてロギさんになる前の落ちこぼれだったロギという二人の人間の話。ロギさんはあちらの世界が嫌になり、俺と同じようにこちらの世界に来たそうだ。日本でとても辛い事があったらしい。具体的な内容についてロギさんは話さなかったが、自殺すら考えたと言う。二百年以上も前の話だというのに、その話をする時、ロギさんの顔には悲痛さが表れていた。


「化け物がウヨウヨいるという話だったからな。自ら死ぬよりは、化け物に殺された方がマシだろうと考えた」


 そんなロギさんがこの世界に来たのは、そのロギという青年が、一人あてのない旅をしている時だったそうだ。ロギさんは青年が、これまでしてきたのと同じように旅をして回った。


「死に場所を求めていたのかもしれない。……結局、こうして儂は生きているわけだがな」


 それについてはもうすでに過去の事なのだろう。老人はそんな過去の自分を豪快に笑い飛ばした。


「どうしてそこから騎士に?」


「それは……」


 そこで言葉を切り、ロギさんは少々の迷いを見せた。


「いや、お主が儂に一太刀でも入れられたらにするか。聞きたいのであれば一撃程度いれてみせい」


 ロギさんが立ち上がる。聞きたいという気持ちはもちろんあったが、それ以上にこの達人からまだ直接手ほどきを受けられるというのが魅力的であった。


「わかりました」


 剣を取り立ち上がる。


「さて続きだ。おぬしならば世界最強も夢ではないぞ」


 さすがに、そこまでを目指すつもりはないが……。


「ん? 世界最強憧れぬか?」


 俺の微妙そうな表情を読み取ったようでロギさんが首を傾げる。


「儂は幼い頃憧れたが……。剣一本でのし上がっていくほらあの漫画を読んでな。後は拳のみで……」


 ロギさんは俺が名前は知っているが、読んだ事のない漫画を数本あげた。素直に読んだ事がないと伝える。


「残念だったな。あれを読まずにこの世界に来てしまうとは」


 と、可哀想な目で俺を見た。そう言われてもな……。



 結局、昨夜はロギさんに剣を当てる事はできなかった。今日も御者をアストリッドに頼む事になってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだった。が、どうしようもないくらいに疲れきっていた。これが毎日となると……。迷宮に潜るよりも大変かもしれない……。馬車の中で大きな欠伸を一つ。その時、馬車が大きく揺れた。舗装もされておらず、王太子の馬車のような柔らかなクッションなどもないのだから当然なのだが。今の俺にはそんな大きな揺れすらも覚醒をもたらす要因とはならなかった。欠伸をしながら、座り位置を直す。


「お疲れみたいだね」


 こちらを覗き込んでくるシビルに小さく頷き返す。体はまだいい。夜になる頃には回復している事だろう。問題は頭だ。昨日、集中し過ぎたせいだろうか。上手く頭が働かない。いくら時間があっても足りないというのに。夜までになんとかロギさんに剣を当てる方法を考えつかなければ……。とりあえずは、金属鎧はやめだな。後は自前の剣を持っていく。まずこの二つが前提だな。だが、そうなるとどこで手合せをするかが問題になるな。野営地から遠く離れるわけにもいかないしな……。


「カシウェラヌスさんに頼んでみたら?」


 そうかカシウェラヌスさんか……。あの人ならば俺の姿を金属鎧を纏った騎士の姿に見せる事など造作もないだろう。だが仮にも王太子の護衛だしな。一応、聞くだけは聞いて……ん? 声が発せられた方を見る。


「声に出てたよ」


 そちらでは、シビルが笑っていた。



 結論から言えば、カシウェラヌスさんは協力してくれる事になった。食事の席で話題を出したところ、王太子が面白がったからだ。「俺も見物するぞ」と。見世物ではないのですが……。だが、カシウェラヌスさんが協力してくれたのも王太子のおかげである。見られて困る様な事もないしな。


「いつでもかまわぬぞ」


 ロギさんは昨日とまったく同じ。俺はいつもの防具に二刀。さて……。昨日のような無様な姿は見せられない。ギャラリーも大勢いることだしな。王太子夫妻に、エリナ、シビル、アストリッド、カシウェラヌスさん。カシウェラヌスさんの力で姿は見えないが見ているはずだ。



 やはりこれだな。しっくりとくる。両手の剣の重み。


「闘気術を使っても?」


「かまわぬが、それで当てられてもノーカウントだからな」


 あくまで俺の地力のみでか……。だがとりあえず今日は、闘気術を使ってどの程度通用するかだな。魔素を練り闘気へと変換していく。そうしてそれを体中に行き渡らせる。明日は、今日以上に大変そうだ。だが、出し惜しみはしない。ロギさんも言っていた。剣を抜くときはどちらかが死ぬときだと。これでやらなければ殺される! そう考えなければ。ロギさんはあくまで自然体。よしっ!


 一気に間合いを詰める。


 そのまま左手の剣を小さく横薙ぎに。もちろん、これで当てられるなどとは思ってはいない。まずは牽制。


 ロギさんは小さく体を反らし俺の剣を躱した。


 さらに右! 反らされた上体へと追撃。


 ロギさんは剣の柄で軽く往なす。柄……。


 僅かに弾かれた剣を引き戻し軌道を修正。


 突く。


 小さく足を引き、体を半身に。そうして突きを躱される。この至近距離で!? 


 突いた剣は引かず、そのまま振り下ろす。狙うは真下にある足。どこだろうとまずは当てれば話にならない。


 剣は地面へと叩きつけられた。ロギさんの足によって。剣に引かれる形で体は前のめりに傾く。剣は金属ブーツと地にがっちりとは抑え込まれていた。引き抜く為に右手に力を入れる。


 上からロギさんの剣が振り下ろされるのがわかった。風切り音すらしない。それは空気を斬り裂きながら俺へと迫る。なぜ気付けたのか。振り下ろされた剣と体の間へと左手の剣を差し入れる。


 手に伝わる衝撃。なんとか防げたか。


「ふむ」


 と、一声。何かに納得したような、ロギさんの呟きが耳に届く。と同時に足が剣から退けられた。解放されると同時に後ろへと下がり距離を取る。


「よく防いだ。最後のはよかった。が、それ以前は全然だな」


「もう一度お願いします」


 先程の戦闘を振り返る。俺の動きを全て読まれているようだった。どうすればいい?


「Don't think」


考え込んだ俺へとロギさんから投げかけられた言葉。feel? それなら俺も見た事がある。


「感じろとはいわぬ。だが、ああしようこうしようなどと考えれば動作は遅くなる。そのわずかな時間でどうなるかは先程ので充分わかっただろう? 剣を信じろ。何百年と殺すためだけに最適化された機能美の塊だ。どうすればいいかは剣がよく知っている」


 手の中の剣に目を落とす。剣を信じろか……。だがそれは結局感じろってことじゃ……? 深呼吸一つ。


「よろしくお願いします」



 今日もまたロギさんに剣を当てる事はただの一度もできなかった。闘気術の反動が襲ってきた為に早々と切り上げる羽目になった。実践なら確実に死んでるな。闘気術は強力ではあるが、使いどころには気をつけないと。その後はエリナとアストリッドも手合せを願い出た。それにロギさんは快く了承。俺との戦闘後だというのに、ロギさんは疲れをまったく感じさせなかった。最後にはエリナとアストリッド二人を同時に相手して防ぎきって見せた。エリナもアストリッドもその時、闘気術を使っていたというのにだ。こういってはなんだが、その強さは化物じみていた。

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