第二十一話 ヨハン逃走
重い……。目を開き状況を確認する。……。またやってしまった……。しかもだ。状況は悪化している。右にエリナ。左にシビル。そして……、下にアストリッド。アストリッドは、その長身を丸めるようにベッドの端に丸まって寝ていた。俺のふくらはぎを枕に。そんな無理に一つのベッドで寝なくても……。昨夜の俺達は何を考えていたのだろうか? とりあえず、この状況をどうにかしなければならない。
……よし! 寝る! 昨日もそうだが、俺が初めに起きたのが悪かったのだ。エリナとシビルが先に起きていれば、そっと部屋を出ていってくれていた事だろう。そうすれば、俺も二人も何事もなかったような顔でごく自然に接することができたはずである。目を閉じ、寝たふりを続けるのが最適解と判断する。
しばらく、そうして寝たふりを続けていると、ごそごそと何やら動く音がした。これはアストリッドか? 薄目を開け観察してみる。アストリッドは起き上がり、ベッドの上の俺達をちらりと見たが、何の反応もしめさなかった。その後は、ただぼんやりと壁を眺めている。……。ベッドから降りたり、部屋を出るなどといった行動を取る様子はない。ただ壁を眺めているだけ……。寝ぼけているのか?
次に起きたのはエリナだった。はっとした表情を見せたが、慌てて身を起こすようなことはせず、ゆっくりと体を起こした。俺を起こさないように慎重に。ぼうっとした目でその様子を見るアストリッド。
「おは……」
エリナは立てた人差し指を素早く口に近付けた。やっと覚醒したのか、挨拶をしようとしていたアストリッドも、エリナのその行動に黙り込む。
エリナは無言でアストリッドをうながし、ベッドから降ろすとともに自身もそっと降りた。そうして、ベッドの反対側扉がある方向へと回り込む。もう俺の顔の角度からはエリナの動きを見ることはできない。が、エリナがベッド脇に立っていることは気配でわかった。
「……シビル。……シビル」
エリナの囁くような小さな声。
「え……」
慌てたような声。どうやらシビルも起きたようだ。
「またやってしまいました……。幸いレックスはまだ寝ています。今のうちに部屋を出ましょう」
とりあえず、寝たふりがばれていないようで安心した。状況を把握したのかシビルも、そっと身を起こすとベッドから降りた。
荷物を持ち、遠ざかる気配。よし三人共うまくやったようだ。そう思った瞬間。ガサと大きな音が鳴った。誰かが荷物を落としたのだろう。その場の空気が凍りつく。こちらをうかがう気配。どうなんだ? これほど大きな音が鳴ったというのに、無反応というのもおかしい気がする。
「ん……」
一声唸るような声を出し、寝返りを打つ。どうだ!?
……。
…………。
三人は再び扉を目指し遠ざかっていった。ふう……。なんとかなった。扉を開く音。ひとまずこれで……。すぐに静かに扉が閉まる音がした。
念の為、気配が遠ざかるのを確認した後、薄目を開ける。よし! 当然ではあるが、誰もいない。準備をしよう。
準備を終え、階下に降りると三人はすでに朝食を摂っていた。エリナとシビルが横並びに、その対面にアストリッドが座っている。俺が最後か。起きていたなどと思われぬように、時間をかけ準備を行ったためだろう。作戦は成功といえる。
「おはよう」
何気ないごく普通の態度を心掛けながら、三人へ朝の挨拶。
「おはよう……」
気にしているのかいないのかアストリッドはごく普通の態度。
「おはようございます……」
「お、おはよう!」
エリナとシビルはやはりぎこちないが、気が付かなかったふりをして、アストリッドの隣へと腰かける。とすぐさま宿の女将が朝食の注文を取りに来た。
「昨夜はお楽しみでしたね。ようやっと、そういう関係になったんだね。あたしもさ、さっさとやる事やっちゃえばいいと思っていたんだよ」
女将……? 何を言っているんだ? エリナ、シビルは食事の手が止まってしまった。アストリッドはもくもくと食事を取り続けている。
「しかも二日連続でしょ? 新しい娘までいれて! 若いっていいわね。それで朝食はどうする? やっぱり精のつく料理がいいかい?」
俺の朝の苦労とかさ……。
「ち、違いますよ! 何言っているんですか! そんな……ま、まだ健全な関係です!」
シビルが女将に反論する。
「そうなのかい? 四人で一緒の部屋に入っていったからてっきり……。そういわれれば、やけに静かだったね」
女将は俺へと視線を向けた。
「あんた、こんなかわいい子三人と一緒の部屋に居て、手をださなかったのかい? 情けないねえ」
それに関しては、何もいえない……。
「まあそれならそのほうがいいんだけど。うちも連れ込み宿じゃないからね」
とりあえず食事いいですか……。
二度目という事もあり昨日ほどではないのだが、食事の間はずっと微妙な空気が漂っていた。それはギルド受付に到着するまで続いていた。
「おはようございます」
挨拶するも、ステラさんは深刻な顔つき。ソールさんと何かあったのだろうか? そんなわけないか。ステラさんなら、悩みを顔に出すような事はしないだろう。ソーニャさんではないのだから。そういえば、ソーニャさんは元気でやっているだろうか? あの人なら、どこに行こうと元気だろうがな。
「申し訳ありません」
いきなり頭を下げるステラさん。
「……昨夜、ヨハンが脱走しました」
ヨハン、ヨハン……。どこかで聞いた名前のはずだが思い出せない。ヨハン……ああ! あの魔素中毒の男か! しかし脱走……。
「魔素中毒と判明した為、ガザリムから隔離施設へと移送中の出来事です。幸い、移送に携わったギルド職員は大きな怪我もなく無事だったのですが……」
殺されていないという事は、ヨハンはまだそれほど狂ってはいないという事だろうか?
「すでに全ての街門に通達済みですので、ガザリムに入る事は不可能と思われますが、迷宮への移動など街から出る際にはお気を付け下さい。この脱走により、ヨハンには懸賞金がかけられております」
ぞわりと背筋に寒気が走った。魔素中毒者の書物などを読んだせいだろうか。魔素中毒者に偏見というのは少し違うとは思うのだが、なにやら得体の知れない不気味さを感じ続けている。
「この度は、我々ギルドの過失によりヨハンを取り逃がす事になり大変申し訳ありませんでした」
再び深く頭を下げるステラさん。ギルドに対して、憤りを覚えた事は事実だ。だがそれをステラさんに言ってもしかたがない。
「えっと……。パーティメンバーの追加をお願いします」
ギルドカードをステラさんに差し出す。
「少々お待ちください」
気持ちを切り替えよう。今日は折角、正式にパーティメンバーが増えるのだ。嬉しい出来事だ。
手続きが終わるのを待つ。やはり、ヨハンの事が気になり落ち着かない。俺の雰囲気につられたかのように、先程の気恥ずかしさとは違った微妙な空気がパーティの間に流れている。誰も言葉を発しなかった。
「お待たせしました」
ステラさんからギルドカードが返却された。裏にはしっかりとアストリッドの名前が刻まれている。そこでやっと穏やかな空気が流れた。
「これからよろしく」
アストリッドに手を差し出す。握り返すアストリッドの手には思いのほか力が込められていた。
「……よろしく」
アストリッドの顔にはほんの小さくではあるが、笑みが浮かんでいる。やはり、仲間が増えるというのは嬉しい。この時ばかりはヨハンの脱走など些細な事に思える。




