第十七話 いざトウエンリッダ
一行はゆっくりとした速度で森を進む。ガザリムを出た当初は数十人であったのが、昼にはその十倍程度に膨れ上がっていた。ガザリムの外で待機していた人々が合流したからだ。これからまだ人は増えるようだ。というのも、王太子以外の大貴族達の中にもトウエンリッダに行く者がいる為だそうだ。他国に行くのだ。名ばかりとはいえ戦争。国の威信がかかっている。いくら実際に戦うのがごく僅かな人間だけだといってもこれくらいにはなるのだろう。
昨日はあの後トマスさんに挨拶に行ったのだが、結局会う事はできなかった。奥様のシャロンさんの話によれば、トマスさんはソールさんを連れ辺境の村々を巡っているという事だった。残念だったが、しかたがない。トマスさん達にも土産を買ってこないといけないなと思った。その後は旅行の準備に追われた。といっても、ほとんど全ての物は奥様が準備してくれたのだが……。俺は準備していただいた物を受け取り金を払っただけだったが、エリナ達は奥様と共に色々と選んでいたようだった。女性の買い物好きというのはこちらの世界でも変わらない。楽しそうにしていた。一月はかかるであろう旅行だ。大量の荷物が必要だった。が、それらほぼ全てがアストリッドの四次元ポケットの中だ。それ以外にも入っているのだが。馬車の中を広く使えるのは有難い。魔法万歳! アストリッド万歳!
窓の外を流れる景色は変わり映えのしない森。本当に辺境に向かっているというかなんというか……。それにしても……金属鎧というのは重くて大変だな……。エリナはこんな物を着て戦闘をしているのか……。エリナが着ている物はもう少し軽いだろうがそれでも……。慣れなのだろうが、俺はただこうやって座っているだけでも、すでに肩が凝り始めていた。この金属鎧は王太子が用意してくれていた物だ。目の前のシビルも金属鎧に身を包んでいる。今、馬車には俺とシビルが乗っていた。エリナはカシウェラヌスさんと共にエレナさんと仲良くおしゃべりでもしているだろう。アストリッドは御者台だ。御者は代わる代わる行う事になっていた。今日はアストリッド。夜の警備の担当は俺がする事になっている。
シビルが被っていた兜を脱いだ。
「あっつい! これ結構大変だね」
シビルに金属鎧は無理だろうと思ったのだが、歩く程度であれば余裕があった。伊達に迷宮に籠っているわけではないということか。俺もフルフェイスの重い兜を脱ぐ。
「確かにね」
馬車の中だが、念の為と被っていたが……。王太子の下を訪れた際に、騎士や兵士の中に俺達の顔を見ている者がいる。その人々に顔を見られるとまずい事にしまうからだ。外で御者台に座るアストリッドは脱ぐわけにもいかず、そのままだろう。申し訳ない気持ちになる。
「レックス見て見て!」
と、シビルが小手をも外し、傍らの荷を探り始めた。なんだろうか? その手元を注視していると、
「ジャーン!!」
シビルは取り出した物を俺の目の前へと広げる。えっと……。
「は?」
下着……? チューブトップブラのような……。すぐにその物から目を逸らす。なんら臆することなく下着を突きつける少女が俺の前にいる。ついに壊れたか?
「どうかな? 似合うかな?」
その下着にしか見えぬ物をシビルは自らの胸に当てる。
「に、似合うんじゃないかな」
しどろもどろといった感じで言葉を返す。あまりじろじろと見るのも気がひける。見せてきているのだから、もっと普通に見ればいいのか?
