第十四話 屋敷
馬車が止まる。どうやら目的地に到着したようだ。ここか。窓から見えたそれは、昨日も訪れたあの邸宅だった。
馬車を降りる為、腰を上げる。
「お前たちは乗っていろ。食事を取るのはここではないのでな」
と、王太子に制された。王太子と騎士達は馬車を降りる。さすがに馬車の中で座ったまま見送るわけにはいかないだろうと、結局は馬車から降り王太子を見送る。
「あちらにも人がいる。何かあればその者に言いつけてくれ」
王太子が邸宅の中へと消えたのを確認し、馬車へと戻る。扉を閉めると、馬車はすぐに再び走り出した。
「どこへ連れて行かれるんだろうね?」
シビルの疑問。王太子達が降りた事で、馬車の中には俺とシビルとアストリッドだけになった。
「もしかしてこのままどっか埋められちゃったりして! 『秘密を知る者はこの世に必要ない』って感じで! エリナももうきっと……」
「……ありえる」
アストリッドも乗らないの。先程までは気楽に会話できる雰囲気ではなかったしな。これから王太子との食事もあるし、せいぜい今のうちに軽口を言い合っておこうという感じか。
「あのロギという騎士には勝てそうもないしな……。そうなったら俺達は全員土の中だろうな……」
「そんなにすごかったの? わたしにはよくわからなかったな。やっぱりレックスでも勝てそうにない感じなんだ」
シビルにはあの凄さが伝わってはいなかったようだ。まあ、そうかもしれない。シビルの目で捉える事ができないという意味では、俺の剣もシグムンドさんの槍も、そしてあのロギという騎士の剣も全て同じだろう。
「すごいなんてもんじゃなかったよ……。あれはもう……」
やはり上手く言葉にできない。
「ね? アストリッド」
アストリッドに同意を求める事しかできなかった。アストリッドはこくりと頷いた。表情を出す事の少ないその顔に、ありありと興奮を見て取ることができる。俺でなくとも、誰が見ようと興奮しているのだとわかるくらいには。アストリッドには珍しい事だ。それほどまでだったという事だろう。
「へえ。そうなんだ」
やはりシビルにはぴんときていないようだった。
「もしまた見る機会があるなら、闘気術を使えばいいよ」
それでも捉えきれるとは思えないが……。俺も今度はそうしよう。それで捉えきれればいいんだがな。
そんな話をしていると馬車が止まった。どうやら今度こそ本当に目的地に到着したらしい。街の中心からは少し離れた住宅地のあたりだ。このあたりに来たのは初めてだな。探索者にとっては関係の薄い場所だったからだ。稼ぎのいい者の中には、このあたりに家を持つ探索者もいるらしいが。
馬車を降りる。まだ日は高い。準備などがあるにしても、早めの夕食となりそうだった。
馬車が着いたのは一軒の屋敷の前だった。質素かもしれない。王太子が食事を取るにしてはという意味で、もちろん一般的な家と比べれば広い。大家族で過ごせるくらいには。
俺達を降ろした馬車が走り去っていった。それを見送り屋敷へと歩く。と、両開きの扉が内側から開かれ中から女中が顔を見せた。女中がこちらへと頭を下げる。
「ようこそいらっしゃいました」
女中へと頭を下げ返し、扉を潜る。屋敷の中も質素だった。質素といっても、もちろん王太子が……。内々の、という話でもあった。店などを選ばなかったのも、目立たぬようにしたのかもしれない。
「皆様にはお部屋を一つずつ用意してあります。こちらへどうぞ」
そう言うと女中は、俺達に先立ち歩き始めた。女中はエントランスから続く階段へと足をかける。用意された部屋というのは二階にあるらしかった。
「お食事は一階で御取りいただきます。それまではお部屋で御くつろぎ下さい」
説明を受けながら、邸宅内を進んでいく。やはり立派ではあったが、豪華というほどではない。
「浴場は突き当りに一つしかありませんので、女性の方からお使いください。お二人が御済みになった後レックス様をお呼びいたしますので」
「……レックスも一緒に入る?」
アストリッドがわざわざ上目使いでこちらを見る。わざわざ上目使いになるように、身を屈ませてまで……。どこで覚えたんだか。シビルはくすくすと笑っている。
「そうされますか?」
アストリッドのたわいない冗談だというのに、女中の方は律儀にもこちらへ聞いてくる。
「いえ」
「レックスつまんなあい」
シビルは唇を突出し不満顔だ。そう言われてもな。確かに本当にそんな事を言われたら、きっとシビルの満足する反応をしてしまうだろう。だが、冗談だという事はわかっている。さすがに慣れた。
「そうですか。レックス様はこちらの御部屋をお使いください」
「じゃあ、また後でね」
シビルとアストリッドに手を振り、示された部屋へと入る。部屋へと入りまず目に入ったのが窓だった。窓は開けられており、そこからは光と風が部屋へと取り込まれている。窓へと近づき、景色を見る。静かだ。鳥の鳴き声が聞こえるほどに。周囲の家々も大きく清潔感があった。俺達が普段いる雑然とした喧騒に塗れているガザリムと同じ街とは思えない。窓を離れ部屋を見回す。装飾などはなくシンプルな部屋だ。今宿泊している宿よりもかなり広い。それに合わせるかのように大きなベッド。ベッドに腰かけてみる。クッション性が高い。体を倒し寝転がってみる。ああ、このままベッドに包まれながら眠りに落ちてしまいたい。
……このままではだめだ。本当に寝てしまう。体を起こす。二人の風呂には時間がかかるだろうし、寝てしまってもいい気もする。他にする事もないし……。窓から差し込む心地よい光と風、柔らかいベッド。この魅力に打ち勝つのは厳しい……。いや、万が一王太子を待たせるような事になったら……。そう思うとさすがに眠ってしまうわけにはいかない。部屋の探索に戻ろう。
右手の壁一面が作り付けの収納になっている。その中でも一番大きな扉を選び、開いてみるといくつもの服が収納されていた。扉の内側には大きな鏡が付けられている。中の服はどれもこれも男性用で、フォーマルな物からカジュアルな物まで様々。この中から選んで着ればいいのだろうか。扉を閉め、別の扉や引き出しを開いてみるも、なにも入ってはいなかった。後は……テーブルと椅子くらい。本当にシンプルな部屋。ベッドへと再び腰を下ろす。さて……。
コンコンと控えめなノックの音。慌てて飛び起きるも、窓の外はまだ明るい。寝過ごしたわけではないようで一安心だ。やっぱりな。あの誘惑には耐えがたいものがあったんだ。
「はい」
起き上がり、扉を開く。扉の前にいたのは女中の方だった。
「浴場をお使い下さい」
シビルとアストリッドは使い終わったようだ。
「わかりました。ありがとうございます」
「御召し物はこちらで準備させて頂いております」
手ぶらでいいようだ。部屋を出て浴場に向かう。女中は俺に付き従うかのようにぴたりと後ろを歩いてくる。先程教えられた風呂場の前にはすぐに着く。まさか風呂の中まではついてこないよな?
「御背中を……」
「あっ、大丈夫です」
かぶせるようにそう言って扉を閉めた。さすがに、初対面の女性にはこんな反応になってしまうな。冗談って事もないだろう。そんな風には思えなかったし。
脱衣所で服を脱ぎ、奥の扉を開く。広い。先程の部屋と同じくらいだろうか。浴槽も一人で入るには広すぎるくらいだった。浴槽のすぐ上に窓がついている。その窓は開け放たれていたが、窓の外には木が覆い茂り外からは見えないようになっていた。
置かれていた石鹸を手に取り体を洗う。いつもより手早く。一刻も早く浴槽に浸かりたかったのだ。さっと泡を洗い流し、浴槽へと足を入れる。ああ。最高だ。普段から風呂のある宿とはいえ、それは共同だ。やはり綺麗な湯に一人でゆっくりと浸かれるというのはありがたい。
肩までしっかりと湯に入る。こんな家なら最高だな。……いや、だがもし家を買うならば風呂は二つあったほうがいいか? 一つだと女性陣の風呂を待ってから入らなければいけない事になるしな。……いや、同じ家に住むという事は……つまりそういう事だろう。それなら別に一つでもいいのか? うん。気が早いな。
充分に堪能し、風呂場を出る。扉の向こうには女中の方が待っている。ちょっと長かったかな。待たせたようで申し訳ない。手早く髪を拭くとローブを纏い、部屋を出る。
「お待たせしました」
女中は特に気にした様子もなく、俺を出迎える。
「御部屋に準備させて頂いておりますので、それをお召しになられてお待ちください」