「そっかそっか。ああ、早く海に入りたいな」
海? シビルの手に持つ物を再び見る。普通の下着よりも分厚く作られている。水に濡れても透けないためか。光沢感もあるようだった。なるほど! そう見れば確かにこれは水着だ。俺達の世界のセパレートタイプの水着とあまり変わりはない。この世界を作った人間達はわかっているな。まあ俺もその中の一人に入るわけだが……。すばらしい。これはすばらしいという他ない。水着という物はやはりこうあるべきだ。ファンタジー世界だからといって、普通の服のような水着じゃ味気ない。
「シャロンさんが近くに綺麗な海があるからって選んでくれたんだ」
トマスさんの奥様が……。
「エリナとアストリッドのぶんも?」
「もちろん」
三人共か……。ありがとう。シャロンさんありがとう! そうか海か。行こう。着いたらすぐ行こう。
「あ、レックスのも用意されているはずだよ」
それは別になんでもいいな。いや、ブーメランパンツだったら嫌だな……。
「で、これが下ね」
下着だと思ってつい目を逸らしてしまったが、水着ならば問題はない。大して変わりはないはずなのに認識の差というのは不思議な物だ。下着ならばシビルもこんな風に俺に見せたりはしないだろう。実際に着るとなると別だろうが……。とりあえず、シビルが壊れたわけじゃなくてよかった。シビルが次に見せてきたのはショートパンツのような物だった。ふむ……。もっとこうハイレッグなものがよか……、いや、これは……! 股上が浅い!? ローライズだ! それほど浅くはないか? いや、履けば上から腰骨が見えるか見えないかぐらいか? シャロンさんナイスです。良い感じです。海に行こう! 今すぐ行こう!
「レックスちょっと顔がやらしくない……?」
シビルは俺の反応のせいか頬を赤らめている。今更恥ずかしがるのか……。嫌らしい? 健全ですよ!
「……ごめん」
健全だからこそ、謝らなければいけないときもある。
「ちょっとアストリッドの様子を……」
締まらない顔をしている事だろう。にやけているかもしれない。それを隠すように兜を被り直すと、小さな扉を通り御者台へと出る。アストリッドは俺へと目を向けたが、何も言わずすぐに目を前方へ戻した。
「……良い事でもあった?」
あれ? 兜で顔は隠れているはずなんだが……。
「どうして?」
「雰囲気」
雰囲気か。それじゃあしかたないね。アストリッドとの会話はそれだけだった。にやけた俺を乗せ馬車は森を直走る。
何度か休憩を取りつつも、馬車はトウエンリッダを目指し走った。空が暗くなり始めたところで、森を抜け開けた場所へと出た。前方の馬車がゆっくりと速度を落とす。どうやら今日はここで夜を明かすようだ。一日馬車で走っても街も村もない。そんな場所へと進んでいるのだ。馬車が完全に止まった事を確認し、降りる。変わりにアストリッドが馬車の中へと入った。野営の準備の為だ。俺達が馬車を広々と仕えたのもアストリッドのおかげだ。この馬車には多くの荷が積まれているはずだったのだ。それらを全てアストリッドが収納してくれていたのだ。屋根に載っている木を降ろす。それはテントの骨組みだった。それらを組み合わせ布を張れば天幕の出来上がりというわけだ。といっても俺達は組み立てかたを知らない。取りに来る兵士へと手渡すだけだ。馬車の中で密かにアストリッドが取り出した物をシビルが受け取り、俺へと手渡して来る。それを馬車の横に積み上げる。
兵士達は手際よく作業を進めていき、すぐにいくつもの天幕が立ち並んだ。一際、大きな天幕を中心にいくつかの天幕。天幕の数は多いが、数百人を収容できるほどではない。一般の兵士は外で雑魚寝か……。野営地を眺めていた。方々に魔石ランプの明かりが灯る。その場に一つの街が出来たかのようだった。ごくわずかな期間暮らしたあの辺境の村よりも明るい。
「ついてこい」
どこからともなく声が聞こえた。いつの間に近付いたのかカシウェラヌスさんが目の前にいた。
「びっくりさせないでください」
本当に……。気配を一切感じ取ることができないというのは驚異だ。脅威だ。
「共に食事をと」
カシウェラヌスさんは言うだけ言うと、俺達に背を向け歩き始めた。その姿もすぐに消える。となりに立つシビルとアストリッドを見……いなかった。
「あれ? レックス? アストリッド? どこ?」
シビルの姿が急に見えた。どうやらすでにカシウェラヌスさんの認識阻害の効果が俺達にもかかっていたようだ。何も変わった感じは――自分を見下ろすと、体を見る事ができない――あったわ。これはなかなか不思議な感覚だ。
「言い忘れていた。言葉を発すると効果は切れる。天幕に着くまでは喋らないでくれ」
いつの間にかカシウェラヌスさんが戻ってきていた。なるほど。それでシビルだけが突然、姿を現したわけか。黙って頷くも伝わったかどうかはわからない。カシウェラヌスさんには認識できるのだろうか?