部屋に戻るとテーブルの上に確かに準備されていた。フォーマルよりではあったが、それほど格式ばった物ではない。身につけ、ついでに髪も撫でつける。クローゼットの扉を開き、鏡で確認する。シャツとジレにアンクルパンツを身につけた子供から大人へと脱皮を始めた青年の姿が映る。ずいぶんとこの外見にも慣れたな。襟元を直し扉を閉じる。後は待つだけか。ベッドではなく、椅子に腰かける。もしまた寝込んで服にシワでも入ったら面倒だ。
それほど待つことなくノックの音が響いた。
「準備が整いました」
扉を開けると、女中の後ろにシビルとアストリッドがいた。二人も普段とは違いドレスを着ていた。薄く化粧も施されている。シビルは黄色い丈の短いドレスだ。ドレスから伸びる足が眩しく、すぐにアストリッドへと目を移す。アストリッドは淡い緑のマーメイドラインのドレス。スタイルの良さが強調されている。
「二人共似合っているよ」
早口でそれだけ言うと、女中の方に目を戻す。着飾り普段とは別人のような二人。どぎまぎするに決まっている。今回の反応はシビルとアストリッドにとって狙った通りの反応だったようだ。
「ありがと」
シビルは悪戯が成功した子供のような笑顔。満足していただけた様でなによりです。
階下へと降り、一階脇の食堂へと通された。先程の部屋二つぶんくらいの大きな部屋だ。テーブルの上には真白なクロスがひかれ、食器がすでに用意されていた。指定された席へと座る。と、そこに馬車の音が聞こえてきた。
「お待ちください」
女中は俺達へそう言い残すと、食堂を出て行く。どうやら俺達の時と同じように扉を開けに向かったようだ。
「ちょっと行ってくる」
王太子だろうか? それともエリナか? あるいは両方か。エントランスへと出ると、すでに扉は開かれていた。女中は頭を下げている。扉を潜り現れたのは王太子と先程の二人の騎士だろう。王太子と騎士の二人は俺と同じような格好だった。初めて騎士の素顔を見たが、一人は没個性的な特徴のない青年だった。そしてもう一人。
これがロギ……。思った以上に年老いていた。外見年齢は八十くらいだろうか。髪は白くなり、その顔には深い皺が刻まれている。だが、その眼差しは衰えを知らぬように強く鋭かった。強さによって肉体を若く保つ事の出来る世界だ。実年齢はもっと上だろう。体つきも細く、目に見えて肉体は衰えている。この体であれほどの剣を……。
「似合っているな」
その言葉に我に返り、王太子を見る。
「ありがとうございます」
「待たせてしまったか? すまんな。エレナ達はまだか?」
「はい。ご一緒ではなかったのですね」
「ああ。では……」
会話の途中で再びの馬車の音。王太子達を乗せた馬車が帰ったのかと思ったが、その音は徐々に大きくなり、すぐに止まった。
「来たようだ」
王太子達と共にそのままエントランスで二人を待つ。扉の向こうにエレナさんとエリナの姿が見えた。二人は共に着飾っている。
「お待たせして申し訳ありません」
屋敷に入った二人はまったく同じ口調、まったく同じ動作で頭を下げた。ドレスもまったく同じ物を着用している。ヴェールをかぶりその表情はよく見えない。さすがに顔や表情に違いが現れるからだろうか? いや、外で顔が見えぬようかぶっていただけかもしれない。二人は俺と王太子に向かい手を差し出した。よくここまで、そう思ったがエリナは子供の頃からエレナさんの身代わりをしていたわけだしな……。こんな事を考え出したのはまず間違いなくエレナさんだろう。
王太子を見る。と、王太子もまた俺を見ていた。面倒な事を……、その顔にはそう書かれている。俺もまったく同じ表情をしているだろう。そうして共に苦笑い。王太子と親しくなれた気がする。同じ感情を共有した事で……。ため息一つ。
王太子と共に、手を差し出す。ここはタイミングが重要だ。王太子より遅くてはいけない。王太子の反応から判断したと思われるわけにはいかない。それは王太子もまた同じ事。まったくの同時でなければならない。
二人は同時にベールを取り去る。そうして、エレナさんは満面の笑みで王太子の手を取った。エリナは申し訳なさそうな笑顔で。
「では食事にしようか。でも、こんな事はもうやめてくれよ」
手を取り合ったまま食堂へと向かう。
「はい」
王太子の言葉に笑顔で答えるエレナさん。ああ……これ絶対またやるわ……。