「……」
思わず口を開きかけ、慌てて閉じる。喋っては駄目なんだった。カシウェラヌスさんとシビルの姿が消える。行くか。一番大きな天幕を目指し歩く。
これはなかなか……。気配も消えている。近くを歩いているであろうシビル達にぶつからないか不安だ。それ以外にも周囲を歩く兵士や騎士達にも気をつけなければならない。お互いに見えていれば何という事はないのだが、相手からは俺は見えていない。躊躇なく俺へと向かってまっすぐ進んで来る者もいる。そういった者に気をつけながら天幕を目指す。
天幕に着いたころには精神的に疲れ切っていた。シビルかアストリッドか、どちらかはわからないがぶつかり思わず謝りそうになって焦った。向こうも同じだったと思う。天幕の中へと入りやっと一息つけた天幕の中は外以上に明るい。いくつもの灯り。魔石ランプだけでなく、テーブルの上にはキャンドルも使われていた。地面には柔らかな革がしかれており、この中だけを見れば天幕だとは思えないくらいだ。中には王太子とエレナさん、それにエリナと、俺達が買った屋敷でも色々と世話をして頂いた女中さんがいた。
「連れてまいりました」
カシウェラヌスさんが声を発する。それと同時にカシウェラヌスさんと共にシビル、アストリッドの姿が現れた。という事は……。自身の体を見下ろすとそこには確かに俺の体が見えた。少しほっとした。
食事はこれといって何事もなく終わり、夜警につく。夜警とはいったがする事はほとんどない。暇つぶし程度に周囲の気配を探る程度だ。王太子はゆっくり休んでくれてかまわないと言ってくれたが、これくらいはしないとな。俺達はあくまでエリナのおまけだ。シビルとアストリッドはエレナさんの天幕に招かれていた。エレナさんがエリナのガザリムでの話を本人の口以外から色々と聞きたがっていたからだ。話す事といえば迷宮の事くらいしかないと思いたい。……たぶん俺の話も出るんだろうな。変な事言われてないといいけど……。
そろそろかな。定期的な暇つぶし。そこでひとつの小さな気配が、背後から俺へと近付いて来ている事に気がついた。ごくごく僅かな気配。動物程度の……。振り返ると、
「やはり気配察知能力は高いようだな」
感心したような、満足気な表情のロギさんが立っていた。
「本気なら、俺の気配察知でも気付かなかったと思いますが……」
そう気配がなければ確実に気がつかなかった。金属鎧の擦れ、足音なども一切しない。それ以外もだ。気配を感じていなければ突然その場に現れたかのように感じた事だろう。
「暇そうにしていたからな。明日からはもっと気配を小さくするからな。気付けよ?」
と、ロギさんは笑いながら答えた。……退屈はしなさそうだ。
「少し付き合え」
そう言ってロギさんが腰の剣を抜いた。まじかよ……。
「お手柔らかに」
ただの手合せ前の常套文句ではない。本心の本心から出た言葉だ。
「わかっておる」
ぎらりと獰猛な笑みを見せるロギさん。不安はある。だが、同時に気分が高揚するのを感じる。ロギさんと戦える。貴重な、この時間全てを全身全霊で味わおう。




